第九十二話 呪紋師と書物
不破と南野さんはそれぞれ紹介してもらった本を読んでいる――没頭しているというのか、他の生徒たちも集中していて、図書館のフロアはとても静かだ。
「……皆さん、集中しているので、少し緊張しますね」
「っ……あ、ああ、そうだね……」
隣に座っている黒栖さんが囁くような声で言うので、つい変な反応になってしまった。普通に話すときとは違って、耳をくすぐられるような感じがする。
雑念を抱いている場合ではないので、本を開いて読み始める。多少頭が熱くなるというか、負荷がかかっているのが体感できる――『旧アストラルボーダー』でも、能力値が上がる本を読むとこんな感覚があった。
「……ふぁぁ……」
「……黒栖さん、大丈夫?」
「い、いえ、すみません、数ページ読んだだけなのに……」
あくびを恥ずかしがり、黒栖さんが真っ赤になって慌てる。しかし無理もないことだ、俺もだいぶ体感で
「こういう本は、読んだだけで能力が向上する代わりに、読み終えるのに凄く苦労するんだ。運動なんかとは違う疲れがあると思う」
「は、はい……でも休み休み読み進めれば、なんとかなりそうです」
「いや、こういう時は本の負荷を軽くしよう。気持ち楽になるくらいだけど」
《神崎玲人が回復魔法スキル『ディバイドルーン』を発動 即時遠隔発動》
回復魔法の『ディバイドルーン』は俺のOPを5%仲間に分配するが、黒栖さんの魔力はどうやら俺の魔力の5%である1800よりは少ないようで、そこまで消耗しなかった。
「あ……ありがとうございます、神崎君。元気が湧いてきました……っ」
「黒栖さんの魔力を回復させたよ。これでまた魔力がなくなるまで読んで、回復してって方法でも読み進められるけど、もうひとつ俺にできることがある」
呪紋師はルーン文字や図形を使って魔法を発動するが、『文字の探究者』という側面がある。特殊魔法レベル5で覚える『ラーニングルーン』は、文字の理解を促進するというもの――つまり、読書の速度を早める魔法だ。
読書は呪紋師にとって、魔物を倒すことと同等の訓練だ。三年の間に読書に割り当てられた日数は多くないが、本から得たものは身についている。
「黒栖さん、手を出してくれるかな」
「はい……あっ……暖かい……」
指先に
《神崎玲人が特殊魔法スキル『ラーニングルーン』を発動》
このスキルは一人に対してしか使えないし、友好度が低いと効果が薄くなってしまう。
――私がレイトさんのこと、どう思ってるか分かっちゃいますね。
――ミア、からかわない。友好度は友好度で、恋愛とは関係ない。
――イオリも使ってもらったらいいんじゃないかな。僕とレイトの友情は確かめるまでもないしね。
ソウマが冗談を言うのは珍しかったので、何となく覚えている――なぜかミアが顔を赤くしていたが、あれは何故だったのだろう。
「玲人さん、どうされましたか?」
「ああ、ごめん……今使ったスキルは、本を読みやすくするものなんだ。試してみてくれるかな」
黒栖さんは頷き、そろそろと本を開く――すると。
「あっ……わ、分かります。さっきより、文章が頭に入ってくるというか……っ」
「良かった。じゃあ、それぞれ読書に集中しようか」
「ありがとうございます、玲人さん。本当に凄いです、玲人さんは何でもできて……」
ささやき声でずっと褒めてくれるので落ち着かないが、何とか本に集中する。自分も『ラーニングルーン』を発動して読み進めてみるが、先生が勧めてくれただけあって興味深い内容だった。
◆◇◆
《神崎玲人が『魔力眼』レベル1を習得しました》
「ん……」
――読書に集中しすぎていた。授業時間が終わるまであと五分なので、タイムオーバーはしていない。
《黒栖恋詠が『セレニティステップ』を習得しました》
「あっ……玲人さん、あ、あのっ、本を読み終えたら、スキルが……っ」
「黒栖さんも読み終えられたんだ。一冊一気に行くと結構疲れるな」
「はい、でも、玲人さんのおかげですいすい読み進められました。何度か魔力が切れてしまっても、その都度補充していただけて……あ、暖かかったです……っ」
俺は黒栖さんの魔力が切れるたびに、『ディバイドルーン』を使い続けた。自分で読書した分も
『眼力によるオーラテクニック』というタイトル通りではあるが、まさかこんなスキルを得られるとは思わなかった。『魔力眼』――本の内容によると、雪理が使う『アイスオンアイズ』のような特殊な眼とは違い、動体視力を増したりという効果があるらしい。
