第八十六話 帰途

 ミーティングカフェに行くと、メイド姿の店員がやってきてオーダーを取ってくれる。


「いらっしゃいませ。メニューはお決まりですか?」

「俺はレモンスカッシュで」

「疲れてる時ってクエン酸がいいんだよねー。あーしも炭酸にしよっかな」


 姉崎さんはごく自然に俺の隣に座り、『トレーナー』らしいアドバイスをくれる。ジャージ姿から制服に着替えている彼女だが、襟のボタンを止めていないので接近されると胸元が結構危うい状態だ。


「姉崎さん、ボタンはしっかり留めた方がいいわね」

「ふぁっ……え、せつりん優しくない? レイ君、せつりんにボタン留めてもらっちゃった」

「折倉さんって、イメージしてたより柔らかいっていうか……すみません、もっと厳しい人だと思ってましたっ」

やしろ、もう少し配慮のある言い方をですね……」


 『姫』と呼ばれているだけあって、雪理に対する周囲のイメージに何か先入観があったようだが、俺は彼女の人当たりが柔らかい一面を知っている。


「お嬢様……いえ、雪理さんはお優しい方です。交流戦の件については勝敗を重視し、皆様に厳しくされることもあるかと思いますが、それはチームを思ってのことで……」

「……揺子、あなたは静かにしていて」

「っ……も、申し訳ありません」


 雪理は顔を赤らめて「こほん」と咳払いをする。坂下さんは恐縮しきって、椅子から立ち上がって背筋を正していた。その様子を見て他のメンバーが笑う。


「私も含めて、折倉さんの家のことは知っている人が多いと思うのですが。私の家業も折倉グループの傘下にありますし」

「え、せつりんの家ってやっぱりあの『折倉』なの? はー、噂では聞いてたけどほんとにそうなんだ。凄くない?」

「じゃあ、坂下さんって……『お嬢様』ってことは、折倉さんのメイドさんってことですか?」


 社さんは結構遠慮がないタイプのようで、伊那さんもちょっと動揺している。木瀬君は別のテーブルで唐沢と話している――いつものことなので気にしていないのだろうか。


「私は折倉家で使用人をしております。世間的な『メイド』とは、少し違うかもしれません」

「いいなー、あーしもメイドとかしてみたい。バイトの募集とかしてたりしない?」

「していなくはないけれど、少し話が脱線しすぎているわね……家は家、私は私ということでお願いしてもいいかしら」

「お待たせいたしました、お飲み物でございます」


 メイド服の女性にレモンスカッシュを出されて受け取る。一口飲もうとしたところで、何か熱い視線を感じる――両隣に座っている黒栖さん、そして姉崎さんに見られている。


「レイ君もやっぱりメイドさん好きだったり?」

「ん? え、ええと……確かに嫌いではないけど、特にこだわりは……」

「……そうなんですか?」


 何か意識調査をされているような気分だ――気づいたら他のメンバーの視線が集まっている。メイドが好きというか、ゲームなどでメイド装備をしている人に何となく目が行くのは普通ではないだろうか。


「玲人、今後の予定について話させてもらってもいい?

