第七十二話 声

 撤退するプレイヤーたちに逆行して走っていく。そんな俺たちに、逃げてきたプレイヤーが慌てて呼びかけてくる。


「お、おいっ! 今奥に行くとやべーのがっ……」

「負けイベントってやつだ、死に戻りしてもノーリスクだろ……っ!」


 もし見るからに敵が強すぎるのなら、彼らの言う通りかもしれない。だが、デスゲームにおいては『負けイベント』なんて甘いものは存在しなかった。


 勝てないかもしれない、逃げられない。そんな相手に挑んでしまっても諦めることは決して許されない。ダメージを受ければ激痛が走り、当たりどころが悪ければ部位欠損すら発生する。


 これはゲームだと分かっている。それでも、他のプレイヤーが倒されるところを黙って見ていたら、自分が何かを失ってしまう気がする。


 ――助けられる人がいたら、助けよう。後悔を重ねて、自分が自分でなくなるよりはいい。


 ソウマのその言葉を偽善と呼んでいた俺に言ってやりたい。ゲームクリアするまでに、お前の考え方は変わってしまうが、それも悪くはなかったと。


(助けられるのなら助ける。例えリスクを冒してもだ)


《ラットエンペラー1体とエンカウント》


《他プレイヤー情報:サツキ 麻痺 毒スリップダメージ》


 見上げるほどの巨体を持つ、ボールのような体型のネズミ――ラウンドラットの親玉であり、ユニークモンスターだ。


「私の方を向いて……っ!」


 エアの声に反応して大ネズミがエアを標的ターゲットにする。麻痺しているプレイヤーを優先して攻撃しないAIだったのは幸いだった。


《レイトが強化魔法スキル『エンチャントルーン』を発動 付与魔法指定なし 遠隔発動》


 炎魔法を付与したらエアの『ウッドバトン』を燃やしてしまうし、敵の耐性が完全に把握できてもいない――ここは無属性で様子を見る。


「――えぇいっ!」


 エアは大ネズミの側面に回り込み、攻撃される前に魔力をまとったバトンで先制攻撃をする。


 大ネズミの頭の上に数字が出て、ライフゲージが減る――わずかに1ミリ減ったかどうか、というところだ。負けイベントならば簡単に倒せない強さなのは仕方がない。


「チチチ……チチィッ!」 

「――エア、来るぞ!」


《レイトが強化魔法スキル『スピードルーン』を発動 即時遠隔発動》


《ラットエンペラーが攻撃スキル『パラライズニードル』を発動》


 大ネズミが体毛を針のようにして飛ばしてくる――エアは呪紋の効果で加速して攻撃をかわしきるが、その行動が大ネズミの怒りを溜めてしまう。


《ラットエンペラーが怒り状態 ATK上昇 DEF低下 SPD上昇》


(まずいな……どれくらいの倍率で強くなる? 10%や20%ならいいが、もしそれ以上なら……!)


「あ、あたしのことはいいから逃げなよっ……死に戻りするの怖いでしょ、こういうゲームでっ……!」


 麻痺した状態でも、彼女――サツキはそんなことを言う。だが、それはそのまま彼女にも当てはまることだ。


「誰でも怖いだろうな……だから、お互い様なんだ……!」


 麻痺を解くために必要な回復魔法レベルは3。オーラの消費もその分多くなる――ラットエンペラーのライフを削りきることは難しい、だが。


「麻痺が治ったら走れ! 全員で生き残るぞ!」

「っ……そ、そんなこと……キミもレベル1なのに、できるわけ……っ」


《レイトが回復魔法スキル『リフレッシュルーン』を発動 即時遠隔発動》


《レイトが強化魔法スキル『スピードルーン』を発動 即時遠隔発動》


「あ……な、なんで? 動ける……っ、毒も消えて……」

「エア、ここから逃げるぞ! レベル1じゃこいつは倒しきれない!」 

「っ……お兄ちゃん、駄目、私がマークされてるっ……!」

「――チュァァァッ!」


《ラットエンペラーが攻撃スキル『ネイルスラッシュ』を発動》


《エアのコットンクロースの耐久度低下 小破》


「――エアッ!」

「だ、大丈夫っ……まだ大丈夫だよね……っ」


 ネズミとは思えない発達した爪が振るわれ、エアの装備グラフィックが弾ける――派手なエフェクトに見えるが、装備の一部が破れた程度で済んだ。


《エアのライフが20%以下に低下》


《レイトが回復魔法スキル『ヒールルーン』を発動 即時遠隔発動》


 しかし爪がかすっただけでもライフをごっそり持っていかれる。即座に回復魔法を使うが、オーラの低下で視界がぼやける――オーラが最大値の20%以下になるとバッドステータスが生じ、10%以下ではまともに戦うこともできない。


