第2話 尾行作戦

 ここ数日の、弟のおかしな行動に、ヘパイストスが気づかないわけがない。


弟のアレスはボクサーだから、パフォーマンスに支障が出ないように、栄養管理と同じくらい生活リズムにも気をつかっている。


そのアレスが、毎日のように、真夜中に、こっそりどこかへ出かけている。


この時点で、変だ。


でも、アレスも、もう大人だし。どこかへ、ふらっと出かけたくなることもあるだろう。


別に、なんでもない時なら、ヘパイストスも、気にとめたりしない。


ただ、今は、時期が最悪。


姉のガブリエルと義理の兄のミカエルが失踪して、2週間が経ってしまった。


ゼウスは、いつにも増して、神経質になっている。


今、アレスの無断外出がバレたら、父さんの雷が落ちる!アレスが危ない!


兄貴として、アレスの無断外出の真相をつきとめねば!



 今夜も、アレスが動きだした。


ヘパイストスは、トリトンからもらった貝殻トランシーバーを起動した。


「こちら、ヘパイストス。トリトン、応答せよ、オーバー。」


貝殻トランシーバーから、いとこの声が返ってくる。


「こちら、トリトン。アレスは、港町へ向かっています。オーバー。」


 打ち合わせ通り、庭園の噴水の前に、トリトンがいた。


ヘパイストスは、トリトンと合流して、街へ向かう。


深夜とは思えないくらい、外は人が多かった。


「星祭りの前やし、みんな浮かれてるのかな?」


ヘパイストスは、トリトンを見上げる。


ラッキー!と、トリトンは、ニコニコしている。


「これなら、人混みに紛れて、尾行できるね。」と、トリトンが、ふり向いた時、隣に、ヘパイストスがいなかった。


あれ、ヘパ?と、うしろを見たら、ヘパイストスが酔っぱらいにからまれている。


嫌がるヘパイストスを、無理矢理、連れて行こうとしている酔っぱらいを、トリトンが追い払った。


「俺の彼女なんです。やめてください。」


やっぱり、ついてきてよかった。トリトンは、ふぅっと、ため息をついた。


ヘパイストスは、女の子みたいに繊細な容姿。ナンパされるくらいかわいい。


ヘパイストスを、夜にひとりで出歩かせたら、また誘拐されていたかもしれない。


「ヘパ、俺から離れたらあかんで。」


「トッティー!なんて言った!俺の彼女!?」ヘパイストスが怒っている。


「もっとましな追い払い方、あったんちゃうの!?」


「これが、一番てっとりばやかったんやで。向こうは、ヘパのこと、女の子やって思ってるんやし。気にすることないない。」


トリトンは、ヘパイストスの頭をぽんぽん叩いて、なだめた。


しかし、ヘパイストスの怒りは、おさまらない。


「あの酔っぱらい、ムカつく!俺を女と間違えるなんて、どんだけ飲んでんだ!はよ、家に帰れ!」


「ほらほら、アレスが行っちゃうよ?」


トリトンは、先を歩いている、がたいのいい銀髪の男を指差した。


アレスが、レストラン街を抜けてしまった。入って行ったのは、神殿だ。


「うそ。モイライの神殿に、入っちゃったよ?」


ヘパイストスは、混乱していた。


「神殿なんて、神官でもなければ、行く意味ないじゃん。ボクサーのアレスには、いちばん、無縁な場所なのに。アレス、神官になったの?いや、まさか。ていうか、だとしたって、こんな夜中に、なにしに行くんだ?」


