第八十九話 夜の定時連絡

《正常にログアウトを完了しました お疲れ様でした》


「……ふう」

「はぁー、みんなお疲れ様。VRMMOって、やってるとほんとに身体動かしたみたいになるよね」

「うん、ちょっと汗かいちゃったかも……」

「コトリ……じゃなくて、紗鳥。お兄さんの前でパタパタしないの」


 小平さんが慌てて胸元を直す――が、俺はもちろんそちらを見すぎないようにしていた。


 俺自身、まだゲームに入ると身体に力が入ってしまっているようで、安堵すると共に疲労を感じる。集中している時は全く感じないのだが。


「もう一回お風呂入っちゃおっか。お兄ちゃん、入ってきていい?」

「ああ、別に遠慮しなくていいぞ」

「ありがとうございます、お兄さん」

「どういたしまして。じゃあ小平さんと長瀬さん、俺はこれで……」


 ダイブビジョンを持ってリビングを出ようとすると、後ろから服の裾を引かれた。


「お兄ちゃん、二人がね、そんなに堅い感じじゃなくていいって」

「あ、ああ。じゃあ、ええと……紗鳥さんと稲穂さんって呼べばいいのかな」

「あっ、その……呼び捨てで大丈夫ですっ」

「私も呼び捨てでいいです。今日、凄く楽しかったです……!」


 初めは三人の中ではクールに見えた長瀬さん――稲穂だが、今は何というかテンションが上がっているようだ。


「……楽しかった……か」


 三人がリビングを出ていったあと、一人残った後で言葉にする。


 ――何かを探したいからなんて、ほんとは自分でも変だと思う。


 ――でも、そういう気持ちがどうしても消えない。


 サツキもまた、このゲームをただ純粋に楽しむために始めたわけではなかった。


 俺は仲間と再会するための手がかりを得るため。今回のログインでは情報を得られたわけでもなく、本当にただプレイしただけだ。


 これで本当にいいのか。前回聞こえたあの声を、もう一度聞くことができれば。


「……おにーちゃん」

「っ……な、なんだ、英愛か」


 いきなり後ろから目隠しされる。英愛はすぐ外してくれたが、少し心配そうな顔をしていた。


「……お兄ちゃんも一緒に入りたかった?」

「あの二人が聞いたら要らない心配をかけるだろ……控えめにしなさい」

「あ、ちょっと元気出た。お兄ちゃんって叱り方可愛いよね」

「かっ……あのなぁ」


 浴室の方から呼ぶ声が聞こえて、英愛は軽やかに走っていく。


 俺には存在しなかったはずの妹。違和感を忘れたように受け入れているのは、本当なら異常なことなのかもしれない――それでも。


 この家に英愛がいなくて、俺一人だったら。そんなことは、もう想像することもできなくなっている。


「……うわっ」


 ふと足元に目をやって、何か布切れのようなものが落ちていることに気づく。俺をからかうことに気を取られすぎたのか、妹が大事なものを落としていた――というか、下着をドロップした妹に対してどうすればいいのか、対応力を問われるところだ。


   ◆◇◆


 部屋に戻ってしばらくすると、ブレイサーを通じて雪理から連絡があった。通話したいとのことなので、スマートフォンで電話をする。


『妹さんのお友達が泊まりに来てるのね。お兄さんも大変ね』

「俺が何もしなくてもみんなしっかりしてるから。こっちが助けられてるくらいだよ」

『……私もバディとして、助けが欲しいときは言ってほしいのだけど』

「あ、ありがとう……まあ、こっちはおおむねいつも通りだよ。雪理、話っていうのは?」

『さっき連絡があって、水澄さんは無事に家に戻れたそうよ。明日、私たちに挨拶をしたいと言ってくれたみたい』

「良かった。後に響いたりしないといいんだけどな」


 予期しない転移をして、水棲獣のデーモンに追い詰められた。あんな状況を経験したら、特異領域に入ること自体がトラウマになってしまわないだろうか。


『討伐科に入る人は、みんな覚悟をして来ているわ。だから、彼女も簡単に諦めたりはしないと思う……希望的観測かもしれないけれど』

「……覚悟か。みんな、目的があって来てるんだよな」

『玲人は今でも、多くの人を助ける力を持っているわ。今も学園にいてくれることに感謝したいくらい……』


 高校に行くことを、俺は一度諦めていた。『アストラルボーダー』の中で俺が体感した時間は、三年――それが、ログアウトした現実ではたったの三日でしかなかった。


 何かがおかしい、ズレている。そう思うよりも、この現実で『呪紋師』であり続けているのなら、やらなければならないことがあると感じている。


「学生のままでも、魔物を倒すことはできるからな。もし必要なら、魔物を倒しに遠征することもあるかもしれないけど」

『そうね……あなたは討伐隊にもうその力を見出されている。私があなたと一緒に行くには、もっと頑張らないといけない』

「雪理は強いよ。焦らなくてもいい、経験を積めばもっと強くなる」

『期待に応えられるように努めないとね。黒栖さんがあなたの右腕なら、私は左腕にならないと』


 バディが二人というと、そういうことになるのだろうか。いや、バディは対等な関係だから右腕とか左腕とかではなく――何か恥ずかしいことを言ってしまいそうで、迂闊に喋れなくなる。


