第三話 特異現出

 俺のものであるはずの制服は真新しかったが、着てみると思った以上にしっくりと来る。ブレイサーも身につけたままだが、操作方法のマニュアルなどは入っていないし、エアのつけているブレスレットとは型が違うそうで、学園で操作方法を聞くしかないようだった。


「お兄ちゃん、本当に大丈夫? 学校まで付き添って行かなくてもいい?」

「ああ、リハビリも兼ねて一人で行ってみるよ」

「無理しちゃ駄目だよ、具合が悪くなったら私を呼んでね。今日はいつでも駆けつけられるように準備してるから」

「身体は元気だから大丈夫だ……って言っても、今日だけはタクシー使っていいんだよな」

「うん、でも学園の校門は入れないから、ちょっと歩くことになっちゃうかも」

「その言い方だと、結構広いってことだな」

「スマホで地図を見てみたら、お兄ちゃんの校舎がどこか分かるから、迷わないようにね」


 校門から校舎まで、そんなに離れていただろうか。歩いて一分もかからなかったと思うのだが。


「じゃあお兄ちゃん、また家でね」

「ああ、行ってらっしゃい。気をつけてな」


 手を振って見送ると、エアは嬉しそうにはにかんでから、自転車を走らせていった。


 附属中学といっても、俺の学校のすぐ近くというわけではないらしい。そう何気なく考えながらスマホを操作して『風峰学園高校』と検索してみて、俺は目を疑う。


(なんだこの敷地の広さ……マンモス校ってやつか?)


 薄々と分かってはいたが、俺が知っている高校とは全く違う。校舎はそこまで大きくないものが二つだけあるはずだったが、この地図の敷地は明らかに広いし、校舎の数も二つだけじゃない。


 普通科、冒険科、討伐科、生産科。特に生産科の校舎は、周辺に森があったり農園や牧場があったりするようだが、地図を見ただけでは信じられない。


(そしてこの、敷地の外れにある黒塗りのエリアは……一体なんなんだ?)


 地図の表示範囲を広げてみると、町のあちこちに詳細が分からない部分がある。何も起こりそうにないがタップしてみても、『情報を取得する権限がありません』とメッセージが出るだけだった。


 予め呼んでいたタクシーが来てくれて、俺は礼を言って乗り込み、行き先を告げる。車が走り出してしばらくすると、ナビゲーション音声が聞こえてきた。


『現在、特異現出が起きやすい状況となっています。アラートの内容の正確性が下がりますので、注意して行動してください。繰り返します……』


「特異現出……すみません、それって何でしたっけ」

「ええと、久しぶりなんで私もうろ覚えなんですが……今言ってた通り、普通のアラートとはわけが違うってことですね。危険だから、もし出たらお客さんも一緒に避難させてもらいますよ」


