第二十三話 竹内の過去
小学二年生の時、父親の転勤の都合で、俺は海斗がいる小学校に転校することになった。
「竹内洋太です。よろしく!」
初めは不安だったけど、俺はお調子者としてすぐにクラスに馴染んだ。そのクラスには海斗もいたけど、最初の俺は自分に近寄ってきてくれた人たちと遊ぶことが多かったから、海斗のように俺に興味を示さない人と関わることは少なかった。
時が経ち、小学五年生になって完璧に学校全体に馴染んだと思った俺は、今まで交流の無かった同学年の色んな人とも自ら関わりを持つようになっていった。
「なあ! 一緒に校庭行こうぜ」
「え、いいの?」
「もちろん! はやくいこーぜ!」
「うん!」
こんな風に、教室の端っこで本を読んでいる子にも話しかけて、遊びに誘った。そうするとみんな喜んで笑顔になってくれたし、俺はそれが嬉しかった。
「なあ! 一緒に校庭行こうぜ」
そして俺は、教室の端で外をぼーっと眺める海斗にも五年生になって初めて声を掛けた。
海斗と同じクラスになったのは二年生以来初めてで、一度も話したことがなかっ
たけど、遊びに誘えば必ず喜んでくれると思ったのだ。
「なんで?」
しかし、海斗からは少しだけテンポが遅れてそんな言葉が帰ってきた。
「なんでって、皆でサッカーするから一緒にやらない?」
「いや、俺はいい」
それだけ言うと、海斗はすぐに窓の外へ視線を戻した。
「いいじゃん。絶対窓の外なんか見てるより、サッカーやった方が楽しいって! 窓の外ばっかり見てたってつまんねーだろ?」
わざとらしく俺が手を丸にして望遠鏡をつくり、くねくね動きながら窓の外を覗いてみせると、後ろ俺を待つクラスメイトたちがどっと笑った。
すると、海斗は机を勢いよく叩いて席を立ちあがった。
「サッカーで手加減はしない主義なんだ。だからお前らとはレベルが合わなんだよ」
その上からの言葉が、親切心で誘ってやったと思っている俺は頭にきた。
「あ? じゃあ勝負しろよ」
「負けても泣くなよ」
「はぁ⁉ 俺がボコボコにしてやるよ!」
毎日のように休み時間を友達とサッカーをして校庭で過ごす俺が、毎日のように窓の外をぼーっと眺めてるだけの奴に負けるはずないと思った。
俺と海斗のいがみ合いを聞いていた男女含めたクラスのみんなも盛り上がり、二人は外のゴールでPK対決を行うことになったのだが……
――差は歴然だった。
「なんで、なんで一本も入らねぇ……」
全てのコースが読まれているかのように俺のシュートは止められるのに、海斗のシュートは俺が守るゴールの反対へ吸い込まれるように入ってゆく。
けど、すぐにそれは当たり前のことだということに俺は気づいた。
海斗はボールの蹴り方から俺と全く違う。
俺は海斗がクラブでサッカーを習っていることを初めて知った。海斗は、ちょろっとサッカーをやっている男子たちが、休み時間に校庭に集まって、未経験者の同級生にマウントをとっている姿を校舎の中から見て、ダサいと思っていたのだ。だから俺たちのような未経験者に混ざってサッカーをやることはせず、窓の外を見ながらずっと試合でのシミュレーションを重ねていたのだった。
「洋太よっわー」
「全部止められてるー!」
クラスの男女が後ろで俺も見て笑っている。大口を叩いて海斗を教室から連れ出した俺は、羞恥心で後ろを振り返れなかった。
どうせ、海斗にも笑われている。俺は、そう思って恐る恐る顔をあげた。
――でも海斗は俺を笑っているどころか、後ろで俺を笑う男女を睨むように見ていた。海斗は俺みたいな奴でも決して馬鹿にしなかった。
俺はその時、心の底から海斗をかっけーと思った。こんなやつになりたいと思った。
「なあ海斗、俺にサッカー教えてよ」
「なんでここに」
俺はとうとう海斗が自主練する公園を見つけた。
学校では決して練習する姿を見せない海斗だから、学校で教えてほしいと言ってもどうせスルーされて終わると思った。だから海斗が練習してるところに乗り込んでやった。
「俺、サッカーやりたいんだよ」
「本気か?」
「うん。本気。ちょー本気!」
「あそ」
「な! 教えてくれるんじゃないのか! 今そういう流れだったよな!」
「俺の真似ができるようになったらな」
海斗は素っ気なく言うと、またリフティングの練習に戻った。額からは汗が流れて、シャツは汗で体に密着している。学校では見られない海斗の真剣な姿があった。
「ならやってやる!」
海斗とは学校ではほとんど話さないし、約束もしていないけど、それからほぼ毎日、俺たちは放課後になると公園に集まってサッカーの練習をした。海斗がクラブでいない日はひとりで練習したし、日が暮れるまで二人でサッカーをした。
