第五話 人間失格とは言ってない
矢場町駅から歩いて、矢場町交差点の高架下に到着。高架下の広い屋外スペースにはお化け屋敷の特設会場が出現しており、すでに行列ができていた。
今となっては名古屋の夏の風物詩と化した屋外施設のお化け屋敷。
毎年、人気のお化け屋敷プロデューサーとやらが手掛けるようで、カップルなんかがこぞって来たがるらしい。
俺たちはその行列の後ろに並んで順番を待つ。
「思ったより並んでるな」
「当たり前でしょ。ここのお化け屋敷は怖いで有名だから……ね」
自分で言っておいて怖がってるじゃねーか。
しかもさっき俺が言ったやつだしそれ。
「今のうちにやめておくという選択肢もあるぞ?」
「え……あるの? やめてもいいの?」
神様にでも祈るように、胸の前で両手を組み合わせる美月。
今すぐその上目遣いをやめてくれ……目が合わせられんだろ。
「そりゃあ勿論。ただ――」
「ただ?」
「ただここまで来てやめるなんて言い出したら、それは一生の笑いもんだな。ビビり、チキン、意気地なし、負け犬――ってずっと笑われ続けるぞ?」
これは昨日学校で散々遊ばれたお返しだ。
「どうするどうする美月~?」
「……っく。お化け屋敷は怖いけど……」
お化け屋敷に入って恐怖を味わうか、やめて俺から笑われるか、美月は下唇を噛んでそのジレンマに悩み込んでいる。
もうお化け屋敷怖いって言っちゃってるしね。
「ここでやめたらビビり……チキン……意気地なし……負け犬……人間失格って一生笑われ続ける……」
「ん?」
俺の耳にどこからともなく呪文を唱えるような声が入ってきた。
耳を澄ませて呪文の発生源を探すと、呪文は美月ではなく、俺たちのちょうど真ん前に並んでいる人から聞こえてきているようだった。
白レースのロングスカートに、少しだけデコルテを出した淡いブルーのブラウスという夏にぴったりの清楚系ファッション。
間違いなく女の子だ。
「チキン意気地なし負け犬人間失格……チキン意気地なし負け犬人間失格……」
女の子は帽子を深くまで被って、真夏なのにマスクをしているため顔は見えないが、動きは完全に不審者。あと俺は人間失格とまでは言ってない。
「ね、ねえ輝彦師匠。前の人大丈夫かな?」
「え、あ、まあ」
美月をからかうための言葉たちが、方向を変えて俺たちの前に立つ女の子に攻撃してしまったらしい。それも相当な威力で。
「絶対輝彦師匠のせいじゃん!」
「なっ! 俺のせいかよ!」
「あーあ、輝彦師匠が余計なこと言うからだ~」
「くっ……確かに……反論は出来ないっ」
「女の子を泣かせるなんて、そっちこそ男として恥ずべきことなんじゃないの?」
「うっ……」
後ろから見ても分かるほどに、女の子は膝と肩が震えている。
きっとお化け屋敷に入るため並んだのはいいけれど、順番が近づくにつれて怖くなり逃げだしたくなったのだろう。そこに俺は逃げたらダメという暗示をさらにかけてしまったのだ。
こういう時は謝った方がいいのだろうか……。うん、きっとそうだ。
「一生笑いものになるなんてことはないですよ。冗談なんで……」と、伝えよう。
――そう思い、俺が前に並ぶ女の子の肩に手を伸ばすと、女の子の手から『首切り女の血だらけの家』のパンフレットがゆらゆらと地面に落ちた。
「あ」
「あ」
俺は伸ばした手の方向を変え、パンフレットを拾い上げて女の子に渡す。
「どうぞ」
「あ、ありがとうございます……」
女の子は、俯きがちに俺の手からパンフレットを受け取る。
「――え、て、輝彦?」
その声に帽子の下から顔を覗くと、くっきりとした目元が見えた。
カラーコンタクトじゃなかったら、こんな色素の薄い綺麗な色の目をしている人、遥香くらいしか見たことないなぁ。
「って――遥香⁉」
目の前に立って震えていた不審者っぽい女の子の正体は遥香だった。
「なんで遥香がこんなところにいるんだ⁉」
「え、あ、いや」
遥香は取り調べを受けている容疑者みたく完全に焦っている。
「私、その、お化け屋敷とか結構好きで……ほんとは輝彦を誘おうかなって思ってたんだけど、輝彦と喧嘩みたいなことしちゃって……タイミングを逃しちゃったというか」
俯きながら人差し指をつんつんしてる遥香……か、かわいい。
「そういえば昔からホラー映画とか好きだったもんな」
「う、うん」
「あ、あと昨日は悪かったな」
「ううん……大丈夫。輝彦が私の知らないうちに誰かとふしだらなことするなんてあり得ないもんね……」
ふしだらなこととは、俺が美月に付いた血を拭いたのを、美月が話を盛りに盛って全然違う話に変えたからだ。ちゃんと弁明しなくてはならない。
遥香は相当暑かっただろうマスクも外して帽子もとった。それでも暑さは収まらず、手で紙を持ち上げ、首辺りを仰ぐ。
うなじから肩にかけてのラインが露わになり、ちらっと覗かせる美しい形をした鎖骨が俺のハートをぐっと掴む。
……というかなんか重要なことを忘れてないか?
「あの~お忙しいところ申し訳ないんだけど、美月のこと忘れないでくれるかな?」
「あっ」
「や、闇路さん⁉」
美月の存在に気付いた遥香は俺をギッと睨んだ。
こんなに怖い遥香ちゃん初めて。
「なーに、遥香。もうクラスメイトなんだから美月でいいんだよ?」
「ちょっと輝彦これどういうこと⁉」
「どういうことと言われましても……」
「大丈夫よ輝彦師匠。美月が説明してあげるから」
「おい、美月待て! めっちゃ嫌な予感しかしない!」
「えーとですね。はい、要するにですね」
「要するに?」
「デートです!」
「……………………う、うう、うっ」
「待て! 遥香泣くな! ちょー誤解だって! 美月もお前なんてこと言うんだよ!」
「輝彦も否定しなかったじゃん! うううううう」
やっぱり俺の予感は的中した。ブルだ。
そして俺は知っている。
こうなった遥香は一時間でも二時間でも泣き続けるという事を!
「違う! 否定しなかったわけじゃなくて、俺もそんなこと突然言うと思わなくて驚いてフリーズしたんだよ! 美月お前もなんとか言え!」
「ごめんごめん、嘘だよデートじゃないよ! 休日に引きこもってる輝彦師匠を何とか連れ出そうと私が押しかけただけなの」
まさか泣くとは思わなかった美月も、遥香をなだめる。
「輝彦本当にそうなの……?」
「そうだとも。インターホン壊れるかと思うくらい鳴らされたんだからな⁉」
「ほんとに?」
「ほんとうだ」
「そっか……。それなら良かったけど……」
遥香が落ち着きを取り戻すと、俺は美月との公園での出会い――そして今、この時点まで、茶々を入れてくる厄介な美月を制しながら細かく話した。
遥香はその話を聞いて納得したようで、深く息を吐く。
「というわけだから、遥香これからもよろしくね」
「う、うん。よろしく」
能天気な美月が遥香ににっこり微笑みかけるが、美月が俺を愛していると教室で宣言したことや、師匠と呼んだりすることはまだ納得できていない様子で、美月の事はまだまだ警戒しているようだ。
そして俺が遥香に一生懸命弁解している間に、行列の先頭に来ていたらしく、俺たちはようやくお化け屋敷に入ることになった。
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