自問自答しているヘパイストスの隣で、トリトンが、にやにやしている。


「あんな。俺、わかったんやけど。アレスの無断外出の真相。」


ヘパイストスは、びっくりした。


「嘘だろ。アレスが、モイライの神殿に入ったのを見ただけでわかったの?」


うん!と、トリトンは、うなずいている。


トリトンは、昔から、洞察力や観察力が、人一倍すぐれていて、少ない情報から、なんでも推理できる。


迷宮入りしそうな難事件も、トリトンの推理力にかかれば、即時、解決する。


子どもの頃、誘拐されたヘパイストスの居場所を突き止めて、犯人を追い込んだのもトリトンだった。


「トッティーって、なんでそうやって、なんでもわかっちゃうの?」


「犯人の気持ちになって、考えればええんやで。」


アレスを追って、ヘパイストスとトリトンも、モイライの神殿へ入った。


 夜のモイライの神殿は、幻想的な光景だった。


泉が宿す光が壁中に反射していて、まるで、水が壁に溶けているみたいに見える。


泉をのぞきこむアレスが見えて、ヘパイストスは、悲鳴をあげてしまった。


「誰かおるの!?」アレスに気づかれた。


ヘパイストスとトリトンは、あわてて、柱に隠れる。


アレスが、警戒して探しに来た。


事を見兼ねたトリトンは、鼻をつまんで、こう言った。


「アレス、なにしてんだ?」


ただのだみ声にしか聞こえないけど。これが、トリトンの全力の、クロウの声真似。


あちゃー………と、ヘパイストスは、額を叩いた。


並外れた推理力を発揮する一方で、トリトンは、こういうボケを普通にかます。


「なんだ。先輩か。」と、アレスが、ほっとしているから、


嘘だろ!?通じたのか!?と、ヘパイストスは、びびった。


しかし、数秒後。


「て、なるかー!出て来い、トリトン!」


やっぱり、気づかれていた。


「ノリつっこみ、ありがと。」と、トリトンは、姿を見せる。


ヘパイストスも、前に出た。


「ヘパ?トッティー?」と、アレスは、驚いている。


「なにしてんの、こんな夜中に?」と、言われた時、なにしてんのは、こっちのセリフ!と、ヘパイストスは、言いたかった。


「見たぞ!」と、ヘパイストスは、アレスに、つめ寄った。


「モイライの泉は、未来を映すって知っとるやろ!泉なんかのぞいて、もしも、変な未来が映ったら、どうするつもりで………。」


と言いかけて、ヘパイストスは、水面に、自分の顔が映っていることに気づいた。


あわてて泉から飛びのくヘパイストスに、アレスが言う。


「なにも映ってないよ、ヘパ。」


「モイライの泉が未来を映すからこそ、泉を見てたんやで。な、アレス?」


トリトンが言った。


「泉が、ガブリエルとミカエルの居場所を映すかもって考えたんやろ?神官がおらん夜中に、こっそり神殿に通ってたのは、だからやな?」


「トッティー!?」と、驚きのあまり、目を見開くアレスを見て、「あたってた?」と、トリトンは笑っている。


アレスは、白状した。


「だって、ガブねえとミカにいの居場所を突き止める手がかりが、まだ見つからないんでしょ?なにもしないで待ってるのは、つらいし。俺にもできることないかなって考えたら、ガブねえが、泉で未来を占ってたのを思い出したから。」


