後編

 その時私は、ここに至る理不尽な行為も、不可解な男たちの謎も、全て吹き飛んでしまうほどの感慨に打たれた。

 だって、なんということだろう。これまでどれほど焦がれてもたどり着ける気配さえなかった場所に、唐突に至ってしまったのだから。

「私はですね。人々に大きなチャンスを与えることを無上の喜びとしているんです。貴方たちのような人生に行き詰った人々に」

 ホープは私たちに語りかけながら、そばまで近づいてきているらしかった。

「今日は、不相応な借金をしたばかりに、永遠に這いあがることのできないどん底に落ちてしまったお二方と、触れてはいけないことに触れてしまったばかりに不幸な目に遭った貴方に、再起のチャンスを与えたいと思っています」

「チャンスって……。こんなところで何をさせようっていうんですか……」

 不相応の借金をしたらしい男の方が、先ほどとは打って変わって、泣きそうな声で言った。

「個人的な話からで恐縮ですが――」

 恐縮どころか背後にいてもニヤつきが想像できるような楽しそうな声だった。

「私、ずっと退屈していたんです。面白いこと、刺激のあること、たいていのことはやってきて、やり飽きていたんです。しかしそんなある時、運命の出会いがありました。屋敷の書庫の奥に、私の先祖が残したある日記を見つけたのです。そこには恐ろしくも素晴らしい記録が残されていました。あの町のことをどこまでご存知ですか? たとえば、あそこが死の町になった理由とか」

「まさか、その記録に?」と思わず私が問うと、彼は「いいえ、さすがにそこまでは」と答えた。

「しかし、その現象についての聞き取り調査や観察記録が克明に記されていました。そのおかげで、今ならばある程度の推測はできます」

「それは……」

「火山性ガス」

 ホープは言い切った。

「いうなれば毒の空気です。もともとこの盆地は、大昔にできた巨大な噴火口だったんでしょう。もう噴火口としては死んでいた。しかし、記録によれば死者が多発する数日前、大きな地震があったようです。その時地盤にひびが入るなりして、地下からガスが漏れ出た。それが徐々に盆地に溜まっていき、見えない死の罠になったと思われます。もうお気づきかと思いますが、盆地の底にある町を中心にして一定範囲に植物が一切生えていないでしょう? それは、そこにガスが溜まっているという証拠に他なりません」

 ああ……と、一応感嘆めいた声を発した。

 しかしホープの推測は、私がすでに予想していたことを補強しただけだった。

 むしろ私は次に彼が言ったことの方に衝撃を受けた。

「それよりも重要なことは、これが記されたのが、ぬいぐるみが置かれた頃だということです。というより、そのことについての詳細が書かれていたんです。つまり、あれがどうやって行われたかが」

 私は本当の感嘆の声を上げそうになるのをこらえた。

「それはハルコヴィニヤが死の町になってから半世紀は経った頃のことです」

 そこでホープはくすりと笑った。

「いやあ面白いことを考えたものです。あのぬいぐるみたちをよく見てください。だいぶ古いものですが、ガスのおかげなのか、ほとんど腐食も劣化もしないで済んでいる。何か気づきませんか? ここから形まではっきりわかる程に大きいじゃありませんか。その大きさは、そう、だいたい人くらい」

 私たちがその答えを想起するのを待つように、ホープは少し間をあけてから言い切った。

「そう。あれには、人間が入っているんです」

 私たちを後ろに向けてから、馬車のほうへ行っていたと思われる手下たちが、戻ってきた気配があった。背後に何かを置いているようだ。

「仕組みは簡単。大きなぬいぐるみに入った人間が町に侵入し、そこで息絶えたんです。それだけのことです。しかし最後に大きな疑問が残ります。皆さんもそうでしょう。なぜ? どうしてそんなことを?って」

 私は思わず声が出そうになるのをこらえた。そこまでわかればいい。「なぜ」には興味はない。私には不要だ。「どっち」だってよかった。

 そんな私の内心など気づきもせずに、ホープは興奮で高い声をさらに高くして続けた。

「面白かったんですよ。「そうする」ことが、ではなく。「そうさせる」ことが」

 彼には本当に面白いのだろう、こらえきれずに吹き出していた。

「この記録を残した張本人である私の先祖が思いつき、催していた余興だったんです! ユニークなことを考えたものです。ぬいぐるみに人を入れて、死の町に放り込むなんて!」

