第四十七話 反魔法

 相手より速度が高ければ、こちらに行動のチャンスがそれだけ多く、体感時間としては長く与えられることになる。


 ウィステリアに憑依した悪魔を追い出すために、一度魔力を枯渇させる――俺が覚えている呪紋を応用することで、それが実現する。


《神崎玲人が特殊魔法スキル『リバーサル・ルーン』を発動》


《神崎玲人が強化魔法スキル『チャージ・ルーン』を発動》


 本来なら、『仲間に魔力を分け与える』という呪紋。これを『リバーサル・ルーン』の効果で逆位置に変えると、どうなるか――効果が反転し、『相手の魔力を分けてもらう』というものになる。


 俺の魔力はここまでの戦闘で消耗していて、あえて回復しないままにしておいた。チャージルーンの回復量は最大量の10分の1なので、最大で3600ということになる。


 ウィステリアの背中に描いた呪紋が光を放ち、魔力の吸収が始まる。


『こんなっ……ところでっ……!!』


 悲鳴じみた悪魔の声――ウィステリアに憑依しているからではなく、憑依している悪魔自身もまた、女であることが分かる声だった。


「人の魂が欲しいなら、同等の覚悟をするんだな」

『――あぁぁぁぁぁっ……!!』


《ウィステリアの魔力減少 魔力枯渇により昏倒》


《神崎玲人の魔力が完全に回復》


『――このままでは……っ、身体……力ある身体に……っ!!』


 ウィステリアの身体を離れた悪魔は、折倉さんを狙おうとする――しかし。


「あなたにはあげられない。私は、私自身のものだから」


《折倉雪理が固有スキル『アイスオンアイズ』を発動》


 アイスオンアイズは精神に直接干渉し、その動きを遅滞させる。


 実体を持たない悪魔にも、効果は発揮される――ウィステリアの身体という盾があるうちは、中にいる悪魔に対する効果は薄かっただろうが、今は違う。


 俺にも降りしきる雪が見えている。実際には存在しない幻の雪の中で、悪魔は氷像となって凍りついている。


「神聖属性のスキルで浄化するか、封印するか……折倉さん、どうする?」

「……倒してしまった方がいいのでしょうけど。それではこの悪魔の目的も、ウィステリアさんに憑依していた理由も分からずじまいになるわ」

「分かった。それなら……媒介となる魔石を使って、封印する。坂下さん、唐沢君もそれでいいかな」

「は、はい……しかし封印は、討伐隊の中でも任せられる人が限られているはずです」

「まあ、見ててくれたらいい」


《神崎玲人が特殊魔法スキル『スフィアライズ・サークル』を発動》


 俺が呪紋を使っても、もはや悪魔は何の反応も示さない。動かない悪魔の足元に生じた円形の呪紋が光り輝き、悪魔はオーラでできた球体に閉じ込められ、圧縮される。


「こいつを……今のところはこれでいいか」


 ロックゴーレムを倒したときに拾った『錬魔石』。手の平に乗る大きさの、石英の結晶のようなもの――これは、精神体の魔物を封印する媒介として使うことができる。


《神崎玲人が特殊スキル『呪紋付与』を発動 素材 錬魔石》


《『名称不明のデーモン』の呪紋球を錬魔石に付与》


《『名称不明のデーモン』の封魔石を1個生成》


 久しぶりだが、上手くいった――装備品のクラフト素材として『悪魔素材』というものがあったのだが、それを作るのがパーティでは俺の仕事だった。


 魔神を倒すのに悪魔素材を使うなんて、と聖女のミアは拒否反応を示していたものだが、

そんな彼女でも装備できるようにする工夫がもう一段階ある。だが、そこまでの工程は俺一人で完結できない。


 現状持っている錬魔石では永久に封印できるわけではないので、もう少し寿命の長い魔石を調達したいところだ――そう考えたところで、上空の黒い渦が消えて、太陽の光が差し込んできた。


