第二十五話 その汚ぇ足、いますぐどけやがれ

 翌日。

 昼休みを知らせるチャイムが鳴ると、俺は一人で教室を出た。

 階段を並列しながら下りてくる一年生をかき分けて三階まで上る。


「あいつらどこにいんだよ……」


 朝、登校したときは遥香もいたし、美月も学校に来ていたはずなのに、朝のホームルームが終わったら二人とも席からいなくなっていた。何度LINEを確認しても、二人とも未読状態で、俺のメッセージに目を通しているのかもわからない。

 

 休み時間に校内を探したけれど二人の姿は見つからなかったし、二人とも未読無視に、授業サボりなんて絶対おかしい。


 昨日の夜、昼休みになったら竹内の教室前に集合って言ってたよな。


 とりあえず美月に昨日言われた通り、竹内の教室の前まで行って、さりげなく中を覗いてみる。

 竹内は、前と同じ教室の真ん中辺りの席に座っていて、今日は周りに誰もいない。

 篠田海斗を探してみると、教室の前方の席で読書に勤しんでいる姿を発見した。北原さんに見せてもらった写真通りクールって感じで、人を寄せ付けないオーラみたいなものが出ている気がする。

   

 

 ――そんな風に教室の中を観察していると、四人の男子グループが、竹内の机の近くを通り過ぎようとした。

 俺は何気なくその様子を目で追う。

 その時――最後尾を歩いていた一人のおかっぱ頭の男子が竹内の机にぶつかった。机の端に置かれていたためか、竹内の筆箱が床に落ちて、がしゃっと物音をたてる。

 

 物音に、四方八方から多くの視線が集まった。


「あ、わりぃわりぃ。落としちまったぁ」

「いやいや! 拾えばいいから全然だいじょーぶ!」

 竹内はおかっぱ頭に笑顔で返し、落ちた文房具を拾うために席を立とうとするが、


「いやいやぁ、俺が落としたんだからさ、俺が拾うよぉ」


 と、椅子から腰を上げようとした竹内を制して、おかっぱ頭が落ちた文房具の方へ歩み寄った。


「あ、」


 すると、今度は地面からパキッという音が小さく鳴った。

 

 足を浮かせると、そこにはバキバキになったシャーペンが。


「うっそー! まじわりぃ! まった気づかず踏んじまったわぁ」


 おかっぱ頭はやっちゃったー、と言ってわざとらしくおどける。

 そんなおかっぱ頭の近くに「ちょ、お前やりすぎだってば~」と言いながら、さっきの男子たちが竹内の元へ戻ってきて、げらげらと下品に笑い始めた。

 竹内の教室を覗いてからものの数分で、俺はいじめの現場を目の当たりにしている。


 こんな出来事が竹内のクラスでは日常茶飯事に起きているのだろうか。


 見ているクラスの連中は目を逸らすようにする者もいれば、それを見て口元を手で隠すやつらもいる。まともとは思えない……異常な空間だ。


 篠田海斗は顔だけを斜め後ろに向けて、その様子を傍観しているが、表情からだけでは何を考えて、何を思っているのか全く分からない。


 先輩の命令とは言え、篠田海斗の大切なユニホームにペンを突き立てたのは竹内が悪いというのは分かる。自分の彼女に好意を持つ人に嫉妬の気持ちが湧くのも理解できる。


 けど、自分の彼女に協力までさせて竹内を嵌め、一生懸命に想いを伝えた告白を撮影して嘘の情報とともに晒すなんて、こんな自分の手を汚さずに竹内を追い詰めるようなそんなやり方なんて、俺は許せない。


「いや! 大丈夫! また新しいの買うからさ!」


 竹内は自分のシャーペンを壊されようが笑顔を崩さない。

今度こそ竹内が椅子から降りようとした時――  

 


 ズボンのポケットから赤いお守りが落ちた。



 竹内が中学の時に篠田海斗から貰ったお守りだ。

「あぁ? なんだそりゃ」

 おかっぱ頭は、嫌がらせをしているのにも関わらず、平気そうに笑っている竹内に苛立っているのか、竹内が手を伸ばすより先にそのお守りを拾い上げた。

「なんだこのきったないクソみてぇなお守りは」

「……えっと、それは大切な物なんだ。それだけは返してくれ」

「あぁ? なになに~こんなんが大事なものなの? いやいや、新しいの買えよぉ~」

 おかっぱ頭とその後ろの奴らは、竹内が焦っている様子を楽しそうに笑った。

そして――  

「あ~、そういえばさぁ、俺の上履き汚れてたんだよねぇ」

 赤いお守りを地面に投げつけると、おかっぱ頭が足を振り上げた。 


「やめてくれぇ!」


 竹内がお守りを拾おうとすると、おかっぱ頭の仲間が前に出てそれを遮る。



「こんなきたねぇゴミは上履きを綺麗にするくらいがちょうどいいんだよぉ!」



「やめてくれ! 大事な物なんだっ!」

 竹内がお守りを守るために飛び込もうとするが、おかっぱ頭の仲間が掴んで離さない。おかっぱ頭の足が、躊躇なく竹内の赤いお守りに向かって一直線に下された。

 おかっぱ頭が踏みつけた足をぐりぐりとねじる。


「……あぁ?」


 だが、その足は竹内のお守りを踏んではいなかった。

 手に鈍痛が走る。ここまで思い切り人に手を踏まれたことは人生で一度もない。


「その汚ぇ足、いますぐどけやがれ」


 おかっぱ頭は、人の手の上に自分の足があることに気づいて、後退りするように足をどけた。

「輝彦兄貴……?」

 あーあ、やっちまった。無意識に飛び出してきちゃったよ。

 手が痛い。全力で踏まれるのってこんな痛ぇのかよ。滅茶苦茶痛ぇじゃねーか。

 スライディング状態で飛び出してきちゃったからお腹の辺りも痛いしさ。


「……でも、今は俺の痛みなんてそんなの関係ないな」


 竹内にとって、篠田海斗から貰った赤いお守りは今でも大切な物なんだ。それなら、近くで見てる俺は、どうしてもこんなやつの汚い足裏でその大事な物を踏ませるわけにはいかない。 


 庇った手が酷くいたい。一瞬で赤くなってやがるし、もしかしたら、あの金髪に蹴られた時よりも痛い。けど、俺は痛いなんて言わない。一番痛いのは俺じゃないからな。


「おい、腐れおかっぱ野郎」


 俺は立ちあがって、制服の埃をはらった。

「……く、腐れおかっぱ⁉」

「そうだ。お前のことだ腐れおかっぱ。黙ってみてりゃあふざけた真似しやがって」

「…………」

「お前はこんなことして楽しいか?」

「だ、だれだよあんたは……」

「俺は、竹内の兄貴だ」

「は、はぁ?」

 俺は床の赤いお守りを拾い上げて、竹内に渡す。

「悪ぃな竹内。やっぱり俺は人の大事な物を簡単に汚そうとする奴は許せねぇんだわ」

 最近よく保育園児の頃のことをよく思い出す。

 こういう時に、俺を動かすのはあの時の記憶と、ショートカットの女の子の教えだ。


ここで動かない俺だったら、それは俺じゃない。


 俺は今、君がなって欲しかったような人になれているだろうか。

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