 ひーひーと不快な笑い声が、盆地に響き渡る。

 私は眼下のぬいぐるみたちを見た。町のいたるところに転がっている、ぬいぐるみたちを。

「それはおよそ10年間続いたようです。町を飾るぬいぐるみは53体。よほど楽しかったんでしょうね、私の先祖は。……そろそろ話が見えて来たんじゃないでしょうか」

 笑い過ぎて荒げた息を整えながら、ホープは再び慇懃無礼な態度に戻っていく。

「私はその記録を読んで震えました。私の先祖はなんて独創的で刺激的なことを発想し、実行したのかと。そして、決意しました。この古くもユニークなイヴェントを復活させようと。……さあ、再びこちらをお向きください」

 呆然としたままの私たちはホープの方に向き直された。ホープは最初に見た時と同じ場所に戻っていて、私たち三人のそれぞれの前に、大きな「頭」が置かれていた。

 赤いサル、黄色いネコ、青いイヌ――それは滑稽にディフォルメされた動物と思われる形をしていた。

「こちらを被って頂きます。もうおおよそおわかりのことだと思いますが……」

 等身大ぬいぐるみの頭だ。体の方は、最初から着させらていた。

「ちょ、ちょっと待ってください! それって、死ねって言うことですか!?」

 隣の男が叫んだ。ホープは首を振って「それは違いますよ」と満面の笑みで言った。

「私は貴方たちに死んでほしいわけではありません。残された希望に向かって必死にあがく姿が見たいんです。最初に言いましたが、私は貴方たちにチャンスをプレゼントします。是非掴み取って下さい」

 男はホープの言っていることを理解しようとしているのか、理解が追いつかずに呆けているのか、口をあんぐり開けたまま固まった。

「具体的にイヴェント内容をご説明します。そこの坂を下ると、町の入り口に至ります。そこから始まる町のメインストリートを真っすぐ通って、ちょうど町の反対側にある出口を生きて抜けられれば、貴方たちは晴れて自由の身になれます。すでに借金は清算済みですし、身軽な気持ちで人生を再出発してください」

 あたかも爽やかなスポーツイヴェントを解説するかのような口ぶりだった。

「やっぱり死ねってことじゃないかよ……」

 男はうつむいたまま呟いた。

「私はそうは思わないですね。その格好でも全力で走れば、10分程度で抜けられるでしょう。ガスだって常に濃く満ちているとは限らない。現在の記録保持者は……ああ、あの白いの。もう出口までほんのちょっとですよ。頑張れば行けそうじゃないですか!」

 “最高記録保持者”が「町の住人」になっているということは、これまで誰も生きて出られた者はいないということだ。まあそうだろう。10分以上ガスを吸わずに走りきることなど不可能だ。

 ずっとうつむいていた中年女が初めて顔を上げた。

「やめて……助けて。他に何でもするから、お願い! こんな……」

 しかしホープはゆっくりと首を振る。女を見る瞳は笑っていたが、その奥には何も映っていないようだった。

「拒否はできませんよ。あたりまえでしょう。やらないというなら、今ここでジ・エンドになるだけです」

 淡々と語るホープの両脇の男たちの手には猟銃が握られていた。

「はい、皆さん。ぬいぐるみになりましょう!」

 そう言うや、手下によって一斉に「頭」を被らされ、私は青いイヌとなった。

「金なら必ず返す……何をしてでも! だから家に帰してくれ!」

 ぬいぐるみの頭に小さく空けられたのぞき穴から、黄色いネコが拝んでいるのが見えた。くぐもった絶叫が聞こえなければ、可愛らしい姿だ。

 ホープは少しうんざりぎみな顔になった。

「返せるようならとっくに返せたでしょう。どうにもならないから私に買われたんです。じゃあまずは貴方からお願いします。死んでも生き残ってもどちらでもかまいませんが、手は抜かないでくださいね」

