第八話 なにこいつら両思いなの?

 蒸し暑い夏の夕暮れ。


 俺が保育園児だった頃のことだ。 


 俺と遥香と菫乃――そして、どうしても名前と顔がぼやけて思い出せないのだが、俺達が遊んでいる公園に来てよく一緒に遊んでいた、運動が大好きな元気で明るいショートカットの女の子と四人。


 ショートカットの女の子は同じ保育園では無かったけど、保育園帰り、俺たちは公園で四角形に広がってゴムボールを投げ合い遊んでいた。


「てるひこくん、はい!」


 ショートカットの女の子から、柔らかいゴム製のピンク色のボールがきれいな弧を描き俺に飛んでくる。


「あ、あっ」


 昔から運動神経も悪く、どんくさかった俺はそのボールを取り損ねてしまい、ボールは塀を超えて公園の隣にある神社の方へと入って行ってしまった。


「飛んでっちゃったね……」


 ボールが飛んで行ってしまった方を見て、遥香が心配そうな顔をする。 


「これはお母さんたちに言って、取ってきてもらおうよ~」


 菫乃も頭の後ろに手を組んで、俺のもとへ歩いてきた。


「いや、大丈夫。俺取りに行ってくるからさ、三人ともここで待ってて」

「ごめん! 強く投げちゃった……」


 ショートカットの女の子も申し訳なさそうに駆け寄ってきてくれた。雰囲気はとても可愛らしくて、背も低めだった気がする。

 保育園の記憶だから身長なんてあてにもならないけど。


「ううん――ちゃんは悪くないよ。俺が取れなかっただけだからさ」


 ショートカットの女の子はそれでも自分が悪いという風に項垂れた。


「大丈夫、俺に任せて」


「ほんとに大丈夫?」


「うん。じゃあ、ちょっと行ってくるね」


 俺は幼いながら柄にもないことを言って神社の方へと走り出した。


 もちろん、保育園の帰りだったから四人の母親も傍にいたのだけれど、ちょうど話に夢中になっている時で、俺が神社にボールを取りに行ったことには気づかない。



 俺は遊んでいた公園を迂回して、神社の前に立つ。 


 俺たちがキャッチボールしていた公園の隣接した土地には神社があって、敷地がとても広いため、子どもだけでは入ってはいけないと親からしつこく言われていた。


(でも、ボールを取りに行くだけだから) 


 いざ神社の正面に立つと、いつにも増して厳かに見える。 


 俺に任せて!なんて言ってしまった事を世界最速で後悔したが、公園に戻って遥香たちに怖くて取りにいけませんでしたとは言えない。


 入り口にどっしりと構えた鳥居をくぐると、目の前にはお賽銭箱が設置された大きな拝殿あった。神社は公園よりも敷地面積が大きく、狸や狐、狛犬の置物なんかもあったり、夕暮れ時というのも手伝って薄気味悪く感じる。


 公園と塀越しに隣接している神社の裏側に回ると、すぐにボールは見つかった。


 ――しかし、ボールと一緒に見つけたのは、クヌギの木に止まって蜜を吸うカブトムシだった。


「あ、カブトムシだ!」


 偶然にも見つけたカブトムシに、幼い俺は大興奮し、単純にもカブトムシを捕って二人に自慢しようと思ったのだ。

 

 どんくさい自分でも良い所があるんだぞっていう所を少しでも二人に見せたかったのかも知れない。


 でも、掴もうと手を伸ばしたところで、カブトムシは次の木へと飛んで行ってしまい、俺もそれに合わせて次の木、次の木へと夢中で追いかけた。

 

