第五十六話 反響
朝のホームルームで武蔵野先生が出席を確認したとき、何人かが家のことを心配されていた。家の周辺に魔物が出て、一部の建物に被害が出ているという。
「南野さんは大丈夫だった? マンションの設備に被害が出たと聞きましたが……」
「はい、家に帰ったら電気が使えなくなっちゃってて、友達のところに泊めてもらいました。さっきママから電話があって、もう復旧したみたいです」
「それは良かったですね。先生も緊急時の対応はしていますので、困ったことがあったら連絡してください」
魔物の出現自体にはやはり皆は慣れていて、大きく動揺したりということはない。
昨日は討伐隊や一部の学生、教員が魔物の撃退に出て、構内に被害が出ることはなかった。風峰中学校でも人的被害は出ていない――しかし市内全域でゼロというわけにはいかなかった。
「あなたたちはこの学園で魔物に対する対処を勉強しますが、昨日のような事態が起きたとき、魔物に立ち向かわなければいけないわけではありません。もし魔物に遭遇しても、基本的には自分の安全を第一に行動してくださいね」
武蔵野先生は眼鏡の位置を直しつつ、俺の方を見る――灰島先生から、俺が昨日外に出ていたことが伝わっているようだ。
「……こほん。神崎君、ホームルームが終わったらちょっとお話があります」
「はい」
素直に返事をするが、やはりクラスの注目が集まっている。何故呼ばれているのかも、みんな察しがついているだろう。
「玲人さん、きっと先生も事情は分かってくれていると思います」
隣の席の黒栖さんが小声で言う。初対面の頃からすると、彼女もかなり落ち着いてきた。こんなとき、俺以上に動揺してしまったりするのが彼女だと思っていたが。
「ありがとう。行ってくるよ」
「はい、玲人さん。ファイトですっ」
先生と戦うつもりはないのだが、どんな話をされるか――やはり外に出たのはルール違反と、お叱りを受ける可能性も否めないだろう。
◆◇◆
廊下で待っていた先生に連れていかれたのは、相談室だった。『生徒指導室』のようないかにも怒られそうな場所ではないので、少々安堵する。
先生は扉を閉めて、俺にソファに座るように勧めた。対面に先生が座り、しばらく膝の上で組んだ自分の手を見ていたが、そのうち意を決したように顔を上げる。
「灰島先生から、昨日のことは聞きました。神崎君、討伐隊の綾瀬さん……綾瀬隊長から、お話があったそうですね」
「すみません、質問に質問を返すようですが……俺が昨日何をしていたか、武蔵野先生はどれくらい聞いていますか」
先生はぱちぱちと瞬きをして、すぐに言葉が出て来ずに、ただ俺の顔を見返す。
「……聞いた通りのことをそのまま信じるなら……神崎君が討伐隊にスカウトされるくらいの功績を上げたと、そう報告されました」
「俺は討伐隊には行かないと、そう綾瀬さんに答えました」
「あなたの実力を考えれば、学園で教えられることはもう無いのかもしれないって……せっかく退院して通学できるようになったのに、もうお別れなんて、先生として何も教えられない不甲斐なさに……え?」
先生は俺が討伐隊行きを前向きに考えているように思っていたようで、かなり先のことまで彼女の中で話が進展してしまっていたようだ。
「俺は学園の先生方に教わることがまだ沢山あると思ってます。討伐隊に入らなくても、魔物の対処に関してできることはしたいと思ってます」
「あなたの実力は、一年生の……いえ、三年生まで含めても抜きん出ているのよ? それどころか、その、言いにくいですが私たち先生よりも……実技の
「実は、討伐隊の人と一度話がしたくて交流戦で結果を出したいと思ってたんですが……今の時点で、その目的は達成できてしまいました。でも、まだ学園に復帰したばかりですから。まだ武蔵野先生のクラスにいさせてもらえませんか」
「っ……そ、そんな、私のクラスでいいのかって、昨日からずっと悩んでいて……」
「すみません、ご心配をおかけしましたが、俺の考えはもう決まってます」
それでも先生が俺を討伐隊に推薦したいという話になったらどうするか――そう思ったが、先生は眼鏡を外し、ハンカチで目元を押さえる。
(な、泣かせてしまった……先生を。こういう時、どうすれば……)
「先生が、考えすぎていたみたいですね。神崎君が私のクラスにいたいと思ってくれたこと、それを後悔させないように頑張らないと」
「俺も頑張ります。これからも色々なことをやるとは思いますが、ご迷惑はかけないようにするので、先生は心配せずにいてくれれば有り難いです」
「これからも……また、災害指定個体を倒したりしてしまうんですか? そんなことが続いたら、この街のヒーローどころか、世界的に有名になってしまいますよ」
「そういう強い魔物が出ないに越したことはないですが。被害も出てますし」
「そうね……クラスの皆のご家族にも、負傷した方がいらっしゃるから。でも、神崎君がしてくれたことで、とても被害は少なくなった。特に附属中学校であなたのしてくれたことは、表彰なんかじゃ済まないくらいです」