《主要個体を討伐完了 特異領域が消失》


《【無名の悪魔(伯爵級)】 暫定ランクB 討伐者:神崎玲人、折倉雪理、坂下揺子》


《討伐したメンバーがそれぞれEXPを取得、報酬が算定されました》


 EXPの数値が即時算定されないのはなぜだろう――戦闘においてどんな役割を果たしたかで、与えられる数値が変わることもあるのだろうか。


 唐沢君が正気に戻ったのは悪魔を倒したあとだからか、EXPの取得が行われなかった。しかし、彼が倒した魔物の分については算定されているだろう。


「……すごい……玲人、悪魔を魔石に封じ込めたの?」

「ああ、これ自体は俺以外の職業でも、できる人はいると思うよ。悪魔素材っていうやつで、この錬魔石が装備の素材に……なるのかな?」


 何もかも《アストラルボーダー》と共通しているというのはまだ疑いがあるが、坂下さんは俺の問いかけに頷いてみせる。


「そういった装備品があることは聞いたことがあります。しかし、私たち学生が手にできるものでは……」


 坂下さんは普通に話しているが――ふと彼女を正面から見て、思わず視線を空に逃がす。


「神崎様、空にまだ……もしや、まだ魔物が……っ」

「い、いや……折倉さん、ちょっとお願いできるかな。坂下さんが……」

「ええ……さ、坂下。服が破れてしまっているわ、そんな格好で玲人の前に出たら……」

「っ……も、申し訳ありませんお嬢様、お見苦しいものを神崎様にお見せしてしまいっ……そちらで繕ってきても良いでしょうか」

「私の上着を羽織りなさい……玲人、こっちを見ても大丈夫よ」

「あ、ああ。次は、昏倒した彼女の魔力を回復させる」

「……さっきみたいに、手で触るの?」


 雪理のいるところからではよく見えなかったはずなのだが――『アイスオンアイズ』を使っているときの視野だと、もしかすると見えてしまうのだろうか。


「さっきも正確には触ってないよ。俺の指の先にオーラが見えるだろ?これで紋様を描いて魔法を発動させるんだ」

「……ち、違うわ。触ること自体はいいのよ、必要なことなら目くじらは立てないわ」


 かなり気にしてるように見えた――と、深追いすると怒られそうなので、ひとまず呪紋を発動させる。


《神崎玲人が強化魔法スキル『チャージルーン』を発動》


 ウィステリアから吸い取った魔力をそのまま返す――すると、彼女の頬に赤みが戻り、身体の表面を薄くオーラが覆った。この状態なら魔力は十分に足りている。


《ウィステリアの魔力が回復 バイタル正常化しました》


「これで良し……雪理、彼女を見ててくれるかな」

「ええ……ちゃんと見てる。彼をお願いね、玲人」


 雪理が言っているのは、唐沢君のことだ。『バインドサークル』はもう解除されていて、彼は仰向けに倒れたままでいる。


 近づくと、唐沢君は空中に手を伸ばして、何かを掴むような仕草をする。


「……大丈夫か?」


 しばらく彼は、俺の問いに答えなかった。腕を下ろし、眼を閉じて、そのまま動かない。


「……悪い夢を見ていたんだとは、分かっている。しかし、夢から覚めて欲しくなかったと思う気持ちが、消えない」


 悪魔に魅惑された人は、心を囚われている間に満たされていると感じて、それが失われたときに喪失感を覚えることがある。


 ――夢の中で、私は現実に戻って、家族と一緒にいたの。


 ――でも、それがどれだけ幸せでも、夢は夢だから。


 ――このゲームの中でどれだけ満たされても、私は進むことをやめない。


 いくら満たされていても、それがまやかしなら否定するべきなのか。


 イオリは夢に甘えることを否定していた。あくまでも現実に向き合うべきだと。


 その話を聞いていなかったら、心が折れかけている相手に何を言うべきか、答えが見つからなかっただろう――だが、今は。