 俺は二人を待たせていることを忘れ、時間忘れ、神社内でカブトムシとの追いかけっこを続けていた。


 いつの間にか辺りはすっかり暗くなっていて、広い敷地の神社の中で俺はカブトムシも捕まえられず、いつの間にか見たこともない場所に迷い込んでいた。


「誰か――! おかあさ――ん!」


 助けを求めても、誰の返事もない。


 木に止まっていたカラスがカーカーと俺を嘲笑いながら飛び去る。神社内に明かりは一切なく怪しげな雰囲気も強まってきて、俺はうずくまって泣くことしかできなかった。


「誰か……助けて……」


 俺は、孤独感に苛まれ出口の無い異世界に一人取り残された気分だった。


「このまま死んじゃうのかな」




「はぁはぁ……てるひこくん……こんな所にいたんだ」




 ゆっくり顔を上げると、息を切らしながら汗を垂らすショートカットの女の子が、膝に手をついてそこにいた。


 スカートにはひっつき虫や泥が、露出した生足にはたくさんの切り傷がついている。


「みんな心配してる……行こ?」


「……う、うん」

 帰り道で迷子にならないようにと、女の子は俺を探してくれている時に、木の枝を折って印をつけたり、土や砂利道に靴を強く踏みつけたりして自分の足跡を残していた。

 

 そのせいで綺麗だった、もしかしたら新品だったかもしれない女の子の靴は汚れてしまっていた。それでもそんなことを気にする素振りも見せず、女の子は俺の手をしっかり握って皆がいるところまで先導してくれたのだ。


「ごめんね――ちゃん」


「ううん、てるひこくんは悪くないよ」


「でも……俺のせいで……」


「大丈夫。気にしないで!  ほら、はるかちゃんも、かなでちゃんもおかあさんと一緒に別の場所探してくれてるから早く合流しよ?」


「うん」


 ショートカットの女の子自身が、日が沈んだ神社を一人で歩くのが怖くなかったわけでは無いのは、俺の手を握る温かくて小さな手が震えていたことから伝わった。


 だから、ショートカットの女の子は本当に優しくて、本当の意味で強かった。


 その後、母親にこっぴどく叱られている最中もずっとショートカットの女の子の事を考えていた。俺の母によれば、ショートカットの女の子は、俺が迷子になっているかも知れないと思った時、ひとりで神社へと走り出したという。


二人とも無事で終わったけど、ショートカットの女の子もお母さんに怒られたらしい。


 俺がショートカットの少女を好きになって――そして、尊敬したのはその日がきっかけだったと思う。でもその時、俺は自分が恥ずかしくて、素直にありがとうって言えなかった。


 今頃、彼女はどこにいて、なにをしているのだろうか。


 彼女は卒園を前に、どこかに引っ越してしまったのか、いつの間にか公園に来なくなっていた。 


 たぶん今じゃ俺のことなんて覚えていないだろうけど、でも俺は彼女との思い出が沢山ある。


          *


「はぁ……はぁ……遥香、こんな所にいたのか……」


 遥香は耳を両手でおさえながら体育座りをして、暗闇の物陰に隠れてひっそりと息を潜めていた。さすがに暗すぎて、俺も探していない場所だった。


 こんな所に隠れていたら、俺が通っても気づくはずもない。耳を完全に塞いでしまっているから、俺の声も聞こえなかっただろう。 

 

 最初からそうしてれば、あんなに驚かずに済んだのにな。


「遥香、大丈夫か?」


 肩に手を置くと、一瞬ビクッとして顔を上げた。

 そりゃあもう号泣だった。


「て、輝彦…………うううぅぅ怖がっだぁぁぁ」


「おい、そんな泣くな。ほら、他の待ってる人にも迷惑だから早く行くぞ」


 こんなの本当に迷惑な客以外何者でもないので、俺は早くその場から立ち去りたい。


 案内のお姉さんにも謝らなければならない。うう、憂鬱。


 しかし遥香は頬に流れる涙を拭いながら、首を横に振る。


「足が痛くて動けない……」


ロングスカートから見える脛には痣が出来ていた。走っている時に何処かにぶつかったのだろう。他にも怪我をしているかもしれない。

「動けない?」


「体に力が入らないの」


「はぁ……まったく仕方ねぇな」


「ビビりなくせにお化け屋敷なんて挑戦するからだぞ」

 そう思うのもこれで何回目だ?


