第十六話 告白
次の日。
竹内が北原しずくさんへの告白を決行する日になった。
学校帰りに俺、遥香、美月の三人は、竹内が北原しずくさんを呼び出した公園にそのまま直行した。
奇遇にもその公園とは俺が血(返り血)だらけの美月と出会った公園で、俺が保育園児の頃、迷子になった神社が隣接されていた公園でもある。今は、神社が取り壊されて駐車場になっているが、思い出深い公園ってわけだ。
帰りのホームルームが終わったのは四時頃のことで、現在の時刻は四時半。竹内が北原しずくさんを公園に呼んだのは五時。まだまだ時間はあるので、竹内は家に一度帰って正装に着替えてくるらしい。
「いいか美月。絶対に余計なことはするなよ? 俺たちは陰から見てるだけだ。いいな?」
平均台をスキップしながら渡る美月に再度忠告する。凄まじいバランス力だなおい。
「だから輝彦師匠、何度も同じこと言われなくても、美月だって常識くらいあるし成績だって輝彦師匠より断然よろしいんだからね?」
「くっ……成績のことを持ち出すのは校則違反だろ」
「どんな校則よそれ」
「まあまあ二人とも落ち着いてよね」
遥香も珍しくブランコに揺れて浮かれている。思い返すと、遥香とはよく保育園児から中学生になるまでこの公園でよく遊んでいた。遥香が遊具で遊ぶ姿はとても懐かしい。小さくて端正な顔立ちもあの頃から変わってないしな。
「すいませーん! お待たせしましたっす!」
公園の東西南北にある四つの出入り口の、東か西か南か北のいずれかから本日の主役が到着した。ん~たぶん東?
「いや~せっかく着替えたのに、汗かいちゃいましたよ~」
今日もごきげんな様子の竹内は、胸ポケットから取り出した白のハンカチで額の汗を拭いた。
「ふ~、今から告白すると思ったら緊張しちゃうっすね」
「そんな風には見えないけどな」
もしかしたら俺の方が緊張してるんじゃないか?
「ねえ、竹内くんその服装は……?」
ブランコから降りた遥香は、精一杯の愛想笑いのつもりだろうが、俺から見たら完全に引きつった顔で竹内の服装を見ている。
「え、正装っすよ。やっぱ青春の一大イベントですからね!」
「せ、正装?」
親指をぐっと立ててキメ顔をする竹内の服装を、俺はなるべく視界に入らないようにしていたのだが、ついに遥香が指摘してしまった。
その竹内の姿というのは……白のハイソックスに、白の短パン、白のシャツに、白のジャケット、赤の蝶ネクタイという、とんでもスタイル。
「お~、さすがおたけ! 今日もぶっ飛んでるね!」
「やっぱ美月姐さんは分かってますね! この日のために用意したんすよこれ!」
竹内……それはディスられてんだよ。いじられてんだよ。
「ねね、輝彦。こういうのってまずは輝彦がツッコミを入れる役じゃないの?」
「そんな目で俺を見るな。俺だってどこから手を付けたらいいか分からないから一周回って冷静なんだよ」
正装に着替えてくるという時点で嫌な予感はしていたが、まさかこんなお坊ちゃまみたいなスタイルで来るとは。これなら不良のドクロとか入った服装の方がまだマシだ。
「なあ、もし男子が今の竹内の服装でデートとか来たら、美月はどうする……?」
「え、う~ん。処理しきれないだろうから一旦持ち帰って考えるかな?」
「だとよ竹内」
「え、どういうことっすか?」
なんでこいつまるで分かってないんだよ。
「その服装はボケでも流石に無いってことだよ!」
「えええええ! それ本当ですか⁉」
なんで嘘だと思うんだ。虚をつかれたような顔すんな!
「でも今からすぐに帰って着替えて戻ってきたとしても、五時には間に合わないよね」
遥香がスマホを取り出して時間を確認する。北原しずくさんが五時ちょうどにこの公園に来たら間に合わない。
「ん~これだったら制服の方がマシだよね」
美月も苦笑いしながら言う。こんな顔してる美月は珍しい。
「え~じゃあどうしろって言うんすか~」
これなら帰宅せずに学校の制服のままで来た方がよっぽど良かったはずだ。
「制服さえあればな……」
制服さえあれば問題は解決するんだけど……。
「…………」
「…………」
「…………」
「ん? どうした?」
「え、輝彦師匠いまってなに着てる?」
「え、制服だけど」
「…………」
「…………」
「…………」
「――え、俺?」
*
目線を自分に向けるように下にすると、恥ずかしすぎる衣服に俺の体が包まれていた。
「なんで俺がこんな格好を……」
白のハイソックスに、白の短パン、白のシャツに、白のジャケット。
それに差し色となる赤の蝶ネクタイ…………いや! 蝶ネクタイはいらねーだろっ!