「ごめんな、アレス。」トリトンは、アレスの肩を叩いた。


「俺が不甲斐ないせいで、アレスにまで心配させて。」


毎日、聞き込み調査をしているけど、失踪事件の真相につながる情報が何もつかめなくて、トリトンも悩んでいた。


この事件は、おかしい。ガブリエルもミカエルも、自分から消えたようにしか思えない。


アレスが、もう一度、泉をのぞいた。


「なんでもいいんだよ。なにか映ってくれないかな。」


トリトンも、のぞいてみた。けど、泉には、自分の顔しか映らない。


「やっぱり、俺たち神官じゃないし。泉は、こたえてくれないのかな。」


今日もだめか……と、アレスは、ため息をついた。


「ねぇ、帰ろうよ!」と、ヘパイストスは、アレスとトリトンをせかす。


「夜の神殿って、静かすぎて気味が悪いよ。早く、家に帰りたいよ。」


「せやな……。」トリトンが、あくびをしている。


「夜更かしは、明日にひびく。ていうか、もう明日か。歩いて帰るの、だるいんやけど。ワープで帰ろう。アレス、魔法陣描ける?」


「任せて!」と、アレスは、手に魔力を圧縮して、杖を出した。


アレスが杖を振ると、宙に光が交差して、空間転移魔法陣ができあがる。


空間転移魔法は、俗に言うワープ。空間を歪めて、移動過程を短縮する魔法。


魔法陣をくぐれば、オリンポス宮殿。


ところが、魔法陣をくぐり抜けた途端、3人は、落っこちた。


つながっていた出口は、庭園の噴水の真上。


3人とも、頭から、噴水につっこんだ。


鼻から水が入って、ヘパイストスは、苦しかった。アレスも、むせている。


トリトンは、耳に水が入ってしまって、一生懸命、頭を振っている。


「場所が悪すぎ!オリンポス宮殿には、ちゃんとワープできたけど!」


水を吸ったシャツが、肌にはりつく感覚が気持ち悪くて、トリトンは、シャツを脱いだ。絞ったシャツから滴った水が、庭の芝生を濡らす。


「あかん、びちょびちょなんやけど………。見て、これ。」


「ごめん……転移先、ずれちゃった………。」アレスは、謝った。


咳がおさまったと思ったら、今度は、くしゃみが出た。


「ねぇ、このまま、大浴場に行かない?」


「俺は、ええわ。おやすみ。」トリトンは、アレスの誘いを、あっさり断った。


足もとに、貝殻の紋章魔法陣が光った直後、トリトンの体が宙に浮く。


浮遊魔法をつかって、バルコニーにあがったトリトンを、


ヘパイストスとアレスは、トッティー!と呼んだけど、


「俺は、部屋のシャワーでええわ。ふたりで行ってきて。」


と、トリトンは、部屋へ帰ってしまった。


 仕方ないから、ヘパイストスとアレスは、ふたりだけで、大浴場に行った。


アレスは、風呂のエコーが大好きで、入浴中は、必ず歌う。


気持ちよく歌っていたけど、途中、声が裏返って、わー!と、アレスが悔しがっている。


「高音がうまく出せない!」


「それだけ高い声が出たら、じゅうぶんやって。」ヘパイストスは言った。


「だめだめ。現状に甘んじてたら、進歩しないんだから。」と、アレスは、発声練習している。


びしょ濡れのトリトンを、ふと思い出して、ヘパイストスは、笑ってしまった。


「あんなに水が滴るトッティー、初めて見た!」


アレスも、思い出して、笑っている。


「あれは、レアだよ!夜更かししたかい、あったね!」


トリトンには、特別な力がある。


水の中でも、陸と同じように呼吸できるし、目もはっきり見える。


しかも、濡れたくないって思えば、一滴も水が滴らない状態で、海からあがってこられる。


このスキルは、海の神様とネレイス(海の精)の間に生まれた息子の特権。


ワープ先が、まさか、噴水の真上なんて、トリトンにとっても、予想外のハプニングで、特殊スキルをつかうひまも、なかったらしい。


ねぇ!と、アレスが話題を変えた。


「星祭りの願い事って、決まった?」


「願い事?願い事か………。」と、ヘパイストスは考えた。


星祭りは、星が一番きれいに見える時期に開催される、天界の年間行事のひとつ。


星空の下で、家族や友達と集まって、食事をしたりゲームをしたり、星に願いをきいてもらう。


アレスは、お祭りが、もう待ちきれない。


「俺は、決まったよ!『宇宙最強の男になりたい!もっと音域広げて、歌える曲、増やしたい!おなかいっぱい食べても、太らない体になりたい!』」


