第二十七話 今から、この男を落とします
「そこまでー!」
声がした方に目線を向けると、息を弾ませた美月が教室の出入り口に立っていた。
「ごめんね、思ったより準備が遅れちゃって」
美月は教室に足を踏み入れて、俺の方へ向かってくる。おかっぱ頭たちのことは眼中に入っていないのか、通り過ぎる時も美月は彼らの顔を見向きさえしない。
「え、ああ、いや。俺も余計なことしちゃったかも」
俺は自分の手を背中の後ろに隠した。完全にノープランで飛び込んだから、実は、回想の後に何をすればいいか分からなかったし、回想中も竹内のクラスメイトからの視線が怖かったんだよね……。
「あとは、美月に任せて。輝彦師匠はここで見守っててね」
美月は、俺の背中の方を目線で気にしながら、優しく微笑む。
「なあ、本当に大丈夫なのか……?」
「うん。大丈夫だよ」
美月は静かに頷くと、教室全体の方へ顔を向けた。
「美月……?」
――ただその一瞬、美月の横顔の表情が、俺の知っている美月とは別人のような……冷徹さ、冷酷さ、そんな狂気をも感じさせる目つきに変わったように俺の目には映った。
俺の声に振り返ることなく、美月は今度おかっぱ頭たちの方に目線をやる。
おかっぱ頭たちは、美月の顔を見た瞬間「うっ……」と声を出して、青ざめた表情をした。俺には美月がどんな表情をしているのか分からないが……今しがた見えた横顔を思い出すと鳥肌が立ってゾッとする。
教室にいる生徒たちは、動揺と騒めきの中にいて視線は勿論のこと突然現れた俺と美月に注がれている。しかし、美月は、クラスの視線なんて全部お構いなしという感じだ。
「美月姐さん……? ど、どうしたんすか……?」
美月は今度、竹内の方へと歩みを進めた。
「ちょ、ちょ、み、み、美月姐さん⁉」
美月の表情を見た竹内は、本能的に怯えた顔をしている。
そしてそこからは一瞬の出来事だった。
美月は竹内の前にたどり着くと、そのまま間髪を入れず、座りこんだ竹内のシャツの首元を掴み上げた。
そして――竹内の頬をビンタした。
両手を思い切り打ち合わせた時の音に近い、パシンッという音。
教室が騒めきから悲鳴に変わった。
俺は、鼓膜にその音が響くと同時に、頭の中で幼い頃の記憶がフラッシュバックして、一瞬だけ、竹内と俺が、美月とあのショートカットの元気な女の子が、重なって見えた。
まるで、俺がショートカットの女の子にされたような――
「な、な、な、なにするんすかぁ⁉」
ビンタされた衝撃で床に尻餅をついた竹内は、涙目で赤く腫れた頬を押さえた。
それでも美月は容赦なしに竹内のシャツの襟元を掴んで持ち上げる。教室中の悲鳴はまたも無視。美月は竹内を引きずるようにそのまま窓際へ運ぶ。
――そして抵抗する体を片手で軽々と持ち上げ、半分ほどその体を窓から露出させた。もちろんその体は、竹内のものだ。
竹内は少しでも窓の外へ体重をかけると、落ちてしまいそうな状態。
「ちょ、美月姐さん! やばいっすって! 落ちたら死にますって!」
竹内はなんとか落ちないように、窓の淵を両手で持ってへばりつく。
客観的に見ると、女の子が坊主頭の男子を窓から突き落とそうとしている状況。それから教室に入って初めて、竹内のクラスメイトたちに向かって美月が口を開いた。
「今から、この男を落とします」
その一言にクラスは喧騒も悲鳴も通り越して、誰もが口を開けない。声も出せない。
「いいよね別に。だってみんなこの男が死んでも平気でしょ?」
教室の張りつめた空気は、息を飲むのも許さない。
「そりゃそうだよね。みんなでいじめてたんだもん。死んだって関係ないし、もしかしたら死んでくれた方が良いって感じだもんね」
竹内は持ち上げられたまま、窓にしがみついている。必死の形相で抵抗をしているが美月の腕はピクリともしない。もし美月が手を離せば、窓から落下してしまう。
「ねえ、そこの君はどうなの?」
美月がおかっぱ頭に目線を向けた。まるで肉食動物が獲物を定める時の目だ。
「お、俺は……」
「この男が君に何かした?」
間を詰めるように美月が言う。
「確かに、この男は授業中に私語をしたり、先生に楯突いたりして迷惑をかけていたかもしれない。でも、君たちだってお喋りをしたり、先生に反抗したりしなかったわけじゃないよね? 中野くん」
