第九十一話 書物修練
朝のホームルーム後に、担任の武蔵野先生に呼ばれた。連れて行かれたのは職員室ではなく、生徒指導室だ――俺は何かしらの指導をされてしまうのか。
「武蔵野先生、俺に話っていうのは……うわっ」
先に部屋に入った先生がなかなかこちらを向かないので声をかけてみたのだが――振り返った先生は、眼鏡を外して目元をハンカチで押さえていた。
「ご、ごめんなさい、先生ちょっと感動してしまって。神崎君、昨日は二年生の生徒を救助してくれたんですね」
「はい、偶然居合わせたので」
「偶然でCランクの魔物を討伐してしまうなんて……いえ、神崎君なら簡単なことかもしれませんが、やはり私が受け持った生徒の中では群を抜きすぎています」
「俺一人でできることには限界があるので、仲間がいて助けられてます」
それは偽らざる本音なのだが、武蔵野先生は俺が謙遜していると思っているようで、そのままの意味で受け取ってくれていない――まあ仕方がないか。
「全校集会で表彰をするというお話も出ましたが、神崎君は大丈夫ですか?」
「あ、ああいえ、そういうのを期待していたわけではないので……」
「そうですよね、神崎君はそう言うと思っていました。でも先生は、神崎君を褒めたい気持ちでいっぱいなんです。貴方は先生の自慢の教え子です」
武蔵野先生が言いたかったことをここにきて理解する。俺が目立つことを避けたいというのを察していて、その意図を汲んでくれていたようだ。
「でも、これ以上何かで功績を上げてしまったら必ず全校集会で発表されると思います。もう、学園長や教頭先生も神崎君のことに気づいているので」
「そうなんですか。俺はまだ学園長先生を見たことがないですね」
「入学式のときには神崎君も出席していたはずですが……あっ……」
「ええと……入院する前のことは、記憶が曖昧になっているので。すみません」
「いいえ、私のほうこそ……神崎君が退院して学校に来てくれてから、活躍ばかりを目にしていますから。舞い上がってしまってごめんなさい」
俺が入院していたとされていた期間――この現実における三日間が、デスゲームの中で過ごした三年と、なぜ大きく体感に差が生じたのか。記憶が曖昧というよりは、まだ俺の中で整理がついていないというのが正しい。
「神崎君には、5月にある合宿訓練でもぜひリーダーシップを取ってもらいたいと思っています」
「合宿……そんな行事があるんですね」
「はい、訓練施設がある離島で行われます。学園を卒業するといろいろな任地に赴くことになるかもしれませんから、適応力を鍛えるためのカリキュラムですね」
合宿の内容が成績に関わるということなら、バディの黒栖さんに迷惑をかけないためにも高評価を得たいところだ。
「合宿中には自由行動の時間もありますから、楽しみにしていてくださいね」
「は、はい。俺、そろそろ授業があるので戻らないと」
「あっ……すみません、話しておきたいことがもう一つだけあるんです。神崎君、昨日回収課の方に、学園の設備に投資したいと話されていたそうですが」
「はい、もし可能だったらそうしたいと思ってます。といっても、千万の単位じゃ設備の強化とかには足りないですよね」
「資金については学園の予算もありますが、研究開発を進めるために必要なものはどちらかというと素材なんです。神崎君が見つけた場所は、しばらく採掘を続けることができそうなんですが……それで見つかる鉱石素材は膨大な量になるでしょう」
「え……そ、そうなんですか?」
「もちろん、神崎君が自分で採掘をしたいというのであれば、回収課は撤収します。今は外から見えていた分を採掘しただけですから」
俺が自分で掘る――できなくはないが、魔法で岩盤を爆破するような方法では素材が使い物にならなくなりそうだ。
「こちらとしては、ぜひ継続して採掘をお願いしたいです。素材が研究に使えるなら、そのまま使ってもらって大丈夫ですし……」
「本当ですか……!? では、神崎君から採掘資源の提供があったと上層部に報告させていただきますね。神崎君には報酬もお支払いしますので」
「えっ……い、いや、研究開発が進むのなら俺はそれで……」
「何を言ってるんですか、普通なら学園や討伐隊で素材を買い取っているんですよ」
