十一、
ベラの身柄はギルド預かりとなって、二階の開かずの間に封じられた。
あの部屋は牢に繋がっているそうで、その仕掛けはリザイラにも解明不可能だという。
ベラ、いや今は、ナターシャとしてそこで護送されるのを待っている。
あの後のことを俺は思い出す。
ヤアンはすっきりとした顔で酒場に現れた。
髪も切って、ロングケープを揺らし、鎧も着けた、いつもの姿に戻っている。
「よくやったな。レオニール。今回の件は緊急だったから報酬の手続きは後日だ」
ギルドの主人は俺にそれだけ言って、ベラに向き合う。
「お嬢さんが今回やらかしたのは、魔術図書館とは関係ないんだな?」
「はい。多少謀られたようですが、全ては私に責があり、責めは追う覚悟です」
「謀られた、というのは? 魔術図書館かね?」
「いえ、リザイラを快く思わない者の戯言に惑わされただけかと……」
「お嬢ちゃんも難儀だな。ヤアンは何かあるか?」
「別に」
「お前の下した審判をこちらには伝えない気か?」
「あれは部族間の裁きだからな。ギルドが殺さない限り口を挟まない」
ヤアンはそれが自分の流儀だ、と言わんばかりの口調だった。
「私からもお願いがあります。彼女の被害に遭った者として」
最後にリザイラが口を開いた。
そして、あれから数日が過ぎ、その間は少し慌ただしかった。
ベラに対しての処遇は、本来ならば、街の議会に引き渡し、魔術図書館に送られる。
しかし、リザイラが恩赦を願い出た件も含め、本国の権力者に判断を委ねるようだ。
その権力者とやらは傭兵ギルドを作った人間で、直接、ベラを迎えにくるという。
ベラはあの後、その名を捨て、ナターシャに戻ると言っていた。
ナターシャを護送するついでに、俺の任命式も執り行われることになっている。
というのも、俺は今回の件で正式にギルド傭兵の資格を得ることができたのだ。
ギルドの主人が言っていたように、特例中の特例の依頼だったという。
その通達は一昨日の夜中に伝えられた。
任命式など、仰々しいし、他の奴らも新人の内は、執り行われたことがないという。
ヤアンとその師匠以外では上級クラスに任命された傭兵でも略式だったそうだ。
それに関しては、俺は何やら嫌な予感しかしなかった。
本国に貴族としての身分証が送られているのもある。貴族の子息扱いはごめん被りたい。
ヤアン曰く、『あんなもんつむじがむず痒い思いをするだけ』だ。
そのヤアンはすっかり元気も調子も取り戻し、俺に訓練を付けるのに躍起である。
朝早くから俺を叩き起こして、訓練場に引きずり出し、本人にしてみれば、力が完全に戻ったかを確認したいようだ。
「二階の窓に飛んで入れるんだから、問題ないだろ?」
「それが妙な感じなんだ。力が少し弱まった気がすんだよ」
「だからって俺に八つ当たりすんなよ」
俺も負けじとヤアンに挑むが、結局は勝てないというより手加減も感じない。
「アンタは充分強いだろう。どう違うんだ?」
俺は俺でそれなりに強くなってるはずだと思っていた。
「楽なんだよ。こう、何て言うかミント水を頭から被ったような感じ」
「えっとスースーするのか? 例の筋肉痛が治ったからじゃないか?」
「ああ、あれはキツいな。じゃねえよ。でもすーっとするのは間違ってねえな」
その状態には俺は二つの仮説を立てる。単に肩の力が抜けたのと力の一部がもう一人に残っている場合である。そのもう一人は背すら伸びていないが……。
リザイラは出発前に柱に背の高さを刻んでいた。その後、残念そうに笑っていた。
「だがアンタがヤアンに戻って良かったよ」
「あ、槍のことは悪かったな。あれは相棒だろ?」
「いや、付き合いが長かっただけだし、たまたま屋敷の地下にあっただけだ」
「今度、報酬が入ったら、お勧めの鍛冶職人に一本頼んでやるよ。今のじゃ短いし」
