第二十六話 伝授
昨日と同じジャージを選び、再びブレイサーから電子マネーを引き落とす時に、ふと思い出した。
「あの、俺のブレイサーに入ってる残額って幾らになるんでしょう」
「は、はい。三百二十五万と、四千六百円になります」
「……えっ?」
「今、レシートをお出ししますね」
聞き間違いかと思ったが――レシートを見ると、練習着の貸し出しで千円引かれていて、残額が¥3254600となっている。
(こ、こんなに必要か……? 両親から預かって
更衣室に入って着替えながら、ふと思い当たる。ブレイサーが『報酬が算定された』と言っていたが、聞いてみたらその金額を教えてくれないだろうか。
「えーと……ブレイサー、質問してもいいかな」
『呼称が未登録ですが、そのまま続けますか?』
(うぉっ、直接脳内に……!? って、いつものことだけどな)
話しかけて返事があるというのは新鮮だった。《AB》のガイドAIは、話しかけても答えないことがほとんどだったからだ。
「名前か……ちょっとすぐには出てこないな。アレク……じゃなくて、女性の声だから、女性らしい名前がいいのかな」
『男性名でも問題ありませんが、ボイスタイプが女性の場合、女性名で登録される方が多いようです』
「そうなのか……どういう名前がいいかな?」
「未使用のネームパターンを検索します。イールギット、ウィノナ、エリサ、オレーナ……」
人気のある名前は、ほとんど使われているようだ。短めで分かりやすい名前が良いので、ブレイサーが上げてくれた名前から選ぶとすると――。
「日本語の名称候補を提示します。アカネ、イズミ、エリカ――」
『イズミ』という名前を聞いたとき、俺は『アストラルボーダー』のNPCを思い出した。イズミ・コールマンという老人だ。
魔法工学を使ったロボットの研究をしているお爺さんがいて、彼は『イズミ23号』というロボットが完成する前に世を去る。
お爺さんの日記を見て、完成するために必要なアイテムを揃えて持っていくと、ロボットは目覚めてしばらく仲間に加わってくれる。耐久力が回復しないため、いずれ必ず壊れてしまうことになるが――俺がまだソロだったときは、このロボットに凄く助けられた。
そのクエストには続きがあって、ロボットを修復できるのかもしれなかったが、進行のキーになるイベントがどこで発生するか最後まで分からずじまいだった。
「……じゃあ、『イズミ』にしていいかな」
『認証完了。今後私のことをイズミとお呼びください、玲人様』
「様付けまではしなくて大丈夫だけど、その設定は変えられる?」
『ノー・サー』
こんな返しをされるとは思っていなくて、思わず笑ってしまう。AIに性格の差があるなんてことはないと思うが、微妙に人間らしさがある――《AB》のガイドAIより進化してるんじゃないだろうか。
しかしこうしてブレイサーに話しかけるのも、人前だと目を引いてしまいそうだ。
「イズミが話しかけてきてるみたいに、俺も考えるだけで伝わったりするかな?」
『本デバイスを装着した際、思考の読み取りにはセーフティがかかっております。許可をいただけましたら、思考による命令入力が可能となります』
「凄いな……セーフティの解除は任意?」
『装着時間が一定を経過した時点で、設定項目が解放されます』
このブレイサーがどこかにデータを送っているとか、そんなことはないと思うが――リスクを鑑みても、一度セーフティ解除は試してみたいところだ。
「俺の電子マネーの残金なんだけど、入金のリストは見られるかな?」
『はい。直近では、特定生物侵略対策機構からのべ2回、321万円が入金されています』
「特定……? それに、2回って……うちの妹、神崎英愛からの入金は?」
『五日前に5万円が入金されています。出金は5400円になりますね。内訳はタクシー代、バス代、食事代、貸し出し衣料代となります』
電子マネーでの引き落としがある場面で、気が付かずに支払っているケースもあったようだが――それにしても、321万円がどこから来たのか。
「イズミ、その特定生物って、魔物っていうことでいいのか?」
『イエス・サー』
「じゃあ、オークロードを討伐したときの入金が……さ、三百万……?」
『入金の経緯については省略しています』
