第三話 休日は午後まで寝させて
昨日はとんだ災難だった……。
教室に帰って事情を説明しようとしても、遥香は口を聞いてくれなかったし、
涼太は、
「あんな可愛い子が本気で輝彦のことを愛してる訳ないだろ?」と……。
菫乃に至っては、
「やっぱりテルくんの周りは面白いことが起きるな~と思って冷やかしたかっただけだから」と……。
あいつらなんて野郎だッ! 他人事だと思って楽しんでやがる!
美月は、転校初日にも関わらず、教室で色々とやらかした。扉を壊したり、俺のことを愛してると言い出したり、授業をサボって俺を体育館裏へと連行したり。
――だが、それ以上に恐ろしいことが起こった……。
持ち前の明るさと可愛さで、たった一日でクラスに溶け込んだだけでなく、闇路美月は転校初日でクラスの人気者まで登りつめたのだ。
その状態で、夏目輝彦のことを愛してるだとか訳の分からないことを言いふらすことによって――
「ほんとあいつら仲いいんだな……」
「夏目くんって微妙だけど、美月ちゃんが選んだなら仕方ないよね」
「いいな~夏目、あんな可愛い子に好かれてよ~」
――という風にクラスの空気を変えてしまったのだ!
ただ、そんな声が聞こえるたびに遥香の機嫌が露骨に悪くなり、体中から重く濁った空気を放っていたことは記憶から消したいんだが……。
クラスの対応力もさることながら、昨日は美月のコミニュケーション能力が半端じゃないと思い知った昨日だった。
実際、俺も出会って一日でここまで緊張しないで会話できたのは美月だけだ。
ただ、毎時間、毎分、毎秒、つけ回されるのは精神的に疲れてしょうがないし、俺のことを『根暗で地味なのに可愛い子で童貞を捨てやがった男』として殺害計画を練っているやつが大勢いるのは何とかしてほしい。
そして疑問と言えば、俺が女子を下の名前で呼んだのは遥香が一人目、美月が二人目のことで、普段の俺には到底できない大技だった。
保育園からの幼馴染である菫乃奏でさえも苗字で呼んでいるのに。
――なんで闇路美月のことはすんなり美月と呼べたのだろう。
まあ、あんなに引っ掻き回されたら距離も一瞬で近くなるか。
美月が転校してきた怒涛の金曜日が終わり、俺は冷房を効かせた自室のベッドで布団に包まりながら、そんなことを考えていた。
(まったく……転校してきて一日か……そんな気がしねぇ。まるで子供のころからずっと一緒にいた気までしてきたわ。)
でも、やっぱり一番気掛かりなのは遥香からLINEの返信がないことだ。いつもなら俺のLINEには五分以内に返信をくれるはずなんだけど……。
俺はYouTubeの画面が点いたスマホを片隅に置いて、天井を見上げた。
「休日はやっぱりグダグダに過ごすのが一番だよな」
やることが無い。なに、最高じゃんそれ。
――ピーンポーン。
一階でインターホンが鳴った。
宅配便か何かだろう。俺の部屋は二階にあるが、インターホンの音がはっきり聞こえるように設定してある。
うちは四人家族で、今日は仕事で両親は家にいないし、おそらく妹も友達とどこかへ出かけたはず。ちなみに、妹は愛されキャラで友達が多い。
つまり、インターホンが鳴れば、俺は一階まで降りて訪問者の対応をしなければいけない。
出たい気持ちは山々なんだけど、どうしても体が動かない。
寝癖もひどいし、ここは居留守というやつでやり過ごすか。
――ピーンポーン。
もう一度、インターホンが鳴った。
――ピーンポーン。
また鳴った、しつこいな。
――ピーンポーン…………。
―――ピンポンピンポンピンポンポンピンポンピンポンポンピンポンピンポンポンピンポンピンポンポンピンポンピンポンポンピンポンピンポンポン。
「うるっせ――――‼」
思わずベッドから飛び跳ねて階段を駆け下り、玄関の扉を開けてしまった。
「おおー、輝彦師匠やっと出てくれた」
目の前には、白Tシャツにショートなデニムパンツを穿いたカジュアルスタイルで、ミディアムボブの茶髪をハーフアップにした小柄だがスタイル抜群の女の子が立っていて、俺が出てきたことを思惑通りだ、と言わんばかりににやりと微笑んだ。
……闇路美月だ。
俺がどうしてこんなデニムやらハーフアップやらという横文字を知っているのかというと、涼太が可愛い女の子を目撃するたびに、俺にその女の子の服装や髪型のポイントを逐一説明してくるからである。
「……何しに来た」
どうして俺の家を知っているのかという質問は無意味だからしないことにした。一か月の間俺をストーキングしていたという時点で俺の家を知らないはずがない。
俺は玄関の扉を半分まで閉めて、そこから覗くようにジト目で美月を警戒する。
「師匠とお出かけしようかな~と思って来たんだよ。ほら今日良い天気だしね」
美月は浮かれ気分でにこっと微笑む。
「なんだお前は、良い天気というだけの謳い文句で誰かをお出かけに誘える系女子かよ。この蒸し暑い日に限って良い天気だけはないだろ」
「はぁ……これだから卑屈系ぼっちは……」
「誰のことだその卑屈系ぼっちとは、新しい言葉生み出すんじゃない!」
「今、師匠に特大ブーメラン刺さったけど大丈夫?」
――ぐさっ。
「ほら、早く出かける準備して?」
「…………」
仕方ない、ここは強硬手段か。その名も引きこもりの術。
朝から太陽のように眩しい笑顔の美月にとびきりの笑顔でおやすみと呟いて、半分開いた玄関の扉から顔をすっと引き、そのまま閉めようとドアノブに手をかける。
俺は太陽が嫌いなんだ。
すると、間髪容れずにベージュ色のコンバーススニーカーを履いた美月が、全力で駆け寄ってきて外のドアノブを掴む。そして俺が閉めようとする逆のベクトルに引っ張りだした。
「おい、放せ! 扉が壊れたらどうするんだ!」
「まだ抵抗する気⁉」
「抵抗するも何も俺は家から出たくないんだ!」
「そんな事ばっかり言ってるから友達もろくにできないんでしょ!」
核心を突くな。
「それに! なんで、まだ出会って間もない美月と遊びに行かなきゃならんのだ!」
「あーあ、輝彦師匠言っちゃいけないこと言っちゃったね……」
美月の声色が明らかにドスの利いたものに変わり、ドアを閉めようとしてもビクともしなくなった。
――あれ?
