第四十八話 帰還

 朱鷺崎市でも有数の規模を誇る総合病院、倉屋敷病院――雪理の親族が経営しているというその病院にウィステリアは入院することになった。坂下さんと唐沢は戦闘中の負傷のために病院で治療を受け、俺は雪理と一緒に車で学園に向かった。


「このあたりでも現出が起きたのね……」


 雪理は後部座席の車窓から街を眺めながら、被害の大きさを憂いている。街路樹が燃えた痕跡があったり、地面に亀裂が入っていたり――すでに修復は始まっているようだが、これほど広い範囲の被害だと、街が元の姿に戻るにはしばらくかかるだろう。


 討伐隊の姿も目にするが、やはり負傷者が出ているようだ。民間人の被害があったのかは分からないが、救急車、消防車とも何度かすれ違った。


「……魔物の現出は、災害と同じくらいの被害をもたらす。こんなことが日常的に、日本中で起きてるのか?」

「これほどの規模のものは、そうそう起こらないわ。一年くらい前に一度あったけれど、その時は朱鷺崎市だけでなく、県本営から精鋭が派遣されて、被害を抑えることができた。あれから朱鷺崎駐屯基地の戦力は、増強されている」

「それでも人が足りないっていうのか……」

「今回、市内で確認された現出門は8箇所ある。玲人は風峰中学校にいると言っていたけれど、そこにも討伐隊は派遣されていたはずよ」

「……途中で、飛竜……ランスワイバーンって魔物と戦った。現出門に向かう途中で、討伐隊が足止めされることもあるんだろうな。一部は到着していたけど、現出門に戦力を集約したみたいで、学校内には手が回ってなかった」

「魔物は主要個体を討伐されないように、連携して行動することもあるの。あの悪魔のように、策略を使う魔物もいる……配下に討伐隊を妨害するように命じることも考えられるわ」


 話しているうちに、風峰学園高等部に続くなだらかな長い坂が見えてくる。警報が出ていた通りに戦闘の痕跡はあるが、それほど被害は大きくないようだ。


 討伐隊のものだろう車両が交通規制を敷いていて、俺たちの乗った車も止められる。しかし学園の関係者と分かると通してもらえた。


「あれは……討伐科の生徒も、防衛に参加してたのか」

「一部の生徒は、あなたと同じように討伐参加資格を持っているわ。強制はされないけれど、警報発令時には戦闘に参加することができる。討伐隊の指揮下には置かれるけれど」

「学生でいながら、一時的に軍属になる……ってことなのかな」

「そうなるわね。学生でも討伐記録は残っているから、表彰されたりすることもあるわ……玲人は間違いなくそうなるでしょうね」

「今回のことを討伐隊が知ったら、悪魔に憑かれてた彼女……ウィステリアはどうなるだろうな。俺としては、危険がないと確認できたら、元の生活に戻してあげてほしいんだけど」


 懸念していたことを口にすると、雪理は俺を見つめてくる。そんな場合じゃないと知りながら、それでも照れてしまうような優しい表情で。


「あなたもそう言うと思ったから、私の家の病院に連れていったの。悪魔に憑依されていたなんて討伐隊が知ったら、研究機関に送られてしまうかもしれないし」

「っ……そういうのもあるのか……」

「私たちは魔物に突如として侵攻されるばかりで、敵の情報を得られていない。この国だけでなく、世界を挙げて魔物の情報が求められているの。現出門についても仮説は幾つも出ているけれど、どれも核心に至っていないわ」

「……そうだよな。わけも分からずに、攻められ続けるわけには……」


 そう言いかけたところで、何気なく座席の上に置いていた右手に、手を添えられる。


 それができるのは、隣に座っている雪理だけ――車のルームミラーで映ってしまわないかとか、そんな小さなことを気にする俺に構わず、雪理が俺の右手を握る。


 その手の感触は柔らかく、温かかった。心なしかしっとりとしているのは、雪理が緊張していることの表れだろうか。


「あなたがいなかったら、私たちの班は無事ではいられなかった。遠い場所にいたのに、駆けつけてくれてありがとう」

「……雪理とバディを組んでなかったら、俺はあのビルに向かえなかった。雪理があの時待っててくれたから、助けに行くことができたんだ」


 オークロードと戦った時に、通りがかって助けに入っただけ。雪理との接点は、それで終わる可能性もあった。


 そうならなかったから、今こうしている。それは全て、雪理がきっかけをくれたからだ。


「それなら私は……あの時、放課後に玲人を待っていて良かったのね」

「ああ、そう思うよ。それに、雪理は俺が来るまで持ちこたえてたし……最後の決め手を使うときにも、力を貸してくれた」

「……私たち、バディとして……その、相性がいいと思う?」

「えっ……ま、まあそれはその……いいんじゃないかと……」

「……それは、どっちなの? はっきり言って」


 手を握ったままでいることも意識してないのか、それともそれで大胆になっているのか、雪理は俺を逃さないというように見てくる――顔が真っ赤なことに、自分で気づいてはいないのだろうか。


