第四十一話 奪還
座したままの悪魔が、蛇の尾を分裂させる――そして、一本一本のタイミングをずらしながらこちらに向けて射出してくる。
《名称不明のデーモンが攻撃スキル『吸精の魔蛇』を発動》
《神崎玲人が攻撃魔法スキル『Sウィンドルーン』を発動》
一発一発を見切り、軌道を交差させて撃ち落とす――高速詠唱のスキルレベルが1でも、レベル5の魔法までなら問題なく連射が効く。
全て防ぎ切ったあとで、標的を悪魔本体に変える――『セイクリッドレター』を基軸にした複合呪紋で一気に倒し切る。
《名称不明のデーモンが攻撃スキル『獣魔の掌握』を発動》
理屈のない、ここに立っているのは危険だという感覚。それに従って飛び退いた瞬間、俺がいた場所の足元から、巨大な毛むくじゃらの黒い腕が飛び出してくる。
「くっ……!」
牛のような顔をした悪魔が笑う――回避した先にも次々に、地面から黒い腕が飛び出し、俺を握り潰そうとする。
奴は座したまま動かない。このままでも俺を倒せると言わんばかりだが――。
「そんな手品で、俺を殺せるのか?」
答えが返ってくることはない。悪魔は確実に俺を殺そうと、黒い腕――召喚した獣魔の腕を二本同時に呼び出し、俺を挟み込もうとする。
悪魔が腕を打ち合わせる――捕らえた俺を捻り潰そうと、手のひらを擦り合わせる。
だが、俺にはその光景が
《神崎玲人が特殊魔法スキル『イミテーションシェイプ』を発動》
俺の身体
「――ガァァッ!!」
悪魔が動いた――牙だらけの口を開き、魔法を使うためにしか動かさなかった手で、接近した俺の打撃を止める。
「――グォォォォッ……!!」
呪紋で強化したロッドが、悪魔の腕を砕く――しかし、途中で手応えが消える。
《名称不明のデーモンが特殊スキル『実体化解除』を発動》
悪魔は実体化を解き、離れた場所で肉体を再構成することで腕を再生する――再生するたびに
それが精気――人間の生きる活力。奴はそれを何人分も蓄え、自分の再生に使っていた。
「グッグッ……グガガッ……!」
悪魔が笑う――どうやって傷を癒やしたのか分かるか、とでも言うように。
そしてもう一度、悪魔は座ったままの姿勢で両手を広げる。
《名称不明のデーモンが儀式魔法スキル『デモニックピラー』発動態勢に移行》
悪魔が使う儀式魔法――その準備のために呼び出される『罪の柱』が、地面から引き出されてデーモンの周囲五点に出現する。
全ての悪魔は、その存在に紐付けられた罪を持つ。奴が持つ罪は色欲、強欲の類だろう。
蓄えた五人分の精気の残った全てを、奴は五柱に注ぎ込もうとしている。儀式魔法が完成すれば、何が起きるのか。
――その悪魔と同種の罪をわずかでも持つ存在は、悪魔を傷つけることができなくなる。異性に惹かれる、何かを欲しがる、そんな感情さえも罪となるため、逃れられる人間はそうはいない。
「グガガガガァッ……!!」
勝利を確信したように悪魔は笑う。無敵状態を成立させられる、そう思ったからこそだろう――しかし。
「――遅延発動って、知ってるか?」
「……ガッ……」
笑い声が、止まる。奴は今更気づいた――俺が奴に接近したあの瞬間に、ただロッドを叩き込んだわけではないことに。
《神崎玲人が特殊魔法スキル『スティールサークル』を発動 遠隔遅延発動》
スティール――盗むという意味から、初めはアイテムを盗む類の呪紋だと思った。
しかしその効果は『相手がスキルに使用するコスト』を横取りするというものだ。
この場合『デモニックピラー』を発動させるために必要とされたコストは――人間から吸い取った精気。
「
「グガッ……ガァァッ……!!」
取り返した精気が、俺の手の甲に生じた呪紋に吸収される。あとはこれを皆に返すだけだ――この悪魔を倒した後で。
「――グォォォァァァァッ!!」
必勝への道筋を絶たれた悪魔が立ち上がり、俺に掴みかかろうとする――その速度は巨体に見合わぬほどに速く、鋭い角を衝角として体当たりをされればただでは済まない。
だがそれは、俺に近づくことができればの話だ。
《神崎玲人が弱体魔法スキル『Dレジストルーン』を発動》
《神崎玲人が弱体魔法スキル『スロウルーン』を発動》
相手の魔法抵抗を下げる『
今までの魔物とはステータスが比較にならないほど高いためか、止まることはなく、俺に腕を伸ばしてくる――しかし、もはや回避するまでもない。
英愛たちの精気は返してもらった。後はこの戦いを終わらせるだけだ。
「――地獄に還れ、悪魔」
《神崎玲人が固有スキル『呪紋創生』を発動 要素魔法の選定開始》
《攻撃魔法スキル レベル10 『セイクリッドレター』》
《攻撃魔法スキル レベル10 『インフェルノグラム』》
《攻撃魔法スキル レベル10 『デルタストライク』》
