第ニ話 連れ去られた先は……

 校庭では、体育の授業に集まった他クラスの生徒が照りつける太陽の下でけだるそうに準備体操をしており、教室からは授業をする先生の声がわずかほどに聞こえてくる。


 クラス中がざわめきと混乱に包まれる中、一限目の始まりを知らせるチャイムが鳴ると同時に俺は手首を掴まれ、そして声を上げる暇もないまま、引きずられる形で教室から連れ出された。


 もちろん、俺を物凄い腕力で連れ去ったのは謎の転校生――闇路美月だ。


 彼女が教室に入ってきて、たったの十分たらずで俺は激動の時を過ごしている。


「なんなんださっきから! それにもう授業始まってんだけど!」

 連れ去られた先は体育館裏。

 体育館裏と言えば、告白スポット。また、不良のたまり場でもあり、喧嘩、リンチ、カツアゲ、ありとあらゆる暴力が起こる場所。


 俺は、ここに連れてこられた目的を一瞬で理解した。もちろんここに来て闇路さんが突然俺に告白。

 

 実はヤンデレでした、というオチは無いことは分かっている。この場合のヤンデレとは「病んでいる」と「デレ」の合成語ではなく「ヤンキー」と「デレ」の合成語である。


 闇路さんの見た目はヤンキーなんかではなく、普通の可愛い女子高校生だけれど、中身はそれ(ヤンキー)以上に怖いであろうことを俺は知っている。


 ということはだ……。

 体育館裏で隠れて見つからないように物理的に殺すというのが闇路さんの目的というわけだ。


 万が一、生き返ったり、殺し方に不足があった場合の事を考えて、先ほど俺を教室で社会的に殺して置いたんだ。そうに違いない。


 殺される理由がないわけではないのだ。

 だって女の子の体勝手に触っちゃてるんだもん。


 なんらかの刑罰があるに決まっている。


(ああ、神様……どうして僕はあんなことをしてしまったのでしょう。)


「なんか深刻そうな顔してるけど、取って食おうとしてるわけじゃないよ?」

「……え、そうなの?」

「そうだよ? 美月ってそんな危険そうに見えるかな?」


 闇路さんは俺が怯える姿に、不思議そうに首を傾げる。

 公園でのあの惨劇を見た以上、俺が闇路さんに恐れをなすのは当たり前のことだが、闇路さんはその自覚が全くないらしい。


「まぁ一応よかった……。殺されるわけじゃないんだ」

 俺はほっとして体育館裏の壁にもたれかかるようにぐでっと倒れこむ。


「ちょっと、殺すなんてそんな物騒なことするわけないじゃん」

「確かにそれもそうだな……うん、ごめん」

 とはいえ、公園で倒れていたあの不良組三人は無事なのだろうか……?

 血まみれだったよなぁ。


「輝彦師匠をここに連れてきたのは、とりあえず美月も輝彦師匠に話したいことがあったし、輝彦師匠も美月に聞きたいことあるでしょ?」


 闇路さんはぴょんと膝を曲げて俺の前に飛んできた。その姿は小動物のようで可愛く、俺はまたドキリとしてしまう。

 落ち着いて考えれば聞きたい事があるというか疑問がありすぎる。


「えっとさ……まず、闇路さんはなんで俺の名前を知ってるんだ?」


「そんなの簡単なことだよ。それは一か月ずっとス……尾行してたから! あ、あと闇路さんじゃなくて美月でいいよ」


「あ、……じゃあ美月。……って‼ 一か月尾行してたって、ものすごいもの途中でぶっこんできてるんだけど⁉ それに今、ストーカーって言おうとしてたよね⁉」


「ははは、輝彦師匠ハイテンションだね~」


 驚愕の事実を告げられ呆気にとられている俺の表情を見て、美月はふふっとSっ気のある笑いを浮かべる。

 そして「早く次の質問は?」というように急かしてきた。


 ストーカー行為をここまで明るく語れる人間が果たしてどこにいるのだろうか。


「じゃあこの学校に転校してきた理由は?」

「ん~それは後ね~」


「じゃあじゃあ、なんで朝から公園で寝てたんだ?」

「んん~それも後かな~」


「じゃあじゃあじゃあ! あの公園での惨劇はなんだったんだ⁉」

「んんん~それも後!」


 くぅ~っとこらえる表情で美月が首を横に振る。

 全部後じゃねーか!


「……じゃあ、師匠って呼ぶのは何なんだ? 俺の聞き間違いとか?」

「ふふっ、よくぞ聞いてくれましたっ」


 美月はその質問を待ってましたと言わんばかりに立ち上がり、目を輝かせた。

 なんだよ、話したいことがあるなら自分から説明してくれればいいだろ。


「あれは一か月前のこと――それは外灯の明かりだけが足元を照らす暗い夜でした――」


 美月は立ち上がると、大空に手をかざしてどこか遠い目で明後日の方を向いた。


「おーい、ちょっと美月さん? 勝手に回想に入ろうとしてない?」


 まぁそんな俺のツッコミは無視され、美月は回想を続ける。


「――散歩中だった私は、か弱そうな高校生が不良たち三人組にカツアゲされている所に偶然遭遇してしまいました。そして私は女の子だというにも関わらず、助けを求められたのでその不良たちを半殺し、いえ、血まみれに、う~ん、ボコボコにしたのですが――」


「表現を変えて頑張ってるけど、ちっとも物腰柔らかくなってないからね? 女の子なのに不良たちを半殺しにしちゃってる時点でおかしいからね!?」


 そんな俺のツッコミは例にもれず、やはり耳に入らないようで、美月はそのまま話を続ける。


「――疲れた私はどうしても眠くなってしまい、その場で寝てしまいました。気づけば朝になり、気持ちよく寝ていると、身体に何かが触れた感覚があったので、細目を開けたのです。すると何という事でしょう!」


