第六十五話 ウィステリア・藤崎

 制服に着替え、帰る準備をして校門前で一度集まることになっていたのだが。


 ウィステリアが目覚めたとの一報を受けて、俺は雪理と一緒に倉屋敷病院に行くことになった。


 恋詠さんは学園に来る最後のバスで帰っていったので、後で連絡することになっている。坂下さんと唐沢も病院まで同行してくれたが、面会は二人までとのことで、雪理と俺が病室に入ることになった。


「こちらが藤崎さんの病室になります」

「ありがとうございます」

「い、いえ、雪理お嬢様、そんな……私どもは折倉グループの一員ですので」

「案内してもらった時くらい、素直にお礼を言わせて」


 雪理の口調は柔らかいが、看護師さんは恐縮しきっている――それはそうか、この病院も折倉グループが経営していて、そのトップの令嬢が雪理なのだから。


「……じゃあ、ノックをするわね。藤崎さん、入ってもいいでしょうか」

「どうぞ」


 室内から短い返事が聞こえる。雪理がこちらを見てくるので頷きを返し、二人で入室する――すると、ベッドの中で身体を起こしている女性の姿がある。病院着に着替え、金色の髪を下ろしている彼女からは、悪魔に憑かれている時とは全く違う印象を受けた。


「こんばんは。貴女が、折倉雪理さん……全国の時以来ですね」

「ウィステリア・藤崎さん……去年、あなたは全国大会の決勝トーナメントに出ていなかった。一度は全国で3位になっているのに。それほどの実力者が、どうして辞退したの?」

「それは、私から貴女にも言えることです。折倉さん……どうして決勝に出てこられなかったんですか?」

「……どんな形でも、試合に出なかった以上は私の負け。それを言い訳するつもりはないわ」


 雪理は去年、全国大会の個人戦決勝を辞退している。ネットでそんな書き込みを見たが、その理由はまだ聞けていない。


 ウィステリアはその試合会場にいた。彼女は蛍光灯の明かりを少し眩しそうにしながら、髪をかきあげつつ、少し申し訳なさそうに微笑んだ。


「……ごめんなさいデス、少しこういうの、やってみたくて。こういうシリアスなドラマ、見たことないデスか?」


 急に、日本の言葉に慣れない感じのイントネーションに変わった――これがウィステリアの素なのだろう。


 どうやら、事前に持っていた印象とは違う人物のようだ。雪理は急な変化に困惑しているが、俺が見ていることに気づくと、肩に入った力が抜けたようでふっと笑った。


「ウィステリアさんのことは調べさせてもらったわ。愁麗山しゅうれいざん学園高等部の二年生で、中学までは海外で暮らしていた。お母さんが日本の方で、その縁で移住してきたそうね」

「はい、その通りデス。愁麗山学園は帰国子女の受け入れが多い学校なので、私もその縁で通わせてもらいました。今も学園の寮で生活しています」

「……目を覚ましたばかりで、身体に負担をかけない時間だけにするから、少しだけ質問をさせて。あなたは、自分に起きたことを覚えている?」


 朗らかだったウィステリアの表情が陰る――彼女は、憑依されていた時のことを覚えている。


「……ワタシが近隣で発生した特異領域ゾーンの対応に向かった時のことデス。特異現出……予想されるランクより高い魔物が出る可能性がある状態。私は近隣の人が巻き込まれないように対処したら、学園に報告してその場を離れるつもりでシタ」

「そして『あの魔物』と遭遇した……そういうこと?」


 ウィステリアは頷く。彼女は病院着の胸のところに触れ――そして、ぐっと掴んだ。不安を押さえようとするかのように。


「頭の中に声が響いてきて、その次の瞬間には、私は誰かに身体を奪われていまシタ。『彼女』は私の頭の中を見ることができますが、私には彼女の考えの一端だけを見せてきたのデス……それも長くは続かず、私は意識を失いマシタ」


 精気を奪われ、意識を失う――それが何を意味するのか。


 ウィステリアの身体は震えていた。本来は朗らかなのだろう彼女の表情をそこまで曇らせている感情は、紛れもない恐怖だ。


「ウィステリアさん、無理はしないで。今は全部言わなくてもいいのよ」


 雪理が気遣うが、ウィステリアは首を振る。どうしても言わなければならないというように。


「あの魔物にもう少し憑依されていたら、『私』という人格は消えてしまっていたと思いマス。ですから……雪理さん。貴方は、私の命の……」

「それは違うわ。貴方を助けたのは彼……神崎玲人。彼がいなかったら、実体のない悪魔を封印することはできなかったから」


 ウィステリアは雪理に助けられたとばかり思っていたらしい。あの場に真っ先に急行したのは雪理なのだから、あえて俺がというのは言わなくていいと思ったのだが――雪理は間髪いれずに訂正してしまった。


「……カンザキ、レイト……あなた、プリンセス雪理のマネージャーさんかと思っていましたが、そうじゃなかったのデスね」

「っ……プ、プリンセスって、どこでそんな呼び方を……」


 雪理がこんなに動揺しているのは初めて見た――俺も不意を突かれて笑ってしまいそうになるが、雪理にきっと睨まれて自重する。


「有名デス、風峰学園のプリンセス雪理。銀色の髪を持つスノープリンセス、私の学園ではそう言われてます」

「ま、まあ……雪理なら、そう言われてても疑問には思わないけど」

「あなたは……プリンセスなんて言われて、嬉しい人がいるわけないでしょう」

「そんなこと無いデス、女の子はみんな、お姫様に憧れているものデス」


 雪理は「それは人それぞれでしょう……」と小さな声で言っていたが、それ以上言い合う気力もなくしたのか、肩をすくめて息をつく。


「……カンザキレイトさん、あなたはプリンセスと同じ学年なのですか?」

「はい、風峰学園の一年です」

「そうなのデスね……見るからに落ち着いていて、お兄さんという雰囲気なのデスが。私、一個上のお姉さんだったデスね」


 『アストラルボーダー』の中にいた時間だけ、実際の年齢より体感時間は長く生きていると言えないこともないのか。今のところ皆と話が噛み合わないことはないので、そこは安心して良さそうだ。

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