「採掘をお願いするので、素材を買い取ってもらう値段については相場通りでなくて大丈夫です。代わりに、できれば希少なものが見つかったら……」
「はい、その都度報告しますので、売却かキープかを選んでいただけます。報酬の支払いは学園の経理部門からコネクターに振り込みますね」
もう授業が始まっているのだが、先生に呼ばれたということなら少し遅れても仕方がない。それより、今ちょうど聞いておきたいことができた。
「先生、そのコネクターのことで質問があります。俺のものは普通のものと違って『ブレイサー』っていうらしいんですが……」
「ブレイサー……すみません、コネクターに特殊なものがあるとは聞いていますが、どういった基準でそれが配布されるのかは私も詳しくは知らないんです。神崎君には心当たりはありませんか?」
考えうるとしたら、俺が入院していたこと。『旧アストラルボーダー』からログアウトしたということ――しかし、それが『ブレイサー』を与えられた理由だという確証はない。
しかしステータスとスキルを引き継いでいる以上は、『旧アストラルボーダー』とこの現実には繋がりがあるということだ。
「……先生は、『アストラルボーダー』というVRゲームを知ってますか?」
「? ネットの広告で見たような気はしますが……神崎君がしているゲームですか?」
やはりVRMMOからログアウトできなくなったなんて、世間では事件になってすらいない。
俺が入院していたことについてもゲームからログアウトできなくなったことが原因ではなく、ただ意識を失っていただけのように解釈されている。
この決定的な認識のズレを作っているのは何なのか――俺は本当はログアウトしていなくて、別のゲームに移ってしまったとでも言うのか。それならば、俺の記憶にある現実と『この現実』に共通する部分があることの説明がつかない。
「そのゲームと、神崎君のコネクター……ブレイサーに関係があるということですか?」
「ああ、いや……それより、このブレイサーは学園から送られてきたものなんですよね」
「はい、管理部から送られていると思います。管理部の方からお話を聞けるように、紹介を取り付けておきましょうか」
「ぜひお願いします。常に身につけているものなので、どんな経緯で送られてきたのか知っておきたくて」
イズミが聞いている前でブレイサーの情報を得ようとすることを、どう思われているのか――それは少し気になるが、隠すようなことでもない。
『本機器を玲人様に所有していただいた経緯については、私自身も認識しておりません』
それは本当のことなのか――分からないが、イズミはブレイサーについて調べることを咎めるつもりはないらしい。
ひとまず管理部の人と話すまでは、この疑問は保留しておく。俺は武蔵野先生に挨拶をして生徒指導室を出る――授業中の教室に戻っても、教科の先生に話が通っているようで注意されるようなことは無かった。
◆◇◆
冒険科には選択授業の時間があり、好きな専門教官のところに行って授業を受けることができる。
「ねー、どこ行く? 単位取りやすそうなとこがいいよね」
「声楽とか楽そうじゃない? 私中学のとき合唱やってたし」
「そこめっちゃスパルタらしいよ、部活の先輩が言ってた。穴場の授業は……」
部活に入っているクラスメイトは、先輩から授業の情報を得ているようだ。俺もそれができたら参考になるのだが、いかんせん交流がないし、部活に入る予定もない。
「黒栖さんは中学の時は部活に入ってたんだよね」
「はい。高校では部活より、授業についていく方が大事だと思って……新体操部はあるんですけど、私はそこまで試合成績もよくなかったですし」
「今の黒栖さんなら、かなり運動神経が上がってるんじゃ……」
「い、いえっ……玲人さんのおかげで『転身』をしているときは身体が軽くなりますけど……」
「まあ、新体操で身につけたものを活かせてるならいいか」
「はい、そう思います。武器の扱いにも通じるものがありますし」
黒栖さんは新体操用の『リボン』を戦闘向けにしたものを使える――相当扱いに慣れていないと無理な芸当だ。
「選択授業だから、ひとまず興味がある授業を受けてみようか。この『書物修練』ってのはどうかな」
