第二十四話 満月と美月

 一旦寝よう……。そう思ってから何時間経過しただろうか。


 家に帰ってくるなり、自室のベッドにダイブして目を閉じていたけど、一向に眠れる気配がしない。スマホをいじるのも何だか億劫で、俺は布団の上で部屋の電気を消したまま寝転がっている。


 六限目の授業中、先生の目を盗みながらLINEを開くと、可愛らしいウサギが手を振っているスタンプとともに『今日一緒にかえろ~』という一言が美月から送られてきていた。


もちろん俺は嬉しい気持ちもあったが、一緒にいると美月の気分までも落としてしまいそうなので「今日はちょっと用事があるから先に帰ってくれ。また今度一緒に帰ろう」とだけ返信を送ってLINEを閉じた。


嘘をついてしまったことになるけど、今回は許してくれ。


 ……はぁ、どうしたもんかな。



『割れたお皿はもう元には戻らないんすよ』



 竹内が呟いた言葉が、頭の中でぐるぐると繰り返される。


 放っておいてほしいと口では言うけれど、去り際の竹内の背中は、誰かに助けてほしいと語り掛けていたと俺は思う。 


 竹内は篠田海斗との関係をやり直したいと今でも思っているはずなんだ。

 ……しかし二人の間には大きな壁がある。どうすれば、二人の間の壁を壊すことができるだろうか。


 ……いくら考えても俺じゃあ答えなんて出ねぇな。


 一旦頭の中をリセットするように、頭を横に振ってうつ伏せで枕に顔を埋めた。

   


 ――その時、ピロン。とLINE通知音がベッドの片隅に置いてあるスマホから鳴った。


 俺は何の気なしに手を伸ばしてスマホを取る。


『輝彦師匠、今何してる?』


 美月か……。スマホに表示される時刻は九時を回っている。もうこんな時間か。


『もし、よかったらさ』


 ん? なにか用事だろうか。


『……付き合ってくれないかな?』


「なっ! つ、付き合うぅ⁉」


 うわ、やべえっ、大声を出してしまった……。

 隣の部屋の妹に聞こえていないだろうな?

 

 いや、そんなことより……付き合うってあれだよな。交際のことを俗にそう言うよな⁉



『あ、コンビニまでねっ』



「ほぇ?」


『もしかして輝彦師匠、今大声上げてベッドから飛び降りちゃったりした?』


「…………」


『したよね? 絶対したよね?』


 確かに……大声も上げたし、ベッドからも飛び降りちゃったけど……どういうことだ。 

 どうして俺の行動が読まれているんだよ。この部屋には監視カメラでもあるのか⁉


『ま、とりあえず窓の外見てよ』 


「窓の外?」

 俺は恐る恐る窓に近づいて、カーテンを開ける。

 窓の外から見下ろすと、生足を惜しげもなく出したスポーティーなハーフパンツに、季節外れのパーカーを着た美月が家の前に立って、こちらに笑顔でぶんぶん手を振っていた。


「ごめんねついて来てもらっちゃって。どうしてもアイスが食べたくてさっ」

「まあ、窓を開けてしまった時点で、居留守という選択肢が消されたからな」


 あれは不用意な行動だった。

 美月に存在を確認された以上、出迎えないと何されるか分からない。


 一応、白のTシャツとジーパンという俺にとっての正装に着替えて外に出ると、連れられるがままコンビニへと向かうことになった。そこで美月はオレンジのシャーベットアイスを、俺はバニラのカップアイスを買い、近くの公園まで来た。

 