「ああ、助かるよ。まさか一刀両断じゃなくて、二刀で三分割されるとはな」
ヤアンが二刀使いだと初めて知った夜を思い出した。
「剣の師匠は双剣使いなんだ。オレは色々な剣を使うから二刀使いだけど」
双剣は同じ形の剣を使うが、ヤアンは趣味で異なる剣を使うので二刀使いだという。
女の趣味が武器集めとは色気がない。銀色に惹かれると言うので、俺としては装飾品をお勧めしたいと言ったら、そっちもかなりのものだった。自分で銀細工も作ると言う。
俺は槍をその蒐集品の中から借りた。槍は苦手と言っていたが、少しは習ったらしい。
それは短槍で、握りも重さも子供向けではなく、俺の槍より重い。
「それより任命式に来る人って何者だ?」
「グレイ伯爵だよ」
「紅茶の銘柄みたいな名前だな」
「ずばりご本人だ。まあまあいい人だけどオレは得意じゃねえな。旧い付き合いだけど。それとあの人は人を過大評価するきらいがあってね。オレは最初、少佐の称号を得た」
紅茶の銘柄の本人とは、大物の気配がする、本人が来るなんて嫌な予感がした。
「でも、今は少尉だろ?」
「返上したのさ。いや、師匠たちにさせられたと言うべきか。それから出世したけど」
「俺も返上するべきか? 俺の師匠はアンタだ」
「好きにすりゃあいいさ。お前はお前だ。オレはお前の親代わりじゃねえんだし」
なるほど、ヤアンの場合は当時子供だったのだろう。それに対して少佐って……。
でももし俺の手に余るような分不相応な評価なら返上しよう。
相手が貴族だということは、俺をそう見る可能性が少なからずある。
「そういや、リザイラと話は付いたのか?」
「まあ、あれだ。面倒なことを思い出せてくれるよな」
ヤアンはいつも流し目を俺に送る。
「行って来いよ。ちゃんと話した方がいい」
「じゃあ、一発キメてくるか」
「その言い方はなんだか色々と危ないぞ」
「お前も今日はバシッとキメろよ」
「任命式をな」
ギルド傭兵の任命式は今日の黄昏と同時に行われる。
俺はすでにつむじが、ムズムズする錯覚に陥っていた。
――今、酒場はテーブルが片付けられ、式を執り行うひな壇が設けられている。
俺も含め、酒を呑む傭兵たちの手伝い以外は壁に追いやられていた。
石壁に寄りかかっていると、やたらごつごつして居心地が悪い。
酒場に清々しい笑顔でヤアンが現れた時には、思わず大息を吐いてしまう。
「なんだよ。人の顔見るなり。ハナシなら付いたぞ。仲直りした」
ヤアンが怪訝そうに俺を見た。
「てっきり、まだその、盛り上がってるかと……ああ、でも女同士って」
「は? 何言ってんだ、ボケ。言っとくがオレとリザイラはそんなんじゃねえぞ」
俺の邪推にヤアンは汚らわしいものでも見るような視線を注ぐ。
「はいい? あ、もしかしてもっと激しい関係なのか?」
以前、リザイラの発言を思い出して、身振り手振りで伝えてみた。
「はーっ、お前は単純でいいな」
ヤアンはわざわざ言葉に出して大げさな溜息を俺に浴びせた。
「えーと、お前のどこが複雑だよ」
「別に、お互いの意見の違いを解消させただけだ」
「なら俺が想いを告げても文句、言わないか?」
「オレは……この場合、ごめんなさい。って言えば、いいのか?」
「アンタじゃねえええ! しかもあっさり振るなよ。それはそれで寂しいよ」
「へえ、そお前ってそうなのか。あいつに気があるのか」
「いや、普通でしょ? あんな可愛い子」
「可愛いのは確かだけど……まあ想いを伝えるのは、個人の自由だな」
そう言ってヤアンは含み笑いをする。どうせ振られるんだと、たかをくくっているのだ。
でもそうだ、あの子の思いは彼女にある。混乱させるだけかもしれない。
そして、俺は『あの男』と再会した。
再会という程の接点はないが、『伯爵』が身にまとう空気には何度か覚えがある。
