第九十九話 テイム
「犬飼(いぬかい)さん、ちょっといい? お客さんがいらっしゃったわよ」
「……?」
振り向いた女子生徒を見て姉崎さんと英愛がビクッとする――長い黒髪が顔にかかって、和もののホラー映画に出てきそうな感じになっている。
「…………」
こちらを見て全く動かない――と思いきや、髪の間から見える唇がかすかに動いている。
《神崎玲人が『魔力眼』を発動》
こんなときに使うものでもないと思うが、こうすると唇の動きがスローモーションで見える。どうやら『どちらさまですか』と言っているようだ。
「え、えーと。俺は神崎玲人と言います」
「ふぇっ……レ、レイ君、犬飼先輩の考えてることわかるの?」
「彼女はとても声が小さいので、私もすごく近づかないと聞こえないんですが……神崎くんは聴覚が鋭いんですね」
「いや、そういうわけでは……と、それは置いておいて。犬飼先輩が『魔物使い』だと聞いて来たんですが、少しお時間を頂いていいですか?」
犬飼先輩はこくりと頷く。そして別に顔を隠しているわけではないらしく、黒髪を後ろに流した。
「……魔物の匂いがします……その子から……」
「えっ、あーしからリスっぽい匂いしてますか?」
ジャージの中に入れているのだから多少は獣の匂いがするかもしれないが、それにしても犬飼先輩の嗅覚が優れていることがうかがえる。
「すごいところに入れて連れてきたのね……」
武蔵野先生に感心されつつ、姉崎さんがジャージのファスナーを開けた――その瞬間。
「っ……」
「きゃっ……す、すみません犬飼先輩、こら、誰にでも飛びついちゃ駄目でしょ」
姉崎さんの胸元から飛び出してきたリスが、犬飼先輩の胸に飛びつく。犬飼先輩は少し驚いていたが、落ち着いて受け止めるとリスの頭を撫で始めた。
《犬飼小夜が『カームセラピー』を発動》
「めっちゃ気持ちよさそう……って、寝た!? ちょ、どうやったらそうなるんですか?」
リスの瞳が閉じがちになり、そのまま眠りに落ちる。犬飼先輩はリスを机の上に寝かせると、頬袋のあたりを撫でて微笑んだ。
「……『魔物使い』のスキルで、この子を大人しくさせました。こちらに敵意がない場合に有効です……」
「先輩のスキルが効くっていうことは、この魔物を手懐けるというか、
犬飼先輩が席を立ち、俺の顔を覗き込んでくる――座っている状態では分からなかったが、彼女はかなり背が高い。
「……魔物使いが魔物を従えることを
「神崎君はどんな知識を持っていても、もう驚きませんね……いえ、褒めたい気持ちではあるんですけど、先生よりずっと強いですからね」
「先生があっさり負けを認めちゃうって、それっていいんですかー?」
「うっ……耳が痛いですけれど、事実なので仕方がないですね。Cランクの魔物を無傷で倒すなんて、私には無理でしょうし」
武蔵野先生も『水棲獣のデーモン』と戦えるだけの強さはあるということか。魔物と戦う授業があるのだから、教官にも強さが求められるのは必然といえる。
「……あ、あの。犬飼先輩、その、距離が……」
「……私に、この子をテイムしてほしいと……そういうことでしょうか……」
犬飼先輩の声は穏やかでとても優しい。しかしこの距離感は――声が小さいから不可抗力なのかもしれないが、普通に胸が当たりそうになる。
《警告 犬飼様とパーソナルエリアが干渉しております――ゲーム内の警告はこのようなものでしたでしょうか》
イズミが一応言っておかなければ、というように注意してくる。犬飼先輩に離れてもらうより、俺が一歩下がれば――しかし犬飼先輩も一歩前に出てくる。
「犬飼さんって前のめりなところがあるから、少し距離感が近いのは大目に見てあげてね。男の子にはこうなっちゃうのは初めてだけど」
「レイ君ってそういうとこあるよね、人を惹きつけちゃうっていうか。あーしもすぐ気に入っちゃったし」
「え、えっと、犬飼先輩すみません、その、当たっちゃうので……」
「……ごめんなさい、私のなんかが当たったら、神崎さんも嫌ですよね……」
「ま、まあその、適切な距離で話せたら嬉しいです。俺は犬飼先輩が話してること、これくらいの距離でも分かりますから」
「あーしらにはほとんど聞こえないんだけど。とりま、このリスちゃんをなんとか飼えるように、ご協力お願いします!」
姉崎さんが勢いよく頭を下げる。犬飼先輩はこくりと頷くと、今度は英愛に近づいた。
「先輩、私に何かできることってありますか?」
「……この子は、仲間がいなくて寂しがっていたみたいです……あなたたち三人をパーティとみなして、その中にあなた……英愛さんがいたから……ついてきたそうです……」
「えっ……私じゃなくて姉崎先輩がここまで連れてきたのに、そうなんですか?」
「そういえば、あーしが呼んでもなかなか出てこなかったもんね。なのに、レイ君と妹ちゃんが来てくれたらすぐ出てきてくれたし」
『旧アストラルボーダー』で知り合った『魔物使い』のプレイヤーも言っていた。魔物を仲間にするには、パーティに魔物に警戒されにくい人物がいると成功しやすいと。
