第6話 ひめごと 6
バーでの気まずい別れから数日間、わたしは涼太から送られてくるメッセージにあえて返信せずに過ごした。
――これでいい、終わったんだ。彼との時間はちょっとしたおとぎ話……そうでしょ?
わたしは自分に言い聞かせつつ、このままで本当にいいのだろうか、こちらにもまだ告げていないことがある――そんなどっちつかずの気持ちを持て余していた。
それに、このままだと涼太はわたしに性癖を軽蔑されたと勘違いしかねない。そうではないということだけでも、あらためて告げるべきではないのか。実際、望まれればつま先を見せることぐらい、どうということはないのだ。
その日、わたしは一日中胸の奥にもやもやをため込んで過ごした。機械的にバ―での勤務を終え往来を歩き始めた、その時だった。一番、会ってはいけない人――涼太がわたしの前に立ちはだかった。
「涼……朝倉さん、どうしてここを?」
「お店がこの辺りらしいということで、歩きまわってあなたの情報を集めていたんです」
わたしはその場に固まった。嬉しいような、ひどくばつが悪いような複雑な気分だった。
「ごめんなさい、お返事しなくて。……もうわたしのことは忘れて下さい」
「やっぱり僕の趣味がいけなかったんですか」
「あなたには何も落ち度はありません。わたしが悪いんです」
どう説明すればわかってもらえるだろう。わたしが言葉を探し始めたその時だった。
「ひとみちゃんじゃないか。今日はもう終わり?だったらちょっとつき合わないか」
いきなり声をかけられ、わたしは悪戯を見咎められた子どものように身体をこわばらせた。
「……んっ、そっちの彼は?」
振り向かなくとも、わたしは声の主がだれであるかを察していた、ここ半年ほど、お店に通い詰めている男性だ。飲食チェーンの経営者で羽振りがいいらしい。近頃はやや強引な誘い方が目立つこともあって、できれば会うのを避けたい相手でもあった。
「そうか、そういうことだったのか。なんだ、ちゃんと決まった彼氏がいたんじゃないか。道理で俺がしつこく誘ってもつれないわけだ。……どんな奴か俺にも紹介してくれよ」
わたしが背後に男性の気配を感じた、その時だった。ふいに涼太が進み出たかと思うと、ポケットから何かを取りだし、わたしの手に握らせた。
「……やっと決心がつきました。もうあなたを追いかけたりはしません。せめて最後にこれを受け取ってください」
「……ちょっと待って。まだ話は終わってないわ。わたしもあなたに言ってない事が……」
身を翻して急に駆けだした涼太に、わたしはあわてて呼びかけた。
「どうしたんだい、痴話げんかか?俺が相談に乗ろうじゃないか」
「あなたと話すことなんか、ひとつもありません」
わたしはそう吐き捨てると男性の足を思いきり踏みつけ、涼太を追って駆けだした。
――どうしてこうなるの?魔法のせい?
わたしは歩道を駆けながら、手の中の感触を確かめた。硬くすべすべした物体は、彼がこしらえた木工品の犬に違いなかった。
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