「本を読む授業ですね。私もこの学園の図書館には、一度行きたいなと思っていたんです」
「じゃあ行ってみよう……ん?」
「すみませんすみません、コバンザメみたいって言われちゃいそうですけど、私たちも同じ授業受けたいです!」
「どんだけ下からなんだよ……いや、確かに頼む方だけどよ」
南野さんと不破のふたりが声をかけてくる。不破は黒栖さんにも小さく会釈して、黒栖さんは大いに恐縮していた――俺からしても不破の変化は大きすぎるとは思う。
「この『書物修練』って、図書館で指定の本を読むやつらしいから。神崎たちの邪魔はしねえよ」
「ああ、そういう授業なのか。ありがとう、教えてくれて」
「っ……お、俺もセンパイから聞いただけだっての。そんな、礼なんて言われるようなことじゃねえ」
不破はそう言って、先に教室から出ていく――南野さんは不破の後ろ姿を見てニヤニヤとしている。
「まあ、不破君のツンデレなんて見ても可愛くもなんともないんだけどねー」
「ツンデレ……そ、そうだったんですか?」
「はは……まあ、バスケの時もそんな感じだしな」
「あぁ~、また思い出しちゃった。バスケしてる時の神崎様、華麗すぎて気絶するかと思いました」
普通にバスケをしているだけだが、と言うにはあまりに超人的すぎると自分でも理解している。普通の高校生はセンターラインからジャンプしてダンクをしたりしない。
しかし、褒められて調子に乗ってるように見えてないだろうか――と、心配しつつ黒栖さんを窺うと、彼女もじっとこちらを見ていた。
「…………私も、凄く素敵だなって思いました」
小さな声で言われる――それだけで、胸を打たれるというか。
黒栖さんが奥ゆかしいのは十分わかっているので、それでも褒めてくれたことが嬉しい。
「素敵っていうかもうヒーローでしょ。スキルとか使ってなくてあの活躍は、NBAが黙ってないっていうか」
「お前ら、早く来ねーと休み時間終わんぞ」
「あ、はーい。意外に授業は真面目なんだよね、不破くんって」
「意外ってこたねーだろ……まあ言われてもしゃーねえけど」
ちょっと気にしているようだが、不破は南野さんに励まされて多少復活したようだった。最初は不破の方に引っ張られている関係だったが、今はそうでもないらしい。
「……い、今のは……南野さんに合わせたというわけじゃなくて、本当に……」
「あ、ああ。分かってるよ、ちゃんと」
「あっ……え、えっと……素敵というより、やっぱり……」
「あー、神崎様ったら黒栖さんとイチャイチャして。私も混ぜてくださーい、なんちゃって」
南野さんはそう言いつつ真っ赤になっている――こういう時、無理はしない方がいいなんてなかなか言えないものだ。
◆◇◆
風峰学園の図書館は、ファクトリーのように一棟の建物として構内にある。冒険科の校舎からは連絡通路で繋がっていて、授業開始までに着いた。
「はーい、私が『書物修練』担当のファム・べセットです。今日は来てくれてありがとうございます、生徒の皆さん」
冒険科一年の生徒が、他のクラスからも合わせて二十人ほど来ている。先生は外国の人のようだが、話し方がずいぶんとフランクだ。
「皆さんは本を読むことをどういうことだと思っていますか? はい、そこの方。ミナミノさん」
「新しい知識を得たり、物語を読んで楽しんだり……ということだと思います」
「そうですねー、新しい知識。でも、世の中にある本はそういったものばかりじゃなくて、『能力強化』『スキル習得』に使えるものもあるんですね。そういうものを一時間かけて読んでもらうのが『書物修練』です」
生徒たちがざわつく――確かにこんな話を聞かされたら落ち着いてはいられないだろう。本を読むだけで強くなれるというのだから。
「でもですね、皆さんこれらの本を読むの、だいたい一時間では終わりません。けれど読み終えたら成長できます。これは根気を育てる授業でもあります」
「先生、この図書館の本ならどれも読むと成長できるんですか?」
他のクラスの女子が質問するが、ファム先生は首を振った。