「――こんのぉぉぉぉっ!!」


 逃げるように言ったはずだ――しかし、サツキは持っていた何かを大ネズミに投げつける。


《サツキがアイテム『クラッカー』を使用》


《ラットエンペラーがスタン 一時的に標的ロスト》


「チュチュゥッ……!?」


 派手な炸裂音と閃光――大ネズミが怯み、標的のエアを見失う。


 序盤では貴重なはずの、攻撃用の消費アイテム。サツキはそれを惜しみなく投げつけて、大ネズミの行動を止めてくれた。


「もうこれで打ち止めっ……ごめんね、先行くから!」

「お兄ちゃん、私たちも……っ!」


 サツキとエアが離脱する――俺もその後を追いながら振り返り、ラットエンペラーの短いスタンが解除され、こちらに再び殺気を向ける姿を見た。


《ラットエンペラーが攻撃スキル『パラライズニードル』を発動》


 ユニークモンスターの、プレイヤーを逃すまいとする執念。大ネズミの赤く輝く目に、忘れていた感情を思い出す。


 ――相手が自分より強いかもしれないと思ったとき、逃げる判断は早いほうがいい。


 ――決して臆病だからじゃない。僕たちはいつか勝つために生き延びるんだ。


 ――生きて、生き抜いて、諦めないで、元の世界に帰りましょう。


 これはゲームだ。死んだって何が変わるわけじゃない、レベル1に課せられるデスペナルティなんて大したものじゃない。


「――お兄ちゃんっ……!」


 もうオーラは尽きかけている。それこそこんなスキルを使えば、その時点でブラックアウトして終了だ。


 それでも可能性があるのなら。生き延びるためにできることが残されているなら――。


「――おぉぉぉぉっ!」


《レイトとエアのリンクボーナス発生 OP回復》


《レイトが特殊魔法スキル『カウンターサークル』を発動》


 『パラライズニードル』が俺に届く一瞬前に、わずかに力が湧き上がる――そして、かざした右手の先に円形の呪紋が浮かび上がる。


「チチィッ……!!」


《レイトが『パラライズニードル』を反射 ラットエンペラーが麻痺》


《ラットエンペラーの特殊ドロップ条件を達成》


「お兄ちゃんっ……!」


 麻痺して仰け反った大ネズミが何かを落とす――残りの魔力で『キネシスルーン』を発動させ、念動力でドロップを回収して離脱する。


 サツキはもう地下道から出て、エアが出口で俺を待っている。オーラ切れで俺の身体の動きが鈍くなったところに――エアだけでなく、戻ってきたサツキが現れ、俺の手を引く。


 言葉もなく、ただ必死だった。朦朧とした意識の中で腕を引かれ、目の前が白く染まる。


 地下道から外に出られたのか。これはマップ切り替えのエフェクトなのか――分からない。


 何かのバグなのかもしれない。けれどそれは、決して錯覚ではなかった。


 ――懐かしい。懐かしい誰かが、すぐ近くにいる。

 



『……やっぱり変わってない。レイトは、レイトのまま』 


 声が聞こえる。抑制された静かな声――ひどく懐かしく、胸に痛みを覚える。


 俺は声を出すことができない。に気配を感じるのに。


 あれほど会いたいと願った仲間の一人。その存在を確かに感じるのに。


『また会えて嬉しかった。私は……を、通して……今は……』


 何かを伝えようとしてくれている。けれど言葉は途切れ途切れで、その半分も聞き取れない。


 声にならない声で叫ぶ。が行ってしまう――。


『――イオリ、どこにいるんだ! ソウマとミアはっ……!』


『……私たちは、まだ……探して……』


 これはゲームだ。俺たちがいた『あの世界デスゲーム』とは全く違う。


 それでもここに手がかりがあると考えたのは、的外れじゃなかった。


 イオリは確かに俺に語りかけてきている。俺がこのゲームにログインしたことで、『向こうの世界』に何らかの形で通じている。


 俺が仲間たちに会いたいがために見た夢で、幻だと言われても無理はない。


 誰にも信じてもらえなくても、イオリの声が聞こえたと信じる。イオリ、そしてソウマとミアも、必ず生きている。 


『絶対にもう一度会える……俺は諦めない。だから、皆も……っ』


 もう声は聞こえない。白い闇の中で、その場に膝を突き、天を仰ぐ。


 頬に涙が伝い、止めどなく溢れる。


 手がかりが何も見つからないまま、時間だけが流れて、もし会うことができても互いのことが分からなくなって――それを想像するのが怖かった。


 俺が今プレイしている『βテスト版』は、デスゲームだった『旧アストラルボーダー』とは違う。手がかりを探しても、徒労に終わるかもしれない。


 そんな迷いは、今はもう消えた。イオリの声が聞こえた、その理由が今は分からなくても、必ず答えを見つけてみせる。


 目を閉じると、意識が別の場所に向かう感覚があった。次に目を開けたとき、俺はおそらく地下道の外にいる。


 エアに心配をかけているかもしれない。サツキはまだ残っているか、それとも行ってしまったか――いずれにせよ、最初の言葉は謝罪からになりそうだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る