手が震えてくる――このブレイサーにある三百万が報酬として払われたなら、自由に使っていいことになる。
高校で小遣い五千円になる予定だったわけだから、六百倍の金額だ。それにオークロード以外でも、ロックゴーレムなどを倒したときの入金もあったようなので、それだけで生活できてしまうことになる。
「魔物ハンター……
何でもフランクに応答してくれるわけではなくて、ブレイサーはスンッとしている。
「……イズミ、基本的に名前を呼ばないと返事してくれないのか?」
『肯定よりの肯定です』
「ははは……そういう回答もできるのか。『イエス』『ノー』『どちらでもない』だけじゃないんだな」
『玲人様には、次の行動に移ることを推奨いたします』
そうだった――お金の使い道については、家の台所を預かる妹にも相談してみるとして、
今は折倉さんとの手合わせに集中しなければ。
◆◇◆
着替えを終え、準備体操をしながら待っていると、折倉さんがやってきた。
「折倉さん、自前のトレーニングウェアなんだね」
「一度ロッカールームに戻って取ってきたの。レンタルのウェアよりも慣れているから」
俺も自前のウェアを買うか、と考えつつ――折倉さんがウェアの上着のファスナーを下ろして、大胆に脱ぎ始める。
見ているわけにもいかないので目をそらす。俺のことを男として認識していないのか、それだけ手合わせに意識が向いているということか。
「見ていてもいいのよ、こういうスーツだから。強化繊維でできているから、ショックを吸収してくれるの」
「そ、そうなんだ……」
俺もそういうのを買おうかな、とは言いづらくなる。折倉さんが身につけているのは、《AB》において全身防具と呼ばれていたスーツ系の防具に似た、身体のシルエットが出やすいタイプのものだった。このスーツも白を基調としていて、差し色が少し入っているが、率直に言ってクール&スタイリッシュな感じだ。
「あなたはロッドを使うのね。職業は
「詠唱の代わりに、文字や図形を描くんだ。こういうふうに」
指をオーラを込めて『ヒールルーン』の図形を描く――折倉さんも疲れているだろうし、一度回復しておきたい。
「っ……あ、熱い……身体が、急に……っ」
「回復魔法を使ったんだ。すぐに熱っぽさは治まるはずだよ」
「……身体の疲労が、すうっと溶けていくような……い、いえ、疲れてはいないのだけど、そんな状態でもさらに回復する感覚があるわ」
「一日活動するだけでも体力は多少減るからね。よほどじゃなければ、寝れば完全に回復するけど」
「睡眠は大切ね。私も昨日寝付けなくて……でも、今使ってもらった回復魔法のおかげで万全になったわ」
寝付けなかった理由は、やはりオークロードのことがあったからか――けれど彼女はそれを乗り越えて、強くなろうとしている。
「じゃあ、そろそろ始めようか。どういうルールにする?」
「そうね……演舞のようなものになるけど、有効と判定するのは自分たちでしましょう」
折倉さんはそう言うが――模擬戦用のブレードを構えた彼女は、正面から対峙してみるとなかなか隙がない。彼女は『剣術』のスキルレベルだけなら、俺の見立てだと2以上だろう。
しかし剣の力を引き出す『剣マスタリー』が無いため、今のうちに習得しておいた方が後々大きく変わってくる。
『マスタリー』系のスキルは、適性がある武器を使っているときにコツを伝授してもらうことで覚醒する可能性がある。伝授の方法は、いずれかの武器マスタリー持ちの相手に稽古をつけてもらうことだ。
(ロッドマスタリー、持ってて良かったな……後はどう立ち回るかだが)
「壁にかけられた時計の秒針が、上に来たとき……それを開始の合図にしましょう」
「ああ、分かった」
俺もロッドを振って展開する。折倉さんのブレードと俺のロッドは、だいたい同じくらいの間合いだ。
ギリギリ間合いを外した距離で、俺は折倉さんと向き合う。近接職じゃない俺だが、彼女は全力で来るだろう――俺が、それに応えられると思っているから。
今は他のことを考えず、全力で応じる。いつも涼やかな折倉さんが見せる熱を目の当たりにして、俺も胸を熱くせずにはいられなかった。
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