第十九話 菫乃は微笑む

 結局、いくら考えても何も思い浮かばなかった。


 遥香によると、保健室へ行く廊下の途中でも、竹内は普段と変わらずニコニコしていて、クラスでいじめられていたり、浮いているなんて素振りは見せなかったらしい。

 ただ、竹内だってそこまで馬鹿じゃない。自分の今置かれている状況を理解しているはずだ。


……参ったことに、これからどうすべきか解決策の糸口が全く見つからない。



「だれか教えてくんねーかな……」



 美月も今日は用事があると言って先に帰ってしまったし、遥香もクラス委員長としての仕事があるということで、久しぶりに俺は放課後の教室に残って、夕焼けを

ぼーっと眺めていた。


「てーるくん」


 声の方に振り向くと、ひゅ~っと低空飛行の紙飛行機が、俺を目掛けて飛んできた。


「あたっ」


「ナイスくりーんひっと」

 美月が壊してしまった前扉(今は完全に取り外されているため、外の蒸し暑い空気が入ってくる)の辺りで、菫乃が腕組みをしながら壁にもたれ掛かっていた。いつも通り俺の方をにやにやと細い目つきで笑っている。最近菫乃とはよく会う。

 というより菫乃が会いに来ているという方が正しいかもしれない。


「どう? 紙飛行機上手でしょ。私意外と手先器用なのよね」

「ああ、上手だな。天才だな。才能の塊だ。あーすごい」

「言葉と態度が噛み合ってないわね。感情が全く入ってないし、まず『紙飛行機に手先の器用さはいらねーよ!』というツッコミ待ちだったんだけど」

「俺は基本塩対応なんだよ。金払って握手会にでも来てくれたらしっかりとした対応で歓迎させてもらいます」

「アイドルの風上にもおけないわね。家を一歩出た瞬間からプロらしくしなさい。というか……何の話してんのよ」

 俺がツッコまれる側に立つなんて久しぶりでなんだか不思議だな。こっちも悪くない。


「今日はテルくんがまた余計なことに首を突っ込んでるみたいだから、お話を聞きに来たの」

「まだ何にもしてないだろ」

 菫乃が言う余計なこととは、俺が竹内へのいじめを無くそうとしている事だろう。どうしてそれを菫乃が知っているのか、そんなツッコミは無駄だ。もう諦めた。

「でもその顔だと何もしてないのは、どうすればいいか分かんないからって感じね」

「ご名答だよ」

 俺はそっぽを向くように、窓の外に目を向けた。

 菫乃は出入口近くの壁から背中を離して、俺の方へ向かってくると、普段美月が座っている席に腰を下ろした。


「やさしいね、テルくんは」

「優しい?」

「ほら、だって竹内くんはテルくんのこと蹴ったり殴ったりした相手でしょ? そんな相手のこと許せるの?」

「ああ、別にもう恨んじゃいねーし、誰だって心を入れ替えれば、人は変われると俺は思うぞ」

「犯罪者でも?」

「それは……」

「中途半端なひと」

 そう言って、菫乃は笑う。

「ま、でも優しい人に変わりはないわね~?」

「俺は人の純粋な気持ちを馬鹿にするやつが嫌いなだけだ。だから竹内の一生懸命な告白を動画に撮って晒したり、背中に変な張り紙したやつが許せないんだよ」

「ふーん、あの子がテルくんを救ってくれたみたいに、今度はテルくんが誰かを救ってあげたいってわけね」

「まあ、そんな感じだな」

 教室の窓の外で電線に仲良く並ぶカラスを眺めながら、俺は素っ気なく言った。

 あの子とは、きっと俺の初恋のショートカットの女の子のことだ。


「じゃあ、ヒントあげようか?」

「ヒント? なんのだ?」



「竹内くんのいじめ解消に向けてのヒントよ」



 俺はごくりと唾を飲む。それは俺が今一番欲しいものだったからだ。

 菫乃はいつも必要以上に俺に突っかかってくるが、俺が迷った時は不意に現れて正解への道を照らしてくれる。だから、普段は距離を置いていても、俺から菫乃に

はこういう時に限って信頼が厚い。


「それは……教えてほしい」


「じゃあ……ここおいで?」


「ん? ここって?」


 窓の外から菫乃の方へ視線をやると、菫乃は少しだけ椅子の左側にずれて座っていて、その開いた右側の椅子をぽんぽんと叩く。



 なっ……そこに座れってか……。



「あれ、テルくん私にはドキドキしないんじゃなかったっけ?」


 視線を下に向けた俺の顔を菫乃が覗き込んでくる。いくら菫乃を恋愛対象として見ていないと言え、同じ椅子に二人で腰を掛けると肩と肩、太ももと太ももが自然と触れ合ってしまう。  

