第十八話 罠

「ここからさらに移動して、『特異領域』に入ります。町の一区画くらいはある面積が全部特異領域ですが、今回は初級者向けですので、危険度は高くありません。もし救助が必要な局面が生じたときのために、討伐科の一年生にも特異領域の中に入ってもらいます」

「初めまして、討伐科の折倉雪理です。もし強力な魔物が発生した場合、実力の差が大きいとオートリジェクトが完全に機能しない可能性があります。そのため、私たちが介入して魔物を……」


 そこまで言って、折倉さんがふとこちらに視線を向けた。


 俺の姿を見るなり、彼女は目をかすかに見開き――そして。


「……魔物を、撃退します。もし危険な魔物を見つけたら、コネクターが緊急回線を開くので、私たちを呼んでください」

「私たち三人は、特異領域に入ってすぐのところで待機しています」

「冒険科の実習に立ち会うのはこれが初めてですが、僕たちは魔物討伐の経験を積んでいますので、ご心配は無用です」


 クラスの皆は安心した様子で顔を見合わせている――その中でもやはり不破は、彼らの力など必要ないと言わんばかりに、折倉さんたちから目をそらしている。


「いよいよ……ですね、玲人さん……」

「ああ。気を引き締めて行こう」


 俺たちは再び移動を始める――そして、北グラウンドからさらに北の方角に進んでしばらく経ったとき、突如として『その現象』は起きた。


 ――周囲の風景が変化する。俺たちはいつの間にか、岩柱が点在する荒野のような場所に居た。


「うわっ……い、いきなり空が……」

「こんな場所、全然見えてなかったのに……どういうこと……?」


 クラスの皆が動揺している。後ろを振り返るといつの間にか霧で覆われていて、後から折倉さんたち討伐科の三人も入ってきた。


 三人もこの場所――おそらく『特異領域』に入ったことに対して思うことはあるようだが、一言も口を開かない。あくまで、危険が発生した時に対処するために来ているからということだろう。


(町の一区画はあるとか言ってたが……あんなに急に飛ばされるんじゃ、もし一般人が何も知らずに足を踏み入れたら……)


 空に生じた黒い渦から現れたオークロード、それに巻き込まれた親子のことを思い出す。

この異様な空の色、そして空気は『特異現出』が起きた時に酷似している。


「こ、こんなのが、学園の中に……っていうか、急に風景が変わって……」

「後ろが霧で見えなくなってる……どうなってるの……?」


 武蔵野先生の言葉が蘇る――初心を忘れるなと。


(ここは……《AB》の初期に出てくる、あの『ゾーン』に似ている。だとしたら、出てくる魔物は……)


「やあ、みんな来たね」


 近くの岩柱の陰から姿を見せたのは、昨日学園に来たときに会った、サングラスをかけた男性だった。警戒して一歩も動けないでいるクラスメイトを見て、場にそぐわないくらいに愉しげに笑う。


「早速君たちの目的を教えよう。この特異領域の1フロア目には、どこかに『カード』が隠してある。それを見つけて持ち帰ることだ。だが、君たちもすでに聞いていると思うが、危険な状況では強制的に特異領域の外に脱出させる。この『オートリジェクト』でペアのいずれかが脱落した場合、そのバディも共同責任となる。強制離脱だね」

「……そのカードっていうのは、どういう形をしてるんだ?」

「事前には教えられない。なぜ教えられないのか、その意味も考えておいてくれ。実習時間は半日ほどだが、疲労が一定以上に達した子も危険と見て離脱となる」


 不破の質問を退けると、サングラスの男性は再び岩陰に隠れる――何かのスキルを使ったのか、『生命探知』の反応が急に途切れた。


「……そのカードって、幾つあるんだ?」

「まさか、1ペアしか残らないって……1つしか隠してないんじゃ……」

「――お、おい、行くぞっ!」


 皆が慌てて走り出す――こうなることも見えていたし、俺も黒栖さんと一緒に走り出す。


「れ、玲人さん、みんな走っていますが、カードを探しながら進んだ方が……っ」

「カードが1枚しかないっていうのは違うと思う。それだと合格できるのは『1ペア』と断言するんじゃないかな……そこが引っ掛けっていうのは、さすがに無いと思いたい」

「っ……そ、それなら……」

「単純に、生き残るのが難しいってことだ」


 答えた瞬間、先行していた男子生徒の声が聞こえる――そして、悲鳴。


「――うわぁぁぁぁっ!」

「っ……堂林くんっ……きゃぁぁっ!」


 生命探知の反応が二つ消える――死んだわけじゃない、『強制脱出オートリジェクト』がかかって、二人が特異領域の外に出されたということだ。


「うわっ……やめっ、やめろぉぉっ……くそがぁぁぁっ!」

「な、なんで効かないのっ……嘘でしょっ……嫌ぁぁっ……!」


(『効かない』……やっぱり、あの魔物か。あれが最初の実習で出てきたら、罠でしかない)


 俺たちが進む先――前方の岩柱の陰から姿を現したのは、ゼリーのような姿の何か。


「玲人さん、で、出てきました……っ、魔物です……!」

「ああ……慎重に倒せば問題ない」

「っ……に、逃げたりしないんですか? もう、みんなが……っ」

「一人ひとりにレクチャーしてるわけにはいかないけどな。黒栖さんに、こいつの倒し方を教えるよ」


 《AB》における最初の難敵、それがスライムだ。一部のゲームにおける最弱というイメージは、こいつには通用しない。


 緑色のスライムは獲物を見つけると攻撃色の赤に変わった。逃げることは難しくないが、ここは対処する――黒栖さんのレベルを上げるためのステップとするために。

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