第十二話 訓練所
スマートフォンの地図では学園内の詳細な情報は出ていなかったが、一つの市の半分を埋めるほどの広大な敷地内には、校舎や体育館、グラウンド以外にも多くの施設がある。
『訓練所』もその一つだが、外からの見た目だけなら体育館と同じような大きな建物だ。訓練所の入り口には受け付けがあり、レンタルで訓練着を借りることができた。
「すみません、持ち合わせが無くて……制服のままで訓練所に入ってもいいですか?」
「入学のときに、コネクターに電子マネーを一律でチャージしてもらっていますから、自動的に引き落としができるはずですよ」
「そうなんですか。じゃあ、大丈夫かな……」
「もし足りなかったら、私が代わりにお支払いしますね」
黒栖さんはそう言ってくれるが、それはちょっと申し訳ないので、チャージされていると思いたい――特にブレイサーを見せたりする必要はないらしいが、俺のブレイサーにもちゃんと電子マネー機能はあるんだろうか。
「……あ、あら? ひいふうみ……変ね、残高が……」
「……?」
「あ……い、いえ、決済ができました。訓練着のタイプはどうしますか?」
「じゃあ、普通のジャージみたいなのでお願いできますか」
「私も、玲人さ……神崎君と、同じタイプのものでお願いします」
黒栖さんはそう言うが、受け付けの人は頬に手を当てて、少し困ったように微笑む。
「黒栖さん、少しこちらにいらしていただけますか?」
「は、はい。神崎君、先に行っていてください」
「ああ、分かった」
俺と同じタイプのジャージの類は貸し出してないとか、そういうことだろうか。とりあえず黒栖さんの言う通りに、先に訓練所に入って待っていることにした。
◆◇◆
訓練所は全部で10の部屋に分かれており、貸し切りで使用できるようになっている。他のペアにスキルを見せつつ訓練するということにはならずに済んだ。同じ学生同士、手の内を見せても問題はないとは思うが、人の目がなく、黒栖さんが集中できる環境ならばそれに越したことはない。
「普通のジャージと言ったが……防具みたいなのもついてきたな」
ヘッドギアのようなものもあったが、それは着けなかった。今回は黒栖さんのスキルを発動させることが重要なのであって、組み手をするわけじゃない。
そしてこの部屋の中だが、『魔力探知』を使って見てみると、攻撃スキルを試したときなどに施設が破損しないような措置がとられている。
(初歩的な攻撃スキルを防ぐ結界……かな。こういうことができるなら、『特異領域』を人の手で管理できるっていうのも分からなくはないか)
「……お、お待たせしました……っ」
「ああ、そんなに待っては……」
何気なく振り返って――俺の思考は、数秒ほど完全に停止した。
まず、長い髪を左右でまとめて、二つのおさげ髪姿になった黒栖さんは、先ほどまでとは大きく印象が変わっていた。
「す、すみません。その……合うものがなくて、私物の体操着を着るしか……」
「そ、そうなんだ……動きやすい格好なら、大丈夫だと思うよ」
落ち着けと自分に言い聞かせるが、ステータス的に『精神』が高いはずの俺は、この動揺を落ち着ける手段を持ち合わせていなかった。
オーソドックスな体操服だが、それを黒栖さんが着ると事情は違ってくる。律儀につけた番号つきのゼッケンが、思いきり押し上げられて、字体がカーブしてしまっている。
そしてこの高校は、一般的なショートパンツではない。陸上選手のような動きやすさを重視したデザインだった。
「その……まだ入学したばかりなので、着慣れてはいないですが、練習はしっかりやれます……っ」
「それはそうだよな……体育の授業って、まだ一度か二度しかやってないのかな」
「普通の授業は、まだ一度だけです」
黒栖さんは最初は恥ずかしかったようだが、だんだん落ち着いてきたようだ――俺も動揺してばかりいてはいけない、訓練所を使える時間にも限りがある。
「……玲人さん、ジャージ姿も……よくお似合いです」
「い、いやその……それはさておき。黒栖さんは、スキルを使おうとすることはできるんだよね。過去に使ったこともある……それは合ってるかな」
「はい……一度スキルを使うと、皆さん、もう一度使うのは感覚的にできるそうなんです。でも私は、もう一度使おうとしても、思ったようにいかなくて……」
(スキルを自分の意志で取得してたら、そんなことにはならないはずだ。『覚醒型』じゃないと取得できないのか……? そして、黒栖さんはスキルの発動条件の説明を参照できていない。まだ入学したばかりだから、ステータスやスキルを参照する方法を教えてもらえないのか……)
ステータスやスキルの情報を得る手段が全く無い――というのは考えにくい。この世界ではスキルのことは認知されているし、相応に研究もされているはずだ。
「スキルを使えた状況のことを、教えてもらえるかな。できるだけ詳しく」