上手くなっていくと、海斗が時々俺を見てアドバイスしてくれるようになった。俺はそれが嬉しかった。海斗に認められている感覚はその時の俺にとって一番の幸せで、喜びだった。憧れの海斗に、かっこいい海斗に近づいている。そう思った。
時が経って、金が城中学校に入学した。金が城は私立の中高一貫教育学校で、現在の金が城高校の半数ほどの生徒は、金が城中学校からエスカレーターで上がってきた人たちだ(輝彦兄貴や、遥香さんは別の中学校から金が城高校に入ってきたから、中学の事はお互いに知らない)。
そして当たり前のように、海斗と俺は共に金が城中学のサッカー部に入った。一年生の頃から、海斗は先輩を凌ぐ上手さだった。入部して初めての練習試合にも一年生ながら出場して、しかも見事一点決めたのだ。
二年生になると、俺も試合には少しずつ出場するようになったが、まだまだ海斗には敵わない。
「洋太これやる」
ある年明けの寒い日。洋太が俺に赤い何かをぽいと投げた。
「ん? なんだこれ? ……お守り?」
手には有名な神社の名前が書かれた赤いお守り。
「お前初詣とか行かなそうだから、お前の分もわざわざ買ってきてやったんだよ。早く俺に追い付けるようにってな」
「あぁ? 何言ってんだ。あと一年も経ったら立場逆転してるからな?」
「せいぜい卒業までに俺まで追い付けるように頑張れよ」
「くっそやっぱり腹立つなてめーは!」
そう言いながらも、俺は海斗から貰った赤いお守りをポケットに大事にしまった。
俺達二人はこんな軽口まで交わせるような関係にいつの間にかなって、クラスでは小学校の時と同じようにむすっとしている海斗も、俺と二人になると時々笑顔を見せてくれた。
――でも、その辺りだろうか、どんよりとした雨雲が俺たちの空に立ち込めてきたのは。
「なあ、篠田って後輩の癖に調子乗ってね?」
「そうっすかねぇ?」
「あ? お前そう思わないのかよ」
「いやぁ、はは」
海斗は先輩から嫌われだした。海斗はクールで、口数が少なく、先輩たちにも媚びたりしない。そのせいで海斗は態度が悪く、後輩のくせに俺たちを見下している奴だと先輩たちに思われだしたのだ。同級生から見ても、海斗は近寄りがたい雰囲気を纏っているのは確かだ。
でも海斗は誰よりも優しくて、正義感が強くて、サッカーに本気で取り組む熱い男だということを俺は知っている。
俺だけは海斗の味方でいなくちゃ、そう思っていた。
けれど、徐々に先輩たちの海斗への八つ当たりは酷くなっていくばかりだった。
二年生から試合でエースとして活躍する海斗に嫉妬した先輩たちは、練習で海斗へとボールを回さなくなったし、わざとラフプレーをして怪我寸前まで追いやることもあった。海斗の靴やカバン、練習着も何度か隠されることもあり、その都度、俺と海斗は二人で探した。
「ここにあったぞー!」
「くっそ、あいつら……」
「まあまあ、あとちょっとの辛抱で俺たちの代が来るからさ!」
俺は海斗を励ました。海斗はただただ不運なだけだった。
海斗は、部活の時間になると口数がさらに減った。学校が終わって公園に行っても、海斗が自主練をする姿は、日に日に見かけなくなった。
いくら心が強い人間でも、傷つかないなんてことはあり得ないんだ。
そして最も不運だったことは、顧問の先生は、先輩たちに一切逆らえなかったことだ。
俺が入学した金が城中学校はサッカー部が強いことで県内でも有名だったのだが、俺達が二年生になって半年が過ぎると、サッカー部の代表顧問が突然倒れてしまい、その結果、気弱なサッカー初心者の先生が代表顧問へと変わったのだ。
その先生が悪かったとは言わないが、部活のムードは一気に落ちた。
いつの間にか、試合での采配も先輩たちが決めるようになり、試合でユニホームを着られるメンバーも先輩たちが決められるようになった。
――そして先輩たち三年生の、最後の大会前。
二年生の中からは、数人だけユニホームを着られる人が選ばれた。だが、その選ばれたメンバーに海斗は入っておらず、海斗の代わりにある人間が選ばれた。
――それが俺だった。
去年までと違い、絶大な信頼を得ていた顧問がいなくなって活気が急落したサッカー部は、練習試合で負けることも多く、先輩たちは完全に諦めモードだった。最後の大会は勝ちに行くというよりも思い出を作りに行くという感じで、そこにはサッカーが上手で、やる気もある海斗ではなく、先輩にへこへこ頭を下げていつでもお調子者な俺が選ばれたのだ。
きっと先輩たちは、一勝を奪うより、思い出から嫌いな篠田海斗を消そうとしたのだ。
「竹内? ほら、ユニホーム」
「あ、は、はい」
名前を呼ばれて頭が真っ白になった。
どうして? どうして海斗じゃなくて俺なんだ?
