第四十話 勇者と賢者

《――以上が、神崎玲人様の記憶から読み取り、再構成した能力値となります》


 アズラースを倒す前と違っていること――まず、職業が変化している。『呪紋師』のときは習得していなかった固有スキル『呪紋創生』を覚えているのは、『創紋師』に職業が変化したことによるものだろう。


 能力値は少しだけ上昇している。レベルが上がることでボーナスポイントを得られ、それを個々の数値に割り振るのが《AB》の成長システムだったが、今は戦って経験を積むだけで自然に成長できるようだ。算定されたEXPは別のことに使うのかもしれない。


 そしてレベル限界キャップの100まで到達していたはずなのに、30も上昇している。『レベル限界+30』の固有スキルで限界レベルが上がっているのは分かるが、表示されている限界値は『230』――100がどこから上積みされたのか分からない。


(クリアしたことによる報酬……あるいは、アズラースを倒したことによるものだとしたら。『固有スキル』に分類されている『魔神討伐者』……この効果なのか?)


《『魔神討伐者』『呪紋創生』については、未登録のスキルになります。こちらについては、玲人様の記憶から名称を読み取り、そのまま簡易登録させていただきました。他の方のコネクターでは、両者ともに未登録と申告されます》


 聞きたいことは山程ある。ブレイサーのAIであるイズミが、なぜそんな機能を持っているのか――俺の記憶情報を得られるなら、俺が『この現実』で目覚める時に何が起きたのか、それも分かるかもしれない。


 だが、全ては後だ。領界の外殻に映し出された光景の中で、紗鳥が精気を吸われて倒れ、英愛が自ら他の生徒を助けるために前に出ようとしている。


 ――自分を犠牲にして誰かを助けるなんて、ただの偽善だろ。


 かつての自分の言葉。ソウマが負傷を厭わずに、魔物に襲われていたプレイヤーを助けた時に、俺が確かに言ったこと。


 今思い出しても、ソウマに対して詫びる気持ちしか起こらない。


 ――偽善だとしても、それが悪いことだとは僕は思わないよ。


 ――レイト、君はドライでクールかもしれないけど、悪い人じゃない。

 

 ――僕は前ばかり見てしまうから、周りを見られる人に見ていてもらいたいんだ。


 俺の言葉を咎めるわけでもなく、ソウマは俺と組みたいと言ってくれた。


 周りを見られるなんてことはない、生き残るために臆病になっていただけだ。


 そんな自分が、幾らも変わったとは思わない。一度死んだくらいで性格は変わらないし、どこまで行っても俺は俺のままだ。


『……ごめんね、お兄ちゃん』


 囁くような声。黒い悪魔の蛇のような尾が、英愛を捕える。


『っ……うぅ……ぁ……っ!』


 辿り着いた先にあった高い壁を、超えることができずにいた。


 これで終わりにはさせない。英愛も、その友達も――誰も死なせない。


《神崎玲人の攻撃魔法スキルが限界覚醒 スキルレベル10に到達》


《神崎玲人の回復魔法スキルが限界覚醒 スキルレベル8に到達》


《神崎玲人の特殊魔法スキルが限界覚醒 スキルレベル10に到達》


 呪紋師は多岐に渡る魔法スキルを習得できるが、マスターレベルとされるレベル10に到達できるものは2種類しかない。強化と弱体、その2つだ。


 攻撃、回復、特殊――そのいずれも専門職にはかなわない。魔神との戦いで俺が支援を担ったのは、それぞれの専門職が別にいたからだ。


 ソウマ、ミア、イオリ。もう一度出会う日が来るまで、俺は一人でも、四人でいたときと同じことができなくてはいけない。


 同じくらいに強い仲間を探して頼れと、三人ならそう言うかもしれない。けれど今は、一人でも生き残ると頑なになっていた俺を思い出して、笑って欲しい。


 ――レイトの五種類の魔法が全部同じレベルだったら、勇者みたいになってたよね。


 ――勇者のイメージはソウマさんですから、レイトさんは賢者さんですね。


 ――僕は賢者のほうが好きだよ。魔法を極めた職業って、ロマンがあるよね。


(回復魔法は、レベル10にはできない……ミア。レベル8でも、行けるかな)


