第十一話 輝彦くん、弱くても戦えるよ


「痛い痛い痛いっ! やめて! お願いだからやめてぇ!」


「なんだこいつ! ビビらせやがって! ただの雑魚じゃねーかよっ!」


 俺が正面から仕掛けた正義の鉄拳は相手の体に触れることなく見事に空振りし、勢いをつけすぎたためそのまま転んでしまった。


 そして今、俺は四人のヤンキーに踏んだり蹴ったりされている。

 ああ、もうこの頃は踏んだり蹴ったりだ。


 あれ、今上手いこと言えたかな?


 実は強い奴で不良たちも逃げ出しちゃうよ~、てな感じで上手くいくという展開にはならなかった。


「やめて! もう痛いから! もう痛すぎて泣いてるからぁ!」


「……ふぅ、まあこのへんで終わらせといてやるよ」


 泣き叫ぶ声に流石に可哀そうだと思ったのか、不良たちの攻撃も止まる。

 息を切らした金髪の男は額の汗を拭くと、俺のポケットに入った財布を抜き取った。


 ――しかし中身を見るなり一瞬止まって、落胆したようにそれを地面に叩きつける。


「お前、札が一枚も入ってねーじゃねーか!」


 それもそのはず、普段から基本外出をしない俺が財布に大金を入れているはずはなく、辛うじて財布に入れていた数千円も今日でほとんど使ったのだ。


 クレジットカードもキャッシュカードも入っていない俺の財布からとれるものは小銭くらいだ。


 良かった。こいつらに奪われるくらいなら使っておいた方がマシだった。


「これじゃあ意味ねーじゃねーか!」


 俺の腰辺りに蹴りがもう一発入る。


「うっ……」


 なかなかやるじゃねぇか……はは、でも残念だったな汚ぇ金髪野郎。俺の予想以上にお前の蹴りは痛くない。


 実際、今俺の体は痛いことには痛いけど、泣き叫ぶほどではない。普段から妹に蹴られ慣れてる俺からしたら余裕のよっちゃんだ。


 妹から特殊な訓練を受けている俺はやられ続ける弱い男子を演じることで、相手に一方的に暴行を加えているという罪悪感を与え、リンチされる状況は早く抜け出したのだ。


 金髪野郎共の鬱憤は溜まっているようで体感的には思ったより長く蹴られ続けた気がするが、逆にここまでやられると清々しい。 


 不良たちに一人で立ち向かった男。


 幼い頃の俺のままだったら、コンビニであのまま見ない振りを続けたんだろうな……。


 でもよかった、これで万事解決!



「――おい、お前らあの中学生探しに行くぞ」



 気だるそうに金髪の男が頭を掻きながら舎弟(後輩)たちに呼びかけた。


 ―― え? 今なんて言った?


「行きますか~、あいつの家は分かってますしね」


「結構豪邸だったよな、親共働きで夜遅くまで帰ってこないみたいだし」


「こいつの方が金持ってると思ったんだけどな~」


 軽い足並みでその場を去ろうとする不吉な笑みを浮かべた不良たち。


「ちょ、ちょっと、待って。あの子は……見逃してくれたんじゃないんですか?」


「あ? んなわけねーだろ。まだ服の弁償もしてもらってねーし、慰謝料も貰ってねぇからな。こっちは被害者なんだ」


 後輩の一人が振り返ってにやりと笑う。治療費を貰いたのは俺だろ!


 さっきは見逃すって言ったじゃねーか。


「俺がボコボコにされた意味は何だったんだよこの野郎!」


 視界がぼやけて、四人の不良たちが遠ざかってゆく。

 クソ……何してんだ俺!


 ――なんで動かないんだよ。

 



『輝彦くん、弱くても戦えるよ』




 ――空から、違う。俺のすぐ近くでそんな声が聞こえた気がした。


 まただ、また幼い頃を思いだした。


 保育園児の時、公園の砂場で泣いてる俺に向かって、俺が初めて恋した女の子はそう言ったんだ。


「行かせねぇ……」


 奴らは背中を見せてる。つまり今奴らには隙がある。食い止めることは出来なくても、今なら後ろから金髪の男に蹴りを一発喰らわせられるはずだ。やってやる!


