第九十話 希少素材
学校に向かう妹たちを途中まで送ったあと、俺も登校してきて駐輪場にクロスバイクを停める。
「おはよう、神崎君」
灰色の髪の、スーツ姿の男性――灰島先生が、教室に向かう途中で声をかけてきた。
「昨日の活躍については聞かせてもらったよ」
「おはようございます、灰島先生。俺も先生に聞きたいことがあるんですが……」
「水棲獣のデーモン……Cランクに相当するような魔物が、Fランクの
「ああいった現象のあとは、
「経験則にはなるが、そういうことだね。ただ、昨日の場合はもう一つ特殊な要素があった……転移のトラップが仕掛けられたトレジャー、あれもFランクでは発見されないものだ」
「まるで水澄さんを罠でデーモンのいる場所に送り込んだような、そんな悪意じみたものを感じました」
「トレジャーに罠があること自体は珍しくないし、それを解除することを専門とする職業もある。考えられるのは、あのデーモンが出現すると同時に、人間をおびき寄せるためにトレジャーも同時に作られたんじゃないかってことだ。そういうことならトレジャーのランクがDであることも説明がつく」
「Cランクの魔物が落とすトレジャーは、Cランクかそれより下だから……ですね」
「そうだ。あのデーモンとトレジャーが異物として存在していた。君があの場にいてくれなければ犠牲者が出ていたかもしれない……改めて感謝するよ」
灰島先生は、同時多発現出が既存の
「あのデーモンに対処できる人は、学生では限られていると思います。俺が居合わせたのはむしろ良かったと思いますが……灰島先生、昨日はどうされてたんですか?」
「僕は他の特異領域……『市街』の方に入っていてね。そちらの方では、僕の目に映る範囲では異常はなかった。調査を終えて出てきた後に、水澄苗さんの件を知ったんだ」
「そうだったんですね」
「魔物の分布がいつもと変わっていたりはしたが、デーモンのような脅威はなかった。A級討伐者といってもそういった勘は働かなくてね……不覚だよ」
「俺たちが『洞窟』に入ったのも偶然でしたから。あのタイミングでなかったらと思うとゾッとします」
「水棲獣のデーモンだけど、骨がそのまま素材として残るのは珍しい。魔物は遺骸を残すことがあまりないからね。人間に利をもたらさないように消滅するとも言われている」
「基本的には消えるみたいですが、『竜骨』とかは残ることがありますね」
「学生がそのレベルの素材の話をするっていうのは、それ自体が飛び抜けたことなんだけどね。ファクトリーでは君たちの持ち込む素材が心待ちにされているよ」
こちらとしても、素材を加工してもらわなければ使えないのでファクトリーとは持ちつ持たれつだ。
「水棲獣素材は属性がつくだろうから、普段使いには注意した方が良いかもしれないな。水属性に強い魔物もいる……神崎君には釈迦に説法かな」
「交流戦に使う装備を強化したかったんですが、とりあえず初戦は属性をつけない方が良さそうですね」
「ああ、もうそんな時期か。初戦の相手はどこだい?」
「響林館学園です。交流戦で好成績をおさめると、討伐隊の合同作戦に参加できるっていう話ですが……」
「……なるほど、そういうことか。これを聞くのは野暮だけど、綾瀬さんと連絡が取れるようになっても、交流戦に出る必要はあるのかい?」
「交流戦に出たい目的は他にもあります。それと、試合で結果を出せば俺一人だけじゃなく、他のメンバーも合同作戦に参加できるようになるというのもあります」
「仲間を引き上げたいと、そういうことか。討伐隊に入ることを目標にしてくれるのは、とても嬉しいことだが……」
「魔物と戦うことには危険が伴います。灰島先生は、それを仕事にすることを心配してくれているんですね」
灰島先生は、いつも浮かべている微笑みを崩さないままだ――だが、どこかその表情に陰りが見える。
