第七十五話 三つの最高値

 朝――カーテンの隙間から差し込む光で目を覚ます。


 俺が起きる少し前に、妹は先に起きてベッドを出ていった。何かやりとりをした気はするが、寝ぼけていて記憶が曖昧だ。


 制服に着替え、机の上に置いてあるスマホを手に取ると、雪理からメールが来ている。


『おはよう、玲人。今日の放課後はどうするの? 空いていたら、お昼までに一度声をかけてね』


 お昼までと言わず、今のうちに連絡しておく。交流戦に備えるとしても、他のことで同行するにしても、一緒に行動するのはほぼ確定だ。


『おはよう。今のところ何をするかは決めてないけど、どうしようか。訓練所でも、特異領域ゾーンに入ってもいいしな』


 メッセージはすぐに帰って来ないと思っていたが――部屋から出るまでにすでに既読がつき、返信が来た。


『装備品にはそれぞれランクがあって、公式戦で使える装備は上級までになっているの』


『私がいつも使っている剣は超級の武器だから、公式戦でそのまま使うことはできない。学園で借りられるものは中級までだから、試合に使うには少し物足りないわ』


 つまり、上級武装を調達できると試合でも有利になるということか。


 装備品の質も交流戦において求められる強さの一環ということなら、できるだけの準備をしておくに越したことはない。


『上級の装備は、購入はできないのかな』


『中級までが市販品の扱いだから、上級品は素材から作るしかないの。まず生産科で必要な素材を聞いて、それを集めてくる必要があるわ』


『なるほど。それは昨日入った「洞窟」でも見つかるかな』


『ええ、おそらくは』


『持ってる素材でも何かできるかもしれないし、まずそれを相談してからにしようか。ちょっと縁あって、生産科の人と知り合ったから』


『じゃあ、昼休みになったらそっちに行くわね。待ち合わせ場所は一階のカフェでいい?』


『ああ。それじゃ、また昼休みに』


 昨日古都先輩と話したときは、気配りが足りずに驚かせてしまった。今日はその失敗を踏まえて、慎重に話をしなくてはいけない。


   ◆◇◆


 妹の友達二人が英愛を迎えに来て、俺も少しだけ彼女たちと話をした。


「あ、あの、お兄さん……ありがとうございますっ、学校で助けてくれたんですよね」


 小柄なほうの小平さんが聞いてくる。まるで小動物のようだ――一緒にいる長瀬さんも、今日は緊張しているようだが。


「二人とも無事で良かった。学校の中に魔物が入ってくるなんてな……あんなことが何度もあっても困るけど、もしもの時はまた俺が行くから」

「やっぱり凄いんですね、冒険科の人って……お兄さんも優しそうなのに、魔物をやっつけちゃったんですよね」

「うん、うちのお兄ちゃんはヒーローだから。ゲームの中でも、現実でもすっごく強いんだよ」

「英愛、その話は……ああ、そうか。二人もやってみたいんだっけ、VRMMO」


 何気なしに聞いたつもりが、二人ともその場で跳ねるくらいに反応する――そして、俺を見てこくこくと頷く。


「あ、あるんです、ゲーム機。私の家にも、お、お姉ちゃんがっ……」

「紗鳥はお姉さんがゲーム機を貸してくれるそうです。私もやってみたいって言ったら、お父さんが買ってくれました」

「そうなのか。今、妹と一緒に準備をしてるから。最初から一緒にはやれないけど、すぐに合流できるようにするよ」

「本当ですかっ……!? 良かったー、お兄さん、私たちみたいな下の学年の子とゲームなんて、めんどくさいかなって心配してて……」

「紗鳥には心配しすぎって言ってたんですけど、私も嬉しいです……私一人っ子なので、お兄さんと一緒にゲームって憧れてて」

「そうなのか。俺も英愛が付き合ってくれて、かなり有り難いというか……まあ、家族でやれると嬉しいよな」


 英愛を見やると、なぜか俺から目を逸らす――何か失言をしてしまっただろうか。


 しかし良く見てみると、英愛は耳まで赤くなっている。回り込んでその顔を見た小平さんも赤面し、それを見ていた長瀬さんも赤くなる――俺も赤くならないと駄目だろうか。


