第二章 後悔と喪失
第4話 月下
京都、あなたも一度くらい聞いたことがあるのではないでしょうか。そう、日本の昔のみやこです。おお、よくご存じですね。その通り、明治という時代になってから首都が東京になったんです。彼と私の出会いは、そんな京都駅前の交差点でした。
私は当時、京都駅の近くでアルバイトをしていました。あ、こちらではパートタイムジョブと言ったほうが良いですかね。アルバイトと言ってしまうと、こちらでは本業というか、職業のことを表すのでしたよね。
まあ、その仕事が終わるのが夜の十一時です。それから駅まで歩いて行って、電車に乗って下宿先に帰るというのが日常でした。ああ、そうです。言ってなかった。大学生だったので故郷の親と離れて一人で暮らしていました。というか今も大学生です。今は大学は春休みなので、こうしてドイツまで来ることができているというわけです。
話をもとに戻しましょう。その日、たしかクリスマスが近くて、普通の時の倍くらい忙しかったと思います。くたくたになっていつもの電車に間に合うように小走りで駅まで向かっていました。それを逃すと、次の電車まで二十分待たないといけないのです。早く家に帰ってベッドに横になりたいと思っていたので、無駄な二十分を寒い駅のホームで待つのはとても耐えられそうにありませんでした。そうして急ぎながら駅前の大きな交差点に差し掛かったとき、弱弱しいギターの音が聞こえてきました。私はそれにピンときたというか何というか、とにかくギターの練度はそんなに高くはないと感じたのですが、メロディーに直感的に感動したのは確かです。思わず急いでいた足を止めました。よく聞くと、今にも死んでしまいそうなほど、か細い声で詩も歌っていました。まるで海流の渦のように、私は彼の曲に引きこまれました。そして私はしばらく、というか彼が弾き終わるまでずっと聞いていました。
京都はそれなりに都会なので、もちろんそれまでにも、路上ライブをやっている人はいました。ギターをはじめ、時には、サクソフォンというのでしょうか、楽器にはあまり詳しくないのでよくわかりませんが、金属製の楽器で演奏している人もいました。でも、彼のギターだけはそれらとは違っていた。私が音楽で心動かされたのは、彼のものが初めてだったのです。
彼が演奏し終えて、ギターをケースにしまっているとき、私は勇気を出して話しかけてみました。当たり障りのない質問、確か、「いつもはどこでやっているんですか」です。
彼はこの街のどこか、気が向いた場所でやっていると小さな声で答えてくれました。私は今後も出来る事なら毎回、彼の曲を聞きに行きたいと思いました。でも彼によると、演奏場所は彼の気まぐれです。私が頼んで演奏場所を固定してもらうなどもできるはずがありません。それほど無粋なことはないでしょう。
それでも彼の曲をずっと聴いていたかった私は、今冷静に考えると本当に頭が弱いと思うのですが、彼にある提案をしました。愚かな提案です。
「わたしにあなたの詩を歌わせてほしいです」
あ、おかしいですよね流石に。ええ、今思うと本当におかしいことです。私もそう思います。初対面で自己紹介すらしていない相手からいきなりこんなことを言われたら、誰だって「なんだこいつ」と思うでしょう。
でも、一つだけ弁明すると、私は歌には自信がありました。もちろんテレビに出るような歌手ほどではないです。でも世間一般の人よりは上手だったと思います。友人と一緒に行ったカラオケの採点では九十点を下回ることは滅多にありませんでした。
えーと、こう言っても日本とドイツじゃカラオケの機械が違うからあまりわかってもらえないですね。とにかく、どんな歌を歌ってもたいてい九十点を超えるというのはそれなりに上手なほうではあると思います。それなら歌ってみてくれ?ごめんなさい、今はそういう気分じゃないんです。歌う
彼はそんな私のおかしな提案を、数秒考えた後、承諾してくれました。これは後々聞いて分かったことですが、彼は自分の歌唱力に自信がなかったようです。自分の声質が嫌いなんだと。私が思うに彼は、透きとおった、一般的にいい声ではありませんでしたが、決して悪い声でもなかったと思うんですけどね。でも彼は自分の声が嫌いだった。だから駅前ではあんな小声でぼそぼそと歌っていたのですね。
そんなこんなで、晴れて私は当初の思惑通り、彼の専属の歌い手になることができました。その日はお互いの連絡先を交換して別れました。なんとか終電に間に合い、家に帰って携帯を見ると、さっそく彼から四つメッセージが来ていました。
一つは彼が今日歌っていた曲の歌詞、もう一つはその曲のメロディーを彼がギターで弾いている動画でした。そして別の曲の、同じものがもう一セットあり、合計四つというわけです。これを次回までに歌詞を覚えて歌えるようになって来いと、概ねそのような内容でした。
私はやる気になって、帰宅したばかりにもかかわらず、その曲の練習をするために遠慮なく声が出せるカラオケボックスへ自転車を走らせました。真夜中十二時過ぎ、薄月が降ってでもきそうなほど近かったのをよく覚えています。
全国チェーンの、ごくふつうのカラオケ店に到着したときにはもう一時くらいだったでしょうか。朝の五時まで二千円ほどでいられるプランを選択し、部屋に通されたところで歌詞をじっくりと詠んでみました。ここで私は違う意味で再び感動しました。彼の価値観というか、死生観でしょうか、それが私の見方と一致しているように感じられたからです。駅前で何となく聴いたときに受けた衝撃の中身はこれだったのかと。若者の分際でこういう言葉は乱用したくないのですが、ここまで他人との人生観が一致するのは、運命を感じざるを得ませんでした。
生きることの倦怠と自分の才能に対する絶望。また、その自分には欠落した才能を持つものへの深い嫉妬。これが彼の、少なくとも携帯に送られてきた二つの曲には一貫していたものでした。
特に生きることの倦怠については、私が常々思っていたことでした。何のために生きているのか。だれしも一度はこういう問いをされたことがあるでしょうし、考えたりしたことがあるはずです。そうして考えはするけれど、結局確かな答えは出ずに終わる。ここまでが一連の流れでしょう。たぶん、おじいさんも考えたことがあるでしょう。答えは出ますか?
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