第十話 冒険科
まず、基本的なことから聞かないといけない。『冒険科』とは一体、何をする学科なのか。
入院しているうちに俺の記憶が欠落しているというのを、黒栖さんはそのまま了解してくれていて、とても丁寧に説明してくれた。
「え、ええと……風峰学園のような、冒険科や、討伐科といった、魔物との戦い方や対処を勉強する学校は、五十年前にあった、魔物の一斉現出をきっかけに作られ始めたそうです」
「五十年前の、一斉現出……」
五十年というと、戦争があった時期には関係がない。そのあたりで魔物が出始めたということなら、戦後数十年ほどしてから、この日本は俺の知る日本とは違う歴史を歩んだということになる。
ログアウトしたところで、パラレルワールドに飛ばされた。あるいは――『アストラルボーダー』そのものが、俺が別の世界に飛ぶためのトリガーだった、とか。
(そんなことがあるのか……? パラレルワールドとか、自分が体験する現実として真面目に考えることになるとはな……)
「世界中に魔物の現出が起きたその事件は『
「そ、そうなのか……いや、全体的に記憶が危うくなってる部分があるんだ。でも、頑張って追いつくようにするよ」
「い、いえ。一番大変なのは、玲人さんですから……私ならいつも時間があるので、私で教えられることなら何でも聞いてください……っ」
俺が教えてもらう立場なのに、黒栖さんは勢いよく頭を下げる――そうやって身振りを大きくしてしまうと、あまり見てはいけないところが大きく揺れる。動くものに反応する猫の気持ちが良く分かってしまう瞬間だ。
「え、ええと。それで、『討伐科』が魔物退治の勉強をするっていうのは何となく分かるんだけど。『冒険科』は一体何をするのかな」
「『冒険科』は、魔物を退治する専門ではなくて、『特異領域』の調査を勉強する科なんです」
「『特異領域』……それは、『特異現出』ってやつと関係があるのかな」
「は、はい。そういえば、『特異現出』が先ほど近くで起きて、すぐに解決されたみたいなんですが……討伐隊の人たちのおかげで、私たちはほとんど魔物の危険を感じないで暮らしていられるんですよね……」
黒栖さんは討伐隊に対する感謝の気持ちを、素直に顔に出している。憧れというのか――だがしかし。
(たぶん黒栖さんが言ってるのって、オークロードが出てきたあれだよな……)
この様子では、「あれを解決したのは俺なんだ」と言ったら、相当驚かせそうな気がする――彼女なら信用してくれそうではあるのだが。
「『特異現出』は、その……すごく危ないと言われてます。『特異領域』と何か関係はあるみたいなんですが、私もまだ詳しくわかりません。すみません、勉強不足で」
「ああいや、謝ることはないよ。じゃあ、『特異領域』にも魔物が出るとか、そういうことでいいのかな」
「は、はい。『特異領域』のことを、『ゾーン』や『異界』という人たちもいます。その領域に足を踏み入れると、何が起こるかわからない。そういったゾーンを調査するための知識を学ぶのが『冒険科』です。ゾーンには魔物も出ることがありますから、その対処も勉強します」
「ゾーン……」
『アストラルボーダー』――《AB》においても、迷宮という呼ばれ方はしていなかった。魔物が出るエリアを『ゾーン』と言い、入った瞬間から非戦闘エリアと空気や風景が全く変化する。
「……黒栖さんと同じように、ここにいる俺が聞くのもやっぱり変な話だけど。そんな危険な科をどうして志望したのか、聞いてもいいかな」
「それは……私も……い、いえ……」
「あ……ごめん、藪から棒に。みんな、それぞれ事情はあるよな」
「……その……笑わないでくださいね」
「ああ、笑わないよ」
彼女が学校に入った目的。人の目標を馬鹿にすることは誰にもできない。
そんな思いが俺の中に根ざしたのは、俺と仲間たちが、どうせ無理だと笑われながらもあのデスゲームから脱出しようとしていたからだ。
「……強くなれるかなって、思ったんです。私も、冒険科に入ったら」
「強く……そうか。こんなふうに魔物が出る世の中なら、その方が安心だもんな」
「っ……は、はい。私も、家族や大切な人を守れるように……い、いえ、まだ、そういう人はいないというか、お友達も作れてなくて、私なんて全然だめで……っ」
「そうなのか。でも、そんなに心配しなくていいんじゃないかな」
「……そう、でしょうか……」
まだ4月で、この学校には入学したばかりだ。さっきクラスで組む相手がいなかったからって、先のことはわからない。人数が奇数だったら、ペアを組めない人はどうしてもいるわけだから。
「まあ、俺もクラスでのあの感じだと当面はボッチ確定みたいだし……それでも何とかなると思ってるよ。結果を出して行けば、周囲も認めてくれるんじゃないかな。友達を作るには、それ以外の努力も必要だろうけど」
「……玲人さんは、強いんですね」