 普段なら絶対に乗らない挑発だが、菫乃という奴は俺が同じ椅子に座らないとい

う選択をすれば絶対にヒントをくれない。菫乃奏とはそういうやつだ。


「いいよ別にヒントが欲しくなかったら来なくても」

「い、行くよ! 隣に座ればいいんだろ隣に座れば!」

 ここは堂々と胸を張って座ってやるしかない。俺は立ちあがって、菫乃と同じ一つの椅子に半分だけ体を乗せた。当然座っている側の半身が、菫乃の肩や太ももに接触する。距離が近すぎるため、菫乃の制服から風に揺られてやってくる優しいフローラルの香りが俺の鼻孔をくすぐった。

 ああ、くそ、抗え俺! 大きく呼吸をして少しでも匂いを嗅ごうとするなぁ!

「いい子ね」

「ほら、早くヒント言え!」

 こんな状況クラスの男子に見つかったら、俺に明日は無い。

 遥香、美月に加えて男子人気が高い菫乃までたぶらかしていると勘違いされたら俺の高校生活が終わる!

「ほんとせっかちなんだからぁ」

 菫乃が俺の頬をつんとしてきた。おいおい、絶対誰も見てねーだろーな。


「そうだね……まずさ、テルくんは悪の根源ってなんだと思う?」

「悪の根源……? あのYouTubeで拡散された告白動画か?」

「う~ん、それは半分正解で半分不正解ね。だってあの動画を見て、テルくんは竹内くんが北原さんを無理やり呼び出して告白したと思うの?」

「え。ああそういえば……」

 それには俺も違和感があった。動画の最後で映し出された竹内は涙ぐんで膝から崩れ落ちるような状態だったし、録音された二人の会話も北原しずくさんの方は元気が無かったとはいえ、あの動画だけで竹内が無理やり北原さんを呼び出したと解釈するには無理がある。


「分かったみたいね。あのYouTubeで拡散された告白動画はいじめが始まったきっかけに過ぎないのよ。悪の根源は動画を撮った人間ね。だってクラスの人たちはその動画を撮った人間に踊らされているようなものだもの」

 

 菫乃は全てを知っているかのような口ぶりで話すが、これまで幼馴染として一緒に過ごしてきた経験からすると、菫乃の言っていることに間違いはない。これが菫

乃の恐ろしい所で、まるで神の視点で世界を見透かしている。


「みーんな竹内くんが北原さんを無理やり呼び出したなんて本当は思ってない。誰もがストレスを抱えて、ちょうどいい憂さ晴らしが出来る人を探してる。それが偶然竹内くんだったってわけ。だから寄ってたかって竹内くんにみんなで牙をむいてるのよ」

「あのさ、俺は竹内とは学年も違うし、最近まで存在すら知らなかったけど、竹内は皆にいじめられるほど悪いことをしたのか?」

 俺は純粋な疑問をぶつけた。

「さぁ? ちょっと先生に楯突いたり、授業中にお喋りするくらいじゃない? た

だ、ある特定の人物の恨みを買ったことは間違いないわね」


「特定の人物って……?」

 俺の質問に、菫乃は口を尖らせながら人差し指を左右に振った。


「そこまでは教えられないなぁ。だってヒントだからね」

 やっぱり深い話になってくると教えてくれないな。

 ……ただ、今やるべきことは、竹内の告白動画を撮った人間を探し出すこと。そして動画を撮った人間が菫乃の言う竹内が恨みを買った特定の人物である可能性も高い。


「その顔だと、やることは分かったって感じね……あーあ、もうちょっとはぐらかせばよかったかな」

 菫乃は後ろに腕を組んで、不満そうな顔をした。

「俺の表情だけで考えてること読むのやめてくれないか?」

「やーだ、それが楽しいんだもん」

 菫乃は他人事のように状況を楽しんでいる。まぁ実際他人事ではあるけど。


「まあ、ありがとうな。おかげで少し助かった」

「あれ、テルくんからお礼なんて照れるなぁ」


 告白動画の協力者には、思い当たりがある。

 まずはその人から探ってみるしかない。

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