「俺や雪理を攻撃したことを覚えてるなら……少なくとも俺は気にしない。雪理たちだって、そうだと思うよ」

「……それを間違っていないと思うのは、僕が操られていたからなのか。そうだとしても、討伐科に籍を置く資格も、雪理様の従者でいることも……」

「できないかどうかは、一人で決めることじゃない。二人は、責めるつもりはないと思うよ」


 唐沢君が目を開ける。そして、傍らに立っている俺を見た。


 『ヒールルーン』を発動させ、彼の傷を回復させる。すると唐沢君は身体を起こし、眼鏡を外して、手入れ用の布で拭いた。


「……問答無用と、殴られるくらいは覚悟していた。しかし、僕が敵に回ったところで、神崎君にとってはなんでもなかったんだな」


 理知的で落ち着いた振る舞いをしていても、やはり俺と同い年なのだから、そういったことを思うこともある――彼の素顔が垣間見えたような気がして、俺は笑った。


「何でもなくはない。唐沢君は侮れない力を持っているし、仲間を敵に回したくないと思ったよ」

「……仲間……今でも僕を、そう呼んでくれるのか?」


 ゲームで例えるならば、ステータス異常になった仲間に攻撃されたというだけで、パーティから外したりなんてことはありえない。


「……そんな心配をしていたの? 唐沢」

「お嬢様……」


 ウィステリアの容態が落ち着いたと見たのか、雪理がこちらにやってくる。そして、俺の隣に来て屈み込んだ。


「私たちはまだ自分たちが未熟だと思い知った。高等部に入ったばかりといっても、言い訳をしてはいられないわ。次に備えて、気持ちを切り替えましょう」

「……はい。申し訳ありませんでしたっ!」


 唐沢君が勢いよく礼をする。彼は落ちかけた眼鏡を直しながら、決まりが悪そうにしつつも表情を和らげた。


「……神崎君、一ついいだろうか」

「っ……唐沢、玲人に何を言うつもり?」

「いや、大丈夫だよ。何か気になることが?」

「こんなときにと思うかもしれないが。僕のことは、呼び捨てにしてもらって構わない。君のような、強者というのか……そういう人に敬称をつけられるのは、落ち着かない」

「じゃあ……唐沢、でいいのかな。俺に対しても敬称は無しでいいよ」

「それでは僕が落ち着かないが……いや、君がそう言ってくれるならそうしよう。ありがとう、神崎」


 唐沢が右手を出してくる――握手をすると、その様子をなぜか雪理がじっと見ていた。


「……下の名前ではないのね。そういうことなら、いいでしょう」

「お嬢様……?」

「何でもないわ。玲人、まだ警報は続いているけれど、一度彼女を……」


 そう雪理が言いかけたとき――屋上から見えていた、かなり離れた場所にあった黒い渦が消滅する。


朱鷺崎ときさき市に発令された緊急警報は、本時刻を以て終了しました』


 街にサイレンが鳴り響き、アナウンスが流れる。


 戦っている間は気が付かなかったが、すでに日が沈み始める時間だった。辺りは夕焼けの色に染まり、街の信号が点滅をやめて通常状態に戻る。


「……神崎様、救援に来ていただき、本当にありがとうございました」

「いや、困った時はお互い様です」


 坂下さんが雪理のジャケットを着て出てきたので、握手を交わす。


「……あっ。私は、別に……」


 じっと見ていた雪理がぱっと目を逸らすが、俺は何も言わず、手を差し出す。こういう時に、言葉はさほど必要がない。すると、雪理はそろそろとこちらを向いて、握手を返してくれた。


「……私も、ありがとう。まだ、彼女をお医者様に診てもらわないといけないけれど」

「そうだな……色々知りたいことが山程あるけど、まずは病院に行ってからか」


 雪理は頷き、スマートフォンで自家用車を呼び出す。彼女の話からすると、折倉家の経営している病院に向かうことになりそうだった。

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