第五十二話 アストラルボーダー・β

 βサーバーとは、本番のゲームの機能が一部使えないが、サーバー負荷テストのためにオープンされたものだ。事前登録者の中から十万人が参加できるという。


 俺が経験した『アストラルボーダー』のクローズドβテストは五千人参加だったので、本番に向けて規模が大きくなっているとも受け取れなくはない。それにしても、クローズドテストの結果を反映したにしては、オープンβの開始が早すぎる気もするが。


「お兄ちゃん、このまま進めればいいの?」


 英愛が購入したダイブビジョンは開梱し、初期設定を済ませた。同じ家で2人のユーザーがログインすると回線に負荷がかかりすぎないかと思うが、そこはゲームを始めてみないとわからない。


 英愛はベッドに座って俺に椅子を貸してくれたが、そのままでは疲れるので寝た状態でプレイする人が多いと説明した――それで今は、仰向けに寝る姿勢になっている。


「何か、サーバーを選ばないといけないみたい。βサーバーは三つあるんだって。スピカサーバーが日本語サーバーって出てるよ」

「じゃあ、スピカサーバーにしておくか」


 『アストラルボーダー』のサーバーは並列サーバー形式で、負荷を分散して処理しているために、一つのサーバーにおける最大ログイン人数が従来より飛躍的に増えている。


 そんな事前の知識はそのまま通用するようで、俺もゲームデータをアップデートして始めてみるが、重いと感じる場面が一切なかった。


《アストラルボーダー スピカサーバーにようこそ》


《クローズテストにご参加いただきました神崎玲人様には、βサーバーにてささやかな特典を用意しております》


 テストでのデータは引き継がれないはずなのに、そんな音声メッセージが流れてきた。


《ゲーム内で使用する名前を入力してください》


 普通オンラインゲームで本名を使わないものだが、音声チャットが必須のVRMMOにおいては、発声しやすく認識しやすいということで、下の名前を入力するプレイヤーが多かった。


「じゃあ、『レイト』で」


《レイト様、でよろしいですか?》


「お兄ちゃん、本名プレイなんだ。VRMMOってそういうものなの?」

「中にはダガー聖天使黒猫ダガーみたいな人もいたけど、とっさに言うのが大変だからな。名前を指定して使うスキルもあるから」

「あはは、でも可愛いね、聖天使さんって。私はエアにしておこっと」


《キャラクターの性別を選んでください。無性別とすることも可能です》


 こういう選択があると無性別にしたくなったりもするが、アバターは自分の容姿をベースに作られるため、男以外にすると違和感のある容姿になる。そのため、男にしておくのが無難だろう――ゲームだから何を選んでも自由、という主張をするプレイヤーも多いし、俺も基本的にはそれに賛同している。


「男の子にするとすごい違和感が……女の子だと、私っぽいかな」

「まあ、性別は普通に選んだ方が無難かな」

「あはは。お兄ちゃんが女の子を選んだらどうなるか、見てみたかったかも」

「今から選んでやろうか……なんてな。まあ、今回は普通に始めようか」


《あなたのアバターが決定しました。それでは、イメージしてください》


《前に進み、扉を開けてみましょう。その扉を開けた先が、新しい世界です》 


 ――この場面は、俺が知っている『アストラルボーダー』に良く似ている。


 だが、あの臨場感、空気感はやはり再現されていない。ゲームはゲームだと分かる――しかし、何かが違う。


《―Welcome to Astral Border World―》


 扉を開けると、そこは草原の中にある、寂れた神殿のような場所だった。周囲を石柱に囲まれており、後ろを向くと、通ってきた扉がある。


 この扉が消えて、ログアウトできなくなった――それが、デスゲームだったアストラルボーダーに閉じ込められたと知ったきっかけだった。


《ここからログアウトすることが可能です》


 扉を見ただけで、あっさりとそう教えてくれる。実際に、他のプレイヤーが扉に近づいてきて、ログアウトしていく光景にも遭遇した。


 さっきから聞こえてくる声は、あのガイドAIとの声とは違っていて、こちらに友好的な話し方だった――本来、ゲームのナビゲーション音声はそうあるべきだと分かっているが、それでも何か裏がないかと疑ってしまう自分がいる。