「は、はい。最初は、中学校に入ったばかりのときでした。その……魔物が現出したときに、巻き込まれそうになったことがあって……」
「それは大変だったな……」
「そのとき、乗っていた車が、道の脇に外れて、街路樹に当たってしまって。母と姉が一緒に乗っていたので……二人を連れて逃げなきゃって思ったときに、初めてスキルが使えたんです」
間違いない――やはり『スキル覚醒』だ。
《AB》においても、特殊な要件を満たしたときに新たなスキルを手に入れられることがあった。危機に陥って追い詰められたときにスキルを手に入れるが、リスクが大きすぎて同じような状況を再現できない。それは無理もない話だ。
「あと、もう一度だけ使えたことがあります。林間学校で、遭難してしまったことがあって……」
「っ……それはまたハードだな……本当に無事で良かった」
「い、いえ、遭難したのは私の友達だったんです。みんなで探しても見つからなくて、辺りが暗くなってしまって、捜索が中断されて……それでも、私は少しでも早く見つけたくて、一人で……」
「……物凄い勇気だ。なかなかできることじゃない」
「……先生や、皆さんにすごく心配をかけました。でも、友達を見つけられたのは良かったです。けれど私がルールを破ったことには違いないので、それから不破君にも嫌われてしまいました」
不破が黒栖さんに辛く当たる理由の一端が、今の話で見えた。
だが、同時にそれはお門違いだと思う。遭難した友達を探そうとして、無事に見つけることができた黒栖さんは、間違いなく立派なことをした。例えそれが、集団行動のルールからは外れてしまったとしても。
そして二つの話で見えたのは、黒栖さんがスキルを発動したとき『誰かを助けたい』という動機があったこと。そしてもう一つ――それは、平常時ではなかなか再現することのできない状況だ。
(魔物の現出に巻き込まれたとき。そして、遭難した友達を探していたとき。黒栖さんがどんな状況にあったか……可能性は、高い)
『魔装師』という職業は、その本質を理解すれば活躍の機会は絶対にある。
そして――俺や仲間たちが、ある意味で憧れを持った職業でもある。希少であること、そして主に使うスキルが、俺たちゲーマーの心をくすぐるものだったからだ。
「黒栖さん、少し俺のスキルを使わせてもらっていいかな」
「は、はい……玲人さん、どんなスキルを使うんですか?」
「
このルーンは『遠隔発動』ができても、かなりパーティメンバーに近づいていないと発動できない。黒栖さんに向けて手をかざすと、彼女はビクッと反応する――しかし、逃げずにいてくれる。
「ど、どうぞ……っ」
そこまでしなくてもと思うが、黒栖さんは両腕を後ろに回す。胸を反らすようにしているが、決して触れはしない。
バディとの信頼関係を築くための鋼鉄の掟。役得ということを考えず、常に誠実であること――とか、当たり前にも程がある。
「じゃあ、行くよ……黒栖さん……っ」
「っ……!」
《神崎玲人が強化魔法スキル『マキシムルーン』を発動 即時遠隔発動》
体力の最大値を一時的に上げるルーン――魔法をかける相手の素の数値に依存しており、増加量は決して多くはない。
黒栖さんがスキルを発動できた二つの場合において、共通していたと思われること。それは怪我か疲労によって
だからといって、自傷でライフを減らしてスキルを発動するなんてことはさせられない。ダメージ無しで、『最大ライフから何割か減少している』状態を作るにはどうすればいいのか。
「……何か……その、いつもと、違う感じがします。『最大体力』が増えたからなんでしょうか……」
「おそらく、それがスキル発動条件を満たした感覚なんだ。この状態からさらに回復させないと、現在の体力自体は変化しない。黒栖さんは怪我も何もしてないけど、『体力が減った状態』になったんだよ。現在値はおそらく、最大の半分くらいだ」
「あ……そ、そうです。持久走でへとへとになったときも、こんな感覚になったことがありました……っ」
「実際に疲れたりして体力を消耗してる状態じゃ、とてもじゃないけどスキルを発動しても活用できない。『
途中までは食い入るようにして話を聞いていた黒栖さんだが、途中で思い出したのか、メモを取り出して書き込み始める――まるでスキルのレクチャーをしてるような気分だ。
「……今ならできそうな気がします……で、でも……」
「まだ、使うのが怖いとか……」
「そうではなくて……玲人さん、笑わないでくださいね」
聞かれるのは二度目だが、答えは変わらない。笑ったりしない、絶対に。
黒栖さんは決心して、両手を胸の前で合わせる――彼女のスキルは必ず発動する、それを示すように、俺には彼女の身体を流れる魔力が見えていた。
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