「君がレオニール・アン・アンリ・バルトロメだね? ラインバルト卿の子息の」
伯爵は人好きのする温和な初老の紳士だった。
彼はこの傭兵ギルド創立の立役者なのだとヤアンから聞いている。
ヤアンは「うぃっす」と気さくな声を上げる割に会釈だけはきちんとしていた。
俺は一応、きちんと挨拶をして、それからその言を正す。
「アンを付けるのはやめてください。ここはロシュじゃないんで」
アンは貴族の名前に付け足すものだ。国によってヴォンとかデとかエが付くアレである。
「君はあのマクセルという傭兵に助けられたと聞いたよ」
「槍の使い方を教えてもらいました。今は師匠が違いますが」
ジョナス・マクセルは少しの間、領内にいたが、その後の足取りを俺は知らない。
「この場で伝えるか迷ったのだが、彼はギルドで最後の親方となったんだ」
「マクセルは名を残す程の人だったとか?」
だが、その名をここの傭兵たちは口にしたことがなかった。
「絞首台で死んだ悪党としてだがね」
伯爵は神妙な顔で俺を見た。その顔を見て無実の罪とかではないことを悟る。
「あいつはいい傭兵で親方だったが、その裏では悪事を働いていた」
ギルドの主人が以前、俺に訊いてきたことがある。
――そいつは親方と呼ばれてなかったか――
「絞首台って……。傭兵は身内で粛清するんじゃないのか?」
「腐っても親方だったからな。身内では粛清できず、結局は衛兵に委ねられた」
傭兵としてのマクセルは人望も厚く、戦場では崇敬される存在だったという。
「それで、ここの階級を軍階級に変えたのだよ。ちょうど元軍人が加わったからね」
それはヤアンの師匠たちのどちらかだろう。
「そうか……。何をやったかはまでは知りたくないな」
その時、入り口の観音扉が開け放たれそこからから橙色の日差しが酒場を照らした。
それと同時に自分の中から、もう顔も見えない男が振り返りもせず、去っていく。
その代わりに、蒼銀の光と漆黒の闇をまとった二匹の狼がすれ違いざまに入ってきた。
「そこで君に訊きたい。それでも君は傭兵になるか?」
伯爵の言葉に俺は苦笑する。
「最初に憧れた人は悪人だったかもしれないが、今の俺が憧れている人たちは高潔だ」
俺は真っ直ぐにヤアンを、それから、リザイラを見た。
「心はもう――決まっている」
俺の言葉に伯爵は納得したように頷き、柔和な笑みを浮かべた。
「それから君は悩みを抱えているね。負け戦とわかっていても戦士なら挑むべきだよ」
心の何もかもを見透かす、鷹のような眼で伯爵がやんわりと俺を捉える。
――わかっているさ。
そして、任命式が執り行われた。ヤアンのせいで意識的にも実際にもつむじがかゆい。
「レオニール・アンリ・バルトロメ=ラインバルト。貴公に准尉の階級と権限を与える」
伯爵が壇上に立ち、慣れた様子で巻物のような任命書を読み上げる。
ギルドの主人はこの場に立ち会い、俺は伯爵の足元にひざまずいていた。
「これは貴重な人材である、ブラウルドルフ少尉の窮地を救った功績によるものである。見習いの身でありながら、そのような困難を成し遂げた、貴公の貢献に対する我々からの感謝と公平な評価である。加えてブラウルドルフ少尉とアインシュヴァルツ魔術顧問から評価も受け取っている。見習いの身で神々と精霊の恩恵、魔法や魔術についての勉学にも励んだことを特に魔術顧問殿は高く評価している。高い教養がありながらに柔軟性に富み、機転が利くと褒めていた。よって傭兵ギルドの名の下に貴殿を正式に、ギルド傭兵として認め、准尉の位を与えることをここに宣言する」
准尉とは随分と高い階級だ。
俺はヤアンの行いに習うことにする。
「評価はありがたく頂戴します。しかし、准尉の位と権限、は返上させていただきたい。それは、私が貴族の生まれだからでしょう。それに――その実力が私にはございません。今後、ラインバルトの名は捨て、レオニール・アンリ・バルトロメとして生きていきます。ですから、無礼を承知で改めての評価をお願いします」