竹内の私物だが、盛大に地面に投げつけてしまった。
いや、俺はただの被害者なはずだ。蝶ネクタイくらい投げさせてくれ。
「輝彦師匠ひどーい、せっかく美月が付けてあげたのに~」
「てめぇ……」
「可愛いから付けといてよね。あ、写真撮らせて!」
「絶対にやめろ! 菫乃にそんな写真行き渡ったら一生晒し物にされる!」
「大丈夫だって、クラスのLINEグループに送ったり、プリントアウトして教室中に張ったりなんて絶対しないからさ」
「それは絶対にやるフリだろーが!」
完全に馬鹿にしてるぞこいつ。口元がひくひく動いて、笑いをこらえてるのがバレバレだ。
竹内はといえば、俺の制服を着ていて、北原しずくさんが来たときに一番分かりやすいようにと、公園の中心で立っている。こだわりらしい。
俺は必死の逃亡にもかかわらず、あっけなく美月に掴まり、九割方拘束される形でトイレへ連れていかれ、強制的に竹内との服装を交換させられた。
竹内のとんでもお坊ちゃまスタイルに着替えさせられるというパターンだ、と瞬時に判断した俺は、トップギアで逃げの一歩目を出したつもりだったが、ある程度距離を空けたと思って振り返ると、美月は何食わぬ顔ですぐ後ろにいた。リアル鬼ごっこくらい恐怖だった。
――というわけで、現在の俺は真っ白に包まれながら、木陰から竹内の様子を見ている。
「なあ、やっぱり俺目立たないかこれ」
「大丈夫だと思うよ。輝彦似合ってると思うし。ふ……ふっ……ふふ」
「遥香にまでいじられたら俺は精神をまともに安定させられないよ」
一回帰りたい。帰って着替えたい。そしてそのまま寝たい。
でもこの服装で家に帰ったら、親に特殊ないじめを受けていると疑われそうだ。
ああ、竹内の告白が終わるまで待つしかないのか俺は……。
「ねーねー、今日の告白上手くいくかな?」
待ちくたびれた美月はしゃがんで退屈そうにしている。
「まあ、うまくいくんじゃないか? だってあのLINE見ただろ?」
竹内と北原しずくさんが初心なカップルだと言われても、納得できるような会話がLINE上で繰り広げられていた。思い出すだけでお昼ご飯に食べた菓子パンが胃から出そうだ。
「そうだった。しかも北原しずくさん相当な美人さんだったよね」
「確かにモテる女子高生の顔だったもんな」
「モテない男子高生から見てもそうだった?」
「やかましいわ!」
到底納得はいかないが、モテない男子高生の俺から見てもLINEのアイコンに映っていた北原さんは相当美人に見えた。これで竹内の告白が成功すれば、竹内は俺より早く彼女持ちということになる。しかも彼女が相当美人だとなれば、俺が竹内のことを竹内兄貴と呼ばなければいけなくなる日も近い……。
「それは解せぬ……」
「ん? 輝彦どうした?」
「いや、なんでもない……。こっちの話だ」
まあ、竹内が遥香に手を出す可能性が無くなるので、竹内の告白が成功してほしいという思いは嘘ではない。『遥香姫護衛隊』の誰にも遥香を守る気持ちは負けていないのだ。
俺も『遥香姫護衛隊』に入隊しようかな。
あ、だめだ『遥香姫護衛隊』のほとんどは『夏目輝彦暗殺組織』の構成員なんだ。
入隊を諦めたところでふと公園を見渡すと、さっきまで遊具で遊んでいたはずの小学生たちがいなくなっていた。
白の短パンからスマホを取り出して画面を付けると、時刻は五時十五分。竹内が北原しずくさんを呼び出した時間が五時。だから約束の時間より十五分過ぎている。
「なあ、北原しずくさん遅くないか?」
「うん。それは私も思った……もしかしたらメイクとかしてて遅れてるのかも」
「う~ん、可能性はある」
「待つしかないよね」
人なら誰だって十五分くらい遅れることはあるし、気長に待つしかない。
ただ、それでも北原しずくさんが公園に来ないまま五分、十分、二十分、と過ぎてゆき時間はあっという間に五時半。北原しずくさんが公園に来るはずの時間から三十分が過ぎた。
夏なので外はまだ明るいが、徐々に街灯が灯り始めている。
未だ竹内は公園の中心から一歩も動かないが、スマホを気にしている様子だ。
「流石に三十分は遅れすぎなんじゃないか?」
「うーん、確かに」遥香も明らかに心配そうだ。
「ちょっと竹内の所に行ってくる」
「うん。分かった」
木の陰から出て、竹内の方へ走る。
「なあ、竹内。北原しずくさん大丈夫か? 五時半になったけど」
「ああ、輝彦兄貴。すいませんお待たせしちゃって……」
振り返った竹内もどこか表情が曇ってるように見える。
「さっきから連絡してるんすけど、返信が無くて……。既読は付いてるんで、見てるとは思うんすけど……」
「そうか」
既読はついても返信が来ない……何かあったのだろうか。