この人たちは何を考えてるんだ?
俺は海斗の方を見れなかった。ユニホームを手に持つと、震えが止まらない。
なぜなら、これは海斗が着るべきユニホームだから。
その後、大会までは数日だけ練習の期間があった。
部活には今まで通り海斗の姿はあったが、俺は話しかける言葉が見つからなくて近づくことも出来なかった。
大会が前日に迫り、俺は一大決心をした。
市大会ならまだ試合に出る登録者の変更が効く。俺は、海斗含めた他の同級生が部室からいなくなったのを確認した。
「先輩、俺やっぱり……」
部活が始まる前『やっぱり、ユニホームは着れません。これは海斗が着るべきです』と、先輩たちにそう言おうと部室の扉を開けたとき、俺は絶句した。
「え……」
「んだよ。お前かよ、びっくりさせんな」
目の前に飛び込んできたのは、当時のキャプテン、副キャプテンがマジックペンを握り締めている姿。
その前には、海斗が大切にしているプロサッカー選手のサインが入ったユニホームがハンガーにかけて吊るされていた。
それは先輩たちに嫌がらせを受けるようになってから、海斗が常に持ち歩くようになって、心の拠り所にしていたものだった。
そのユニホームが、海斗の大切な、大事な、ユニホームが、マジックペンでぐち
ゃぐちゃに書かれている。サインの面影すらどこにも残していない。
「ちょ、なにやってるんですかっ!」
「おい、騒ぐなよ」
副キャプテンが俺の肩に手を回して、思い切り口を塞いだ。
「なあ、お前も書くよな?」
俺は精一杯の力で首を横に振った。そんなことできるはずない。絶対に。できるはずない。
すると、俺のみぞおちあたりにドスンと膝蹴りが入った。
「うっ……ぐ……」
「お前さ、書かないとこの部活から追放するよ? お前もここに来たら共犯なんだから」
キャプテンがにやにやと笑いながら近づいてきて、俺の手を強引にこじ開けペンを握らせた。
「俺らはどうせエスカレーターで高校も行くから、お前らの代になっても毎日遊びに来てやってもいいんだよ?」
「ほら、早く書けよ!」
「うぐっ…………はぁはぁ」
もう一度みぞおちに強烈な蹴りを喰らって、俺は床に倒れこんだ。
こいつらはどうしてこんなことするんだ……書けるわけないだろ……。どれだけ海斗がこのユニホームを大切にしてたか、お前らは知らないだろっ!
「ほら、早く!」
「……じゃあ、じゃあ、書いたらもう部活に来ないでもらえますか?」
「あ? いいよ。約束してやる」
「……分かりました」
そうだ。こいつらがいなくなれば、海斗はのびのびサッカーが出来る。あとほんの辛抱で海斗と楽しくサッカーが出来る。俺たちの代が来るんだ!