「どうだろう。冒険科で魔物に対する対応が評価されるなら、そういうのは多少なりと自信はある。黒栖さんを危ない目に遭わせないように、全力を尽くすよ」
「バディは、お互いを助け合うものだと思います。だから、私も玲人さんを守ります」
――俺がお前たちを守る。だから、みんなも俺を支えてくれ。
――私、自分が回復魔法をかけてもらったのって、レイト君が初めてです。
――レイトみたいに無償で人を助ける人は、不幸になる前に、幸せを貰うべきだと思う。
「……れ、玲人さん……」
「あ……い、いや、ごめん。やっぱり変だよな、俺……」
まだ、思い出せる。けれど少しずつ色褪せて、思い出すことで傷が開く。
勝手に流れた涙を乱暴に拭って、俺は視線を伏せた。こんな情緒がわからない態度じゃ、黒栖さんを不安にさせるだけだ――そう思ったのに。
彼女は席を立ち、俺にハンカチを差し出してくれた。
「……玲人さんのこと、これから色々教えて欲しいです。今は、不思議なことも沢山ありますけど……全部、理由があることだと思いますから」
「……ありがとう」
今日、学校に来て良かった。そうじゃなければ、こんな出会いをすることもなかった。後で妹にもお礼を言わないといけない。
――だが、感傷に浸る時間は長く与えてはもらえなかった。
「おい、神崎」
低い声で話しかけてきたのは、同じクラスのウルフヘアの男子生徒だった。
何か、自分のステータスを見せびらかすような。つまりは、あのクラス内においては、この男子が上位にいるのだろう。成績的なものか、強さか――おそらくは両方だ。
「……なんで今さら出てきた? そいつは担任と組んでりゃ良かったんだ。余計なことをしてくれたな」
「
全然心配している顔をしていない――とりあえず、この不破という男子生徒に話を合わせ、便乗しているようだ。
「今からでもバディなんて解消しちまえ。どうせ成績が低いペアは、二年に上がれずに退学になる。三日も無駄にした病み上がりの奴と、そこのできそこないに何ができんだ?」
「…………」
できそこない――それは、黒栖さんのことを言ったのか。
黒栖さんは何も反論しようとしない。俯いて、畏縮してしまっている。
「不破くんもこう言ってるし、ペア解消したら? 明日の実習で怪我したら、今度は病院程度じゃすまないかもしれないよ。本当に魔物が出るかもしれないんだしね」
「南野、おまえは余計なこと言わなくていいんだよ」
「やだなー、不破くんの言いたいことを代わりに言ってあげてるのに」
どうやら、不破は黒栖さんと俺が組むことが気に食わないらしい。
だが、あからさまにガラの悪い態度で俺たちを恫喝してまで、そんな指図をする権利は彼にはない。
「勇気のない奴、臆病な奴は冒険科なんて入るべきじゃねえんだ。特にそこのそいつは……」
「……それ以上、黒栖さんのことを悪く言わないでもらえないか?」
「っ……だ、駄目……神崎くん、不破君は……」
「……ああ? そうかお前、黒栖にもう
――
だから、誤解を解くだけだ。不破の間違った認識を改めなくてはならない。
「絆されたとか、勝手に決めつけないでくれるか」
「っ……お、お前っ……」
ただ反論しただけで、別に脅かしたつもりもない。何も言い返さないと思っていたのなら、それは彼の思い違いだというだけだ。
「えっ……あ、あの、なんか調子乗っちゃってるみたいなんだけど……こっちは良心で忠告してあげてるのにさー」
「ご忠告、痛み入るよ。でも、俺たちのことは心配しなくていい。まだミーティングの途中なんだ」
「チッ……おい、行くぞ」
「ほんと知らないよー? これからどうなっちゃっても。後から謝ってきても遅いからね」
二人が歩き去ったあと、黒栖さんは俺の方をうかがっている――しまった、つい言い返してしまったが、不安にさせてしまっただろうか。
「ご、ごめん。俺、ついカチンときて……」
「……私だけじゃなくて、玲人さんも酷いことを言われているのに、私、何も言えなくて……」
「俺は実際に休んでたし、何を言われてもいいよ。でも、俺は始まる前から諦めたくないし、黒栖さんも同じ気持ちでいてほしい」
「……私も……諦めたくないです。実習も、いろんなことも、頑張って……」
「強くなりたい……だよな。俺も全面的に協力するよ」
「……玲人さん」
不破に何かの事情があるとしても、今のところは慮るような余地もない。それにまた喧嘩を売って来られるようなことがあったら、円滑な学校生活に支障が出てくる。
明日の実習――バディを組んで早速ということになるが、良い結果を出せれば不破と南野の心配とやらも杞憂で終わらせられる。
「……残り時間はあと少しですが、明日の実習のこと、今のうちに話しておきたいです」
黒栖さんの目には強い光が宿っている。不破やクラスの皆は彼女のことを見誤っている――俺はそれを証明するために動くだけだ。
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