第十五話 実習当日

 夕食を外で摂ったあと、帰りはバスを使って家まで帰った。


 妹が風呂に入っている間に、『アストラルボーダー』のテストプレイヤーが配布されたテスト機を起動してみた――しかし、ヘッドマウント型のゲーム機の全方位ディスプレイが映し出したのは、『アストラルボーダー』のログインゲートと、数行の簡素な文章だけだった。


 『クローズドテスト期間は終了しました。ご協力の御礼として本機器は贈呈いたします。市販ソフトウェアのインストール方法については機器の公式ホームページをご参照ください』


(もらえるのかよ……かなり高い機械っぽいけど。市販のソフトが使えるって、本当に普通のゲーム機じゃないか)


 調べてみると、VRMMOプレイ用の『ダイブビジョン』はそんなに高いものじゃない。ソフトも高くはなくて、課金の方で利益を上げるスタイルだった。一ヶ月分のプレイチケットが1200円、年間パスが9800円。《AB》の料金システムはそんな感じだ。


 一応、オープンベータテストというのにも参加権があるそうなので、登録はしておくことにした。ソウマ、ミア、イオリが今どうしているかの手がかりを得られるかはわからないが、ほとんどトラウマになっているとしても、やはり見てみぬふりはできない。


「お兄ちゃん、お風呂空いたよー」

「ああ……って、ちょっ……バスタオル一枚で上がってくるとか……」


 ドアを半開きにしたままだったが、いつの間にか妹が風呂から上がってきていて、大胆な姿で立っていた――髪をタオルでまとめていて、身体は大判のバスタオルを巻いているだけだ。


「大丈夫、下はちゃんとはいてるから」

「そういう問題ではなくてだな……」

「あ、お兄ちゃんゲームしてたの? いいなー、これ、私もやってみたかったんだ」


 エアは部屋に入ってきて、机の上に置いてある『ダイブビジョン』を手に取った。


 俺がデスゲームに閉じ込められた時に使ったものは『Dデバイス』という呼称だったはずだ。その『D』は『DIVEダイブ』の意味だったのか――それとも、普通のゲーム機では無かったあれとここにあるものは、根本的に違うのか。


「お兄ちゃん、私も同じのを買ったらお兄ちゃんとゲームできるの?」

「ああ、できると思うけど……」

「そうなの? じゃあ試しにつけてみよっと。あ、意外に軽い。SFの映画とかでよくあるよね、こういうの」


 美少女はヘッドマウントディスプレイを装着しても絵になる――と感心してる場合でもない。バスタオル一枚のままだと、不慮の事故が起きてしまう可能性がある。


「これって、身振り手振りとかしなくても、考えるだけで操作できるんだよね。パンチとかしなくていいの?」

「っ……ま、待て、実際にパンチしなくても動くからっ……!」


 それはまずいと思っていた方向に、見事に転んでしまう。エアが軽く空中にパンチをした拍子に、バスタオルの結び目がずれて落ちそうになる。反射的にエアはパッとタオルを押さえるが、ギリギリセーフ、おおむねアウトと言ったところだ――なんて、冷静を装うにも限度がある。


「……お、お兄ちゃん、見た?」

「み、見てないよ」

「ほんと……? ま、まあそれならいいけど。お兄ちゃん、これってどうやって外すの?」

「やりたい放題だな……タオル、ちゃんと押さえてろよ」


 ダイブビジョンのホールドボタンを押すと固定が外れるが、エアは自分で外す様子がないので、ゆっくり外してやる。一緒に髪をまとめていたタオルも外れて、銀色の髪が広がった。


「ふぁー、解放感。でも、つけてても全然重くないね」

「つけたままでベッドに寝るとか、椅子に座ったままとか、色々なスタイルがあるけど。軽くないと、いろんな姿勢を取れないからな」

「そうなんだ。お兄ちゃん、教えてくれてありがと。お小遣い貯めておいて良かった、こういうゲーム機なら私も買えるから」

「ま、まあ……エアもやるなら、俺が買おうか。入院中のことで、色々世話もかけてるし」

「ううん、私がやりたくてやるんだから。お兄ちゃんより上手になっちゃうかも。それじゃ、髪乾かしてくるね」


 エアはダイブビジョンを置いて出ていった。まるで嵐が過ぎ去ったかのようだ――かなりはしゃいでいるようだが、俺が退院したことをそれだけ喜んでくれているなら、素直に嬉しいと思う。


(……黒栖さんも凄いけど、うちの妹もかなり……あれでまだ中学生って、高校生になったらどうなるんだ……)


 兄として色々心配が増えそうだと考えつつ、俺も風呂に入る用意をする。そして風呂上がりに、妹に脱衣所のドアを開けられるという、逆お風呂でバッタリを経験することになるのだった。