 よりによって、退院したその日にそんな状況になっていようとは――天気が不安定とか、そういうレベルの話なら良かったのだが。


 警告アラートというのは、エアのブレスレットや俺の左腕につけているブレイサーが教えてくれる、魔物が出現する前兆のことらしい。


 その正確性が下がるというのは、どういうことか。ゲームと同じように考えるのもなんだが、警告よりも強力な魔物が出る可能性があるとか、そういうことになるのか。


 ――そうなってほしくないと考えた時に限って、いつもそうだ。俺の悪い予感は、高確率で当たってしまう。


 俺のブレイサー、そしてナビから、甲高い警告音が鳴る。


『当該区域にて、E級現出が発生する可能性があります。速やかに避難し、討伐隊による対処が終わるまで安全な場所で待機してください。繰り返します、当該区域にて――』


「くそ、よりによってこんな時に……すみません学生さん、警告範囲から外れさせて……」

「っ……待ってください、あっちに何か、黒い……何だあれ……?」


 ――少し離れた場所にある公園。その上空に、黒い渦のようなものが見える。


 車の窓を開け、身を乗り出して見てみたとき、頭が真っ白になりそうになった。


「あれが、魔物……」


 黒い渦の中から出てきたのは、緑色の肌を持つ巨人――いや。


 『アストラルボーダー』の序盤に出てくる中ボス。無数のオークの軍団を引き連れたオークの王、オークロード。その姿と、あまりにも酷似していた。


「まずい、あんな近くに出てきたっ……どう見てもE級なんかじゃないですよ、あれは……っ!」

「――待ってください!」

「お、お客さん、そんなこと言っても、私達にはどうしようも……討伐隊に任せるしかないんですよ、あんな化け物は……っ」


 俺もその通りだと思う、ここから今すぐに離れなくてはならない。あれほどの巨体を持つオークロードにもし目をつけられて追いつかれたら、この車ごとひとたまりもなくやられるだろう。


「あっちに人がいる……公園に、誰かがいる。あのままじゃ、魔物にやられる……!」

「だ、だからって、この車で突っ込むってわけには……それになんで、ここからじゃ公園の中は見えないのに、あそこに人がいるって分かるんですか」


 何故なのか分からない、説明ができない――だが、確信だけがある。


 もう運転手さんも限界だ。彼まで俺の理屈のない勘に付き合わせるわけにはいかない。


「ここまで乗せてくれてありがとうございました、お釣りは要りません」

「っ……あ、あんた、あんな魔物のとこに行ったら死んじまいますよ!」

「ありがとう。でも、自分のことには自分で責任を持ちます」


 俺は代金を払い、タクシーを降りる。それでも少しだけ待ってくれていたが、やがて急発進して離れていった。


 信号機は機能を停止して、赤信号が点滅し続けている。俺は公園に向けて走り出す――やはり近づいても、あの魔物は俺の知っているオークロードに酷似している。


「――グォォォォォォッ!」

「きゃぁぁっ……!」


『――戦闘エリアに侵入、緊急起動許可が承認されました』


「っ……何だ……!?」


 今、オークロードが何をしたのか――その情報が、頭の中に流れ込んでくる。


 『アストラルボーダー』では、AIが戦闘において味方と敵がどんなスキルを使っているか、情報を与えてくれていた。音声ではなく、情報として頭に流れ込んでくる――それと同じことが今、この左腕につけているブレイサーによって行われている。


 オークロードが使用したのは『咆哮』。範囲内にいるプレイヤーの行動をキャンセルし、

能力差がある場合は『金縛り』の効果を確率で付与するというものだ。


(あの悲鳴は……もし誰かが巻き込まれて『金縛り』になっていたら……っ)


 本能は逃げろと警告している。しかし放っておくことなどできない。


 ――レイト……もう少し早く俺たちが来てから、助けられたのかな。


 ――私は自分の目の前で誰かが死んでしまうのを、もう見たくないです……っ!


 ――後悔するくらいなら、先に動く。レイト、君が教えてくれたことだよ。


「――畜生っ……!」


 夢なんかじゃない、俺たちはあの世界で懸命に生きていた。


 必ずもう一度会う、三人もログアウト出来た時に――しかしその時に、三人に恥じるような自分ではいたくない。


 戦う力なんて、俺にはない。バカなことをしていると分かっている。


 だが公園に駆け込み、目の前に広がる光景を見てしまえば、動かないわけにはいかなかった。


「あ……あぁぁっ……」


《オークロードが民間人Aを拘束 民間人Aの体力減少開始》


 丸太のように太い腕をしたオークロードに、女性が胴を握られている。


 その足元で泣いている女の子――二人はおそらく親子だ。その泣き声を見逃さず、オークロードは牙の突き出した顎から涎を滴らせ、もう片方の手を女の子に伸ばす。


 攻撃されれば死ぬ。そんなものは見ればわかる。人間が巨人を相手にしても、戦いにすらなりえない。


 ――それでも、何をしてでも守りたかった。


 ソウマの無念は、俺の中にも残っている。ミアが言っていた通りだ、人が死ぬところなんてもう見たくない。


「……逃げて……私のことは、いいから……」

「嫌だぁぁぁっ、お母さんっ、お母さぁんっ……!」


 俺は英雄になりたいわけじゃない。オークロードに蹴散らされて死ぬ、それでもあの馬鹿げた太さをした腕に噛み付いてだって、あの親子だけは助けてやる。


「――くそったれがぁぁぁぁっ!」


 俺が声を発したことで、オークロードが行動を切り替える。振り返りざまに繰り出されるのは『粉砕の裏拳』――パーティでオークを前後から挾んだときに、後方のプレイヤーを排除するための、防御貫通の致命技。