「すごーい……ほんとにファンタジーの世界に来ちゃったみたい。お兄ちゃん、VRMMOってすごいね!」


 英愛のアバターは、銀色の髪をしたエルフのような姿をしていた。初期装備でも十分に可愛らしく、村娘のような格好ながら、軽やかにくるくると回る姿に目を奪われる。


 ――最初はすげえと思ったけど、今はリアルすぎて嫌になるぜ。


 ――これだけリアルだったら、PKとかしてもリアルなのかな。


 ――本当に死ぬかもしれないんだろ? でもゲームなら罪に問われたりしないよな。


 長期間ログアウトできないことで心が荒んでしまい、酒場でそんなことを話しているプレイヤーを見たこともあった。


 俺も最初は、英愛のようにはしゃいでいた。そんな自分を後から思い出して、堪らない気持ちになることもあった。


 それでも、これがただのゲームだったのなら、と願うことはあった。このゲームを仲間たちと楽しむ、純粋にそうすることができたらどれだけ良かっただろうかと。


 この世界では、それができるのかもしれない。また『アストラルボーダー』をプレイしたいと思うなんて、俺の経験したことを知れば、誰もが愚かだと思うだろう――それでも。


「あ、お兄ちゃん、何か出てきたよ? あれ、スライム?」


 βテストでもチュートリアル戦闘はあるらしく、バスケットボールほどの大きさがあるスライムが二匹出てくる。


「私、戦ってみようかな……パンチとかで倒せる?」

「いや、その辺りに武器として使えるオブジェクトがあるはずだ。えーと……」


 ――そして俺は何気なく、物を引き寄せるための『キネシスルーン』を使おうとする。


 ゲームの中で発動するわけはない、そう気づくが――。


《レイトが特殊スキル『キネシスルーン』を発動》


「っ……!!」

「お兄ちゃん、スキルが使えるんだ。あ、テストに参加してたから、初めからレベルが高いとか?」

「いや、レベルは引き継がれてないが……驚いたな……」


 テストプレイヤーの特典なのか、それとも『そのように作られた』ゲームなのか。


 スキルがある世界のゲームなら、そんなゲームがあってもおかしくはない。どうやら、現実で使えるスキルを、そのままゲーム内でも使うことができるようだった――つまり。


 デスゲームでなくなってもゲーム内容がおおよそ似ているのなら、『アズラースを倒して願いを叶える以外に、この世界を出られることを示唆するようなイベントがあるか』を、調べることができるかもしれない。


「この木の枝が武器に使えるの? あ、装備できたみたい」


 何も持っていないときは、手に入れたものを自動で装備する。それは、俺の知る『アストラルボーダー』にはなかった機能だ。


 やはりこれはゲームだ。もう一度『アストラルボーダー』を攻略できる――良い記憶よりも辛かった記憶の方が多いが、どうやって難所を突破したかを覚えていれば、決してクソゲーという難易度ではない。


「俺が魔法で武器を強化する。英愛はそれで戦ってみてくれ」


《レイトが強化魔法スキル『ウェポンルーン』を発動》


「あ……すごい、木の枝が光ってる。それじゃ、やってみるね……えいっ!」


 無属性魔法しか効かないスライムは、英愛の一撃で討伐される。俺のときは武器攻撃が通じないので、初期スキルで対処できなければ逃げるのが正解という、ひっかけのようなチュートリアルだった。


《意地悪なスライムをレイト、エアが討伐》


《経験点を10獲得》


《スライムのかけらを1つドロップしました》


「意地悪って、どんなふうに意地悪だったのかな」

「まあ、色々とな。英愛、油断すると装備を壊してくるから気をつけるんだぞ」

「あ、そういう意味で意地悪なんだ……スライムってえっちなモンスターなの?」

「え、エッチというかだな……」

「向こうにもえっちなスライムがいるよ、お兄ちゃん。やっつけていい?」

「他のプレイヤーもいるかもしれないから、そういう発言は控えめにな」



 ――試しに少しだけログインしてみるつもりが、その日の夜は思ったよりも長く、自由奔放にゲーム世界を走り回る英愛に付き合うことになった。

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