 ◆◇◆


 土日は部屋の整頓や、妹に頼まれての買い出しなどをこなした。両親にも連絡したが、まず無事に学校に復帰できたことを喜ばれ、もう少し仕事が落ち着いたら帰ってこられると伝えられた。


 翌日は学校の位置も分かったので、自転車で登校してきた。高校に入る時に買ってもらったクロスバイク、これは俺の記憶通りに存在していた。


(『スピードルーン』を使って自分の足で走った方が速いんだが……自転車に乗って使ってみたらどうなるんだろう)


 よほど広くて何もない場所でなければ試す気になれないので、自力でペダルを漕ぐ。それでもやたらスピードが出るし、ペダルに重さを感じない――『呪紋師』は筋力が高くないはずなのだが。


「……ん?」


 校門の前に人だかりができている。二台の高級車が停まっていて、それに乗っている人物が注目を浴びているようだった。


 前に停まっている車の後部座席から降りてきたのは――あの、白い剣士の少女。


 折倉雪理。彼女は昨日と同じ白い制服を着ている。大きく破れてしまっていたので、今日はスペアか、新しいものを着ているようだ。


「あれって討伐科の折倉さんじゃね?」

「うわ、実物はめちゃくちゃ可愛いじゃん」

「今年の入学式での首席挨拶、かっこよかった……雪理様、こんなところで何をしてるのかしら」


 イメージ通りと言っていいのか、普通科の生徒も冒険科の生徒も、折倉さんに憧憬の視線を送っている。

 

「雪理様の『右腕』、坂下さんもいるぞ。キリっとしててカッコいいよなあ……クゥ~、あのグローブで殴られてえ」

「『左腕』の唐沢直正なおまさもいるのか……折倉さんと付き合ってるって本当なのかな」


 折倉さんたちとは違う車から降りてきたのは、長身の眼鏡をかけた男子生徒だった。討伐科の男子制服は黒のようで、女子の着ている白い制服とは対象的だ。


「お嬢様、いかがなさいましたか?」

「折倉さん、少し落ち着かないみたいですね。何か気になることでも?」

「……いえ。初級者向けの特異領域とはいえ、気を抜かずに行きましょう」


 折倉さんたち三人が学園の中に入っていく。彼女たちが動き始めると、人だかりがサッと動いて道を開ける――まるでモーセが海に道を作ったような光景だ。


「……お、おはようございます、玲人さん」

「おはよう、黒栖さん。昨日の疲れは残ってない?」

「はい、おかげさまで……あ、あの、夜はありがとうございました、急に電話したのに出てくれて」

「ああ、いつでもかけてくれていいよ」


 明日はよろしくお願いします、というのを言っておきたかった――それで黒栖さんは、寝る前に電話をかけてきてくれた。


「……忠告は無視ってことか。上等だよ、チキン野郎」


 そして朝から絶賛不機嫌という様子で声をかけてきたのは、不破だった。南野さんも一緒にいる。


「今日の実習で私たち本気出しちゃうけど、二人もせいぜい脱落しないように頑張ってね」

「……はい。二人で合格できるように頑張ります」

「っ……黒栖、お前……」


 不破は何かを言おうとする――しかし、少し震えてしまっていても決して下がったりしない黒栖さんの姿を見て、動揺を隠せずにいた。


「……お前らにはどうせ無理だ。神崎、お前が黒栖に何を吹き込んだか知らねえが、調子に乗るなよ」

「そうそう、自分の立場は弁えた方がいいと思うよ? その方が円滑な人間関係ってやつのためだから」

「南野さんも凄く自信があるみたいだな。期待してるよ」

「っ……な、何こいつ……人が優しくしてあげてんのに、感じ悪っ」


 あまり悪態をついたりするのは得意じゃないが、向こうも性格が良いとは言えないのでお互い様だ――と、こういう小競り合いは黒栖さんが望むことではないだろう。分かっているのに、売られた喧嘩を受け流しきれない。


「……玲人さん、私、不破くんと南野さんにも分かって欲しいです。人のしたいことを否定したりするのは、いけないことだっていうこと……」

「……良かった。言い合いみたいになるのは、黒栖さんは嫌かなって思ってて……分かってても言い返しちゃってるから」

「私は……玲人さんの、そういうところに憧れてます」


 やはり俺たちは似た者同士みたいだと、改めて思う。


 一方的な言いがかりを受けても、決して膝を突いたりはしない。俺たちにも目標がある――今日の実習は、そのための大事な一歩だ。


 俺は黒栖さんと一緒に校門をくぐり、冒険科の校舎に向かった。昨日同じ道を通るときに感じていた上手くやっていけるかという不安は、どこか遠くに吹き飛んでいた。

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