「いえ、普通の本もたくさん置いてます。『書物修練』に使える本は、その道を極めた専門家が書いているものに限ります。スキルは適性がないと幾ら読んでも身につきません。自分にあった本を引けるかは運次第ですが、読み終わりさえすれば単位は出ます。先生は意地悪をしません」
ファム先生は座っている生徒一人ひとりの前に、カードを置く。どうやらそれはスタンプカードのようだった。
「これが出席チェックになります。本の『読み方』は自由ですが、何冊読み終わるかで評価をします。最低でも一冊、できれば選択授業で図書館に来て読んでください」
「本を図書館から持ち出してもいいんですか?」
「いいえ、貴重な本ですから持ち出し禁止です。通常の本と違って、本の形をした特殊な道具だと思ってください」
特殊な道具――そう言われて連想するのは魔道具だが、この現実においてはそういう呼び方をされているわけではないようだ。
「では授業開始です。本のことで質問があったら先生のところに来てください、最初に読む本の相談にも乗りますので」
生徒たちが席を立ち、ファム先生に次々に質問に行く。どうやら、お勧めの本の最初の一冊は聞いておいた方がいいようなので、黒栖さんと一緒に順番を待つことにした。
「あなたはこの本、あなたはこの本が良さそうですね。次の方……」
ファム先生が俺を見て固まってしまう。彼女は俺を下から上まで観察する――正直言って落ち着かない。
「あなたは……驚きました、こんなことがあるんですねー……」
「え……こんなことって、どんな……?」
「お勧めできる本の難易度が、初めからすごく高いです。今までも『難しい本』を読まれたことがありましたか?」
「……あっ」
『旧アストラルボーダー』において、ステータスを上げる手段として『教本』の類を読むことというのがあった。非常に時間がかかるので、幾つも本を読めたわけじゃないが。
俺が鍛えた能力は『教養』『精神』『魔力』だった。『筋力』『体力』は呪紋師が本を読んでも容易に上がらない――職業ごとに
「読んだことは……あると言っていいんでしょうか」
ゲームの中で読んだ、と言われても先生も困ってしまうだろう。しかしそうやって上げたステータスが、今の俺にも引き継がれている。
「すごくあると思います。先生の言い方変ですけど……いえ、あえて言うなら、これがいいと思います」
ファム先生がそう言って持ってきてくれたのは『魔法師は目で殺す 眼力によるオーラテクニック』という――率直に言って怪しげな本だった。
「これがオススメです。こんな難しい本でステータスが上がったら凄いですよ、スキルも得られるかもです」
「あ、ありがとうございます……」
「次のあなたには、この本が良いですね」
「っ……は、はい……でも、この本……」
黒栖さんが勧めてもらった本は『情熱と静謐のステップ』という題名だ――確かにこれは物申したくなるが、ファム先生は満足そうにしている。
「その本、あなたにピッタリだと思います。ぜひ読んでみてください」
「……あ、ありがとうございます……」
「あなたの職業は『
(スキルを覚えられる本……存在するのか……!)
『旧アストラルボーダー』においては、俺が追加でスキルを取得できるような本は『生命探知』の一冊しか見つからなかった。『魔力探知』も持っているが、それはスキルポイントを振って覚えられるものだ。
「あの、一つ質問してもいいでしょうか」
「はい、何でしょう?」
「先生が俺たちに合う本を判別するのには、スキルを使っているんでしょうか」
「そうです、私は『司書』という職業で、お客様……今は学園に勤めていますから主に生徒さんに、本を紹介するスキルがあります。『書物の
「ありがとうございます、そこまで詳しく教えてくれて」
「いえいえ。切り札は隠していますから。それが能力者と言うものです」
能力者――そういう表現をする人はファム先生が初めてだ。スキルを『能力』とするなら、そんな言い方をしてもおかしくはないが。
「では、読書の時間です。何かあったらまた質問に来てください、神崎君」
授業を受けるときに名前を書いて提出したので、先生に覚えられていた。まだ彼女から参考になる話は聞けそうだが、まずは一冊読み終えてからだ。
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