『明日の放課後が楽しみ……なんて、訓練なのに緊張感がないのはよくないわね』

「俺も楽しみにしてるよ。とりあえず授業を切り抜けないとな」

『玲人が授業でどんなふうなのか、一緒のクラスで見られたら……それは無いものねだりと分かっているのだけど』

「討伐科の授業も気になるけど、そこはそれぞれ頑張らないとな」

『ええ。あなたのクラスでの様子は、黒栖さんに教えてもらうことにするわね』


 雪理と黒栖さんは、俺の知らないところでも友情が固くなっている気がする――もちろんそれは悪いことではないが。


『ウィステリアさんはもう少し静養が必要だから、様子を見て会いに行きましょう。じゃあ、また明日……おやすみなさい、玲人』

「ああ、おやすみ。雪理」


 通話を終える。雪理の声は心地よく、ずっと聞いていたくなる――と、余韻に浸ってばかりではいけない。


 出されていた座学の課題に手をつけるが、現状どの科目も解いていて詰まるということがなく、すぐに済ませられそうだった。『教養』の数値が1000を超えていることによる影響としたら、当面は困ることはなさそうだ。


「……ん?」


《黒栖恋詠様より通信が入っております》


 これは――もしかして俺にこの世の春が来ているのでは、なんて浮かれていたら怒られてしまう。黒栖さんも話したいことがあって連絡してきてくれたのだろう。


『あっ、も、もしもし……すみません、夜分遅くに』

「ああ、大丈夫だよ。今は課題が一息ついたところだけど」

『玲人さんは凄いですね、今日も色々あったのにちゃんと課題をしていて……魔物と戦うようなことがあった日は、課題が免除されるみたいですけど』

「そうなのか。まあ、そんなに疲れてるわけじゃないからやっておこうと思って」

『私もやってあるので、その……寝る前に電話したいなって……す、すみません、そんな、思いつきみたいに……』

「嬉しいよ。どんな用でも電話してもらえるのは」

『っ……嬉しい……玲人さんが……』


 電話の向こうで物凄く感激しているというのが伝わってきて、さすがに照れてしまう。


『あの、交流戦のことなんですけど……私はどんな準備をしておいたらいいんでしょうか。皆さん役割がはっきりしているので、少しでも足を引っ張らないようにと……』

「二つの班と俺たち二人で、三つに分かれて行動することになる。そうすると、俺と二人で行動してたときと基本的には変わらないと思うけど……相手からスコアを奪取するには、状況に応じて作戦を立てる必要があると思う」

『作戦……相手の選手を見つけて、どうスコアを取るかということですね。こちらはできるだけ攻撃されずに』

「俺もそう思う。黒栖さん、サバイバルゲームって知ってるかな。交流戦の内容はまさしくそういう感じなんだけど」

『は、はい、やったことはありませんが、そういうものがあるのは知っています』


 そういうことなら話はしやすい。そして黒栖さんは、交流戦で通用するスキルを持っている。


「相手の裏を取る、あるいは横を突く……それができればこちらが有利になる。黒栖さんは転身すると足音を消すことができるから、それは切り札になると思うよ」

『私のスキルが、切り札……が、頑張りますっ……!』

「こっちのチームにガンナーがいるように、敵にも遠距離攻撃担当がいると思う。俺も遠くの敵を狙うことはできるけど、障害物が多いと絶対に当てるとはいかない」


 だからといって障害物を吹き飛ばすほどの出力を出すことはできない。『リミッターリング』でもダメージゼロとはいかないかもしれないからだ。


 もちろん力を抑えすぎて負けても意味がないので、その辺りのバランスは試合中に探っていくことになる。チーム戦では仲間を頼るべきで、一人で全てをやろうとする必要はない。