 九月も終盤に差し掛かると、夜の外は長袖で心地いい涼しさになる。

 この気温で、しかも半袖でアイスを食べるとなると若干肌寒い。その点で言えば、美月のパーカーは正解だったかもしれない。でも足はしっかり出てるんだよな……。 


「ん~? 輝彦師匠どうしたー?」

「え? あ、いや、その黒いパーカーって、俺と公園で初めて会った時に着てたやつと同じだな~と思って」

 美月が急にこちらを向いたので、俺はさっと前を見る。あっぶね~。

「そうだよ。お気に入りなの」

「そ、それは洗ってあるよな?」

「あったり前でしょ」

「だよな」

「もしかして、まだわいせつの証拠を握られてると思ってた?」

「なんのことでしょうか?」

「すっごい誤魔化そうとしてるけど、その反応は図星だね」

 バレた。でも良かった。これで俺が性犯罪者として警察に捕まる可能性は消えた。

美月は「ちゅめたっ」と言いながら、可愛らしくアイスを食べている。


「やっぱり夏のアイスは良いね」

「まあ夏も終わりかけだけどな」

 俺の顔を覗き込むように、美月が無邪気に微笑む。

 俺は目を合わせるのが恥ずかしくて、横目をつかって美月の方を見た。

 その微笑みに、ひとりベッドの上で悶々としていた俺の心が不思議と軽くなった気がした。


「輝彦師匠寒い?」


「え? ああちょっとな」

俺のアイスが減っていないのを見て、美月が心配そうな顔をする。

「でも大丈――」

「よいしょ」

 俺が「大丈夫だ」と言い切る前に、美月が俺の左半身にぴったりとくっついてきた。


「お、ちょ、美月?」

「だって寒いんでしょ? 輝彦師匠が風邪ひいたら美月が困っちゃうもん。それに美月も足ちょっと寒いし」

 美月の太ももが間接的に触れる。ズボンの布が無ければ、俺の理性が飛ぶところだ。


「そ、そうは言っても……」

「大丈夫。アイスが食べ終わるまでだから」

 美月が触れている左半身だけがとても暖かくて、心地が良い。

 なんでだろ……菫乃と隣にくっついた状態で座った時はドキッとはしたけど、何も感じなかった。なのに美月の隣は、ドキドキするのに、とっても優しくて、何故か安心する。


 俺もそれ以上拒むことはなく、木のスプーンでアイスをすくって口に運んだ。


「そういえば美月、今日は一人で帰ってごめんな」

「ん? そんなの気にしなくていいよ」

「そっか」

 俺は心が落ち着いて、いつの間にか、体重を少しだけ美月に預けていた。

 あのショートカットの女の子が手を握ってくれた時と同じような安心感が、そこにはあった。


「輝彦師匠、おたけに聞いたんでしょ? 篠田海斗くんとのこと」


「美月もその話……竹内と篠田海斗との間に何があったか聞いたのか?」

「うん。私は今日の帰りにね。輝彦師匠が昼休みの時から突然元気なくなっちゃったから、どうしたのかなーって思ってたけど、おたけに話を聞いて納得したよ」

 じゃあ、美月が一緒に帰ろうと誘ってくれたのも、俺を励ますためだったのか。


 もしかしたら、今も俺を励ますために……。


「ねぇ輝彦師匠」

「ん?」

「あとは美月に任せてくれないかな?」

「任せるって……?」

「おたけのこと。作戦があるの」

「作戦って、どんな作戦なんだ?」

「それはひみつ」

 ふと、美月の手元を見ると棒についていたアイスは無くなっていた。全部食べ切ったらしい。

 それに気づいて、俺は美月に預けていた体重を自分の元に戻した。


「美月が明日全部解決するよ」

「……そんなこと……できるのか?」

「大丈夫。輝彦師匠は見てるだけでいいから」

「おい。いいって言われても……」

「輝彦師匠は頑張ってくれたから、あとは私が何とかする」

 自信ありげな美月の表情は本当に何とかしてくれそうで、つい全て頼ってしまい

そうになる。


「というわけで! 明日! 昼休みになったらすぐおたけの教室前集合!」


 美月は言いながら勢い良くベンチから腰をあげると、俺の前に立った。

 月夜に照らされる美月は、フードを被ると、あざと可愛く微笑んだ。

 夜空の向こう側から、可愛らしく顔を出しているお月さまだって、そんなもの俺の前に立つ闇の旅路をも照らす美しい満月を前にしたら、全く目じゃなかった。


「ほら、なにぼーっとしてるの?」


「え?」

 えっと、何かなこれ。美月が何故か手を差し出している。


「はやく?」


 俺は訳も分からないままではあるが、美月の手を握った。


「よし! 行くよぉー!」


「あ、お、ちょっと! 美月⁉ どこ行くんだよっ⁉」


 突然にして、俺の手を握った美月が駆けだした。どこへ行くかも全く分からないけど、俺は何だか頬が緩んで、なんとか同じ速さで走れるように足を回した。

 美月まで同じどんよりとした気分にしないようにと、一緒に下校することを断ったけれど、そんなこと美月に気遣う必要はなかった。


 ほら。だってさっきまで気が沈んでいた俺が、いつの間にか笑顔にさせられてるんだから。

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