「あ、ああ。交流戦って、いつから始まるのかな」

「第一試合は早速来週に行われるから、チーム練習をしておきたいわね。模擬戦をするか、『洞窟』の攻略を進めるかだけど……」


 模擬戦という言葉が出た時点で、伊那さんたちの班がビクッと反応する。どうやら、俺がいる班と試合をするのは気が引けるようだ。


「幾島さん、交流戦の試合内容について説明をお願いできる?」

「はい。皆さんのコネクターにデータをお送りします」


《幾島十架から『交流戦詳細』のデータを受信しました》


 幾島さんがヘッドホンに触れると、それだけで俺のブレイサーにデータが送られてくる。この頭の中に情報が展開される感じは独特だが、徐々に慣れられそうだ。


 交流戦は規定の『特異領域』内で行われる。他のプレイヤーからスコアを奪取することで、規定のスコアを早く達成したチームが勝利となる。


 他のプレイヤーからスコアを奪取する手段は、攻撃をヒットさせること。選手は『スコアパネル』を体のどこかに装備し、命中した攻撃のダメージを計測される。


「負傷を防ぐため、選手は攻撃の威力を抑える『リミッターリング』を装備しなければならない……か」


 俺の呪紋の威力を抑え込めるかどうかというのは、多少心配ではある。『リミッターリング』を着けてどうなるか、一度試しておけるだろうか。


「その『リミッターリング』って、試しに使ったりは……」

「試合会場で貸し出されるから、使うのは無理でしょうね。学生レベルなら、負傷するような攻撃はできなくなるはずだけど……」


 雪理が心配そうだ――やはり俺の呪紋を抑制しきれるかが気がかりなのだろう。


「命中させればいいってことなら、威力を重視しないやり方もある。それに、相手の攻撃から身を守る分には特に制限はないんだよな」

「ええ。玲人の防御魔法は信頼できるけれど、フィールドが広いから頼りきりというわけにもいかないわ。基本的には数人ずつで散開することになるから」


 どうやら、交流戦とは『特異領域』の中で行われるサバイバルゲームのようなものらしい。そう考えるとルールが徐々に飲み込めてきた。


「今回の試合は8人制だから、ここにいるメンバーが全員出場することになるわね」

「っ……わ、私も……」

「そうね、黒栖さんは玲人のバディでもあるし、息の合っているところは見せてもらっているし……日時の都合が大丈夫なら、ぜひ参加して欲しいのだけど」

「は、はいっ、大丈夫です、私はいつでも……玲人さんは大丈夫ですか?」

「ああ、大丈夫だと思う。他に予定も入れないようにするよ」


 エアのほうで何かあるかもしれないが――というか遊びに誘われたりするかもしれないが、休みは日曜もあるので調整できるだろう。


 交流戦に勝つ目的は討伐隊と接触するためだったが、綾瀬さんと話す機会が持てたことでそれは達している。だが、対戦校の選手である『速川鳴衣』がどんな人物か、一度会って確かめてみたい。


(イオリと同じ苗字の人……だから関係があるなんて限ったわけじゃない。それでも、万に一つでも可能性があるなら……)


「……玲人さん?」

「ああ、大丈夫。試合が楽しみだと思っただけだよ」

「神崎がそう言うのなら、僕も足を引っ張るわけにはいかないな」

「私もベストを尽くさせていただきます。必ずや神崎様に勝利を……いえ、風峰学園に勝利を持ち帰りましょう」


 唐沢が眼鏡の位置を直しながら言い、坂下さんも応じる。二人とも戦意は十分といったところだ。


「明日もここに集合ということでよろしいですか?」

「ええ、お願い。明日は個人訓練だけど、伊那さんも参加するんでしょう?」

「あ、私も参加させてください。いちおう私も近接系なので、組手の相手は常に募集中なんです」


 社さんが積極的に話に入ってくる。氷が溶け始めたレモンスカッシュを飲みながら、何とはなしに見ていた俺だが、姉崎さんが肘でつついてくる。


「レイ君、訓練ってレイ君が教えるんでしょ? 女の子ばっかりで大丈夫?」

「っ……ま、まあ訓練だから。唐沢と木瀬君は……」

「僕らは銃使いガンナーだから、射撃場での訓練が主になる。基礎体力をつける訓練もしているけどね」

「たまに社の相手をすることはあるが、正直なところ俺では相手にならない。同じレベルの武術を修めた者同士でなければ、技は磨かれないからな」

「そういうわけで、私もよろしくです神崎っ」


 社さんが三つ編みを揺らしつつ言う――握手までされてしまった。


「少し距離の詰め方が早すぎるんじゃないかしら……いえ、礼儀正しいのは良いと思うのだけど」

「あはは、レイ君先生になっちゃった。あーしも先生って呼んでいい?」

「はは……同級生として普通に扱ってくれると有り難いんだけど」

「ふふっ……『先生』も大変ね、こんなに慕われてしまうと」


 雪理が珍しく冗談を言うので、俺も笑うしかない。しかし冗談めかせて言われたが、女子ばかりの訓練に参加していたら何か噂が立ったりしないだろうか――これ以上目立つのは避けたいところだ。