 ――レイトは一人で攻略できるようにビルドを考えてきたんだね。


 ――レイトがいると、私たち三人とも助けられてる。何でもできるから。


 ――回復は私に任せてくださいね、レイトさんにはゆっくり休んでほしいので。


『私も……そ、その、玲人さんのバディとして、少しでもお役に立ちたいので……どんなことでも、遠慮なく言ってください』

「っ……ありがとう。けど、バディっていうのは対等なものだと思うから。俺に頼ってくれていいし、俺も黒栖さんを頼るよ」

『っ……はい。いつでもお待ちしてます、本当に……その、購買でパンを買ってきてとか、そういうことでも……』

「そんなパシリみたいな……そこはむしろ俺が行かせてもらうよ」

『そそそんなっ、恐れ多いですっ、私なんていつも……い、いえ……』

「いつも助けられてるよ。黒栖さんがいなかったら、教室に行くのも味気ないだろうし……ああいや、不真面目な感じに聞こえるかもだけど」

『……ふふっ。分かってます、玲人さんが誠実な人だっていうことは』

「ど、どうかな……」


 こう見えて結構雑念が多い――なんていうのは、胸に留めておくべきだ。黒栖さんの転身を見るとロマンを感じるとかも。


『明日もよろしくお願いします』

「こちらこそよろしく。それじゃ、また明日」


 通話を終えたあと、何となく机の上に置かれたブレイサーを見やる――そんなわけもないのだが、AIのイズミが何か言いたげというか、そんな気がする。


『僭越ですが、玲人様に進言したいことがございます』

「っ……俺の勘も捨てたもんじゃないな」

『折倉雪理様、黒栖恋詠と通話されている間、玲人様の心拍数が平均して10%上昇していました』

「そ、そんなにか……俺、早口になったりしてなかったか」

『スピーチの速度に変化はありませんでした。会話中、折倉様と黒栖様に対して感情バイオリズムに差異が少々ございましたが、解析しても……』

「そんなことまで出来るのか……」

『解析してもよろしいですか?』

「いや、それはちょっと恥ずかしいな」

『かしこまりました。もし必要であればいつでもお申し付けください、折倉様と黒栖様の感情バイオリズムについても解析可能です』

「それは俺を解析するよりしちゃだめだ。相手によってはお願いすることはあるかもしれないけど」

『ネゴシエートの補助情報として利用されるということでしょうか』

「まあそうだな。交渉ネゴシエートをするような場面があったら、解析をお願いするよ」


 感情バイオリズムというのがどういうものか分からないので、試しに聞いてみても良かったかもしれないが――何か地雷を踏んでしまいそうな、そんな気がする。雪理と黒栖さんが実は俺を嫌っている、ということは無いと信じたいが。


『そちらの心配はございません、お二人は玲人様と会話している間、音声波形解析によると好感が常に高い値で保たれており、大きく心拍数が増加する瞬間も――』

「わ、分かったイズミ、それはもういい。会話については分析はいいけど、俺に教えなくていいからな」

『…………かしこまりました』


 すぐに返事をしないAI――もしかして拗ねているのだろうか。俺のことを思ってサポートしようとしてくれているなら、邪険にはできない。


「それにしても、声で好感とか分かるものなんだな」

『玲人様はお気づきではありませんでしたか?』

「二人の機嫌は悪くないと思って話していたけど、それは俺からの印象だから」

『……玲人様は、もう少しご自分の評価をパラメータに近づけられるべきかと思います」

「自信を持てってことか。元来の性格はなかなか変わらないな」

『私は玲人様の実力と、これまでに出されてきた成果を全て知っておりますので』

「まあ、ゲームでのステータスがそのままだから出来ることが多いってだけだから。自分だけ二周目みたいな感じで学園生活をやれてるってのは、やっぱりチートじみてるんだろうな」

『玲人様が経験されたこと、その結果が反映されているのですから、チートではありません』

「……イズミ、コネクターのAIって、みんなそんなふうに所有者を肯定してくれるものなのかな」

『AIには個体差がございますので、私はこういった思考スタイルであるということになります』


 何か、イズミの方が俺より大人というか、そんな受け答えをされている感じだ。


『……いかがなさいましたか?』

「いや。前は、AIの受け答えが苦手だったんだけど……イズミのおかげで、そういう意識を変えてもらえた」

『私は玲人様のサポートを務められていますでしょうか』

「それこそ謙虚すぎるな。イズミがいるといないとでは、この世界の難易度は大きく違うと思う……なんて、ゲームじゃないけどさ」

『玲人様がゲームをされている間は干渉しないようにしておりますが、通信が入った際などはご容赦ください』

「ありがとう、気を遣ってもらって。じゃあ寝る準備でもするか」

『歯磨きはされましたか? 明日の荷物について復唱いたしましょうか』


 急に家庭的になったというか、世話焼きなお姉さんのようだ。初めの頃と受け答えが変化しているのは、AIの学習が進んでいるからだろうか。


 部屋を出て階下に降りると、英愛たちが深夜アニメを見ていた。こういうのもお泊まりの楽しみということだろうし、邪魔をすることもない。


「お兄ちゃん、勉強お疲れ様。ねえねえ、一緒に見ない? 次に始まるやつもすっごく面白いんだよ」

「ん? 俺がいたら邪魔にならないか」

「お兄さんは戦う女の子って好きじゃないですか?」

「全く嫌いじゃないけど、終盤からいきなり見ると復習が大変そうだな」

「あはは、お兄さんもう乗り気じゃないですかー。布教成功だね、二人とも」

「ちょっとえっちなシーンもあるけど、お兄ちゃん逃げちゃだめだよ?」

「ほう……って、それを気にするのはそっちじゃないのか?」


 アニメに関してはある程度割り切りができているということか、紗鳥も稲穂も気にしていないようだ――妹たち三人と深夜アニメを見るという自体、何をしているのかと思わなくもないが。

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