1章 望んでいた日常

第1話 薄暮の河原と米炊く彼女

 気になる人がいる。


 同じクラスの女子、明石 優あかし ゆうだ。


 夜空のような美しい黒髪を腰のあたりまで長く伸ばし、透き通るように白い肌。

 寝不足なのか目の周りにはうっすらとクマがあるが、少しだるそうに細められた目は優しげな印象を見る者に与える。


 身長は155センチくらいだろうか。腕など心配になりそうな程に細い。華奢、そう表現するのが一番適当だろう。憂いがちな表情が、儚さに拍車をかけている。


(可愛ゆし)


 全くもって気持ち悪い話だが、彼女が何を考え、何をしているのかが気になって仕方ない。今までの人生で感じたことのない、この違和感の正体は一体何なのだろうか。


 物事の始まりは大抵、些細なものだ。

 彼女と出会ったのも昨日のことだが、些細と言うにはあまりにも脳裏に焼き付いて離れない。




   ~前日~

 高校生活が始まってしまった。入学式の憂鬱を引きずり何とか一日を乗り切った。自己紹介で盛大にやらかし、クラスを失笑の渦に包んだのは言うまでもない。

 自分は額にでかい傷があるせいか、よく怖がられてしまう。そのイメージを払拭しようとユーモアを交えた自己紹介は、盛大に滑ってしまった。

(恥ずかしいん!)


 夕暮れ時、下校すべく自転車を軽快に走らせていた。ちょうど河原の道にさしかかった時、ふと目線を土手沿いに目をやるとモクモクと煙を立ち上がっている。


「え……火事?」


(……てか、家の方)


 我が家はアパートの一室。広さは四畳半の1K。家賃は事故物件かと疑うぐらいに安い。トイレと洗面所兼シンクはあるが、風呂は共同。そのため水道光熱費も激安である。少々狭いが、夢の一人暮らしだ。まさか入学早々に新居が燃えたとあっては洒落にならない。


 

 河原の土手はアパートの庭のようになっており、西日差し込む水面がキラキラと反射して幻想的な雰囲気を作り出している。岸辺にはたき火があり、その炎を見つめる少女がいた。


 夜空がそのまま降りてきたかのような漆黒の髪を腰の少し上まで伸ばし、前髪は眉毛のあたりで切りそろえられている。物憂げに見つめられた視線の先には、たき火により遠赤外線で熱される飯ごうがあった。パチパチと薪が音を立てている。


(状態異常! 混乱!)


 脳内音声がやかましい。

 状況を見る限り、どうやら火事ではないらしいことに安堵する。


「熱ッ!」


少女の足に火の粉が跳ねてしまったらしい。


(これはイケない! 少女の太ももは黄金に勝る!)


「あ…あの、明石さん?」


(声をかけてしまったが下心ではないぞ! ホントだぞ!)


彼女はこちらに気付くと一瞬、目を見開いて


「……んァ。えっ、ぜ、来島くるしまくん!」


どうやら自分の気が触れた様な自己紹介を覚えてくれていたようだ。


(感謝しかない!)


気持ちを落ち着け、会話に戻ろう。


「えっと、大丈夫?」


生足にそのまま火の粉が飛んだのだ。おそらくはかなり痛かったろうに、


「大丈夫、これくらい慣れてるから」


やけどが痛むのか、声を抑えている。


「これ、使って」


バイト先でもらった軟膏薬を渡す。お節介だが何もしないよりはマシだろう。


「え……あ、ありがとう」


どうやらさっきの声は痛みで抑えているのではなく、彼女の地声らしい。

しかし、ここでスルー出来ない事実が浮かび上がる。


(なぜ、彼女は河原で米を炊いてるのだ?)


「お米……飯ごう派なんだね」


 質問の仕方を間違えた。


「うん……いや、炊飯器、家になくてね……」


(あらやだ! もしかしなくても複雑な事情かも!)