「そ、そうですか……お手柔らかにお願いします」
あまり目立つのは得意ではないが、全校表彰はどうやら避けられないらしい。
「神崎君は、私のクラスの誇りです。これからもよろしくお願いしますね」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
先生と握手をして、相談室を後にする。先生の足取りはとても軽い――その期待を裏切らないようにしなくてはと思いつつ、俺も教室に戻った。
◆◇◆
午前の授業が終わったところで、購買に向かう。ここで働いている、生産科の古都さんに話を聞きたかったからだ。
「いらっしゃいませ。今日はカツサンド以外になさいますか? 日替わりのパンも残り三つございます」
「じゃあ、日替わりの方で。あ、甘いやつですか?」
「今日は特製焼きそばパンです。生産科自慢のお肉が入っているんですよ」
彼女が勧めるものなら、何でも美味しそうに見える。とりあえず焼きそばパンと牛乳を買い、その後で相談を切り出した。
「古都さん、相談したいことがあるんですが。生産科では、他の科から持ち込んだ素材の加工をやってるんですよね」
「ええ、いつでも受け付けていますよ。一年生からの持ち込みは、例年今の時期はほとんどありませんが……神崎くんは、どんな素材を持っているんですか?」
「その、あまり大きな声では言えないですが、多くの魔物と戦う機会があって。実習で手に入った素材も含めると、色々集まってます」
「まあ……では、少し見せてもらってもいいですか? コネクターに素材数が記録されているので、私のコネクターに近づけてみてください」
「は、はい。失礼します」
左腕のブレイサーを出して、古都さんのコネクターに近づける――すると。
《神崎玲人様の所持素材データを、古都
古都さんの下の名前を、そういえば聞いていなかった。帆波――その名前が、記憶に引っかかる。
(……どこかで会ったことがあるかって聞いてたよな。まさか、本当にそうなのか?)
「……凄い……」
「え?」
「い、いえ……すみません、少し交代してもらっていいですか?」
他の販売員に声をかけて、古都さんが購買部の中から出てくる。彼女は三角巾を外すと、深い藍色の長い髪をシュシュで結んでいた。エプロンもつけたままで、他の先輩と比べても大人びている。
購買部から少し離れたところに連れていかれ、古都さんは神妙な顔で切り出してきた。距離が近くて、思わず後ろに下がりそうになる。
「あ、あの、素材のデータが何か……」
「その素材は、何かに入れて運んでいるんですか?」
「はい、このナップザックに入ってます」
「こんなに貴重な素材を、そんなにラフな運び方で……いえ、運び方は自由ですが、専用の道具をお持ちいただいた方が良いですね……」
「やっぱりそうですか。俺も装備品を揃えたいと思っていて、古都先輩に相談させてもらえればと思って来たんです」
そう伝えると、古都先輩は少し驚いたような顔をしつつも、心なしか得意そうに胸をそらす。エプロンを押し上げる膨らみが強調される――購買部の中にいるときは分からなかったが、黒栖さんに匹敵する人がいようとは。
「……どこを見ているんですか?」
「す、すみません、つい出来心で……っ」
「今は真面目な話をしているんです、よそごとを考えていては駄目です。装備の件ですが、神崎くんが持っている素材を使えば、購買部にあるものよりも強いものが作れると思いますよ」
「ありがとうございます。これを生産科に持ち込めばいいですか?」
「一度データを持ち帰って、何が作れるかをリストアップしてきます。連絡してもいい時間帯はありますか?」
「いつでも大丈夫です。必要があれば、生産科にうかがわせてください」
「はい。きっと、みんな神崎くんとお話をしたくなると思いますよ。『ランスワイバーンの魔石』なんて、そうそう見られるものじゃありませんから」
先輩の目がキラキラと輝いているのは、生産科は素材に惹かれるからということだろうか――喜んでもらえたようで良かったが。
「それに、デーモンの魔石が2つも……一つは『封魔石』なんですね。こういったものがあるのを初めて知りました、興味深いです。でも、これを持っていた魔物はすごくランクが高いんじゃないですか?」
「ええと、Bランクみたいですね」
「そう、Bランク……Bランク……?」
先輩は固まってしまう――リストには素材を所持していた魔物のランクが出ないのか、詳細を見なければ分からないということなのか。
「……先輩、大丈夫ですか? 先輩」
「……うーん……」
「っ……せ、先輩、しっかりしてください!」
「玲人さん、そろそろ討伐科に移動しないと……た、大変っ、保健室に……っ!」
俺を呼びに来てくれた黒栖さんと一緒に、気を失ってしまった古都先輩を保健室に運ぶ。
やはりBランクの魔物を倒したというのは、非常に驚かれることらしい――今後はもっと慎重に明かさなくてはいけない。
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