第五十話 理由

 食事を終えたあと、角南さんの運転する車で家まで運んでもらう。英愛の友達二人はすでに両親が迎えに来ていたので、今回は不参加となった。二人とも英愛との電話では、私達も行きたかったと言っていたらしい。


 俺たちの住んでいる家は、朱鷺崎市の北西部にある住宅街にある。到着してドアが開くと、後部座席に一緒に乗っていた英愛が先に降りて、俺もその後に続いた。


「角南さん、雪理、送ってくれてありがとう。黒栖さん、また明日……って、警報の後でも普通に学校ってあるのかな」

「はい、全校集会か、ホームルームで改めて連絡があると思いますが」


 黒栖さんは俺の右側に座っていて、妹と黒栖さんに挟まれる形になっていた――シートベルトをしている黒栖さんは、何というか色々と挟まってしまっていて、目の向けどころに困ってしまう。


「お兄ちゃん、さっきから恋詠さんのことチラチラ見てたでしょ」

「……そうね、途中から落ち着かないみたいだったわね。何か気になっていたの?」


 雪理まで助手席の窓を開けて突っ込んでくる――そして、俺はそんなにわかりやすいだろうかと自分の振る舞いを省みる。


「……心配してくれていたんですね。私は平気です、玲人さんたちが無事に帰ってきてくれましたから」


 黒栖さんの純粋さに救われながら、自分の邪心を戒める。これから彼女とバディを組んでいく上で必要なことは、まず自分の弱さを克服することだ。


「心配してたというか、ぎこちなかったというか……雪理さんはどう思いました?」


 英愛はすでに二人を名前で呼んでいる。この人懐っこさは見習いたいところではあるが、妹というよりこれでは世話焼きな姉さんのようになってしまっている。


「あまりお兄さんを困らせてはいけないわ。その話は、また今度改めて続きをしましょう」

「はーい。良かったねお兄ちゃん、雪理さんが優しい人で」

「ああ、本当にな」

「黒栖さんには秘密にしておいてあげる。その代わり、前にしていた約束はしっかり履行してね」

「り、履行って……」

「返事は?」


 こうやって圧をかけてくるあたり、俺が本当は何を意識していたかバレているようだ――白旗を上げるしかない。


「……了解しました、お嬢様」

「ありがとう、神崎家の執事さん」


 雪理は楽しそうに笑うと、窓を閉める――車が走り出してもしばらく、黒栖さんは車内から手を振っていた。


「お兄ちゃんに女の子の友達が二人もできたなんて……妹としては嬉しいけど、大丈夫なの?」

「大丈夫って、何の心配をしてるんだ」

「二人とも可愛いし、折倉さんはすごい有名人だから、お兄ちゃんゆで卵を投げられたりしてないかなって」

「ゆで卵って……雪理も黒栖さんも人気はあるから、確かに男子からの厳しい視線は感じるけどな」

「うん、気をつけたほうがいいよ。でもお兄ちゃんなら大丈夫かな」


 危ないのか大丈夫なのか、どっちなんだ――と聞く前に。英愛は不意に、俺に頭を下げた。銀色の髪が舞い上がり、さらりと流れる。


「お兄ちゃん、助けに来てくれてありがとう。すごく嬉しかった」

「英愛……覚えてるのか? 何があったのか」


 忘れているのなら、その方がいいのかもしれないと思った。あの牛頭の悪魔の領界に囚われたこと、精気を吸われたこと。その恐怖を知ったままで、これからを過ごしていくのは酷なことだ。


 しかし悪魔でなくても、他の魔物と遭遇する可能性は否めない。悪魔がいつ現出するか分からない世界でも、妹に安心して日々を送ってもらいたい――そのために、俺に何ができるのか。