「討伐者を育成する総合学園……討伐科の定員は二百名。そのうちで実力のある者を選抜しても、討伐隊の任務は過酷だ。多くの退役者が出る……死者も」
「……俺たちの知らないところでも、激しい戦いが起きているんですね」
「ニュースでは報道されない。市民に隠しようもないような広域現出は、君たちの目にも止まるだろう。しかしB級以上の
「個人が魔物を討伐して得られるのは、C級討伐までの参加資格……そう聞きました」
「君はすでにBランクのユニーク個体を討伐している。それは僕と同じ、Aランクにおいても戦闘に参加できる実力を有しているということだ」
「今のシステムでは、討伐隊の要請を受けてAランクの魔物を倒して、Aランク討伐参加資格が公式に得られるということですよね」
「討伐隊でもごく一部しか得られない資格だ。綾瀬さんは、君を朱鷺崎市防衛の切り札とまで考えている。討伐隊の隊長が直々に会いに来るというのはそういうことだ」
切り札――俺にそう伝えることに、灰島先生は多少なりと引け目を感じているようだった。
だが、俺は特に動じてもいなければ、プレッシャーを感じてもいない。心を落ち着けるために『リラクルーン』を使ったりするまでもない。
「俺で良ければいつでも呼んでください。魔物を倒すことに関しては、その……得意というか、
「……大物と分かってはいたが、ここまで落ち着いていると僕の方が教えを請いたくなるね。教師の立場で言うのも何だけど、君とは教え子というより、個人として共闘してみたい」
「俺も灰島先生の戦いが見てみたいです。勉強させてもらうつもりで」
「なかなかプレッシャーがかかることを言ってくれるね……と、それはいい。神崎君、君が昨日見つけた宝石の鉱床だけど、かなりの騒ぎになっているよ」
「騒ぎ……ですか?」
灰島先生は親指と人差し指で丸を作る。どういうことなのかわからず、俺は当惑するしかない。
「ときどき特異領域では高額のつく資源……いわば財宝が見つかるんだけど、君が見つけたのはまさにそれだよ。『クオリア』というやつだ」
「……クオリア?」
俺がこの現実でこれまでに見つけた素材――『ジェム』などは、旧アストラルボーダーでも存在していたものだ。だが『クオリア』は聞いたことがない。
「クオリアというのは言葉で表現できない『感じ』を指す言葉だけど、この場合は特異領域で手に入れられる特殊な物質の名称を指している」
「特殊な物質……錬魔石やジェムもそうなんじゃないですか?」
「それらは解析が進んでいるから、汎用素材といえるね。クオリアはそれらよりずっと希少なものだ」
「一見して、俺が見たことのある宝石も多くありました。その中に見たことのないものが混ざってたってことですね……」
既知の素材しか見つからない、そんな思い込みは捨てた方がいいようだ。『旧アストラルボーダー』を攻略はしたが、この現実が全て俺の知識の範囲内というわけじゃない。
自分を戒めていると、灰島先生が苦笑いをしていた――煙草でも吸おうとしたのか胸ポケットを叩くが、今は持っていないようだ。学園内が禁煙というのを忘れるほど動揺したのだろうか。
「いやはや……僕ばかりがとんでもない話をしているつもりで、君は全く動じないものだから困ってしまうな。しかし無理もないか、クオリアの価値は一言では表現しにくい」
「それほどのものなんですか……一体、どんな用途に使うんです?」
「クオリアを持ち歩いて戦闘などをこなしていると、そのうちに形状が変化する。基本的には装備品に変化するんだが、その性能がかなりユニークなものでね」
「ユニーク……というと?」
「所有者の強さに見合った装備に変化する……というと、その凄さが伝わるかな」
「……それは……」
ファクトリーで装備が作れるのは助かるが、『竜骨のロッド』でもやはり物足りなさを感じてはいる。『
ゲームの装備が現実にあるなんてことはない――というのは、一概には言い切れない。それは『旧アストラルボーダー』に存在した武具や素材が、同名称で存在しているからだ。