「ひいっ、やめてくれ!」

 懇願する黄色いネコを引き起こそうとする手下の手が止まった。

「んん? どうかしましたか?」

 ホープは私に向かって言った。不意に立ち上がった、青いイヌの私に。

 ホープの声を無視して、私は振り返って、時を止めた町、ハルコヴィニヤを見下ろす。

 夢にまで見た「ぬいぐるみの町」。ずっと憧れていた、「死の町」。

 あそこには醜いものは何もない。私を責めさいなむものは何もない。ただ可愛いぬいぐるみがあるだけだ。

「おい?」

 これまで口を開くことのなかった、黄色いネコを掴んでいた手下が思わず声を出した。私が歩き出したからだ。町に向かって。

「いやいや、貴方の番じゃないですよ」

 ホープの戸惑う声が聞こえたが、どうでもいいことだった。ついに叶う願いの前に、全てはどうでもいいことだった。

 私はある時からずっと焦がれていたんだ。ぬいぐるみとなってこの町で死ぬことを。

 それまで私は、この世の中に飽いていた。絶望していたと言ってもいい。

 私は物心ついた時から家の中で何も望まれていなかった。かといって自由を許されていたわけもなかった。

 なぜなら私は他の兄弟に比べれば無能で、失望されていたからだ。家の会社は父と兄たちで充分回っていて、私は少しも必要とされていなかった。それでも家業を手伝うことが決まっていたのは、世間体のためだ。無能な私を世に出して、家の恥としたくなかったからだ。家の中で飼い殺しておきたかったのだろう。

 私はただ、可愛くありたかっただけなのに。可愛いぬぐるみを作って、可愛い服を作って、時にはそれを売って、時にはそれを身に付けて、生きていきたかった。それだけだった。でもそれは許されなかった。名門ではないにしても、代々事業を経営してきた資本家一族の子息が職人となって自らの手を汚すことなどありえないと言われ続けてきた。

 だから、せめて。

 可愛いぬいぐるみとなって死ねたらと。そう思ったんだ。そしてこの時、それは叶おうとしていた。

 しかし、最後の希望に向かって歩き出した私は、あっさり手下によって遮られた。

「なんだ死にたがりか。つまらん」

 さっきまでの丁寧な態度から一変して、ホープは乱暴に言った。

「それじゃあ面白くないんだよ。誰がお前の望み通りにするか」

 何本もの手が私を掴んで引き倒した。身動きのとりにくい格好もあってまったく抵抗できないまま引き戻されていく。

「脱がせ」

 ホープが何の感情も籠っていない声で命じた。

 私は仰向けでじたばたしながら「行かせてくれ」と懇願した。泣き叫んでいたと思う。

「わけのわからない変態の願いを叶える趣味はねえ。不様な格好のままここで死ね。その方が何倍も面白い」

 頭を外され、膨れた青い着ぐるみから引きずり出された私に、銃口が向けられた。

 その瞬間、世界は真っ白になった。撃たれたのかと思ったが、そうではなかった。夜を迎えようとしていた荒地が、急に明るく照らされたのだ。

「な、なんだ!?」

「ライト……!?」

 ホープたちが動揺している。

「囲まれてるぞ!」

 目が慣れてきてようやく理解した。私たちの周囲から、何本もの強い光が当てられいるのだ。その光の間にいくつもの人のシルエットが浮かんでいた。

「動くな。動けば即座に発砲する」

 囲みの中から声が響いた。

「我々は国家警察隊である。諸君らを殺人未遂の現行犯、及び連続殺人の疑いで逮捕する。ただち武装を解除せよ」

「なんでここが……なんで」

 大男の一人が愕然としながら銃を手放したのを契機に、他の手下も続いた。

「馬鹿野郎! このまま捕まったら終わりだぞ! なんでバレたかは知らないが、まだ俺たちが誰かはわかってないようだ。逃げきれれば問題ない。おい! こいつを持てって、ほら! ギャッ」

