お腹をくだすあの子
ネコイル (猫頭鷹と海豚🦉&🐬)
冷たいものは摂らないで
「はい、これとこれでいいかしら?」
ガサゴソと袋から取り出されていく幾つものアイスクリームの数々に、僕は向いた視線を外すことができなかった。
病院に行くことになる前に入院の経験もある祖母からほかの患者の詮索なんかするものじゃない、と強く言われていたけど今だけは彼女がどうしてそんなにもたくさんのアイスを食べようとしているのか知りたくて仕方なくなってしまった。
お母さんらしき女性が掛布団をアイスで埋めたところで、ベットに横になっている女の子がゆっくりと体を持ち上げたかと思うと手元の一つに手を伸ばし、まるで食後のお薬を飲むみたいに口に運んだ。
彼女がアイスを食べ始めると、彼女の母親は呆れた顔をしてそのまま病室を後にした。僕は「ありがとうくらい言いなさいよ・・・」と、彼女の母親の心のうちを勝手に想像して、これまた勝手なことにその彼女の態度になぜか怒りを覚えてしまっていた。
僕の怒りが伝わったのか、それとも、人のおやつの時間をお預けをくらった犬みたいに見つめる僕をただ気味悪がっただけなのか、彼女は食べかけのアイスを膝上にいったん置くと「なに?あんたも食べたいの?」と聞いてきた。
そのぶっきらぼうだけど、あくまで怒りや嫌悪感を感じさせない声色に僕ははじめこそ驚き、見つめていたことを後悔もしたけど、きっと悪い人ではないんだろうと思い直しおずおずと会話を始めた。
「あ、いやごめん・・・。邪魔するつもりはなかったんだけど・・」
「そんなに物欲しそうな顔してたらこっちだって気になるよ。で?アイス食べたいの?」」
彼女は再度アイスの話を持ち出した。たとえ僕が本当に欲しがっていたとしても、僕が小学生にも満たない小さな子供ならともかく、高校生にもなってそんな風に見られるのがちょっとだけ気に入らなかった。
「ありがとう、でも別にアイスが食べたいから見ていたわけじゃなくて・・」
「はい」
「え!?」
そう言って彼女は足元に広がるアイスの海からアイスを一つ手に取ると、まるでゴミでも投げ捨てるみたいにこちらに放り投げてきた。僕は慌てて上半身ごと浮かせてそれをなんとかキャッチした。そんな僕の慌てっぷりを別に笑うでもなく彼女は「男子っていっつもそうだよね」と上から目線に語っていた。
やっぱりどこか下に見られている。少し気に食わないところもあるけど、彼女が投げてよこしたアイスがスプーンのいらないコーンタイプのアイスであったところからして、根はやさしい子だということが想像できた。
僕は怒りや恥ずかしさで熱くなった顔を冷ますようにアイスを顔に近づける。すると、パッケージの隙間から溢れ出るチョコとバニラの甘い香りにアーモンドの香ばしさが僕の鼻腔を刺激して急に口の中が潤うのを感じた。
僕がチラリと彼女の方を見ると、彼女は一つ目のアイスを食べ終わり、さっそく二つ目の蓋を取ろうとしているところだった。
彼女の食い意地に触発されたわけじゃないけど、僕も今はこのアイスをいただく方がいい気がしたので、間違ってもアイスをシーツの上に落とさないよう慎重にパッケージをめくることにした。
余計な紙を取り除いたアイスはまるでマイクのように僕の手の内に収まり、そして優勝トロフィーのような特別感を与えた。これもきっと続く入院生活で久しく甘いものを口にしていなかったせいだろう。
僕は改めて彼女にお礼をした。
「ありがとう、あんまり甘いものが食べれてなかったから嬉しいよ」
彼女はこちらに顔を向けると、あえて口の中のアイスをゆっくりと溶かすように唇をうねらせながら、僕の顔をまじまじと見つめた。
その表情は僕のことを不思議がっているようにも、旨そうかどうか見定めているようにも見えて、焦った僕は自然と口が動いていた。
「あ、えっと・・なんでそんなにアイスばっかり食べているのかな・・?」
僕の質問を受けても彼女はまた一口、また一口とアイスを続けて口に運んでいた。僕はなんだか自分で作り出したこの空気に耐えられなくなり、両手で優しく握ったアイスを食べて気をそらそうとした。
僕が口を開いて齧りかけたとき、「なんでってねぇ」と彼女の声が僕の動きを止めた。気持ちよく歌いだそうとした瞬間にアナウンスを入れられたみたいで胸の内にしこりは残ったが、聞いた手前彼女の行動の理由には興味があったので素直に続きを聞くことにした。
「なんでだと思う?」
楽しげにこちらを見つめてそう尋ねる彼女は、アイスの国の女王様みたいだった。
「え?アイスが好きとか・・・?」
僕はそんなありきたりな返答しか返すことができなかった。そうして女王様を楽しませることのできない男は彼女に冷たくあしらわれる。
「そんなわけないでしょ。ここはあたしの
「ご、ごめん。そうだよね・・・」