「じゃあ読み終えたってことで、スタンプを押してもらおうか……あれ?」
図書館から、いつの間にか生徒たちがいなくなっている。ファム先生は伸びをしていたが、俺たちを見ると驚いたように目を見開いた。
「あなたたち、すごく元気ですね。本を読んでも疲れませんでした?」
「いえ、かなり疲れたというか魔力を使いましたが、回復する手段があるので」
「オーラドロップを使ったんですか? それにしても、購買で買える数は限られていますし、どのみち凄いです、感嘆です」
「他の皆はどこに行ったんでしょうか?」
「皆さん、途中で疲れてしまったので休んでますが、そのまま解散でもいいと伝えてます。この授業を選ぶ人は、最後に単位を取れるだけ本を読めていれば、あとは自由時間だから来てると思います」
ファム先生がどこか飄々としていて、生徒が居なくなっても気にしていないのはいつものことだからということか。
「先生、あの……この本を、読み終わったんですが……」
「……えっ? ごめんなさい、よく聞こえませんでしたが、今なんて言いました?」
ゆるい雰囲気だったファム先生の態度が急に変わる。俺も読み終わった本を出して、先生に見せた。
「俺も読み終わりました。スキルも身についたので、先生に本を紹介してもらえて良かったです」
ファム先生は俺たちを見たままパチパチとまばたきをする――そして、フッと気を失いかけるが、黒栖さんに支えられる。
「せ、先生っ……!?」
「おお、神よ……こんな凄い生徒さんを受け持つのは初めてです……私は教育者のはしくれとしてどうすれば……」
「まだ他にも、オススメの本があったら教えてください」
「そ、そうは行っても、それはとても難しい本ですし……もっとレベルの高い本は、総合学園の書架には置いていないのです……」
ファム先生は申し訳なさそうに言う。あのタイトルでこの図書館最難関の本とは、俺が自分で探しても気づけなかっただろう。
「分かりました、次からは難しい本でなくても、興味があるものを読むことにします」
「っ……待ってください、私にも教官としての責任があります。神崎君に紹介できるような本を、かならず用意しておきますので……!」
「え……い、いいんですか? 俺のためにそんなお手間をかけさせるわけには……」
「何を言っているんです、これは私の務めですのでご遠慮は必要ありません。ええと、でも時間がかかってしまうかもしれないんですけど。こういった分野に興味があるというのを、教えておいていただけますか?」
「は、はい。えーと、魔力を使うスキルであればなんでも……あと、筋力が低いので鍛えられるとありがたいです」
「承りました。黒栖さんには紹介できる本がたくさんあるので、一つずつ読んでいってくださいね」
◆◇◆
ファム先生の話によるとスキルが得られる本は珍しく、能力が向上する本の方が多いらしい。
そして能力が上がったかどうかというのも数値では確認できないので、何となく強くなったかも、という程度でしかないそうだ。しかしファム先生の職業『司書』は、本を読み終えて能力が上がった生徒の差異を判別できる。
「黒栖さん、新しいスキルの説明は本に書いてあったかな」
「『セレニティステップ』は、しばらく、完全に動いているときの音を消せるみたいです。その、なんとなくそうなのかなって分かるんですけど」
「不思議な本だよな、読み終えるとスキルが身につくとか。まあ適性がないと覚えないみたいだけど」
「それだけじゃないです、玲人さんがいなかったら、私は数ページしか読めてなかったですっ」
「確かに魔力がかなり必要みたいだな。次は別の授業も選んでみようか」
「私は、玲人さんの行くところにならどこでも……でも、またファム先生に教えてもらった本も読んでみたいです」
「ああ、分かった。えーと、次は……って昼休みか」
《折倉雪理様より通信が入っております》
どこで昼を食べるか、と考えたところでイズミが着信を伝えてくる。
『こんにちは、玲人。今日は冒険科のカフェにお邪魔してもいい?』
「こっちは大丈夫だけど、凄く目立つんじゃないか?」
『それはいつものことだもの。どこか静かなところで食べてもいいけれど……今度、私がお弁当でも用意するとか』
「っ……い、いいのか?」
『ええ、恋詠とも話していたの。玲人には購買に買いに行ってくれるような人がいるらしいけど、その人に任せるのもバディとして問題があるものね』