神聖な力を宿した文字が、かざした手の先に展開された魔法陣に組み込まれ――二属性を乗せた三角の呪紋が撃ち出される。
「ゴォッ……オォ……ァァァッ……!!」
放たれた魔法は牛の悪魔が展開した魔法防壁を一瞬で削り切ると、その上半身を消し飛ばした。
それどころか――牛の悪魔の後方にあった大木まで巻き込んでしまい、空に突き抜けた魔法はさらに爆散して、雲を吹き飛ばし、太陽のように煌々と光を放つ――『インフェルノ』というだけあって、恐ろしい火力だ。
《主要個体を討伐完了 特異領域が消失》
《【無名の悪魔】 暫定ランクB 討伐者:神崎玲人》
《暫定ランクBのユニーク個体討伐実績を取得しました》
《神崎玲人様が100000EXPを取得、報酬が算定されました》
いきなり経験値の桁が跳ね上がった――報酬の金額も相当なものになるのだろうか。
それよりも、精気を奪われた英愛たちに返さなくてはいけない。生命探知で調べてみると、裏庭にいた人たちは校舎の中に避難していた――内側からシャッターを開けてもらうことができたようだ。
悪魔が消滅したあとに色々と落ちているが、とりあえず今は回収だけして、英愛たちのいる場所に急いだ。
◆◇◆
医務室に運び込まれていた生徒たちに、精気を返していく。精気を吸収した呪紋を近づけるだけで、元の持ち主に戻すことができた。
気を失ってベッドに寝かされていた英愛の表情が穏やかになる。俺は胸を撫で下ろす――しかし、あの悪夢のような経験を忘れることができたらどれだけいいか。
稲穂と紗鳥は容態が重かったが、それも精気の枯渇によるものだった。『リザレクトルーン』で身体の傷は残っていないが、心のケアは必要になる。
「良かった……みんな、顔色が良くなって……本当にありがとうございます……!」
医務室にいた先生は他の負傷者の手当てに追われていたが、その中でも牛の悪魔に襲われて昏睡している生徒の状態を重く見ており、彼女たちが快方に向かう兆しが見えると涙を流していた。
「あの黒い渦が、消えてる……先生、俺達助かったのかな……?」
「ええ、討伐隊の人たちが来てくれているから、安全の確認が終わるまで待ちましょう」
その会話を聞いて、違和感を覚える――しかし、それも《AB》と共通する部分だった。
悪魔と遭遇した記憶は、討伐した者にしか残らない。
戦闘があったことは俺のブレイサーに記録されているが、領界に囚われていた生徒たちは悪魔のことを覚えていなかった。
だが、忘れられるなら忘れてしまった方がいい。あんなものがいつ出てくるか分からないと思いながら暮せば、恐怖が日々に影を落とすことになる。
街中で特異現出が起きるなんてことは、そうはないはずだ――そう思いたい。そうでなければ、この世界は戦う力を持たない人にとってあまりに過酷すぎる。
「……先生、妹を頼みます」
「あなたはどうするの? ここで妹さんが目覚めるまで、待っていたほうが……」
「行かなければいけないところがあります。心配をかけてすみません」
「……何か事情があるのね。分かりました、妹さんが起きたら、何か伝えることはある?」
「後で迎えに来る、俺は大丈夫だと、そう伝えてください」
校舎の外に出て、魔物が侵入したというグラウンド方面を確認する――討伐隊が破られた結界を張り直しているところが見える。
《一部の区域で警戒レベルが下げられ、新たな警戒区域が指定されました》
「……っ!」
また、どこかで『特異現出』が起きやすい状態になっている――あの黒い渦が発生している。
あって欲しくはない、そう願いながら、警報の続きに耳を傾ける。
《現在の警戒指定区域は東一区、風峰学園高等部周辺――》
「っ……!!」
黒栖さんは学校にいる――そして、他の先生や生徒たちも。
そして外に実習に出ていた折倉さんも、警報が出た区域が近くにあれば急行しているはずだ。
一つずつ対処するしかない、そう考えたとき、ブレイサーから呼び出しが入った。
《折倉雪理様からの着信です。接続しますか?》
「ああ、頼む……!」
イズミが了承し、リンクが繋がる。聞こえてきたのは、折倉さんのものらしい息遣いだった。
『玲人、今どこにいるの……っ!?』
「俺は風峰中学校にいる、こっちの警報は解除された。折倉さんは?」
『私達は……っ、町の中に出現した、魔物を……揺子っ!』
「っ……折倉さん、今いる場所は……っ」
『……学園……南……』
《回線不安定により、接続が解除されました》
通話が途切れ、無音に変わる――しかし手がかりだけは伝わった。風峰学園の南方面、そこに折倉さんはいる。
折倉さんのいる場所を経由して、風峰学園に向かう。前方の信号はすべて点滅している――俺は道路に出て、遮るもののない道路を全速で駆け抜けた。
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