第三十八話 領界

 西と東の2つの校舎、その間の中庭を抜けていく――植えてある木の上からコボルト数体が飛びかかってきたが、難なくレベル1の攻撃魔法で撃退する。


「――ギォォッ!!」

「ガッ……!」


 全身を毛皮で覆われた、犬と人間の中間のような鬼。亜人種と言われることもあるが、獣人と違ってコボルトには言葉が通じない――群れを作って襲ってくるだけだ。


「悪いな……向かって来てもらった方が、探す手間が省ける……!」


 コボルトが使う武器は刃がこぼれたなたのようなもの、石でできた棍棒などで、その一撃は一般人なら十分致命傷になりうる。


 『アストラルボーダー』においてもそれは同じで、防具が整うまでにはこのコボルトに重傷を負わされるプレイヤーもいた。一匹でも逃せば事故は起こりうる――それゆえの殲滅だ。


《バンデッドコボルト 13体 ランクG 討伐者 神崎玲人》


 走るスピードを緩めず、『フレイムルーン』だけでこの数を撃退した。イオリに『魔法職なのに連射はずるい』と言われたくらい、高ステータスの状態ではレベル1の呪紋なら連続して放つことができる。


「せ、先生っ、誰かが魔物を倒してくれてます……っ!」

「窓に近づかないで、魔物に狙われたら……あ、あれは、風峰学園の制服……?」

「俺たち、助かるんですよね……助けが来てくれたんですよねっ……!」


 生徒たちは校舎の高い階に立てこもっていて、三階の教室から見られていたようだ。


 本来なら、退路が無くなってしまう上階には行くべきではないが――一階の窓や中に入る経路がすべてシャッターで封鎖されているので、それで侵入を遅らせることができたのだろう。


 ――だが、それは魔物がコボルト系だけならばの話だ。


 前方には渡り廊下があり、そこを横切った向こう側が裏庭のはずだ。しかし、『生命探知』に反応のなかったはずの場所に、新たな魔物の姿が現れる。


「あ、あれ……っ、校門の外に出てきた魔物と同じ……トロールだ……!!」

「あ、あんなに大きい魔物が……嫌っ、お母さん助けてぇっ!」

「落ち着いて、みんな、大丈夫、大丈夫ですからっ……!」

「――ガァァァァァッ!!」


《ヒュージトロールが攻撃スキル『粉砕打』を発動》


 若い男性教師が、生徒たちを必死に宥めている。しかしトロールが咆哮しながら棍棒を振り下ろし、渡り廊下の屋根を砕くと、混乱はさらに悪化してしまう。


「だ、だめだ、あんなのがいたら……壁を壊して校舎に入ってくる……っ!」

「――ここじゃだめだ、外に逃げないと!」

「待ちなさい、外にはコボルトも、他にも魔物がいるかもしれない! ここで待機を……」

「先生は私達にここで死ねって言うんですか!」


 抑えるには限界が来ている、しかし今のトロールは、黒い渦から出てきたわけではなく、別の方法でこの場に現れた。


 出現したときに見えた痕跡――トロールの周囲に見えたオーラの光は、召喚系のスキルで転移してきたときに生じるものだ。


 Eランクの魔物であるヒュージトロールを召喚できるのは、さらに上位の魔物だけ。俺が裏庭から感じた力の主は、召喚能力を持つDランク以上の魔物ということになる。


「皆、外には出るな! いつどこでトロールが出てくるか分からない状況になった! 先生の指示をよく聞いて、そこにいるんだ!」

「そ、そんなこと言われても、このままじゃ……っ」

「――逃げてっ、トロールが来るっ!」


 トロールが俺に気づき、牙のはみ出した口から涎を垂らしながら猛然と突進してくる。しかし脳筋なだけの魔物なら、いくらでもやりようはある――本気を出すまでもない。


「ここから先は、通行禁止だ……!」


《神崎玲人が弱体魔法スキル『スロウルーン』を発動》


 ヒュージトロールの額に呪紋が現れ、行動速度が低下する――弱体魔法の効果は、相手の『精神』と『魔力』の値が低いと効果を増す。『筋力』が突出して高い脳筋の魔物は、これらのステータスが低い場合が多い。


 そして俺のステータスは弱体魔法を成功させ、最大の効果を出すために振られている。結果として、ヒュージトロールはピタリと停まったように動かなくなる――いや、極限まで低速化し、スローモーションのような状態になっている。


《神崎玲人が強化魔法スキル『ウェポンルーン』を発動》


 続けてロッドを魔力で強化する呪紋ルーンを使う。これは筋力にステータスを振らなくても、魔法系のステータスを攻撃力に反映させられるというものだ。


「すまないが……今の全力で殴るぞ」

「――!!」


 ヒュージトロールは表情を変えることすらも極低速スローになっていた。


 俺がロッドを振り抜くと、バァン、と弾けるような音がして――ヒュージトロールは食らった姿勢のまま後ろに飛んでいき、その途中で消滅した。


 『スロウルーン』はあくまで魔物の速度を下げるだけで、俺を受けて吹き飛ぶ速度などには影響しない。客観的に見れば摩訶不思議な光景だろう――だが、俺にとってはヒュージトロールも『序盤で苦戦したことのある雑魚敵』にすぎない。力の差が大きすぎる場合の戦闘はこんなものだ。


《ヒュージトロール ランクE 討伐者 神崎玲人》


「……す、すげえ……あの人、制服着てるけど、もしかして討伐隊……?」

「民間の討伐者バスターの人……?」

「外の魔物は必ず殲滅する! 安全になってから外に出てくれ!」


 生徒たちの騒ぎが静まる――これで、外に出ることはしないでいてくれるだろう。


 ヒュージトロールに破壊されてしまった渡り廊下の瓦礫の山を飛び越え、裏庭に向かおうとする――その矢先。


(……あれは……)


 それを見ただけで、戦慄が走った。俺にとって、二度と目にしたくないものの一つが、裏庭の一角に現れていた。


 灰色の、不透明な半球状の結界――魔神アズラースと、その眷属である魔将は、『領界』というフィールドを作ることができる。


 『領界』の特徴は、その内部が魔将との決戦場であるということ。どのような場所でも、領界を顕現させた場合、その内側は外部と隔離された別空間となる。


 裏庭から感じられた生徒たちの反応が、消えている。先ほどまでは『生命探知』で十人以上の気配が感じられたはずだ――トロールとの戦闘中には、英愛のものも感じ取れていた。


「英愛……中にいるのか……?」


 領界の『外殻』に近づく。レベル6の単体攻撃魔法『パニッシュルーン』を使ってみても、オーラが霧散して手応えがない。


(領界をこじ開けるには、ソウマの聖剣と、聖女のミアの解呪が必要だった。必要な要素は分かっている……聖属性の極大攻撃と、解呪……そして通常の結界を破るときに必要なものと同じ、結界の中和だ)


 だが、その全てが、今の俺には使うことのできないものだ。


 『アストラルボーダー』においても、俺は攻撃魔法スキルを限界に上げても聖属性の極大攻撃魔法を覚えられず、回復魔法スキルの限界値でもミアの解呪と同じことはできなかった。特殊魔法スキルも、最上位の結界である領界を破るには至らなかった。

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