「いや、本気でパシリをさせるつもりはないよ。さっきの授業でも最初だけ一緒だったけど、すぐ撤退していったしな」
『ふぅん……玲人と一緒に授業を受けられるのにそんな態度は、あまり感心できないわね』
雪理が不服そうにしている――これは良くない、プリンセスと呼ばれている雪理が不機嫌そうに冒険科にやってきたとなれば、皆が何事かと慌てるのは想像に難くない。
「ま、まあ事情あってのことだから。雪理、そろそろ移動した方がいいんじゃないか」
『ええ、もう向かい始めているわ。もう少しで着くから待っていて』
俺たちもミーティングカフェに向かうと、少し経ってから雪理と坂下さん、唐沢が姿を見せた。メニューをオーダーしつつ、雪理に聞きたかったことを尋ねる。
「雪理、五月の合宿訓練って討伐科も行くのか?」
「ええ、冒険科と討伐科は合同で行くことになっているわ」
「訓練の目玉は、離島での現地実習ですね。いろいろな環境に適応できるようにという名目ですが、端的に言うとキャンプのようなものです」
坂下さんが説明を付け加えてくれる。キャンプに行くのは小学生以来のことで、だいぶ久しぶりだ。
「キャンプ……合宿のために班を作ったりするんでしょうか?」
「そうですね、基本的には。宿泊時は男子のみ、女子のみでテントを分けることになっています」
「例年、夜間に抜け出す生徒がいるそうだが……神崎にはその心配はなさそうかな」
「まあ、特に言い返すこともないが……唐沢こそ大丈夫なのか?」
「僕はむしろ、仲間を牽制しなければいけない立場だよ。討伐科Aクラスといっても、完璧な自制を求めるのは難しい」
俺たちはFクラスだが、特に風紀が乱れているというわけでもない。初めにクラスに顔を出したときはこのクラスメイトと上手くやっていけるのかと心配になったが、あれから状況は激変している。
「唐沢にはやっぱり風紀委員が向いているわね。今からでも入ったら?」
「いえ、僕はできるだけ訓練に時間を当てるか、交流戦に備えておきたいので」
「今日は伊那さんたちはどうしてる?」
「彼女たちなら討伐科のカフェにいると思うわ。玲人に会うと緊張するって彼女が言っていて、今さら何を遠慮しているのって言ったのだけど」
彼女というのは、伊那さんその人のことだろう。彼女の態度もかなり変わってしまったので、南野さんに近い状態まではいかなくても恐縮してしまっているようだ。
「放課後はちゃんと連れてくるから安心して」
「ああ、分かった。唐沢は本当に来なくていいのか?」
「僕は射撃の教官から新たな技のヒントをもらいたいと思っている。今のままではいずれ足を引っ張ることになるだろうからね……自分だけの技をもっと磨かないと」
――
――イオリさんは凄いですよね、見えないくらい遠くて小さい的に当てちゃうので。
――FPSでも無敵だっただろうね。僕はやっぱり近距離が得意だったよ。
自分だけの技。特化した強さ。役割を果たすということ。
パーティでも、チームでも、根幹は何も変わらない。自分ひとりですべてが出来ればそれに越したことはないが――必要なのは、連携だ。
そうでなければ、俺たちは魔神を倒せてはいなかった。
「唐沢、俺にも何かできることがあったら言ってくれ。いつでも協力するよ」
「それは有り難いが……実戦において、君の魔法が集団を強化することを僕はもう知っている。ならば僕は、強化される素地である『個』を強くする。君とは天地の差であってもね」
「俺にも弱点くらいはあるよ……って言っておくか。もちろん秘密だけど」
もちろん、誰かが情報を漏らすなんてことは夢にも思っていない。その冗談が伝わったのか、みんな笑ってくれていた。
「あなたに弱点なんてものがあるなら、私も教えてもらえるくらいにならないとね。完璧にカバーできるように」
「私なんて、弱点だらけで情けないですけど……い、今は、もっと強くなりたいです」
「あれだけの身のこなしならば、交流戦でも十分通用するでしょう。訓練所では私ともお手合わせ願います」
「は、はいっ……すぐにやられちゃったりしないように、頑張ります」
黒栖さんの気合は十分、俺も同じだ。『呪紋師』の俺が接近戦の訓練を楽しみにするというのも変な話だが、午後の授業は長く感じることになりそうだ。
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