「……コホン。お嬢様、構内の駐車場に到着いたしました」

「っ……あ、ありがとう。ここで待っていてくれる?」

「かしこまりました」


 自動でドアが開き、車を降りる。見送りのために降りてきた運転手さんは、少し影のある印象を受ける長身の女性だった。


 雪理が先に行ったあと、俺も運転手さんに会釈をしてその後に続こうとする。


「……お嬢様のこと、これからもよろしくお願いいたします」

「はい、こちらこそ……すみません、申し遅れましたが、俺は神崎と言います」

「お嬢様と坂下から聞いております。私は角南すなみと申します」

「角南さんですね。今日はお世話になりました」


 角南さんはスーツのポケットから名刺を出すと、俺に一枚渡してくれる。角南しずか、肩書きは折倉家付運転手となっている。


「では……そろそろ、お嬢様もお待ちですので。行ってらっしゃいませ」

「は、はい、行ってきます」


 俺は敬われる立場でもなんでもないので、年上の女性に敬語を使われると恐縮してしまう。少し先に行って俺を待っていた雪理は、そんな俺を見て笑っていた。


「そんなに緊張しなくていいのに。戦っている時はあんなに勇ましいのにね」

「いや……何というか、年上の女性には弱いというか。普段接することが少ないし」

「あなたは謙虚すぎるだけよ。その力に見合うように、もう少し堂々としてもいいと思うわ」

「確かに、それは雪理の言う通りかもしれない。善処するよ」


 何気ない会話だが、雪理はまだ何か言いたいというように俺を見ている――無言よりはいいと思うが、緊急警報があった後だというのに、緊張感が足りないと思われたりはしないだろうか。


「玲人さんっ」


 不意に名前を呼ばれる。校舎の昇降口のあたりにいたのは、黒栖さん――彼女はこちらに走ってきて、目を涙で潤ませながら、俺に飛びついてくる。


「っ……く、黒栖さん。俺も、雪理も無事だよ」

「良かった……本当に良かったです。玲人さんに連絡しようとして、でもコネクターが繋がらなくて……」

「ごめん、心配かけて。学園にも警報が出てたけど、黒栖さんたちも無事で良かった」

「討伐科の上級生の人たちと、討伐隊の人たちで、魔物が入ってこないように防いでくれたんです。私たちは教室に待機していて……もう少し警報が長く続いたら、シェルターに移動するところでした」

「そうだったのか。俺は……学園の外に出てたっていうのは、もう皆にばれてるかな」

「は、はい。でも、武蔵野先生が点呼を取っているときに、灰島先生が来て、神崎君のことは心配ないと言ってくれたんです。それから灰島先生も、学園近くに来ている魔物を退治に出ていかれました」


 灰島先生は俺のことを認めてくれていたし、配慮してくれたということか――後でお礼を言わないといけない。担任の武蔵野先生にも説明は必要だろう。


「……玲人、これから大変になるわね。私も説明に付き合いましょうか?」

「あっ……お、折倉さん、すみません、私ばかり玲人さんと……」

「いいのよ、彼を見て安心したということなら、それは私も同じだもの」


 黒栖さんは俺からパッと離れるが、密着という距離でもないのに普通に胸が当たるというのは、発育の暴力と言うほかない。


(……雪理と黒栖さんの間に微妙な空気が……お、俺のせいか……?)


「玲人さん、教室のみんなに会いに行きますか?」

「ああ、まあ顔見せ程度に……雪理はどうする?」

「私もせっかく来たのだから、同行させてもらうわね。背景のようなものだと思って気にしないで」

「い、いえ、折倉さんは有名人ですから、とてもそんなわけには……っ」


 黒栖さんと雪理が先に昇降口に入っていく――二人とも仲が悪いわけではないようで、ほっと胸を撫で下ろす。


「――そこの君。少しいいか」


 後ろから声をかけられる。硬質な、聞いただけで背筋を正したくなるような女性の声。


 振り返ると、そこには灰島先生と、討伐隊の装備を身につけた女性の姿があった。

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