   ◆◇◆


 ミーティングカフェを出たところで解散となり、校門に向かうところでブレイサーに通信が入った。一緒に歩いていた黒栖さんは唇に指を当て、静かにしますという仕草をする。


《風峰学園回収課 鴻野こうの飛鳥あすか様より通信が入っています。応答されますか?》


 『水棲獣のデーモン』から得られた素材、そして隠しエリアの埋蔵品。それらを『回収課』に運んでもらうように頼んだが、何か問題が――あるのは分かっているが、とりあえず応答しなければ。


『あ、あのっ、あれは一体どういうことなんですか!?』


 通信が繋がるなり、慌てた女性の声が聞こえてきた。後ろではどやどやと、男女入り混じった声が聞こえている――回収作業中のようだ。


「すみません、想定外の魔物と遭遇した後に、壁を掘ったら宝石が出てきまして」


『いえっ、いえいえいえいえ! あんな高ランクの魔物を倒したり、壁を掘るって普通はできませんから! ダイナマイトとか使うやつですから!』


「爆発物を使うのは多分犯罪だと思うので……いや、こんなご時世なので大丈夫なんですかね」


『ゾーン内での障害物破壊に使う爆発物は許可されてます……って、そういう話ではなくてですね……はぁ、すみません、少し落ち着かせてください』


『何やってんだ鴻野、あまり依頼主に時間取らせんじゃないよ』


 通信に他の人物の声が入った。どうやら、同じ回収課の男性のようだ――そのまま通信相手が切り替わる。


『どうも、回収課の相川です。なかなかのデカブツですが、今日の深夜にはファクトリーの倉庫に入れておきますね。宝石に関しては全部採掘していいですか?』


「はい、ぜひお願いします」


『分かりました、採掘の結果については報告書を出しますんで安心してください。そのまま売却にも出せますがどうします?』


「加工できる素材は残しておきたいので、後で見て決めさせてください。学園の設備で投資できたりするなら、そういうのに使いたいとも思ってるんですが」


『っ……そ、そこまで考えてらっしゃるんですか。いや、驚いた……』


 金銭面では困っていないから、と言うと角が立ちそうなのでそこまでは言わないでおく。宝石を売ってどれくらいの額になるのかを聞いたら、使い道を他に思いつくかもしれないが。


『では、回収作業の方続けさせていただきます。今後ともご贔屓に』


「はい、よろしくお願いします」


 通信を終え、待っていてくれた黒栖さんを見ると、彼女は何かくすぐったくなるような目でこちらを見ている――前髪がかかって、片目しか見えていないが。


「電話をしているときの玲人さん、何だか大人の人みたいでした」

「回収をお願いしてるから、できるだけちゃんとしないとなと思って……変じゃなかったかな」

「そんなことないです、凄くしっかりしてました。難しいお話もされてたみたいですけど……設備の投資、ですか?」

「まあ、今は少し考えてるだけだけど。黒栖さんは欲しいものとかある?」

「い、いえっ……あの、装備を作っていただいたりするだけで、凄く嬉しいので。レオタードはちょっと恥ずかしいですけど、私に合った装備ですし」


 『ワイバーンレオタード』が完成したら、黒栖さんが装備するのか――と想像しかけて妄想を振り払う。思い切り思考が桃色になってしまって良くない。


「……玲人さんには一番早く見せたいです」

「えっ……あ、ああ。俺も楽しみにしてるよ」


 黒栖さんが微笑む――内心動揺している俺としては、その純粋さが眩しすぎる。


 バスに乗って帰っていく黒栖さんを見送ると、空が夜の色に変わり始める。自転車に跨って坂を下っていくあいだに、俺は今日一日の出来事を思い返していた。

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