「輝彦師匠! 美月に勝とうなんざ、百年早いわー!」
「うあぉ!」
美月が思い切り外のドアノブを引いた力により、内側のドアノブを握り締めていた俺はそのまま外に放り出され、ドタンと地面に体がたたきつけられた。
「痛ってぇ! いてぇよぉぉ!」
「どう? 輝彦師匠、少しは懲りた?」
玄関を出た所にある階段を転がり落ち、腰を強打した。もし、受け身をとれていなかったら病院送りになっていた。
そんな俺を他所にして、美月は玄関の前に立って俺のマザーベースへの通り道を塞ぐ。
「あ、そうだそうだ。ねえ、どう? 似合う?」
腰を抑えながら悶える俺に恥ずかしそうに目配せして、美月は下唇を噛みながらくるっと一周して見せた。
艶めきを放つ茶髪が遠心力で揺れ、きめ細やかな白い肌と脚線美は同じ人間であることを疑わせるほど神聖な姿に見える。
それより、吹っ飛ばされた俺の心配をしろ!
「どう……かな?」
美月が暑さのせいか顔を少し赤らめながら腕を後ろに組んで、俺の感想待ちをしている。
「あ、うん、似合う……」
つい昨日出会った転校生――しかも飛び切り可愛い女の子が家に来て、恥じらいを含んだ瞳でどうかな? なんてどういう状況だよ。にしても一つ一つの動作が全部あざといんだよな。
「そ、そっか……それはよかった、かな……」
美月はなぜかさらに顔を赤らめて、髪を撫でた。恥ずかしいなら似合う?とか聞くなよ。
美月は小悪魔的で可愛らしい見た目だが、それとは裏腹に不良をボコボコにし、教室の扉をも壊した怪力女子というイメージだった。
それが一瞬で純粋無垢で清楚な女の子に変わってしまうほど、その姿には衝撃をおぼえたので俺も照れて返事が曖昧な感じになる。
けれど、何故か満足そうに微笑んでいるのでよしとしよう。
それより、言っておかなければならないことがあった。
「下からだと隙間からパンティーが見えそうだな」
ふ、言ってやったぜ。この前、体育館裏でからかわれたお返しだ。
――ゴズンッ。
あれ、今ゴツンじゃなくてゴズンッって鳴ったよね?
頭蓋割れちゃってないよね?
あ、だんだん痛みが……痛みが増してきたぁぁぁ!
「い、痛ぇよぉ! 何すんだお前!」
お返しどころか、一発殴られた。しかも殴り方が瓦割りの構えだった。
「痛ぇぇ……痛すぎる……つーかお前、朝からインターホン連打するな!」
「そうでもしないと輝彦師匠出てこないでしょ? それに私は弟子だから休日もお供しないとね?」
もし俺のことを本当に師匠だと思っているのなら色々と対応がおかしいと思う。
「ほらほら、いいから師匠も早く顔洗って、服着替えて来てよ」
「なに? だから、俺はどこも行かないって言ってるだろ?」
「何言ってんの、昨日出かける約束したじゃん」
「断じてしていない」
「したよ」
「俺は十二時を回るまでは布団の中からでないと決めてあるんだ」
「もう出てるじゃん」
「今回に関しては例外なんだよ!」
俺は立ちあがり、美月を押し返すようにして、玄関の扉を再び閉じる。
やめだやめだ……。
平日だけじゃなく休日まで俺の日常を破壊することは許されないぞ。
「はぁ、わかった。じゃああのパーカー警察に持っていくね」
「五分で用意します」
俺は秒速でマザーベースの扉を開いた。
最初からそれを言ってくれれば、すぐに準備したのに。
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