すると、伯爵――ギルドの本当の主人は微笑む。
「なら――ここでは一番低い伍長の階級を貴殿に与えよう。だが、権限はそのままとする。そんなに差はないんだがね。それに貴族であることを捨てるのではなく、それを生かした傭兵になりたまえ青年。貴族というのは悪いものではない。もっと、視野を広げるのだ。常に紳士であることを忘れずに、その誠実さと慈悲深さはこの街にも必要だ」
貴族であることを生かした傭兵か。なんだか、複雑なものだ。
そして、伯爵の手に一本の槍が握られ、その槍の穂先を俺の心臓に突き付けた。
「この槍は今後、君の相棒となる。前のは折られたと聞いたからね」
「有難く拝領いたします。前のは正確に斬られたので、補強すればまだ使えますよ」
「それと、功績を上げた傭兵には一つだけ消耗品が支給されることになっているが、君は何か欲しいものがあるかね?」
「あ! なら蜜蝋を――。整髪用の蜜蝋が欲しいです」
消耗品と言われて、咄嗟に思い付いたのはそれぐらいのものである。
しかし、よく考えてみたら砥石とか、武器も消耗品だ。
後ろに立つヤアンの呆れた息が聞こえる。
「手配しよう。小麦粉で髪を固めるのはお勧めできないからね」
伯爵は自分も経験があるような表情をした。
そして、任命式は終わり、伯爵は壇上から降りてくる。
「あれは髪が薄くなるからね。今でも保湿効果のある蜜蝋を使っていれば……と思うよ」
俺の眼に移る初老の紳士は、豊かで上品なロマンスグレイである。
「今日は一応、式典だからね。姿を場に合わせないといけないだろう?」
「それって秘密じゃないんですか?」
俺は上出来なカツラだな。と感心して見ていた。
「まあ、そう言うことだよ。取って見せようか?」
「いえ、結構です」
俺が断ると伯爵は残念そうにしていた。
「では、失礼するよ。私も多忙でね。バーティ君、レオニール家に恥じぬよう、今後も、頑張りたまえ」
伯爵は笑う。俺は多分、顔色を失っているだろう。
「どうか、そのことは内密に願います。ここではレオと」
俺はそっと苦笑するしかなかった。
「諸君も、今夜は大いに騒ぐといい。私の奢りだよ」
大きな声で言って伯爵は表に待たせてある馬車にナターシャを乗せ帰っていった。
伯爵の気まぐれというより、気前の良さに傭兵たちは歓喜する。
その後は、皆が大急ぎでひな壇を片付け、テーブルを戻し、盛大な宴会となった。
「こういう光景を見ていると……なんだか、やっと肩の荷が下りた気分です」
リザイラは感慨深げに、酔っ払いのバカ騒ぎを見て微笑む。
ヤアンはそれを肴に琥珀色の液体が入ったグラスを片手で揺らしていた。
「お前は何でもかんでも、しょい込み過ぎだよ」
「以前、師匠に言われた言葉ですが、誰しも試練があるからこそ強くなれるんだそうです」
リザイラはその向かいに座り、冷やした紅茶を飲んでいる。
「まあ、世の中は試練だらけだ。何か試練でもあったのか?」
「本気で言ってます?」
「オレは最近、レオのしごき以外は何もしてないからな」
「色々やらかしてましたけどね」
「いきなりキスされたら誰だって噛みつくね」
「全然悪いと思ってないんでしょうね」
「歯型だけで済んでよかったとは思うよ」
ヤアンがにやりとするのを見て、リザイラはむっとしながらも微笑を湛える。
その会話を聞きながら、俺は伯爵の助言を思い出す。
負け戦だからと槍を投げだして逃げるわけには――いかない。
今までだってそうしてきたから、今ここに俺はいるのだ。
俺はリザイラの前に意を決して立った。
「お手を拝借」
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