この現実で強敵を倒しても、強力な装備が手に入るとは限らない。その状況を『クオリア』が打破してくれる可能性がある。
「こんな言い方もなんですけど、ヤバいですね……その『クオリア』は」
「そうなんだ、超ヤバい。なんて言ってると学生に戻った気分だが……そのヤバいものが一つ見つかっている。これは討伐隊だと一個二千万で買い上げられるが、フリーオークションに出せば最低でも一億は値がつくだろう」
「一億……それだけあれば当面資金には困らないですね」
そんな話を聞いたら、特異領域に入るたびに隠しエリアを探したくなる。俺の呪紋と幾島さんの『セカンドサイト』を組み合わせれば、隠しエリアが存在してさえいれば発見は難しくない――壁を壊せば入れるという形ならばだが。
「しかし君はクオリアを売ったりはしないだろう。クオリアにも等級があって、今回見つかった『フォスクオリア』はいわば中等品だが、それでも非常に貴重だ。魔物が落とすこともあるが、僕らは宝くじのようなものだと思っているしね」
「確かに……売るのは勿体ないですね。できるだけ持ち歩いてみます」
「ああ。そんな貴重な素材の話を僕からするというのも、本当は謝らないといけないけどね。探りを入れたみたいで申し訳ない」
「灰島先生は特異領域の異変について調べていたんですから、俺たちの件の情報も入ってくると思いますし、それは気にしていません」
「実際僕は空振りで、君たちに生徒の救助を任せてしまったけどね。これは一つ借りだと思っている。僕に何かできることがあったらいつでも呼んでくれ」
灰島先生はそう言って校舎に入っていく――職員室に行ったのだろうか。
A級
それにしてもクオリアの話をしているとき、灰島先生はとても楽しそうだった――少年のように、と俺が言うのもなんだが、それほど高揚しているように見えた。
「玲人さん、おはようございます……どうされたんですか?」
「あ、ああ。おはよう、黒栖さん。ちょっと灰島先生と話してたんだ」
少し考えて、黒栖さんにも『クオリア』の件について説明しておくことにする。あまり驚かせないように配慮しつつ。
「……ふぇっ? い、1億って、ゼロが何個……や、やっつ……!」
「それだけ価値があるって言われても、売るよりは自分で使う方がいいよな。今後見つかったら、黒栖さんに持ってもらってもいいし」
「そ、そんな……持っている人の力に合わせたものに変わるのなら、絶対玲人さんが持っていたほうが良いと思いますっ」
「俺一人だけが強くなるより、仲間も強くなった方が嬉しいからさ」
所有者に合わせて変化するなら、俺以外だとどうなるのか。それも見てみたい。
まず俺がどれくらい持っていれば変化するのか、という話ではあるが。『そのうち』というのがどれくらいか、灰島先生も明言しなかったということは、個体差があるということだろうか。
「お、神崎……はよっす」
「えっ、不破くんが挨拶してる……ってそれは良くて、おはようございます神崎君」
「挨拶くらいするだろ、そりゃ」
そっけない言い方だが、初めの頃の攻撃的な印象はすっかり無くなっている。不破はそのまま行ってしまうが、南野さんは黒栖さんと一緒に横に並んだ。
「え、えっと、神崎君、ご一緒してもよろしいでしょうか……?」
「ま、まあ同じクラスだし……そんなに緊張することもないと思うよ」
「きき緊張するに決まってるじゃないですか、神崎君に助けてもらったり、体育でもかっこいいところを見せてもらったり、もう毎日が激変なんですよ?」
「まず南野さんが俺に対して敬語なのが激変だ……っていうのは?」
南野さんはビクッと身体を揺らす――これでは控えめな指摘すらしにくい。冷や汗までかいているし、こちらが申し訳ないくらいだ。
「じ、自分の態度は良くなかったと反省しておりまして……それは、掌返しとかしたら全然信用してもらえなくなると分かってはいるんですけれども……」