「うっ……いてぇ」


 立ち上がろうとすると、あばらに鈍痛が走った。最後の蹴りの一発……当たり所が悪かった。

 一歩踏み出そうとするだけで、我慢しがたい痛みが来る。


 四人の後ろ姿はどんどん離れていく。

 結局何にも出来ねーのか。

 俺は奴らに触れることもできないのかよ。


「くそっ……思ったより痛ぇじゃねーか」


 俺はあばらを手で抑えたまま、その場に膝から崩れ落ちた。

 あの一発さえもらわなければ。



「待て!」



 乱れた呼吸のまま力強く叫ぶその声は、か弱い捨て猫ではなかった。



「待たせてごめんなさい。助けに来ました」


 不良たちの行く手を遮ったのは、逃げたはずの男の子。 


「バカ! 何しに戻ってきたんだ!」


 ――と、口では言うけど、助けに来てくれてありがと! でもちょっと遅い! 


「誰かを置いて逃げることなんて絶対にしませんよ」


 片腕に包帯を巻いた男の子はサラサラの髪を風に吹かせながら、不良たちの目の前で両手を広げた。もしかしていい奴なの? 


 ずるいとか言ってごめんな! 絞めるとか言ってごめんなぁ!


「でも、でもやっぱり君は逃げろ……! ここは危険だ!」


 相手はヤンキーだ、不良だ、しかも四人だ。俺たち一般人が敵う相手じゃない。


「そんなところで寝転がってたら汚れるよ?」


 ん? その声は――  


 男の子の背後から、ウサギのような可愛い生き物が後ろ手を組んでぴょこんと現れた。



「輝彦師匠~、美月を一人で置いていくなんてそんなことしていいのかな?」



 艶やかな茶髪をふわっと風にたなびかせた女の子。


「美月……」


「いやー、輝彦師匠を探してたら久しぶりの再会をしてさ。そしたら、輝彦くんを助けてほしいって言うから来たんだけど、もしかしてお邪魔だった?」


「邪魔なわけあるか!」 


 目を凝らすと男の子は美月の隣で辛そうに肩を揺らして呼吸している。俺のために相当走ってくれたに違いない。もう、あだ名はメロスにしよう。


「悪いけどよ~、こんなお嬢ちゃん連れてきて何になるわけ? おふざけならやめてくれよ?」


 金髪の男は美月を見て、余裕に満ちた態度で嘲笑した。



「兄貴……。こいつはやべぇっす」

「だめだ、俺たち終わりだ……死だ」

「兄貴、逃げましょう! 早く!」


「あ? なんだおめぇらこんなガキみてーな女にビビってんのか?」


 後輩たちは美月の顔を見た瞬間、トラウマが蘇ったのだろう。小刻みに震えて、後退りを始めた。表情を見えないけれど、青ざめているに違いない。


「お前らどーしたんだよ。具合でも悪くなっちまったか?」


「あ、兄貴! 流石の兄貴でもこいつには勝てねえっすよ! 俺たち三人を気絶するまで殴り続けた女ですよこいつ!」


 待ってくれ……美月たん相手が気絶するまで殴り続けたの?


「こ、この女が?」

 金髪の男も一瞬ひるんだように後ろに退く。


「ねえあんたらさ、私の大切な師匠傷つけておいて生きて帰れると思ってないよね?」


「――っ」


 不良四人組は美月の放つ圧倒的な覇気に石のように固まって身動きが取れない。 


「ま、本当なら私なんかが出る幕じゃないんだけど。ね?」


 美月が男の子に目配せをして、包帯の方をちらっと見た。


「中々完治しなくてさ。今回は頼んだよ」


「よし、この美月さまに任せなさい!」


 美月は肩をぐるぐる回して、不良たちの方をぐっと睨みつける。


「しっかり歯食いしばっててね?」


「ちょ、美月! 待て!」


 美月は笑顔だ。笑顔だけど分かる。滅茶苦茶に怒ってる!