「じゃ、俺たち先行ってるから書いたらすぐ来いよ」
「……は、はい」
「書かなかったら分かるからな。いいか? お前も共犯だからな?」
キャプテンと副キャプテンはくすくすと汚い笑い声と共に部室から出て行った。
ユニホームは汚い言葉たちで埋められている。カクカクとした文字で書かれているのは筆跡を隠すためだろう。
きっと、このユニホームが見つかっても、海斗は何も言わない。先生たちにチクったりもしない。あいつは自分から誰にも頼らない男だから、周りに見られないようにカバンにしまって、やり過ごすんだ。それを先輩たちも分かっているから、こんなことできるんだ。
俺はユニホームの前で数分の間、立ち尽くした。
悔しくてたまらなかったけど、俺は絶望に満たされるだけで、涙は出なかった。
明日の試合で先輩たちが負けて、明後日からは俺たちで部活ができる。
今日が終われば、明日が終われば。
俺はゆっくりと腕をあげた。ペンを持った指先は震えていて、左手で押さえても震えは収まらない。たった一言、このユニホームに書いたら終わる。
そしたら部活に戻って普通に練習をするんだ。
「やるしかない。やるしかないんだ俺」
ペンをユニホームに突き立てる。体からは信じられないくらいの汗が噴き出た。
ゆっくりと震える手を、下して線を書いてゆく。
――その瞬間、部室のドアが開いた。
俺は心臓が飛び出そうなほど驚いて振り返った。
「洋太……お前何して……」
海斗が立っていた。
俺はマジックペンをユニホームに突き立てた状態のまま、体が硬直して動けなかったが、脳は正常に働いて、俺は先輩たちに見事に嵌められたのだとすぐに気づいた。
キャプテンたちが部室に海斗を来させたんだ。
「か、海斗これはちがっ――」
海斗は部室から走り去って行った。
俺はその時、初めて海斗の瞳から零れ落ちる涙を見た。
先輩たちにどれほど辛い嫌がらせを受けても、涙なんて一切見せなかった海斗が、俺の前で始めて涙を見せた。
俺の手が急に無気力になってペンが滑稽な音をたてて床に落ちた。
俺は海斗を追いかけることが出来なかったし、俺が持ったペンがユニホームに触れた時点で、俺は言い訳する言葉も思いつかなかった。
次の日の大会も俺は行かなかった。
大会に行かない代わりに、俺は学校に行って先生たちに海斗が部活内で嫌がらせを受けていることを報告した。
キャプテンも副キャプテンも教師たちからの評判が良いため、中々信じてもらえなかったが、俺は必死に話を聞いてもらって、結局は軽いいじめがあったという結論に至った。
その結果、海斗への嫌がらせを首謀していた数人の先輩は、金が城高校への入学試験免除の資格が取り消され、他の中学の生徒と同じように、入学試験を受けることになった。
俺はそれでも納得できなかったが、でもそれが俺のできる精一杯だった。
俺はサッカーも、部活も辞めた。
先生にチクった犯人が俺がだとバレると、学校では俺もいじめに加担していたという噂が広まった。どうせ先輩たちが言いふらしていたのだろう。
サッカー部の元仲間に、どうして部活を辞めたのかしつこく聞かれたが、その度に「サッカーなんてお遊びだから」そう答えた。そしたら部員たちはそれ以上何も聞いてこない。
サッカーを侮辱することにはなったが、その答えが一番楽だった。
きっと海斗の耳にも俺が言った言葉は入っているだろう。
居場所も、友達も、気が付くとどこにも存在しなくなって、その頃からすべてがどうでもよくなった俺は、不良の道に走ることになった。
それでも、俺は海斗から貰った赤いお守りだけは捨てられずにいた。
*
「これが全てっす」
竹内は話し終えると、赤いお守りをポケットにしまって、ペットボトルに残ったコーラを一気に飲み干した。
俺は何も言えなかった。
「でも良かったす」
竹内は薄っすらと目を赤くして、自嘲気味に呟いた。
「中高一貫っすから、今のサッカー部にも中学の頃海斗に嫌がらせをしてた先輩はいるんすけど、今の海斗を見てたら楽しくサッカーやれてるみたいで何よりでした」
そう言う竹内の姿に嘘は無いように思えた。
「輝彦兄貴、お願いがあるっす」
「お願い?」
「輝彦兄貴は優しいから、俺のために色々やってくれてるのは知ってるんす。ですが、お願いっす。もう俺は大丈夫なんで、この件については俺のことを放っておいてくれないっすか?」
「放っておくって……そんなこと」
竹内の頭が上がる。俺の目をしっかりと見つめる眼差しは、もう後戻りはできないという強いものだったが、どこか寂しさを含んでいた。
「いいんです。悪いのは俺なんすから」
「竹内……」
「輝彦兄貴コーラごちそうさまっした」
竹内は鼻をずずっと擦って、おもむろにベンチから立ち上がった。
「竹内ちょっと待ってくれ! 何か方法が――」
「もう無理っす。割れたお皿はもう元には戻らないんすよ」
それだけ言い残すと、竹内は振り返らずに校舎の方へと足早に戻って行った。
俺は立ちあがりはするも、その去って行く肩を掴むことが出来なかった。
割れたお皿は元には戻らないか……。
足元のアスファルトにはコーラのシミがじわっと広がっている。
俺の心を慰めてくれるこの裏庭でさえも、今の胸のざわめきを静めることは出来なかった。
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