第9話 孤独

 「ただいま、遅くなった」

 家について玄関戸を開ける。返事はない。ワインを買ってきたと言ってみる。返事はない。

 隣のベルグマンさんの家のチャイムを押す。奥さんが出てきた。妻を知らないかと聞く。知らないらしい。


 嫌な感じはどんどん強まる。我が家に戻って、リビングへ入ると仕込み中のピクルスがテーブルにおいてある。キッチンには切りかけのジャガイモとトマト。

二階の妻の部屋に入る。姿はなかった。

 とうとう俺は観念した。妻が行方不明だと警察に通報しようとしたとき、電話が鳴った。期待空しく、相手は妻ではなくて、警察だった。

 ニュースで見たかもしれないが、河へ入水自殺したのは俺の妻だということ。その遺体はたった今発見され引き上げられ、ポケットの財布に入っていた身分証から身元が分かり、近親者に繋がらないかと電話したということ。


 そうしてわたしはこれから一人の人生を生きていくこととなった。仕事もやめた。でもそれだと生きていけないから、知り合いのワイン農家の手伝いとして働かせてもらうことができた。一度も心の底から楽しいことなど、妻が死んでからは無かった。

 妻は気を病んでいたらしい。妻は日記をつけていたのだが、死ぬ前日までは特に、死にたいとか、そういう類のことは書いていなかった。だが、一日中一人で過ごす日が続いたことで、相当ストレスが溜まってはいるようだった。ベルグマンさんとは一度口論になって、少し疎遠になったと日記に書いていた。だとすると、仲直りできなかったということになる。

 そうして誰も頼れる人がおらず、夫は帰ってこないし、連絡もよこさない。今まで溜めにためたものが一気にあふれて、自死の行動を取ったのだろうと警察関係の人から言われた。

 つまりはわたしのせいだ。医者の不養生とはよくいったものだ。ひとの心のケアをするカウンセラーをしている者の妻が、心を病んでしまったのだから。

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