12/20 お題:TS (22:20〜23:48 約30分遅刻)

TS


「──TS、だそうだ」


 長テーブルに行儀悪く腰掛け、すらりと長い足を組んで、先輩はおもむろに口を開いた。

 彼女の言うことはいつも唐突で、そのうえ半分以上は種も実もない与太話だ。


 種田志穂。市立白銀高校三年生。座右の銘は『面白きこともなき世を面白く』。趣味は人間観察の、自称・普通の女子高生。

 一年前、その美貌にほいほい釣られてこの文芸部にやって来た新入生男子連中が鼻の下を伸ばす中で、彼女はそう自己紹介した。

 結論から言うが、これは真っ赤な嘘である。


 うわあ、典型的なインターネットに毒された人の言動じゃないか。まさか実在していたとは。

 そんなことを考えながらおもいっきり顔を顰めていた入部当時の僕に、彼女は唇に人差し指を当てて、悪戯っぽく笑いかけたのだ。

 しばらく後になって「なんであんな嘘八百の自己紹介をしたのか」と尋ねてみたら、「どうせ彼らは私の話なんぞロクに聞いていないのだし、なにを言おうが大差ないかなあ、と思って」という答えが返ってきた。


 僕も大概他人の事は言えたものではないが、先輩はかなり捻くれたオタク──もとい、いい性格をしている。

 だんだんとその本性が露わになってゆくにつれて、彼女目当て──正確には彼女の顔目当ての、だが──の男子生徒は退部、転部、幽霊部員化するなどして一人また一人と姿を消していった。

 かくいう僕も、彼女の猫のように奔放な振る舞いには随分と苦労させられたものだが。

 それでも僕は、彼女とこうしてとりとめもないことを駄弁る放課後の時間が、実のところ嫌いではない。

 暖房の利いた、真っ赤な夕日の差し込む部室。古びた紙の匂いと、ぱらぱらとページを捲る音。こうしていると、いつもよりも時間の流れが遅く感じられる。


 いっそこのまま時間が止まってしまえばいいのにとさえ思うが、閑話休題。


「なんです、TSって」

「今度の部誌のお題。ちなみに〆切は明日」

 

 いつまでも先輩の言葉を無視してこのゆるい雰囲気を堪能しているわけにもいかないので、僕はあくびを噛み殺しながら彼女に尋ねてみる。

 彼女は苦虫を噛み潰したような顔をして、それに答える。

 僕は、室内に満ちる白昼夢のようなぼんやりとした空気が、〆切という圧倒的な現実にぶん殴られて、がらがらと音を立てて崩れ落ちてゆくさまを幻視した。


「嘘でしょう!?」

「本当」


プロットはない。アイデアもない。モチベーションはさっきまで皆無だった。

どうしろというのか、と狼狽える僕の内心を察してか、先輩は神妙な顔で「わかる、わかるよ」と頷く。


「なので今日は、TSという言葉について考えてみようと思う」

「TSっていうと、性転換の事ですよね」

「いや、そこは自由だそうだ。時間停止でもティースプーンでも東急新横浜線でも、とにかくTSという言葉から想像できるものなら何でもいいらしい」


なるほど、と首を捻る。ならばとりあえず思いつく単語を片っ端から並べていって、各々書きやすそうなお題について手癖で書き上げるのが良さそうだ。


「じゃあ先輩、まずはそこから考えてみましょう。とにかく今は数を撃つことが重要です」

「わかった。タン塩、タンシチュー、テールスープ、トマトソーススパゲティ、豚骨醤油ラーメン……」

「とりあえず先輩が今お腹を空かせていることだけはよく分かりました。まずは落ち着いて食べ物から離れましょう。熱帯性暴風、三尖弁狭窄症、交通安全マーク……」

「君、Wikipedia使ってるだろ! ずるいぞ! 私にどうこう言えた義理かい!?」

「いや、仕方がないじゃないですか! いきなりTSって言われても思い浮かびませんよ! ああもう、いっそ今のテンパった心境について書いてお茶を濁すか……」


「テンパった心境でTSって君、そりゃあ幾らなんでも無理矢理すぎて……いや、案外いけるかもしれないぞ!」

「どういうことです、先輩!」

「でっち上げだよ、後輩! まず書きやすいネタについて書いて、後からそれっぽいテーマを付け足せばいいのさ!」

「了解しました。とりあえずweb辞書に頼りましょう。スラングについて調べるのも良いかも。とにかくいい感じの単語TSがあれば……」


「「あった!」」


兎にも角にも──そんなようなやり取りを経て、僕らは一つの解に至った。

この目論見がどうなったかについては言うまでもないだろうが、これを読んでいる君たちにはうまく伝わらないかもしれないから、敢えて言っておく。


────部内全員から失笑を買う、かつてないレベルの大失敗だった。Trury《マジで》 sick《ヤバい》。


どっとはらい。

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