俺のパーティではミアが魔物から敵意を向けられにくく、彼女のおかげで戦闘を回避できることもあった。
「……あれ? 犬飼先輩って動物の言葉が分かるんですか?」
「はい……本を読んで勉強して、『魔物言語』のスキルが身につきました……万能というわけではないので、分からない場合もありますが……」
「ふんふん……あーしも慣れてきたら聞こえるようになってきた、先輩の声。めっちゃ可愛い声してますよね」
「……そんなことはないです。身体が大きいのに、声がこんなふうだと……」
「声優さんみたいな声で羨ましいです。お兄ちゃんは?」
「あ、ああ……それは確かに」
犬飼先輩は俺を見やると、顔を赤くしてそっぽを向いてしまう。
《犬飼小夜様の感情バイオリズムに変化が生じておりますが、詳細に分析しますか?》
イズミは状況を楽しんでいるのではないかと思えてくるが、たぶんその通りなのだろう。
「あ、あの……先輩、このリスをテイムする方法は……」
「先生が犬飼さんの代わりに伝えるわね。ええと……そうよね、そうなるわよね。ふむふむ、分かりました。英愛さんの魔力を少し分けて欲しいのだけど、良いですか?」
「私、魔力の使い方とかはまだ勉強してないんですけど……それでも大丈夫ですか?」
「ええ、この『ムスビの実』に触れれば、必要な魔力が込められるから」
小型の魔獣を手懐けるには、魔力を込めた餌を与える――それは『旧アストラルボーダー』と同じ部分だ。そして、犬飼先輩は武蔵野先生にさらに何か伝えている。
「……テイムのために、それが必要なのね。英愛さん、変なお願いでごめんなさい……髪の毛を一本分けてもらってもいい?」
「えっ……髪の毛ですか?」
「テイムする魔物の身体に『使役具』をつける必要があるのだけど、このリスの場合は足輪をつけようと思うのね。その足輪に、この子に好かれているあなたの身体の一部を使う必要があるそうなの」
「はい、それなら大丈夫です」
犬飼先輩は英愛の髪の毛を一本受け取ると、机の中から赤い紐を取り出す。それに英愛の髪を編み込んで輪を作る――あれよと言う間に小さな足輪が完成し、それをリスの足につける。
そして武蔵野先生から渡された小さな木の実――ムスビの実に英愛が触れる。英愛の身体が淡く輝き、木の実が呼応して光を放つ。
《神崎英愛が『ムスビの実』を使用》
《神崎玲人が回復魔法スキル『ディバイドルーン』を使用》
「っ……あ、ありがと、お兄ちゃん……」
「念のために魔力を回復しておいた。大丈夫か?」
「うん、私は元気。犬飼先輩、どうぞ」
犬飼先輩は『ムスビの実』を受け取り、リスに差し出す。リスは特に躊躇うこともなく木の実を口に入れた。
「……犬飼小夜の名のもとに果実を捧げ、契りを交わす。彼らに従属せよ」
《犬飼小夜が『魔物調教』を発動》
リスの足元に魔法陣が生じて、辺りを煌々と光が照らす――そして。
《神崎玲人のパーティに『小型魔獣NO.661』が所属》
《玲人様、魔物の識別名称を変更しますか?》
「姉崎さん、英愛。このリスの名前はどうする?」
「あーしたちが決めていいの? 妹ちゃん、どうしよっか」
「えっと……リスみたいなので、リリスちゃん。女の子なのかな?」
「この子は女の子です。雌雄のない魔物もいますが……」
「んーと、尻尾がフワフワしてるからフワリスちゃん……ちょっと語呂悪い?」
「それなら、フワリちゃんはどうですか? きゃっ……!」
英愛がそう言うと、リスが素早い動きで英愛の身体を駆け上がり、肩の上に乗った。
「はぁ、びっくりした……」
「フワリちゃんっていう名前、気に入ったんじゃない?」
英愛の頬にすりすりと頭を寄せているリスを見て、犬飼先輩と武蔵野先生も微笑ましそうにしている。俺は声には出さず、イズミに今決まった識別名称を伝えた。
《識別名称を『フワリ』に変更しました。以後、私から現在状況をお伝えする際に使用します》
「テイムした魔物なら、連れていても大丈夫ですか?」
「ええ。このカゴの中の子も犬飼さんがテイムした魔物ですが、学園から飼育許可が出ています。フワリちゃんのことも申請しておきますね」
「ありがとうございます。犬飼先輩、このお礼は改めてさせてください」
「……『ムスビの実』……テイムに使う果実を採取しないといけないので……もしよろしければ、またご一緒に……」
「ムスビの実が手に入る
「あーしも一緒に行っていい? レイ君来週は試合あるから、行くのはその後だよね」
「そうなるかな。犬飼先輩、来週の土曜以降なら俺はいつでも大丈夫です」
犬飼先輩は制服から手帳を出す――どうやら予定を書き込んでいるようだ。
魔物研究部の部室を出ると、雪理から電話が入った。すでに着いているとのことで、俺たちも集合場所のトレーニングルームに急いだ。
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