「……他の子はみんな忘れちゃってたけど、私は分かってる。お兄ちゃんが、捕まってた私達を助けてくれたこと」

「俺のことを、変だと思ったりしないのか。その……」

「お兄ちゃん、冒険科に入るくらいだから、スキルの使い方は上手だったんだよ。でも、こんなに強いなんて思ってなかった。お兄ちゃん、ヒーローみたいだった」

「ヒーロー……そんな大それたものじゃない。まず制服のヒーローなんていないだろ」

「あはは。お兄ちゃんがその第一号でいいんじゃない?」

「そもそも俺には、ヒーロー願望とかは……」


 『アストラルボーダー』の最終ボスを倒すと、そう言っていた俺たちのパーティに、皮肉のように向けられた言葉――『ヒーローになりたいのか』。


 俺たちは、ただログアウトしたかっただけだ。あの世界から出たい一心で、魔神を倒すことが世界を救うことだなんて考えもしなかった。


 ログアウトするという目的を、予期せぬ形でも果たしてしまった今、俺は何のために戦っているのか。


「じゃあ、お兄ちゃんは私にとってのヒーローだよ。あ、私だけじゃないか。雪理さんと黒栖さんもいるから」


 オークロードから助けたあの女の子も、俺のことを『ヒーローみたい』と言っていた。


 いい格好がしたいわけじゃない。俺がそうしたいから、誰かを助ける。今のところは、それで戦う理由は十分だと思える。


 ソウマたちに恥ずかしくないように。ミアとイオリが、今の俺を見て笑ってくれるように、この現実リアルを生きる。


 ログアウトしたら魔物が出る世界になっているなんて、つくづくゲームでも現実でも、俺はクソゲーに縁があるようだ。そのクソゲーに否応なく参加させられている人たちを、俺にできる範囲で助けたいと思う。


「……お兄ちゃんがあんなに強いと、遠くに行っちゃわないかって心配になったりもするけど。行かないよね?」

「ああ、行かないよ」


 俺の答えを聞いて、英愛の表情から不安が消える。


 悪魔と戦ったことよりも、俺が遠くに行くかもしれないと心配していたのなら――妹が独り立ちするまで、離れずにいられればと思う。


 ◆◇◆


「ふぅ……」


 帰ってまずやったことは、風呂の準備をすることだった。英愛に先に入るように勧めたが、俺が先でいいというので、今は浴槽に浸かって一息ついている。


 あれだけのことがあっても、英愛は気丈に振る舞っている。彼女に対して危険が及ばないように、あるいは危険が近づいても自衛する手段はないかと考える――魔石を使って作った魔道具を渡すとか、風峰中学校に転移できるようにするなど、幾つか方法は考えられる。


 俺が到着するのがもう少し遅れていたら。それを考えると、用心は重ねるに越したことはない。これから特異領域ゾーンに入って得たものは、英愛や周囲の人物の自衛手段を強化するためにも使っていきたい。


「お兄ちゃん、もうお風呂に浸かってる?」

「ああ、どうした?」

「う、うん。その……何ていうか……」


 浴室の扉は磨りガラスになっていて、英愛の様子は見えないが、何か言いたげにしているのはわかる。


「……私も入っていい?」

「っ……い、いや、それは……」

「ご、ごめんなさい。やっぱり駄目だよね、子供じゃないんだから、一人で入らないと」

「……英愛」


 やはり、今でも英愛は不安なままなのだろう。世間体を気にするよりは、今日は英愛がしたいようにさせたい。


「分かった、俺は後ろを向いてるからな。見せないように入るのは結構難易度高いけど、大丈夫か?」

「っ……う、うん、私は大丈夫。お兄ちゃん、ありがとう……っ」


 断られると思っていたのだろう、英愛の声がはしゃいだものに変わる。俺は湯船の中で、英愛が入ってきても背中を向けた形になるように場所を変える。


 カチャ、と音を立てて扉が開く。そして俺は今さら気がつく――俺が背を向けても、横にある鏡に映ってしまっていることに。


「お兄ちゃんがのぼせないように、急いで入るね」

「色々時間はかかると思うし、急がなくてもいいぞ」

「……お兄ちゃんの背中も流してあげたかったんだけど、男の人って洗うの早いんだね」


 俺が不自然な態勢でいることに突っ込まないのは、妹の優しさか――家族でもこの歳ではまず一緒に入らないよなと思いつつ、俺は体温上昇の状態異常をスキルで解除し、たまに妹から振られる会話に答えつつ、遅く流れすぎる時間を乗り切ろうと努めた。

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