しまった、他人の家の事情に首を突っ込むことほど愚かなことはない。

思考を巡らせている間にも彼女はテキパキと火を消し、飯ごうを回収していた。


「炊飯器じゃなくても鍋でやる方法もあったんじゃ・・」


確か、アパートの部屋には備え付けのコンロがあったはずだ。


「あっ」


 少女は大口を開けている。


(あら、綺麗なお口)


「その手があったか~」


 恥ずかしさをごまかす様に、ポツリとこぼす。


「(嘘だろ、おい)」


 サバイバル能力が高いのか、文明レベルが低いのか分からない。

一瞬の思考の後、言葉をかける。


「もし良ければ、俺のとこで炊こうか?」

 

 多分、こういうことは世間では余計なお世話というのだろう。もしくはお節介を通り越し、偽善かもしれない。

(断られたら、立ち直れない自信がある!!)


「……本当に?! いいの?」


 目を輝かせている。

(良かった、嫌がられたりはしなかった)


「私ね、そこのアパート住んでるの。一○三号室の明石 優。よろしくね!」

 

自己紹介されてしまった。夕焼けをバックにさながら何か物語でも始まりそうである。


(ん? 一○三号室って……)


「お隣さんじゃあねえか?!」


ビクッと彼女が身をすくめた。


「ああ、ゴメン。大きい声出しちゃったね。俺は一○二号室の来島 善くるしま ぜん。よろしゅ~」


 どうやらこの子は大きな声が苦手なようだ。

 もしくは自分の見た目が原因か。

 そして彼女が炊飯器を持っていない理由も見当がつく。


(このアパートに住むってことは、相当の苦学生か、もしくは……)


「いや、ちょっとビックリ、しただけだよ。フフ」


(あ……笑った)


 風が彼女の髪をさらう。

 長い髪を押さえ微笑む彼女の姿に、胸を掻きむしられるの様な違和感が残るのはなぜだろう。


思考がまとまらない。


(思い出せ、目を逸らすな)


この一言が、頭の中で反芻される。


「どうしたの、大丈夫?」


 彼女が顔をのぞき込んでくる。ほんのりとフラーラルな香りが鼻孔のくすぐる。


(近い!!)


急いで飛び退く。


「うん……心配ない、ないよ。そうか、隣なんだね。それなら米もすぐ持って行けそうだ」


 視線を逸らす。いわゆる彼女と呼ばれる恋仲の女性など、生まれてこの方存在しない身としては頑張った方だろう。


「壁薄いからって、穴開けて覗いたらダメだよ?」


いたずらっぽく彼女は微笑む。


「その発想はなかったわ」


言い方がまずい。予想外の返答に動揺が隠せない。


「え、覗こうとは思ってたの?」


うえーといったような表情であからさまに引くではないか。


「しないよ。度胸がないからね!」


「すごい堂々と情けないこと言ってるじゃん」


クスクスと笑ってくれる。


「ハハハハ、おっかしい!」


 ツボに入ったのだろうか。涙まで浮かべている。

 彼女の涙を見た瞬間、胸がズキっとする。

 何故、彼女はあんなにも笑っているのに……


(悲しそう)


 日が沈んでいく。


「明後日の分からのご飯、お願いしていい? お礼と言ってはなんだけど、私もおかずを何か作ってくるよ」


「マジで?! 俺、料理のレパートリー少ないからめっちゃ嬉しいよ!!」


(やっべえ、女子と急接近、めっちゃ美味しい米炊いたろ)


「私、頑張るよ……」


 小さな独り言は誰に向けたものだったのであろうか。




 その晩、誰かが泣いてる夢を見た。

 込められたものは悲壮な覚悟。

 その涙を理解しようなど傲慢以外の何物でも無く。

 朝はまだか。

 雨は止まない。

 傘はどこだ。

 そんなことばかり考えていた。




























 

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