「あの、俺はしずくちゃんのこと待ってるんで、輝彦兄貴たちは家に帰ってもらって大丈夫っす! こんな時間まで居てもらって申し訳ないんすけど、後は俺一人で大丈夫なんで!」
竹内はにっと笑って、親指を立てるが、どことなく表情には憂いが含まれていた。
きっと竹内は不安なんだ。
意気地も、男気も、頼りがいも実際には無い俺は、告白なんて大層なことはしたことない。
けれど、告白というものがどれだけ勇気がいることか、俺はなんとなく知っている。
涼太に告白する女の子はいつも顔を赤くして、緊張と不安を抱えながら、思いの丈を吐き出していた。きっと『好きです。付き合って下さい』なんて言葉は、本気の時は喉からすっと出てくるようなもんじゃない。
いつも女の子が泣いて去ってゆくのは、それくらい告白というものに勇気や想いが必要ということだろうし、振られると分かっていても気持ちが抑えられなくて告白する人だっている。
「俺は見届けるよ。竹内の告白」
「え?」
「ほら、お前が帰らないってことは北原さんがここに来るって信じてるからなんだろ?」
「そうっすけど……」
「じゃあ、俺も信じるよ。遥香と美月もきっとそう言うだろうし」
まあ、ここまで待ったら最後まで待つしかないだろ。
「て、てるひこあにきぃ~~」
「おい、気持ち悪い! くっつくな!」
「だってぇ~~」
「だってもクソもねぇ! まずこの格好では家に帰れねぇんだよ!」
「はは、それもそうっすね」
「それもそうっすねじゃねぇ! 誰のせいだと思ってんだよ」
「へへ、ありがとうございます輝彦兄貴」
竹内からはさっきまでの不安が混じったような表情が薄らいで、今度は嬉しそうににっと笑った。切り替えの早いやつだ。
「じゃあ、俺戻るから」
そう言って、俺は元の木陰へと踵を返した。
*
それからまた数十分が経過した。
鮮やかなオレンジ色に染まっていた空は、見上げるといつの間にかどんよりとした雲に覆われていて、今にも泣きだしてしまいそうな、そんな空に変わっていた。
「ねね、あれって、あれもしかして」
「あ、来た!」
遥香が目を細める先を、美月が小さい声だが、興奮気味に『!』を付けて指で示した。
俺もしっかり木陰に身を潜めながら、美月が示す先に目を向ける。
すると、公園の東西南北の東か、西か、南か、北のいずれかの入り口から女の子が公園内に入ってきた。うーん、今回はたぶん南。
その女の子は確かに北原しずくさんで間違いないように見える。竹内に見せてもらったLINEのスクリーンショット画像で、アイコンに映っていた女子高生と一致している。
髪は丸みを帯びた黒髪ボブカットで、水玉模様の黒いワンピースから、清純な印象を感じられる。やっと北原さんが来た。
白の短パンから自分のスマホを掴んで取り出すと、もう時刻は六時を過ぎていて、約束の時間から一時間も過ぎていた。
「し、しずくちゃん……!」
竹内は嬉しそうな顔をして、向かってくる北原しずくさんにぶんぶんと効果音が付きそうなほど手を振った。
竹内はずっと北原しずくさんがこの公園に来ることを信じて待っていた。
それがやっと叶ったのだ。
「ごめんね待たせちゃって」
「ううん、全然。俺も今来たところだよ」
北原しずくさんは申し訳なさそうに竹内の元へ小走りでやってきた。待ち合わせで先に来たやつの定番ゼリフである『今来たところ』は、今回に限っては無理があるが、大目に見よう。
「い、忙しかった?」
「う、うん。ちょっとやることがあって……」
「そっかそっか。そ、それは大変だ!」
「うん」
北原しずくさんは目線を逸らしながら、俯きがちに頷いた。
SNS上と現実では人柄が違ったなんて話はよくあるが、LINEであんなに楽しそうにメッセージを返していた北原しずくさんが竹内に対してどこか他人行儀で、よそよそしい。
クラスも同じで、席も隣であるはずの二人が……どうしたのだろう。
距離が開いているせいか、話し声もあまりよく聞き取れない。
俺たちはただ耳を澄ましながら二人の様子を見守るしかない。
――沈黙を破ったのは北原さんだった。
「それで、話ってなにかな……?」
「あ、えっと、その」
遠くから見ても分かるくらい竹内が赤面している。
「あのっ!」
竹内の少し上擦った声が、公園に響き渡った。
「なに……?」
北原しずくさんもその声に、俯いていた顔を上げた。
「突然で申し訳ないんだけど。えっと……俺……」
「…………」
「えっと、その」
「…………」
頑張れ、竹内。お前ならできる。
「そ、その俺……」
「…………」
「俺! しずくちゃんのことがずっと前から好きでしたっ! もしよければ、俺と付き合って下さいっ!」
竹内は伝えたい想いを、精一杯の力でぶつけるように口に出した。
その場の緊張感が、離れている俺にも伝わってくる。
そして、竹内は腰を直角に折って、右手を前に差し出した。
やったぞ竹内。よくやった!