「じゃ、じゃあ……お兄さんと一緒にできるの、楽しみにしてます」

「それまで練習しておくので、よろしくお願いします。その、ゲームだけじゃなくて、他のことでも遊んだりできたら……」

「お兄ちゃんは忙しいから、時間のあるときにね。じゃあまたね、お兄ちゃん」

「あ、ああ。ちゃんと前見て走れよ」


 英愛と二人が自転車で走っていくのを見送ったあと、俺もクロスバイクで走り始める。


 中学校で一応俺が三人を助けたとはいえ、想定以上に慕われている気がする――というのは自意識過剰か。


《神崎玲人様 一つ申し上げてよろしいでしょうか》


「ああ、どうした? イズミ」


《神崎玲人様の能力値を参照した際に、多くの項目が人類の平均値を大きく上回っていると判断されました》


「そうなのか。人類って言われると、かなりスケールが大きく感じるな」


《神崎玲人様の能力値の中で、教養、精神、魔力については、理論上の最高値を大きく上回っています。速さについても非常に高く、陸上の記録保持者に匹敵します》


「え……俺より能力値が高い人も、世界のどこかにはいるんじゃないのか?」


《先程上げた三項目については最高値です。追随する人物も存在しません》


「……本気マジで?」


《イエス・サー。本気マジです》


 イズミはそういった冗談も言えるのか――とあらぬ方向で感心しつつ、改めて『最高値』という言葉が重みを増してくる。


 学園前の長い坂に出て、あとはギアを切り替えて登るだけだ。ちゃんと前を見ながら、ブレイサーから聞こえてくるイズミの声に耳を傾ける。


《300以上、つまりDランク以上と判定される能力値は優秀であると判断されますが、玲人様の能力値は、この数値のみで判断できない部分があります》


「それは……つまり、どういうことなんだ?」


《未登録の固有スキルの効果がどのようなものか、留意されてはいかがでしょうか。何かのきっかけで効果が判明する可能性もあります》


「……『魔神討伐者』か。これは称号みたいなものじゃないのか? 何か効果があるって感じもしてないんだが」


《スキル欄に登録される以上は、スキルとしての効果内容プロパティがあると考えられます》


「そうか……確かにな。分かった、気に留めておくよ」


《恐れ入ります。当AIの作法に問題がございましたら、お知らせいただければ幸いです》


「話し方のことか? いや、それで構わないよ。堅苦しいのは苦手だからな」


《ありがとうございます。それでは玲人様、本日も良い学園生活を》


 ちょうどイズミとの会話を終えたところで自転車を降り、正門をくぐる。自転車を置いてきたところで、登校してきた黒栖さんの姿が見えた――彼女も俺に気づき、こちらに小走りでやってくる。


「おはようございます、玲人さん」

「おはよう。今日も元気そうだね、黒栖さん」

「はい。玲人さんとバディになってから、毎日学校に来るのが楽しみになりました」

「ああ、俺も同じだよ」

「っ……れ、玲人さん、それは……」

「俺も最初はどうなるかと思ったけど、冒険科にも慣れてきたし、学園でやることも沢山あるしな……黒栖さん?」

「は、はいっ、私もそう思います。そうですよね、やることが沢山あるので、今日も頑張らないと」


 黒栖さんの受け答えがちょっと不思議な感じもするが、たぶん気のせいだろう。


「……れ、玲人さん、今日のお昼はどうしますか?」

「今日の昼は、購買にいる先輩と話す予定だよ」

「あっ……古都先輩と一緒に、お昼を……?」

「装備のことで相談をしようと思って。黒栖さんも一緒にどうかな」

「はい、私はいつでも大丈夫です」


 その後教室に向かう間に、黒栖さんが小声で『良かった』と言った気がしたのだが、彼女が何を安心したのか、今のところは思い当たらなかった。

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