第五十五話 電流


 雀の鳴く声が聞こえてくる。カーテンの隙間から差し込んだ朝の光の中で、目を覚ます――目覚ましは鳴っていないので、どうやら鳴る前に目が覚めたらしい。


(……何でこうなってるんだっけ?)


「すー……すー……」


 隣で寝ているのは英愛――シングルベッドに二人で寝ると多少身体が痛くなるが、それは俺が壁に貼り付いて寝ていたからだ。


 ゲームを終えて英愛の部屋を出ていき、自室で今日の緊急警報について何か情報が出てないかとニュースサイトを見ていたところ、コンコン、としおらしくドアが叩かれた。


『……お兄ちゃん……』


 ドアを開けるとそこには英愛が立っていて、何か言いたげにしている。


 怖くて一人で入れないからと、一緒に風呂に入った時点で分かってはいたのだが――寝る時に自室で一人になったら、また不安になるのではと心配してはいた。


『あ、あのね……一人で寝ようとしたんだけど、電気を消せなくて。暗くないと寝られないし、どうしようかなって』


 これで「そうか、頑張れ」と送り返すほど、クールな兄ではなかった。「チッ、しょうがねえなあ」などとは言ってないが、仕方ない空気に流され、壁と一体化して寝ることになったわけだが――。


「……お兄ちゃん……もっと……」


 妹は何を求めているのか――その手が動き、俺のシャツをわし、と掴んでくる。見ている夢の内容によっては由々しき事態だ。


「……麺がのびちゃう……もっとガッと……」


 どうやら先日行ったラーメン屋の話をしているらしかった。味もそうだがボリュームが唯一無二の評価を受けている店なので、妹の言う通りガッと食べないと次のお客さんを待たせてしまう。


「こんな顔して大盛り好きって……イメージ的にいいのか」

「……ふにゃ。あ、お兄ちゃんおはよう」

「っ……お、起きるのはいいけど、ボタンはしっかり留めてだな……っ」

「んー、ありがと……」


 英愛が身体を起こした拍子に、寝ている間に乱れた襟元が危うくなる。無防備に目をこすったあと、英愛はしばらくぼーっとしてから、パジャマのボタンを留め始めた。


「あ……ご、ごめんねお兄ちゃん、ちょっと目閉じてて。寝てる間に下が脱げちゃった」

「わ、分かった、俺は何も見てないからな」


 脱げたってどこまで何が――と聞くよりも、腕で顔を覆う。普通に考えればパジャマの下を寝ながら脱いでしまったということだろう。


「ごめんね、いつもは違うパジャマ着てるから、こんなことないんだけど」

「じゃあ、そっちのパジャマにした方が良かったんじゃないか?」

「そっちの方はワンピースだから、めくれちゃうでしょ」

「まあ多少めくれても、家族なら別に……」


 言いかけたところで、ギシ、とベッドが軋んだ。目を隠す腕をずらしてみると、英愛がベッドに身を乗り出し、俺の方に垂れそうになる髪をかきあげながらジッと見つめてくる。


「家族でも、見られて大丈夫なのはお母さんだけだよ。お兄ちゃんは駄目、恥ずかしいから」

「……中学生が一人で寝れないっていうのは?」

「それはいいの」


 短い返事だけで押し切ると、英愛は先に部屋から出ていこうとして、もう一度振り返る。


「……一つお願いがあるのですが、よろしいでしょうか、お兄様」

「急にめちゃくちゃ敬語になるな……お願いって?」

「今日も一緒に寝たいのですが、お兄ちゃんは狭くて辛かったりしないですか」

「正直を言えばちょっとは辛いが、英愛が寝れないよりはいいな。ゆうべはよく寝られたか?」

「うん、めっちゃ良く寝られた。美味しいものを食べる夢見てね、お兄ちゃんも一緒で楽しかったよ」


 俺もまたラーメンが食べたくなったというのは言わずに、妹を送り出す。


「……ん」


 妹が寝ていたところに、銀色の髪が一本落ちている。ペットを飼っていることを身体についた毛で知られるがごとく、妹と寝ていることが油断したらバレてしまわないか――なんて詮無きことを少しだけ心配しながら、ベッドを整え直した。