 限界だったスキルレベル7を超えて、攻撃魔法スキルは10になり――今まで使えなかった魔法の知識が、俺の中に刻まれる。


 回復魔法も、特殊魔法も。元の限界を3レベルも超えれば、それぞれ十種類以上使用できる魔法が増える――そして、その中からこの結界を破るために必要な答えを探す。


「おぉぉぉぉっ……!」


《神崎玲人が固有スキル『呪紋創生』を発動 要素魔法の選定開始》


《攻撃魔法スキル レベル10 『セイクリッドレター』》


《回復魔法スキル レベル8 『ブレッシングワード』》


《特殊魔法スキル レベル10 『デモリッシュグラム』》


 一度も使ったことのないスキルでも、取得時にその性能を理解する。『教養』がAランクに達したときから、それができるようになった。


 呪紋師は聖属性攻撃ができない。しかし創紋師は、その欠点を克服している。


 神聖文字を浮かび上がらせ、悪魔を払う力を持つ魔法『セイクリッドレター』。『ブレッシングワード』は、領界を構成する悪魔の呪いを浄化する。


 2つの『力持つ文字』が、俺の右腕、左腕を取り巻くように浮かび上がる。


 そして自らも結界を展開することで、相手の結界を相殺する『デモリッシュグラム』。足元から広がる結界は、領界とせめぎ合う――そこに2つの呪紋を重ねる。


「……邪魔するぞ……悪魔……っ!」


 右手と左手を同時に突き出す。2つの呪紋が混ざり合い、半球状の領界に刻まれ、広がり――魔力を注ぎ込まれて、その力を発現させる。


《神崎玲人が特殊結界を破壊》


 ガラスが割れるように、領界に亀裂が走る――それを両手で押し広げるようにして、中に踏み入る。


「……お兄……ちゃん……っ」


 灰色の外殻が、分解されて消え去っていく。英愛を捕らえていた悪魔の尾が、領界を破壊した余波を受けて浄化され、消滅する――解放された英愛を受け止め、悪魔から距離を取り、回復魔法を発動させる。


《神崎英愛の体力が減少 意識レベル低下 心拍低下》


《神崎玲人が回復魔法スキル『リザレクトルーン』を発動》


 レベル8の回復魔法となれば、回復量の大きいものを使えるようになる。しかし体力ともオーラとも違う精気を吸われてしまうと、吸った魔物を倒さなければ完全に回復させられない。


 続けて稲穂と紗鳥、他の負傷者にも回復魔法を使うが、意識が回復しない。悪魔を倒すまでは、まだ苦しみを取り除いてやれない。


「……私は……大丈夫……でも、みんなが……」

「ああ……分かってる。今は応急処置しかできないが、必ず助ける。動ける人はここから離れてくれ、あいつは俺が何とかする!」


 捕らえられていた十五人ほどの人たちが、この場を離れる。残った俺を、その悪魔――巨大な角を持つ牛鬼のような姿をしている――は、あぐらをかいて座ったままで見下ろしていた。


 領界を破られてもなお、笑っている。魔神の眷属たちはいつもそうだった。俺たちに精神的優位を与えないようにということか、動じるということがない。


 牛のような顔にあるまじき、牙だらけの口を開け、悪魔が笑う。一人残った人間など、恐れるに足らずというその表情。


 牛の悪魔が俺に再び何かを見せる――それは、領界の中で生徒たちに責め苦を与える、とても正視できないような光景。


 悪魔の尾が再生する――何本もある尾の先は目のない蛇のようで、口があり、おそらく毒を持つ牙がある。


 幾つかの尾が絡み合い、手のような形に変わる。これで英愛を捕らえていたのだと示すように。


 怒りは限界を超えれば変容する。殺意は心を歪め、正確さを失わせる。


 たとえ親しいものを傷つけられたときでも、乱れた心では報復を達することはできない。


「償いは要らない。始めようか」


 悪魔の眼が赤く輝く。オークロードと同等の巨体を持つ悪魔は、あぐらを組んで座したままで、地の底から響くような音を立てる――それは、魔法の詠唱だった。


《警告 遭遇した魔物が災害指定個体以上に相当すると認定されました》


《名称未登録 ランク未詳 神崎玲人が交戦開始》

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