 死んだ、とそう思った。


 しかし技が繰り出され、俺に命中するまでが、奇妙なまでに遅く感じる。


(動ける……避けられる……っ!)


「ガァァッ!」


 凶暴な唸り声とともに繰り出された裏拳が、頭上を過ぎていく――スライディングするように回避して、俺は女の子を横抱きに拾う。


 それだけじゃない、走っているうちから分かっていたが、自分が思っている以上に身体を動かすことができてしまう。俺はジャングルジムに飛びつき、片手だけて自分の身体を引き上げると、その頂点まで飛び上がった。


 驚いているのは俺自身よりも、女の子の方もそうだった――頬に流れた涙が残ったままだが、目を見開いて俺を見ている。


「すごい……」

「ごめん、色々と驚かせて……いや、俺も驚いてるんだけど……」

「っ……お兄ちゃん、危ないっ……!」


 オークロードが力を溜め、ジャングルジムごと俺たちを吹き飛ばそうとする。今の身のこなしなら、この高さから飛び降りても怪我はしないだろうが――より安全に降りるのなら、身体能力だけでは限界がある。


 しかし幾らなんでも、現実でスキルが使えるわけがない。オークロードの手から女の子の母親を解放するためには武器を探さなければいけない。


(絶対に助ける……っ!)


 オークロードがジャングルジムに向けて繰り出したのは『爆砕の剛拳』――『格闘術』の中では中位に位置する技で、地形を破壊し、装備品にもダメージを与えることで、これを出させずに倒すために苦心したものだった。


 しかし今は、攻撃をキャンセルさせる方法も何もない。飛び降りでダメージを受けるとしても、生きているなら安いものだ。


「グォォォァァァァッ!!」


 溜めが終わり、爆撃のような威力を持つ拳が繰り出される――しかし、その一瞬前に。


「――はぁぁぁっ!!」


 オークロードは完全に俺たちに気を取られていた。その隙を突き、横から走り込んできたのは、髪から服、そして武器まで、全て白で統一したような少女だった。


「グォァッ……!!」


 あの技は――『剣術』の中では発動が早く、ヒットさせることで攻撃をキャンセルできることから有用とされていた『ファーストレイド』。


「そちらのあなたは、女の子を連れて逃げてください! 捕まっている女性は、私が一人で助けます!」


 彼女には、俺たちを気遣う余裕さえある。オークロードを倒すことができる、その自信が彼女にはあるのだろう。


 ジャングルジムから飛び降り、俺は公園の出口に向かおうとする。しかし女の子が後ろ髪を引かれているようで――俺だって、とてもじゃないがこのまま立ち去る気にはなれない。


 一撃を受けてもすでに傷が再生しつつあるオークロードを前にして、少女は剣を構えている。


「……逃げて……この魔物には……」

「逃げることなんてできません。私があなたを助けます……っ!」


 白く光を帯びた剣。それを扱っているのは、人間――スキルを使うのは、魔物だけじゃない。


(だとしたら……俺にも、使えるのか……?)


「――やぁぁぁっ!」


 凛とした気合の一声とともに、少女がオークロードに斬りかかる。


 ――しかし、ユニークモンスターと呼ばれる種類の魔物だったオークロードは、初見殺しの能力を持っている。


(――あいつに近接攻撃スキルを使うのは駄目だ……っ!)


 俺が叫ぼうとした時には、既にオークロードは少女に向かって右手をかざし、凶暴なまでにその眼を輝かせていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る