僕は彼女に向けた視線を落とした。チクリと刺すような痛みにも似た感覚を覚えてそこに目を向けると、手に握ったアイスが溶け出し僕の両手に白い雫を落としていた。僕はその雫をこぼさないように慎重に口元まで持っていくと舌先でなめとって、コーンのうえのアイスにまるごとかじりついた。口の中が一気に冷やされて痛みを覚えたけど、今は気をそらすのにちょうどよかった。
女の子に気の利いた返事をできなかったという事実は、僕の心にも例外なく傷を与えていった。
「フフフ、でもそうだね。せっかくだからいい事教えてあげるよ」
彼女はまるで酒の余韻に浸る大人を演じるみたいにアイスのカップをゆらゆらと揺らしながらこちらに視線を向けていた。
「これからの人生で、もしあたしみたいな子に会ってもわざわざそんなこと聞かない方がいいよ。女の子ってのはね、みんな努力して可愛くなってんだからさ。そんなこと聞こうとするのは野暮だし、ウザイだけだよ」
そう言うと彼女は女心を理解していない僕を嘲笑うようにニヤニヤと笑顔を見せながら、カーテンを引いて僕との境界線を引いた。
僕はバニラの甘さとチョコの苦さを交互に感じながら、最後、指先に残ったコーンの粉まで楽しんだところで横になってもう眠ることにした。眠った先で甘い夢を見れることを願いながら僕は瞼をぎゅっと閉じた。
それから僕は浅い眠りについた。
あいにく望んだ夢は見ることは出来なかった。日光に温められた水面に浮き沈みするクラゲになったような気分を味わっていると、遠くから響く声が聞こえた気がして、それが近づいてはっきりと耳をとらえ始めたとき、それが僕を起こそうとする母さんの声だと気付いた。
僕が身を起こすと母さんは呆れた顔をして僕のことを見ていた。僕はその表情になぜか見覚えがあると感じ、記憶をたどっていると隣にいた彼女のことを思い出した。
振り返ってみたが、カーテンは閉められたままでその先に彼女の気配は感じられなかった。今は近くにいないのかもしれない、僕はその可能性にかけて母さんに顔を近づけると小声で気になっていたことを聞いてみることにした。
「ねぇ、あのさ。女の子がアイスをたくさん食べる理由ってなにか知ってるかな?」
「女の子・・?アイス・・・?」
母さんの表情が変化するのを見てから、僕は急ぐあまり単刀直入すぎる質問をしていたことに気付き、今すぐにでも布団に潜り込みたい衝動に駆られた。
だけど、母さんはその点には鈍感であったようではじめに僕が彼女に返したのと同じ答えを口にしていた。
「それってアイスが好きなんじゃなくって?」
「いや、そうじゃないみたい。なんか可愛くなるための努力とかなんとか・・・」
僕は母さんが気づかないことを願いながらもう少し詳しい情報を加えた。これで母さんが勘のいい人だったら、餌にありつこうとするひな鳥みたいに僕のことをつついてくるだろうけど、運のいいことに母さんはこれだけのことを言っても何も気付いてはいないようだった。でも、僕の聞きたいことにはなにか気が付いたようで、「それはね」と僕の耳元でまわりに聞かれないよう小さな声で語り始めた。
「女の子が自分のお腹を小さく見せるために、わざとお腹を下すことがあるの。たぶんそれでじゃないかしら」
「お腹を下す?それでわざわざ冷たいアイスをたくさん食べるの?」
すると母さんは少し気まずそうな顔をして、急に歯切れが悪くなった。
「うん、でもねぇ、わたしはあんまりこういうのは好きじゃ・・というかあまり肯定できないというか・・ね」
「なに?どういうことさ?」
僕が詰め寄ると母さんは更に声量を落としてその、お腹を下すの意味を僕に教えてくれた。
「お腹を冷やして冷やすと、お腹のなかで胃の底がペロンと剝がれて落っこちるの。冷たすぎてここにいられないって嫌がるみたいにね、そうしたらそれを手術で
取り除いちゃうの。そうしたら、胃も小さくなってお腹周りが小さくなるっていって若い頃からそうする子がいるみたいなの。わたしとしてはそんなことしてたら健康が・・・
母さんはそれから熱が入ったみたいに喋りだしたけど、その声量だけは小さいままだった。おかげで僕は母さんが言った内容をイメージし、頭の中を整理する時間を確保することが出来た。
胃がペロリと落ちるという表現には違和感を拭えなかったが、そんなこともあり得るのかもしれないと最後は納得することにした。
なんたって僕が今入院しているのは、腹の虫の居所が悪いからなのだから。
今日はこれから手術で虫の居場所の確保をしてもらうことになっている。どんなことになるのか正直不安ではあるが成功することを願うばかりだ。
そういえば、冷たいものをあまりとらないようにと言われていたような。
あれは確か、虫が温かいところを目指して動いてしまうから・・・だったから?
う~ん、今日の手術はうまくいくだろうか。今から不安になってきてしまった。
お腹をくだすあの子 ネコイル (猫頭鷹と海豚🦉&🐬) @Stupid_my_Life
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