肩にかかる髪をしきりに触りつつ、南野さんはぎこちない丁寧語で話し続ける。その様子を見ていて、ふと彼女が前に言っていたことを思い出した。
「そういえば南野さん、スキル実技の授業のときにパシリでも何でもするって言ってたよね」
「ああっ、は、はい! もうすっごいします! パシリでも何でも!」
「何でも……?」
「は、はいぃ! 今の私は神崎君に存在価値を認めてもらうのが目標というか、大げさじゃなくそんな感じですので!」
もちろん本気で頼んだりする気はないのだが、ここまで熱意があると逆に頼んだ方がいいのではないか――と、黒栖さんがこちらを見ている。
「それと南野さん、黒栖さんは俺のバディだから……ここまで言えば分かるかな?」
「は、はい! もちろん分かってます、黒栖さんの分もパシらせていただきます!」
「い、いえ、私は……その……」
「パシリとかじゃなくても、とりあえず『こっち側』に居て欲しいというか……」
クラスでの立ち位置とか、今はもうそういうことに悩む段階ではない。しかし俺がいないときも、黒栖さんには楽しく過ごして欲しい――バディとしてというより、大事な友人として。
「分かりました、黒栖さんがクラスで孤立したりしように、いろいろ誘ったりしますね」
「っ……そ、そんな、私……」
「あっ、もちろん神崎君と行動するときは空気読むので大丈夫です」
南野さんが俺の顔を
「……え、えっと……では、よろしくお願いします……っ」
「いえいえ、こちらこそ……それで、初手でこれを言っていいのか迷うんですけど、黒栖さんってその前髪でちゃんと前は見えてますか?」
「み、見えてます……でも、ちょっと長過ぎるでしょうか、前髪……」
「せっかく可愛いので、顔を見せた方がいいと思うんですけど。神崎君、どう思います?」
「ンッ……ゴホッ、ゴホッ。確かにそれは……」
『転身』しているときは黒栖さんは普通に顔を出しているし、普段とのギャップがあって良いと思う――って、真顔でそんなことを言えるわけもない。
「……あっ、い、いいんですっ、玲人さんは折倉さんっていう綺麗な人を見慣れているので、私なんて特に何も……」
そんなことはない、ちゃんと自分の考えを言わなくては――と思ったところで。
「何か、私の名前が聞こえたのだけど……」
「はわっ……お、折倉さん、おはようございます……っ」
振り返ると、雪のように白い女生徒がそこにいた。折倉雪理、その人だ。
なぜここに――と言いたくなるが、顔を見に来てくれたに決まっている。
「おはよう、二人とも。朝から一緒に通っているの?」
「いや、途中で一緒になったんだ。こちらはクラスメイトの南野さん」
「神崎君の舎弟をやらせてもらっています、南野です。折倉さんのお噂はかねがね……」
「……玲人、あまり女の子を引き寄せるというか……従わせてはだめよ」
「それはもちろん誤解なんだが……俺の性格を知ってるだろうに、警戒しないでくれ」
「ふふっ……ちょっと言ってみたくなっただけよ。それじゃ、また後でね」
もちろん冒険科の校舎に行くわけではないので、彼女はすぐに立ち去ってしまった。
「討伐科の『姫』が直々に朝の挨拶に来るなんて……さすがです、神崎君。いえ、神崎様」
「南野さん、もう少し控えめに……というか、普通に接してくれるかな」
「ねー、私もそう思ってたんだけど、神崎君の前に立つと勝手に身体がね……『憧れ』で身体が動くっていう経験を、今まさに私はしてるの」
南野さんもやりすぎと分かっているようだが、それでも俺に対して畏まってしまうのはなぜなのか。
一つ思い当たるのは、俺の『魅力』の値が比較的高いということ。しかし無差別に人を惹きつけるようなものでもないはずだ――『この現実』においてステータスの値がどう影響してくるのか、できれば詳しく知っておきたい。
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