「美月っっ!」


 笑顔なのに瞳にいつものようなキラキラした光がないし、頭に血が上っていて、下に視線を持っていくと血管が浮き上がるほど拳がぎりりと握られている。


「美月ッッ!」


 美月の動きが止まる。四人に向かって走り出そうとした瞬間にやっと声が届いた。


「やっぱりだめだ、暴力は。美月みたいな可愛い女の子が暴力を振るうシーンは特にNGだ! まず、ヒロインが暴力は前代未聞だし、今、美月がこいつらをボコボコにしたら今度はさらに大勢でやってくるのがヤンキー漫画の定番! それでまた美月が返り討ちにしたら、さらに大勢でやってくるかもしれない。だからここで暴力は駄目だ! 暴力は負のサイクルしか生み出さない!」


 我ながら良いことを言った。美月がこいつらをボコボコにしてくれた方が何百倍も気分がスッキリするのは確かだ。しかし、俺の直感が今止めないとエライことになると俺に告げている。  


 可愛い女の子の喧嘩シーンとか見たくないし!


「確かにそうだね。やっぱり暴力はいけないよね……」


「分かってくれたか美月!」 


 美月は拳の力を緩め、肩をすっと落とした。

 不良四人組もどこかほっとしているように見える。


「あ! そうだ! じゃんけんっていうのはどうかな?」


 ん? 闇路さん?


「美月としては、師匠がこんな姿にされたのを見過ごすことできないよ。だからじゃんけんで勝負を決めるって結構いいんじゃない?」


「じゃんけん? じゃんけんって美月、あのグーとパーとチョキを出すあれか?」


 美月が両手を頬において、首を傾けるというぶりっ子ポーズをしながら不良四人組に視線を向けた。


「そう。私がそこの四人とじゃんけんをして、もし私が全勝したらあなたたちは私の命令を一つ聞く。逆に私が一回でもあなたたちに負けたらお金はいくらでもあげるし、私たちのことを気が済むまで殴るなり蹴るなりしていいよ」


「いや、待て! そんなルール無理に決まってるだろ!」


 美月が四回とも全部勝ったら、美月の勝利で、不良四人組のうち誰かが一回でも美月に勝ったら、不良四人組の勝利なんてそんなルール無謀すぎる。


「ねぇ? どう? そこの四人は。じゃんけんなら暴力にならないし、合法的に勝ち負けを決められていいと思うんだけど」


 不良たち四人はそれぞれ顔を見合わせる。


「一回でも勝てばいいんだな? そしたらいくらでも金を払うって言ったよな?」


「うん、言ったよ。本当ならさ、私が君たち四人をボコボコにしてたところだけど、それをじゃんけんで一回でも私に勝てば見逃してあげるって話は悪くないでしょ?」


「そのじゃんけんを承諾すれば、俺たちはお前にまた病院送りにされなくて済むのか?」


 おびえ切った金髪の後輩が震える声で質問する。


「大丈夫、師匠との約束だもん。絶対手は出さないよ」


 美月の眼差しは真剣そのもので、嘘をついているようには見えない。



「それにあなたたちに拒否権はないんだよ?」



 確かに美月の足の速さならどれだけ逃げても四人とも捕まりそうだし、有無を言わせないような圧倒的オーラに包まれた美月に誰も逆らえるような状況じゃない。


「私って意外と貯金してるからお金に心配はないしね」


「……分かった。いいだろう乗った」


「お、おい美月! じゃんけんして何になるんだよ」


「輝彦師匠、大丈夫だよ。私こう見えてじゃんけん負けたことないのっ」


 何が大丈夫なのか全く分からなかったが、美月は自信満々な表情でてへっと可愛いポーズ付きでそう言った。


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