第七十六話 三分の一

 教室に着いてしばらくすると、こちらの様子を見ていた南野さんがやってくる。


「お、おはようございます……神崎君」

「あ、ああ。おはよう」


 ぎこちなく返事をする――昔だったらそれだけで陰キャの扱いをされてしまい、神崎君っていつもオドオドしてるよね、と言われてしまったところだ。


 そういったこともあり、俺は基本的に、そこまで学校が好きではなかった。今はどうかというと、学校に来る意味が明確に見出だせているし、居心地が悪いとは思わない。


「……南野さん、俺に何か?」

「あっ、えっと……別に何もないんだけど、挨拶しなきゃと思って。黒栖さんもごきげんよう」

「は、はい。ごきげんよう、南野さん」


 なぜ二人はお嬢様のような挨拶を交わしているのか――これは笑ってもいいところだろうか。南野さんが緊張しているので、笑ってはいけないという感じがする。


「……あ、あのね、今日の体育って、男子はバスケでしょ」

「ああ、そうなのか。冒険科でも普通の体育ってあるんだな」

「そう、私たちも同じ体育館でバレーなの。うちの体育館って四つもコート張れるんだよ、凄いよね」

「そんなに広いのか。訓練所もそうだけど、設備は本当に恵まれてるよな」


 何気なく会話をしている――はずなのだが、南野さんの緊張は高まっていくばかりだ。なぜか隣の席の黒栖さんまで緊張している。


「だからその……えーとね……が、頑張ってっていうか……」

「ああ、頑張るよ。バスケはあまり得意じゃないけど」

「不破君はバスケ部だったけど、要注意は神崎君やって言ってたから。あ、関西弁っぽいのは気にしないでね」

「さすがに本職のバスケ部には敵わなさそうだけど、できれば点は取りたいな」


 これもまた何でもないことを言っているだけなのだが――なぜか、クラスのどこかから「おお」という声が聞こえてくる。


「もう訳がわからないくらい凄い人なのに、あの謙虚さは一体どこからくるの?」

「ほんとに爽やかだよね……ていうか南野さん、最初と態度違いすぎない?」

「あれは仕方ないわ、あたしでもお手上げだもん。ていうか全校含めても最強かもしれないよね、神崎君って」


 何か値踏みされてる感じがしなくもないが、悪評というわけではなく、良い方向で評価してくれているらしい。


「…………」


 窓際の席に座っている不破も、こちらを見て特に表情を変えるわけでもないが、挨拶するように手を上げてくる。一目置かれているということか、これまでの経緯からして俺を認めざるを得ないのか――まあ、穿って考えすぎるのも悪い癖だ。


 そうこうしているうちにチャイムが鳴り、武蔵野先生が教室に入ってきた。


「みんな、おはよう。今日も全員出席してるわね」


 皆が席に戻り、朝のホームルームが始まる。しばらくすると、黒栖さんが俺の袖を控えめに引いて、小さな声で言った。


「私も応援してます、神崎君」


 体育の授業で誰かに期待されるということが、今まで無かった俺としては、普通に感激するような出来事なのだが。徐々にでも、この落ち着かなさに慣れていかなくては。


   ◆◇◆


 左手は添えるだけ――というわけでもないが、バスケは想像以上に『速さ』が物を言う競技だった。


「やべえ、神崎がもう戻ってる!」

「嘘だろ、あいつさっきこっちのゴール下にいたぞ!」


 『スピードルーン』を使っているわけでもなく、素の速さだけで、俺は敵チームどころか、自分のチームまで混乱させてしまっていた。


「パスを神崎に集めろ!」

「神崎なら、神崎なら何とかしてくれる!」


 俺にパスを集めてくるが、ドリブルで相手を全員抜いてシュートを繰り返す競技ではないので、同じチームにいる不破にもパスを出す。


「――ナイッシュー、不破!」

「神崎のキラーパスやっべえ! 俺にも出してくれ!」

「長谷川、おまえじゃ取れねえよ、神崎のパスは。受けられるのは俺だけだ」


 そんなこともないと思う――とは、汗だくの不破を見ていると野暮に思えて、何も言えなくなる。


「神崎くーん、頑張ってー!」

「不破くんももっと走ってー!」

「うっせぇ……ったく、これだから女は」

「ははは……まあダブルスコアだけど、落ち着いていこう」

「ああ、神崎潰せばヒーローだからな。連中、遮二無二かかってくんぞ」


 まだ同じクラスになって日も浅い。俺が突出した状態になって目立ちすぎるよりは、まだ本気でやれば勝てるかも、というくらいに思ってもらった方が良さそうなのだが――。


《玲人様、先ほどからステータス値の三分の一ほどしか力を出されていないようですが》


 俺のステータスは、現時点で速さ752。それを三分の一しか出さなくても、スピードでクラスメイトを圧倒できる。


 《旧AB》の頃の体感を思い出せば、皆の『速さ』は100前後ということになる。不破はさすがというべきか、150相当くらいのスピードは出ているようだが、それも俺には止まって見えるようなものでしかない。


(これは、普段はステータスを抑えた方が良さそうだな……って、何か中二病を患ってる感じになってないか、俺)


「神崎、ジャンプボール頼む」


 力を押さえようと思った直後に、また試される機会が訪れる――どれくらい高く飛んでも大丈夫なものなのか。しかし加減してボールを取られるわけにもいかない。


「――ッ!」

「神崎……飛んでる……?」

「まるで空中を歩いてるみたいだ……すげえ……」

「おらボーッとしてんじゃねえ、速攻だ!」


 不破だけはいつもの調子を崩さずにプレーしてくれているので、それがとても有り難い。


 最初は険悪な始まりだったが、これならクラスに溶け込んでやっていけそうだ。今後も力を抑えつつ、それでも一目置かれるような位置に居ればいいだろうか。


「――神崎っ!」


 不破が呼ぶ前にジャンプしていた俺は、空中でボールを拾って相手のゴールに叩き込む。もはや俺が知っているバスケではない超人競技になってしまっているが、黒栖さんに良いところを見せられたので良しとしておこう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る