「3つも?欲張りすぎちゃう?」


「ランプの精だって、3つまでなら願い事、叶えてくれるじゃん!3つまでなら、いいんだよ!」


「うーん。俺、どうしよう………。」と、ヘパイストスは、悩んでしまった。


星にきいてほしい願い事なんて、思いつかない。


「『吐くまでピザが食べたい!』で、いいや。」と、結局、今年も、適当な願い事になった。


「去年も同じこと言ってなかった、ヘパ?」


「だって………。魔法がつかえるようになりますように!って、願ったところで、そんなの叶うわけないし。」


目の前で、当り前のように魔法をつかわれるたび、ヘパイストスは、劣等感に押しつぶされて、吐きたくなる。


タイタン族なのに、どうして、自分だけ魔法がつかえないんだろうって、いつも考えて、いきつく結論が、落ちこぼれだからって思うと悲しくなる。


「俺も、自分の紋章魔法陣を描いて、浮遊魔法つかってみたい………。」


ヘパイストスの発言に、アレスは笑った。


「浮遊魔法なんか、ただ浮くだけじゃん!ペガサスの乗馬の方が、何倍も楽しいって!」


「俺さー、みんなが当り前にできることが、自分だけできないのが嫌なんだよね。」


「ヘパには、鍛冶仕事ってとりえがあるでしょ!誰でもつかえる浮遊魔法より、そっちの方が価値があるって。なにかあった時は、俺が守るからさ。変なやつが、からんできたら、ワンパンでKOしてやるし!」


「それじゃあ、俺のボディガードでついてくる?」


「どこに?」


「アレスは、過去か未来。行けるとしたら、どっちに行きたい?」


突然きかれて、アレスは、戸惑った。えっと……と考える。


「どっちかっていうと過去かな。自分が生きてなかった時の出来事って、タイムスリップしない限り知りようがないし。そうだ!ティタノマキア見てみたい!世界がひっくりかえる大戦争だったんでしょ!」


「見に行く?イカロスにいちゃんの死因を、つきとめた後でやけど。」


「イカロスにいちゃんの死因?え、転落事故じゃないの?崖から落ちたって。」


「おかしくないか、それ!俺みたいに、魔法がつかえないなら、ともかく!ふつうの人が、崖から落ちて死ぬなんてことある!?」


うーん……と、アレスは考えた。


「確かに、俺が崖から落ちたとしたら、絶対、浮遊魔法つかうし。転落死なんてならないと思うけど。でもさ。父さんも、ダイダロス先生も、同じこと言うよ?」


「だから、怪しいんやって!あのふたり、絶対、何か隠してる!ノーザンクロスで、タイムスリップして、秘密をあばいてやるんだ!」


ノーザンクロスというのは、ダイダロスをリーダーとするエンジニアチームが開発した、時空移動船の名前。


ダイダロスは、作品に、星の名前をつける傾向がある。


『ノーザンクロスがあるってことは、次の作品は、サザンクロスですか?』と、ヘパイストスが冗談できいたら、一瞬だけ、ダイダロスの目の光が消えた。


『その名前は、絶対につけないかな。』


そう言ったダイダロスの目は、『イカロスは崖から落ちたんだよ』と話す時と同じような気がして。サザンクロスとイカロスは、なにか関係性があるのかなと、ヘパイストスは直感した。


イカロスを本当の兄のように慕っていたヘパイストスにとって、真実を隠されるのは、つらかった。


崖から落ちたなんて、適当な嘘でごまかされ続けるなんて、耐えられない。


「誰も本当のことを話してくれないなら、自分で答えを探しに行く!」


「探しに行くって……まさか、ヘパ!?船の操縦できんの!?」


「うちのチームがつくった船だよ!ワンタッチ操作に決まってんじゃん!行先を設定するだけ。あとは、自動運転。でも、ひとつ問題があって……。」


ヘパイストスは、口の前で、人差し指をつきたてた。


「船の所有者は、ダイダロス先生だから、先生の許可がないと、勝手にいじれないんだよ。だから、こっそり、やるしかないんだよね。」


「こっそりって………。」アレスは、ヘパイストスの言葉の選択が、ふに落ちなかった。


こっそりの次元が違う。誰にもみつからないように、神殿に忍び込むレベルじゃない。


「船を一隻使う作戦を、こっそりっていえるのか?」

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