「分かった。ほら」

 俺は腰を下ろして、背中を遥香の方に向けた。 


「え?」

「ほら早くしろよ」


 顔は見ずともきょとんとした遥香の顔が思い浮かぶ。


「早くって言ってんだろ。早くしないと、流石に怒られるぞ。いいから乗れ」


「…………」


 少し間があってから、背中に軽い温かいものが乗るのを感じた。俺は腕を後ろに回してからゆっくりと腰を上げる。

 

 薄着だからだろうか背中にはマシュマロみたいな柔らかなもの確かに感じ、腕には雪のように白く滑らかな肌触りの太ももが一枚の布を挟んで触れている。


 俺の耳元ではまだすすり泣くような音が聞こえてきて、俺はあやすように軽く揺すりながら出口へと向かった。


「置いてくなよな。俺だってこのレベルのお化け屋敷は怖いぞ」


「私も一人で怖かったもん」


「ふっ……まあな」


 俺が前に家族で行った遊園地のお化け屋敷とは比べ物にならなかった。 


「遥香は保育園の時、俺が神社で迷子になったこと覚えてるか?」 


「うん。あれは忘れないよ。だって、すっごいカッコつけて神社に走って行ったのに全然帰ってこなくて迷子になってるんだもん」


 ふふっと遥香がはにかむように笑った。

 やっと合流できて少しは安心したのかもしれない。


「遥香もお母さんと一緒に探してくれたよな」


「そうだね。あの神社はお母さんと一緒にいても怖かったなぁ……」


「今はあの時とは立場が逆ってわけだ」


「うるさいなー」


 遥香が俺の肩の辺りをこつんと叩いて、背中に顔をうずめた。


「高校生になってもさ、一人であの神社に入ったら迷子になっちゃいそうだよね」 


「あの神社が今も取り壊されて無かったら、もう一度挑戦したいところだったんだけどな」


「ぜったいうそじゃんそれ」


 遥香は俺の背中でくすっと笑った。あの思い出はちょっぴり恥ずかしいけれど、今となれば楽しい笑い話だ。遥香が笑って、俺も笑った。


 そして最後に俺は唾を飲んで、大きく息を吐いた。


 遥香に聞きたいこと。それは、運動が大好きで、いつも外を走り回っていたショートカットが良く似合う元気で明るい女の子の名前。

 

「あのさ」

「あ、あのさ」


 二人の声が重なった。


「ん? なに?」

「いや、遥香から言ってくれ」



「その…………美月ちゃんは?」



         *



「輝彦師匠――――――! 美月を忘れるなんて酷い! 酷すぎる!」


「だからごめんって!」


 俺と美月は二手に分かれて遥香を探していたため、どちらか先に見つけたら大声で呼ぶかスマホで連絡する(昨日強制的にLINEで友達追加させられた)と決めていた。


 それを俺は遥香を見つけた安心感で美月への連絡を忘れたため、美月はひとり首切り女の血だらけの家の中を怯えながら彷徨っていたわけである。



 以上より、出口の隅で俺は正座をさせられ、遥香は怪我をしているため体育座りをさせられている。案内係のお姉さんはその様子を見て、怒るにも怒れない状況で諦めたようだ。


「えーと、美月ちゃん。私は悪くないんじゃ……忘れてたのは輝彦だし」


「おい遥香! 探してやった恩人に全部の罪を着せる気か⁉」


「だって私が気づかなかったら、輝彦そのまま家まで帰ってたんじゃない?」 


「それは言い過ぎってもんがあるだろ!」


「二人とも、いつ、どこで、だれが、私語をしてもいいって言ったのかな?」


 やばい……相当怒ってる。目が怖すぎる。闇落ち美月たん怖い。


「あんたね遥香、元はと言えばあんたが迷子になったのが悪いんだからね⁉」


「そーだそーだー!」


「輝彦師匠はうるさい!」


「すいません」


 不思議なもんだ。美月に怒られて、正座もさせられているのに不快感どころか少し楽しい雰囲気で場が包まれている。やっぱり美月には特別な力があるのかもしれない。


証拠に、お化け屋敷に入る前は美月に心を開くどころか、人見知りを発揮していた遥香が今はその美月と普通に笑顔で会話できているのだ。



「ありがとね美月ちゃん」



「え……?」

 突然の遥香からのお礼に美月が固まる。


「きっと美月ちゃんが率先して私を探してくれたんだよね。わかんないけど、なんかそんな気がするの」


「え、あ、まあそうだけど……」


 うわ、美月が照れてる。顔赤らめてベタな表情してる。


「うん、だからありがと」


「わ、分かったから。それに美月でいいし……」


「わかった。美月」


 遥香はちらっと目線を俺に向けて、照れるように下唇を噛んで微笑むと膝に顔を埋めた。


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