 ◆◇◆


 家を出てしばらくしたところで道が分かれ、英愛と別れて高等部校舎に向かう。


 校門のところに見覚えのある二人の姿がある――黒栖さんと雪理だ。


「おはようございます、玲人さん」

「おはよう、玲人」

「二人ともおはよう。何かあった?」

「いえ、ここで一緒になったので、玲人さんを待っていようって……そうしたらちょうど、坂を上がってくる玲人さんが見えたんです」


 二人とも、俺が駐輪場に向かおうとすると一緒についてくる――話したいことがあるというなら、遠慮することもないだろうか。


「玲人、昨日の夜だけど……何かゲームをしてたって言ってたわね」


 ゲームを終えて部屋に戻り、ニュースサイトを見る前に、雪理から連絡があった。入院したウィステリアはまだ目を覚ましていないが、意識が戻りそうではあるとのことだ。


 その時に『アストラルボーダー』をプレイしていたことを雪理に伝えたが、彼女も少し興味を持ったようだった。


「ああ、『アストラルボーダー』っていうんだけど。最近の新作VRMMOの中じゃ、良くできてるって言われてるな」

「VRMMO……うちの学園では特異領域ゾーンに入って実習しているけれど、VRシステムを使うことも検討されているらしいわね。VRMMOとも共通する技術が使われているとか」

「ゲームで訓練ができるんですか? 本物の魔物と戦わなくて済むので、それだと安全ですね」

「そうね、強い魔物との模擬戦もできるでしょうし。けれど、やはり私たちの学園は実践を重んじているから、VRはあくまで補助的なものになるんじゃないかしら」


 二人の話を興味深く聞きつつ、クロスバイクを停める。そして正門前広場に戻ってきた。


 雪理は討伐科なので、ここで俺たちとは別行動だ――と思ったのだが。


「玲人、今日の放課後だけど……改めて、討伐科に来てくれる? 昨日の緊急警報があったから、人が集まれるか分からないのだけど、交流戦メンバーの顔合わせをしておきたいから」

「ああ、俺はいつでも大丈夫。黒栖さんはどうする?」

「はい、私は玲人さんのバディですから。玲人さんが出席するなら、私も一緒です」


 黒栖さんが悪気なく言う――だが、そこで俺に電流が走る。


(雪理も俺とバディを組んでるっていうのは、まだ黒栖さんに言ってなかったが……いや、普通に言っていいはずだが、何だかとても言いにくいぞ……!)


「……正式なバディは黒栖さんだけど、私も彼のバディとして登録してあるの」

「そ、そうなんですか? 玲人さんと、折倉さんがバディを……」


 なぜ、ここでその話題に行くのがはばかられたのか――言うまでもない、登校中の生徒の目に触れるからだ。


「お、おい……今の聞こえたか?」

「あの孤高のプリンセスと言われた雪理様が……二人目のバディ……?」

「うらやまけしからん……大人しいタイプの第一位と、可憐タイプの第一位を独占だと……!?」

「誰か、誰か助けてください! ここに生かしてはおけない奴がいます!」

「雪理お姉様を二人目の女扱いだなんて……じゃあ私は何人目なの……?」


 思わず天を仰ぎたくなる――やはりバディというと、そういう想像をされてしまう。


「……隠しておいた方が良かった?」

「いや、それは俺の甲斐性の問題だから……何とかなるよ」

「そう……困ったことがあったら相談してね、私にも責任があるから」


 そんなに優しくされると、ますます生徒たちの嫉妬の炎が――と、気にしすぎていてもいけないのだが。まだ、この羨望の視線を受け止めることには慣れられない。


「すみません、私が玲人さんのバディと言ったので、折倉さんも……」

「別に張り合っているわけじゃないのよ、事実は事実だから。じゃあ、また放課後にね。お昼にうちの校舎に来てくれてもいいのよ」

「あ、ああ。また後で……」


 雪理が討伐科の門に向かって歩いていく――生徒たちが綺麗に両サイドに分かれて道を作っており、坂下さんと唐沢が合流していつもの三人組が形成される。


「お昼も折倉さんと一緒ですね、玲人さん」


 確定事項のように言う黒栖さんも、かなり大物なのかもしれない――落ち着くべきは俺の方だと反省しつつ、二人で教室に向かった。

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