第二十九話 竹内のその後

 

 日付が変わってゆき、十月も残り少なくなった。

 

 蝉の鳴き声もいつしか聞こえなくなって、季節は秋をすっとばして夏から冬へと移り変わろうとしている。冬を待ち遠しく思う日は夏休みに置いてきた。今はこの心地よく肌をさする気温が続いてほしい。


 一時期話題を集めた竹内の告白動画は削除され、竹内の悪い噂も影を消した。学校でも竹内という名前が話題に上がることは無くなったし、みんな時間が流れて興味も失せたのだろう。


 竹内の告白動画を撮影して、YouTubeに上げた主犯であるサッカー部のキャプテンや、一連の騒動に関わりのある他のサッカー部員たちは、竹内と篠田海斗に誠心誠意の謝罪をした。


 本来ならば、彼らのしでかした騒動は、学校中に広められて非難されてもおかしくないが、竹内は彼らの事を笑顔ですんなり許した。竹内は河川敷で美月に命令された、他人に優しくするということを実践中なのだ。その優しさには、謝られたら許すという優しさも入っている。


 キャプテンたちもあれ以来、廊下で美月とすれ違う度にビクビクしていたから、同じような過ちを繰り返すこともないだろう。結果的には問題を荒立てないことで、竹内の悪い噂は早く消えたのだからそれもよかった。


「ここでいいですか?」

「ああ、そこおいといてくれ」

 俺は、両手に抱えた古い古典の資料を、職員室前の床に置いた。

「すんきゅーなー。後は俺がやっとくからもう帰っていいぞ~」

 担任の山崎先生が、眠たそうに目頭を掻きながら言う。

「いや、もう全部運び終わりましたけどね……」


 竹内が窓から落とされたあの日の昼。

 一連の騒動が解決した日の昼休みが、古文の課題の提出期限だったらしく、俺はそれをすっかり忘れていた。というわけで、俺は山崎先生に

「放課後手伝いをすれば減点は無しにしてやる」

 と言われ、せっせと働いていたわけだ。


 美月と遥香め、あいつら自分たちだけは提出しておいて……俺にはなーんも言ってくれないんだもんな。


「ほんじゃ、気をつけてかえれよ」

「はーい」

 気の抜けた声で山崎先生は背中越しに手を振る。

「あ、そうだ生徒よ」

 何か思い出したように、山崎先生が扉の前でけだるそうな足取りをけだるそうに止めた。

「……なんですか? また仕事ですか?」

「いや、また明日からうちのクラスに転校生が来るんだよ」

「またですか? 最近美月が来たばっかりですけど」

 こんな短期間に二人も転校生なんて珍しいな。

「そう。えーっと名前はなんつったかな…………水なんとかつみきっていったかな」

「え? つみきですか?」

「忘れた。まあいいや。明日な」

「え、あ、はい」

 一瞬だけ山崎先生は考える素振りを見せたが、すぐに諦めて職員室へ入って行った。

 どうせ山崎先生のことだ、まず名前なんて覚えてもいないだろう。俺の名前すら怪しいぞ。……名前じゃなくて『生徒』って呼ばれたしな。

 じゃまあ、仕事も終わったし、俺も帰るか。

 ……にしても『つみき』なんて名前の人はいないだろうけど。


 そう思った時に、職員室の扉が再び開いた。


「あれ、輝彦兄貴じゃないっすか⁉」

 職員室から出てきた竹内は、のけぞるような派手なリアクションで俺に驚く。

「お前はびっくりしないと誰かとエンカウント出来ないのか」

「逆になんで輝彦兄貴はびっくりしないんすか?」

「俺はクールだからな」

「人見知りなだけでしょ」


 ゴツンッ。


「痛って! 何すんすか!」

「愛のムチだ」

「絶対違うでしょ!」

 うーん、どうも美月のように髄に響き渡るような音が出ない。俺にも修行が必要だな。


「てかお前ここで何してんだ? 呼び出しか? それとも反省文でも書くのか?」

 ふと目線を下にすると、竹内は手に一枚の紙を持っていた。竹内が職員室に呼びだされたイコール呼び出しオア反省文以外ないだろう。

「違うっすよ! これっす!」

 竹内が裁判の後、弁護士が『勝訴』と書かれた紙を報道陣に掲げるように、『入部届』と書かれた紙を俺に見せた。


「もしかしてサッカー部に入るのか?」

「そうっす! 今日練習に参加してたら、急に顧問の先生に『お前誰だ⁉』って言われて困っちゃいましたよ~。部活に入るのに手続きがいるの忘れてました!」

 そりゃあ、急に知らないやつが部活に参加してたら生徒も先生も驚く。

 まず、よく参加したな。その毛の生えた心臓が俺も欲しい。


「あの、そういえば輝彦兄貴」

 竹内があらたまったように背筋を伸ばすと、直角に腰を曲げた。

「先日は本当にありがとございましたっ!」

「ああ、いや、それなら俺は何もしてないからさ、礼は美月と遥香に言ってくれよ」

「それはもちろんっす。でも輝彦兄貴が色々俺のためにやってくれたこと、あの時は放っておいてほしいなんて言いましたけど、すっごい感謝してるっす。それにお守り……輝彦兄貴が守ってくれましたから」

「まあな……うん」

 なんか改めて言われると恥ずかしいし、どう反応していいか分からん。


「では、海斗のこと待たせてるんでお先に先礼しますっ!」

「おう」

「じゃ! また!」

 竹内は嬉しそうに入部届を握り締めて、グラウンドの方角へ走って行った。

強く握りしめられた入部届に、俺もついクスっと笑ってしまった。

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