おかっぱ頭が明らかにギクッと動揺した。おかっぱ頭は中野という名前らしい。
「君は、この男になんの恨みもないけど、女の子を無理やり呼び出したりした悪い奴だからいじめてもいいやって思ったの? あ、それともなんか気に障る奴だし、むしゃくしゃするからこいつでストレスでも発散しようと思った? まあ、それでもいいよね。この男なら影で叩いても、嫌がらせしてもいいもんね。悪い奴だから」
「そ、そんなことは……」
「じゃあ、中野くん、君はどうして竹内をいじめてたのかな?」
美月は鋭いナイフのような眼光でおかっぱ頭を追い詰める。
「それならこ、こいつだって! 竹内にわざとぶつかったり、背中に悪口書いた紙を張ったりしてた!」
おかっぱ頭が、焦った顔で後ろを振り返ると、さっきまで一緒に竹内を見下ろしてげらげら笑っていた仲間を前に差し出した。
「おい! なんで俺のせいなんだよ!」
「お前が最初にやりだしたんだろ!」
「ちげーよ、お前だよ!」
「あ⁉ 何言ってんだよ!」
おかっぱ頭たちが、互いに掴み合いだす。
「いい加減にしなッッ‼」
美月の大きく激しい声が教室に鳴り響いた。
「私は、中野くん、君に聞いてるんだよ」
「お、俺は……」
「他人のことは持ち出すな。自分の言葉で答えろ」
「……うっ」
「お前はどうして竹内をいじめたの?」
「……それは……それはだって……だってみんな」
「そうやって、自分が今まで散々いじめてきたことを他人のせいにして、お前に自分の意思がどこにもないのか?」
美月は教室を一瞥する。
「あんたたちみたいなぼーっと見てる奴らもそう。自分はやってない。あいつがやってた。あいつがやってたから自分もやった。そうやって全部他人のせいにして――」
「――このクラス全員! お前ら全員腐ってるんだよ‼」
「……美月姐さん」
「あなたたちにチャンスをあげる。私はこれから手を離す。その時に、この男のことを掴んで助けることが出来たらこの男は死ななくて済む。けれど、もし掴むことが出来なかった場合、そのまま落ちてこの男は死にます」
「ちょ、ちょ待って! 美月姐さん!」
「大丈夫、安心して。痛くないから」
「そういう問題じゃないっす! やめてください美月姐さん!」
美月が竹内に微笑みかえたその瞬間、美月がぐっと窓の外へと竹内を押し出して、手を離した。
視界の真ん中で、ゆっくりと竹内が窓から落ちてゆく。
その場にいる誰もが目を伏せた。俺もその例外ではない。
「……く…………うっ…………」
うめくような声がして、俺はぎゅっと閉じた目を開ける。
竹内の姿はない。
竹内は本当に落ちたのか……?
――しかし、そこには窓から身を乗り出している男の姿があった。
その男は篠田海斗だった。
篠田海斗はなぜか下に手を伸ばして、踏ん張っているように見える。まるで何かを掴んでいるように。まるで竹内の手を掴んだかのように。
……いや、掴んだんだ。篠田海斗が、あの篠田海斗が、竹内の手を。
「海斗……なんで……」
「く……う……くそっ…………誰か!」
俺は気づいたら篠田海斗の方へ走り出していた。一直線に窓へと向かい、篠田海斗の隣から身を乗り出して竹内の腕を掴んだ。
「輝彦兄貴……」
竹内は腕だけを掴まれて宙にぶら下がっている状態。
全ての体重が俺と篠田海斗の腕にかかる。帰宅部の俺と、足を鍛えるサッカー部の篠田海斗では掴んでいるのがやっとで、竹内の体を持ち上げられない。
俺と篠田海斗は目を合わせると、同時に振り返った。
「「おい! てめぇら全員突っ立って見てないで手伝えぇ!」」
何故か息が合った俺たちは柄にもなく熱量の籠った声で叫んだ。
「は、はい!」
おかっぱ頭を含めた四人組の男子たちが駆け寄ってきて、俺と篠田海斗の腰を掴み、それに触発されたクラスの男子、女子たち全員が窓際へと集まってきた。
「篠田海斗! いっせーので持ち上げるからな!」
「はい!」
深呼吸をして、腕に精一杯の力を入れる。
「いっせーので!」
俺は両手で竹内の腕をがっちりと掴み、歯を食いしばって思い切り引き上げた。
勘違いかもしれないけれど、その瞬間だけクラスが一致団結したような気がした。
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