あとは北原さんの返事だけだ。
「竹内くん」
「はい!」
「……ごめんなさい」
北原さんが小さく頭を下げた。
「私、好きな人がいるの」
「あ、そ、そっか! そうなんだ! は、はは」
「うん」
竹内は差し出した空っぽの手をゆっくり自分の方へ引いて、ごまかすようにその右手で後ろ頭を掻いて、微笑んだ。
「あ、なんかごめんね。忙しいのに呼びだしちゃって」
「ううん、私こそごめん」
「いや、全然。しずくちゃんは何にも悪くないよ」
「うん……」
「あ、えっと、その、上手くいくといいね。俺応援してるから」
「うん、ありがとう」
「うん」
「じゃあ、私この後予定があるから、行くね」
「あ、うん! 気を付けて」
「じゃあ」
そう言うと、北原しずくさんは背を向けて公園の出口へと歩いて行った。
たった数分で出来事は終わった。終わってみると一瞬だった。
木陰から身を出すと、まるで時が一瞬で過ぎたかのように、オレンジだった空はすっかり暗くなっていた。しかし、さっきまであったどんよりとした雲も、どこかへ消えていた。
昼間だったら虹でも見えたかもしれないと思うほど澄んだ空で、ただ、虹がかかっていなくたって、たとえどれだけ暗くたって、見上げた空は綺麗に見えた。
「すいません、みなさん。お恥ずかしい所を見せちまって。へへ」
こちらに歩いてきた竹内は、瞼を赤くして必死に込み上げるものを抑えている。
「ううん。おたけかっこよかったよ」
「うん。私もそう思う」
「ちょ、やめてくださいよ。泣いちゃいそうじゃないっすか」
「もう泣いてんじゃねーかよ」
竹内はひくひくと口角を上げて、うるうる瞳を動かしている。
「……う……うぅ。すいません」
「誰に謝ってんだよ」
光る雫が竹内の頬に流れ落ちるのが横顔から見えた。
「俺、良かったっす。振られたっすけど、ちゃんと告白できて良かったっす」
「そうか」
「これは輝彦兄貴たちのお陰っす」
「残念だけど、それに関していえばお前自身が成し遂げたことで、俺たちは何にもしてないよ」
「そうだよ、竹内くんが勇気を振り絞って自分の力で言えたんだよ?」
「うんうん。やっぱりそう考えると、輝彦師匠は要らなかったね」
「おい、美月。なんで俺だけ要らなかった奴みたいに言うんだ」
「自分で言ったじゃん」
「言ってない。俺は何もしてないって言っただけで、要らなかったとは一言も言ってない!」
「ははっ、やっぱ二人は面白いっすね」
鼻声気味で笑う竹内は涙をごしごし拭き、ふーっと息を吐いて振り返った。
「ほら、いいから帰るぞ竹内」
「そうっすね! 帰りましょう!」
あ、待て。そのまま帰っちゃまずいじゃないか。
「だめだ。その前に竹内、服交換するぞ」
「いやっすよ、そんな変な服」
おい、なんでそんな当然みたいな顔でそのセリフを言えるんだ。
「てめーがこんな真っ白な気持っち悪ぃスタイルで来たから、交換させられたんだろーが」
「なに言ってんすか。結局振られてたんで、別に交換する意味もなかったんすよ。そう考えたら俺も被害者じゃないっすか⁉」
竹内は涙をぐっとこらえるように笑った。
「それもそうだな……って納得するかぁ! 言い訳すんなあほ!」
竹内が振られようと、振られなかろうと、俺は服だけは元に戻してもらう。
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