「眠くなったからって、公園でそのまま寝る女子高校生がいるか⁉」

 という俺の言葉はまたも例にもれず無視され、美月はミュージカルのような大げさな身振り手振りで体育館裏を駆け回る。

 つか、何回無視されるんだよ俺。ステルスか。


「なんと私の体についた朱色の液体を拭いてくれている白馬の王子様がいるではありませんか!」


 おっと、その王子様が俺だとして確かに血は拭いたけれど、馬には乗ってない。


「私は王子様を見て、生まれて初めて知ったのです! 優しさというものを……。私は立ち去る彼を呼び止めたものの、彼は名乗るほどの者でもないと言って、森の奥へ消えて行ってしまいました……。生まれてこの方、優しさというものに疎遠な私は彼から優しさというものを学ぶべく彼を探す旅に出たのです!」 


 美月は体育館裏での単独公演が終わると、俺に向かってキラッとした笑顔を向け、汗を拭う素振りを見せた。いや、そんなどや顔されても……。


 俺は半泣きで逃げ去っただけで、名乗るほどの者でもないなんて言ってないし、俺は森の奥にも消えてないぞ。話も盛られすぎだし。


「どう? 内容は理解できた?」

「……よくわかんなかったんだけど」

「はぁ……」


 張り切って説明してくれたので、ちょっと悪いなと思い下手に出たら、美月は大きくため息をつきやがった。


 公園で寝ていた理由と喧嘩した理由(この場合は喧嘩ではないのか……?)は分かったけど『師匠って呼ぶのは何なの?』という質問に対してのアンサーが全く回想の中に入ってないんだから俺じゃなく、絶対こいつが悪い。

 けど、怖いから黙っとこう。


「じゃあ、おバカな輝彦師匠でもわかるように簡単に説明ね」

「初対面でおバカ呼ばわりされたのは初めてだ」


「要するに私はあの時、見ず知らずの人に初めて助けられたの。それで、私はあなたのその見返りを求めない優しさ、誰にでも優しいその心、そんな《優しさ》を教えてもらうべくこの学校に来たわけ。だから、これからはあなたが師匠として私は《優しさ》を教えてもらうの」


 美月は腰に両手を置いて、真剣な眼差しになって言った。


 話を整理すると、俺がした余計なこと(眠っている美月の体に付いた血を拭いたこと)を美月は優しさだと勘違いしてそれに感動し、俺からその優しさを学ぶために転校してきたと……。


「ちょ、ちょっと待て。俺は血を拭いただけで、優しいとかそういうんじゃないし。それに優しさって教えられるものじゃないだろ?」


 美月は(なんだかわからないけど絶対面倒くさいことに巻き込まれたな……)と思った俺の表情を察知したのか、腕を組んで頬を膨らまし、むすっとした表情になった。


「優しさが教えられないのは分かってるし、本当に優しい人は自分が優しいことを自覚してないんだよ。だから輝彦師匠はとても優しいということ! 私は勝手に輝彦師匠から優しさを学んでいくから輝彦師匠はそのまま日常生活を過ごせば大丈夫!」


 大丈夫と言われてもなあ。しかも今のってたぶんストーキング宣言だよな。


 不安そうな表情のままの俺の前に、美月はやって来ると、もう一度しゃがみ込んで、その大きなまん丸い茶色の瞳を武器に、上目遣いで俺の顔を覗きこんできた。


 木漏れ日で反射するその透き通った白い肌は、一般の女子高生――ましてや、不良グループを血祭りにした女子高生だなんて誰が思うだろうかというほど、美しい。


「ねぇ、輝彦師匠?」


 おい、近い、近い。整った顔が近づくと、不揃いな顔のやつは自己防衛で背けたくなる衝動に駆られるのを知らないのかこいつは。



「今どきどきしてる?」



 艶やかでみずみずしい唇が視覚を、見た目とギャップさえ感じる色っぽい声色が聴覚を同時に刺激する。

 美人系女子は遥香のおかげでそこそこ耐性があると思うが、可愛い系女子耐性0の俺の鼓動は外に漏れているんじゃないかと思うほど速く、そして大きく鳴り始めた。


「きゅ、急になんだよ」



「輝彦師匠……? 輝彦師匠には拒否権なんてないんだよ?」



 俺の頬につんと置いた美月の人差し指がそのまますーっと下に流れていく。


 首を通り、


 鎖骨を通り、


 胸を通り下へ下へと……。



「お、おい、美月!」


 俺は反射的に美月の腕を掴んだ。

 ――すると美月はいたずらっ子のような笑顔で飛び跳ね、満足げな顔でにししと笑った。


「輝彦師匠顔真っ赤ー! やーい輝彦師匠の事からかっちゃったーっ」


「……て、てめえ馬鹿にしやがったな!」


「ふ~ん、童貞には刺激が強すぎたかな~?」


 美月はちょこんと舌を出して、スカートをスカートをぬるい風にたなびかせて俺から逃げるように走り出す。


 体育館裏の日陰から出ると、夏の強すぎる陽射しによって美月の白い肌と、茶色の髪がより魅力的に俺の目に映った。


 いや、見とれてる場合じゃない。


「学校でそんなこと大声で言うな! 待てこらー!」


「はは、じゃあ私は先に教室戻ってるねー! 今日からこの可愛い弟子をよろしく~!」


 美月は俺を大声で馬鹿にしながら、目にもとまらぬ速さで校舎に向かって走っていく。


気が付けば、美月の姿は校舎の中に消えていった。

規格外のスピードだった……。

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