 手下が捨てた銃を拾って突き返そうとしたホープが、発砲音と共に石を投げられた野良犬のような鳴き声を上げて地面に転がった。

 そこからすぐに周囲の影たちがなだれ込み、一瞬にして全てが終わった。

「大丈夫かね」

 半裸で地面にへたり込む私を、制服姿の男がしゃがみ込んで毛布をかけてきた。その声は国家警察隊を名乗ったのと同じものであり、同時に聞き覚えのある声でもあった。

 私は心底驚いた。間違えようもあるはずもない。

 服装こそ警察の制服だが、下町の酒場で私にハルコヴィニヤの情報を教えたカウンターの男だったのだ。

「すまない。もう少しスマートな形で助けたかったが、相手が思いの他早くあんたを攫ってしまったんで遅れた」

 そうして、言うほどすまなそうには思ってなさげな彼は、この「イヴェント」の真相を語った。

 彼ら警察は、州都で多発する失踪事件を追っていた。借金に溺れる庶民が多少行方不明になったところで、警察が熱心に捜査をするとは思えないから、おそらく失踪者のなかに別の手段で攫われた、警察か金持ちの関係者がいたのだろう。保身がかかれば彼らは有能だ。他の失踪者との共通項を見出して、連続誘拐事件であることに気づいた。合わせてこの州の山地出身の彼――警部だか警部補だかと言っていた――は、ハルコヴィニヤで新しいぬいぐるみが増えたことを知り、ある推察に至る。彼は言わなかったが、きっと実際は彼の土地では具体的な場所はもちろん、ぬいぐるみの中身についても語られていたのだと思う。

 そして彼らは州都のいくつかの酒場に入り込み、情報を集めているさなか、おあつらえ向きにのんきにハルコヴィニヤについて聞き回っている馬鹿と、その馬鹿を捜している者を見つけたのだ。たぶん先に遭遇した後者の追跡はうまくいかなかったのだろう。だから私をそいつに引き合わせて、釣り上げるつもりだったのだ。だが、エサを針につける前に相手が食いついてしまい、哀れなエサは警察が準備に手間取っているうちにハルコヴィニヤに運ばれ、殺されかけた……ということだ。

 私を利用して酷い目に遭わせたわりに、謝意は現場での一言だけで片付けらたが、そんなことはどうでもよかった。

 私にとって重大な問題は、この事件によって、ハルコヴィニヤ周辺は完全に封鎖され、立ち入り禁止区域になってしまったことだった。

 つまり私は、望みを叶えるチャンスを失ってしまったわけだ。

 失意のまま故郷に帰ってきた私は、家族の言うままに家業の歯車の一つとなり、さして重要でもない仕事を淡々とこなすだけの人生を歩み始める――はずだった。

 君らはもう知らないかもしれない。30数年前、この国、いや周辺国も巻き込んで、ある疫病が流行ったことがあった。それは季節も変わらぬうちにあっさりと収まってしまったけれども、私の父と兄たちを連れ去って行ってしまったのだ。

 その結果、無能と言われ期待されぬまま閑職におさまっていた私が、家業の長となってしまった。私はすぐに会社を手放した。本当にすぐにね。従う父や兄がいなくなって、興味のない事業を続ける気なんてさらさらなかったんだ。

 それで気まぐれに、玩具製造を商い始めたんだ。この時にはもうそんなに憧れていたわけじゃない。でも細々とぬいぐるみを作って暮らせれば、前よりは多少はましかと思っただけだった。

 ああ、皮肉なことだよ。それが成功するなんて。今や国中に私たちのぬいぐるみやおもちゃが売られている。

 そこそこ楽しかった。それは本当だ。

 ――以上だ。

 これが、私の会社を買収し、経営を引き継ぐあなたたちに語っておきたかったことだ。

 もう伝えるべきことはない。手続きも済んだことだし、もうここを出ていくよ。私物は全て引き払い済みだ。ぬいぐるみだらけのままじゃあ、処分も大変だろうと思ってね。

 ああ、貴重なコレクションの一部は会社に寄贈してある。残りは博物館行きかな? その他の取るに足らないものは自宅で私と一緒に隠居だよ。

 え? ああ、私のデスクの横に鎮座していた大きいぬいぐるみか。あれも家にある。たしかに青いイヌだが、あの時のものじゃない。あの時のは本当に粗雑なもので、あんなものを着て死ななくてよかったとつくづく思うよ。ここにあったのは、あの時のことを忘れないようにしようと、自分の持てる技術で作った作品さ。自分で言うのもなんだが、出来は全然違う。

 今後は……特に展望もない。困ることもないよ。会社を売って入ってきた金は、年寄りが老後を過ごすには持て余す程だ。

 ああそうだ、その有り余る金の一部で土地を買ったんだ。ずっと憧れの場所だった。いつになるかはわからないけど、そこに住もうかと思っている。本当にいい場所なんだ。私の好きなものが溢れてる、いい町なんだ。

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ハルコヴィニヤを知ってるかい 殻部 @karabe_exuvias

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