第十五話 ポケモンかよ

 翌日の昼休み。


 俺は校舎の裏庭にあるベンチに一人で座っていた。ほとんどの生徒はクーラーの利いた教室で昼食を食べた後、そのまま教室で談笑しているから、校舎の外に出ている生徒は少ない。


 その中でも裏庭はほとんど人が来ない。部活を行っていない生徒の中には卒業間近になって裏庭の存在を知る人も多く、その存在を知らずに卒業する生徒も多い。


 だから、俺は一人になりたい時、ほとんどここへ訪れる。

 

 アスファルトの上にぽつんとあるベンチが、校舎の陰と草木に囲まれているこの場所は、学校とは思えないほど静かで、快適だ。


「輝彦師匠どこ~!」


 お、やべ。俺は咄嗟にベンチの後ろへ隠れる。


「いないな~どこ行ったのかな~? もしかして屋上かな?」


 俺はベンチに張り付くようにじっとして息を押し殺した。


「前に輝彦師匠、少女漫画のイケメン男子に憧れて、屋上で顔に小説を被せて寝たふりしてたって奏が言ってたし。行ってみよ~っと」


「…………」


 ふ~、去って行ったか。それにしてもすごいスピードだったな。


 そんなことよりも俺が屋上で寝たふりしてたことバレてたみたいだな。しかもその内情もバレバレなんですけど。恥ずかしすぎるんですけど!


「菫乃の野郎……俺の黒歴史の一端を知っている上に、美月に話しているとは……」


 ひー恥ずかしいっ! 


「あら、人の事を野郎呼ばわりなんて気弱だったテルくんもよく言うようになったね~」


「うおっ!」

 声がして両手を顔の前から外すと、目の前の茂みの中からにやつき顔の菫乃が現れた。びっくりしたわ。ポケモンかよ。


「驚かせんなよ……つーかいつからそこに居たんだよ」

「さぁいつでしょう?」

「いつでしょうって……」

「当ててみて……?」


 不敵な笑みを浮かべる菫乃は、ベンチに座る俺の後ろにゆっくりと回り、顔を至近距離に近づけて囁いた。うぅ寒気がする。こいつは何で毎回不意に現れて耳元で囁くんだよ。


「それに驚いたのはテルくんの勝手でしょ?」

「いいからこれ以上耳元で囁くな!」


 反射的に俺は手で耳を塞いで、体を丸めた。菫乃に耳元で囁くのだけはやめろと何度も言っているが、それは逆効果で注意する前より意図的に俺の耳元へ顔を近づけてくる。


「えー、だってテルくんの驚いてる姿面白いんだもんっ」


 菫乃はベンチの背もたれの部分に手を置いて、少し口角を上げた。


「それにここの裏庭は私のお気に入りの場所でもあるしね」

「へぇ……」


 菫乃は俺の一挙一動、一言一句、全てを観察し俺の心を読もうとする。

だから迂闊な返事をすることは出来ない。


「さっき美月ちゃんがテルくんのこと探してたけど、なんで隠れてるの?」


「美月から隠れてるわけじゃない。流石に昼休みの時間は授業中と違って、生徒が自由に動けるから『夏目輝彦暗殺組織』が動くならこのタイミングしかないだろ? 美月に見つかったら危険が潜む教室に帰らなくてはいけないから結果として美月から隠れてるんだ」


「そう。なるほどね。あ、昨日パンケーキどうだった? シルクドソレイユの」


「なんでお前がそれを知ってんだよ」


「偶然通り掛かっただけだよ?」


 菫乃がわざとらしくウインクをした。絶対偶然じゃない。美月と言い、菫乃と言い、俺の周りにはストーカー気質のやつが多いのなぜだ。


「ま、でもまたテルくんが面白そうなことにまた首を突っ込んでそうで私は何より嬉しいよ。テルくんの言う余計なことってやつかな?」


「あ? 最近は余計なことをしないように心掛けてるし、余計なことをした覚えもないぞ?」


「これからよ。これから」


 菫乃はそう言うと、ベンチに預けていた手を引いて後ろに組んだ。


「ま、今も偶然通り掛かっただから私もう行かなきゃ。テルくんも授業に遅れないようにね」


 茂みから突然出てきて、通りかかったというのは無理がある。


「あ、そうだ!」 

菫乃にしては張った声を出すと、少しだけ腰を曲げながら校舎の方へ伸びた足を戻して、くるっと振り返った。


「テルくん、覚えてる? 初恋の相手」


 唐突すぎるその言葉に、どきんと心臓が飛び出しそうになった。

 俺が初めて好きになった、そして最も尊敬する強くて明るいショートカットの女の子。


なぜか名前は思い出せない。でも、菫乃はその女の子を知っているはずだ。俺のことなら何でも知っている菫乃が、俺の初恋相手の名前を憶えていないはずがない。それに俺と遥香と菫乃は保育園も同じだったんだ。


「……覚えてる。けど名前が思い出せないんだ」


 俺はその言葉を恐る恐る口にした。


「ふ~ん、まあ当たり前だよね。保育園の頃の友達とかってそれ以降付き合いが無いと、名前なんて全く覚えてないよね」


「菫乃はその女の子の名前覚えてるか……?」


「それはもちろん。テルくんのことは何でも知ってる私だよ?」


 菫乃はにやつき顔で、何故か満足気味だ。


「ちょっと不気味だが、流石と言っておこう」


「それで? テルくんはまだその女の子に想いがある……?」


 菫乃は俺の目をじっと見て尋ねた。


「想いというか……でも俺が変わったのはその女の子のお陰なんだ。だから、好きとかそういうのじゃなくて、今でも感謝を伝えたいとは思ってる」


「へぇ、そっか!」

 それを聞いて菫乃は突然ぱっと笑顔になった。どうして菫乃がこんなに嬉しそうな顔をするのか全く分からない。本当にこいつは表情から心情が全く読めない。俺の心は読まれるのに、俺は菫乃の心を一度でも読めたことが無い。くそ、全く理不尽だ。


「じゃあ、テルくんに良いこと教えてあげる」

「良いこと?」

「そう。そのテルくんの初恋の相手はね――」


 その『初恋の相手』という言葉にまた胸がどきりとして、たった一瞬で体温が急上昇するような不思議な感覚が体に走った。

 

「――この街に戻ってきて、テルくんの住む世界に登場しているはずだよ?」


「え?」

 この街に戻ってきている……? 俺の住む世界に登場している……?

「何を言ってるんだ?」


「あ、ごめんごめん。なんかキメ台詞っぽくなっちゃった。てへ」


「お前のてへは俺にとって全然可愛くないぞ」


「ま、今言えるヒントはここまでかな? 他はまた今度ねっ。あ、もうチャイム鳴っちゃう。行かなきゃ」


 菫乃は最後にもう一度ウインクをして走り出した。そのウインクの真意が何なのか俺は想像も出来ない。


「おい、勿体ぶらずに教えてくれよ!」


「だからぁ、また今度って言ってるでしょ~、しつこい男は嫌われるよ~」


 ひらひらと蝶のように舞いながら、菫乃が校舎の方へ消えてゆく。

 そういえば今何時だ? ……ってやべぇ! あと三十秒しかないじゃねーか!


 このまま悪目立ちすると『夏目輝彦暗殺組織』にさらに目を付けられるかもしれない。


 菫乃曰く、俺の初恋の相手はこの街に戻ってきている。


 もしかしたら、俺が気付いていないだけで、この街の何処かで会ったり、すれ違ったりしているのだろうか。


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