九、

 森を抜けた先に件の湖はあった。

 しかも、それは昼の休息を過ごした木陰の森である。

 湖と鏡の魔女が言っていたので、広大な湖を想像していたがそれは小さなものだった。

 その畔に古い小屋が建っていて、ベラはそこにいるのだろう。

「なんていうかさ、これは池じゃないのか?」

「湖です。池と言うには大きいし、沼にしては水が澄んでいると思います」

「感覚を鈍らせる魔法が掛かってるとか?」

「どうでしょうね。一応、水には近づかないでくださいね。私じゃ助けられませんから」

 リザイラがしれっと怖いことを言う。

「俺もそんなに無力じゃないさ。というか、水の中に魔物がいたりするのか?」

「普通いますよ。水辺って怖いものですよ」

 俺は一瞬、幼少時代を思い出して慄いた。

「子供の頃はよく水辺で遊んだり、川で泳いだりしてたぞ」

「レオって貴族の割には野生児ですよね」

「こう見えても語学や算術、行儀作法とかも一応、修めてるんだぞ」

 俺がむっとしてリザイラに話していると、小屋の入り口に人影を見つけた。

 最初は、ベラかと思っていたその人影がはっきりとして俺とリザイラは言葉を失う。

「よう、遅かったじぇねえか。オレは待ちくたびれたぜ」

 聞き慣れた高い嗄れ声に蒼く輝く銀の髪をした少年のような女の姿。

 ゆったりとした足取りで俺たちに近づいてきた。

「これ、どういうことだよ」

「どうしたんだ。オレだよオレ」

 口調もそのままに、だが名は名乗らない。リザイラが震えている。恐怖じゃなく怒りだ。

「どうしたんだよ。こうして戻ってきたのに喜んじゃくれねえのか。リジィ」

 悲しそうに顔を歪めるのを見て――それで違うと俺は確信した。見たことない表情だ。

「お前がその名を口にするな!」

 リザイラの口から怒気を孕んだ声が発せられ、その人影は押し黙った。

 幻影と呼ぶには存在感がはっきりしており、生々しく――実際に生臭い。

「なんだ。この匂い」

「腐肉の匂いですね。黒魔術ですかね……。もしや、戦乙女シヴァの能力……?」

 鼻を覆うほどの匂いではないが、リザイラは袖で鼻を覆っていた。

「どういうことだ?」

「戦乙女シヴァはその毛髪から戦士を生み出すと謂う。彼女はその血を引いているので、似たような力があるのでしょう。でもこの個体は毛髪だけじゃなさそうですね」

「いつの間にそんなことを調べたんだ?」

「調べたというよりも、その神話を聞いたことがあるだけです」

 その情報は事前に知っておきたかった。と俺は心の中で呟く。

「あら、せっかく作ったのに、お気に召さなかった?」

 俺たちの前に姿を現したベラは、以前とは印象が違い、その顔には憔悴の色が見えた。

 身体を引きずるようにして、気怠そうに柱にもたげている。

 その眼には痛みを秘めていた。前はただ悲しそうな貌をした美しい女だった。

 一体、会わぬ間に何があったというんだろうか。

 それを想像できるまで、俺は彼女を知らないが、もしや神のしっぺ返しの影響とやらか。

「どういうつもりですか。戦士を作るにしても、悪ふざけが過ぎますよ」

「私の生まれを知ったようね。そう、戦士を作り出せる。捧げものに狼の血肉を使ったら、その傭兵の血肉も混ざっていたから、とてもいい戦士を生み出せたわ」

 血肉を使ったということは、あの狼は殺されたのか。可哀そうに、ひどいことをする。

「俺たちはアンタと戦いに来たわけじゃないぞ」

「ベラ、私は貴女の愛した人を害していませんし、貴女の敵でもありませんよ」

 リザイラは怒りを抑え込みながら、口調は柔らかにベラに寄り添うように言葉を掛けた。

「そんなことわかってるわ!」

 ベラの口から他者を拒絶するように、叫び声が吐き出される。

「なら、なぜ戦士を生んだんですか!」

 あくまで、穏便に話をしたいリザイラの気持ちはわかるが、目の前の魔女はもう――。

「そうね。蒼き狼は私を蝕みながら真実を見せた。だからこれはただの――」

 八つ当たりって事か。

 ベラが手を掲げるのを見て、俺はリザイラの前に出た。槍にでも盾にでも、なってやる。

「彼女はもう正気じゃないんだ! リザイラ、下がっていてくれ」

 ベラが掲げた手を振り下ろすと、懐かしい姿の――銀の戦士が剣を抜く。

 懐かしいと言っても、最後にこの姿を見たのは一昨日だ。

 真っ直ぐに剣を構えるの見たことはない。これはただの銀の戦士だと俺は思った。

「レオ、あれは偽物ですが、一応、油断しないでくださいよ」

「あんな顔をしてたら、余計に油断できないさ」

 俺は槍を中段で構え、戦士の攻撃を待つが、動こうとはしない。

「恐らく、操っているベラの方にも、負担があるはずです。そっちは任せて貰えませんか」

 リザイラは本来の目的をちゃんと心得ていて、覚悟を決めている。

「お互い、最善を尽くそう」 

 俺とリザイラはお互いに頷き、それぞれの目的に向かって、二手に分かれようとした。

「二人共殺してちょうだい!」

 ベラの叫びと共に、銀の戦士は動き出す。

 命令が下った以上、銀の戦士は俺たちを殺すまでか、俺かベラが止めるまで止まらない。

 戦士はあれきり言葉を喋らず、表情も変えない。そこには感情がないようだ。

 まるで人形だが、湖の畔で戦うなんて洒落てるじゃないか。

「再戦は望むところだが、減らず口もないんじゃ楽しめないな」

 俺は今度こそ、油断はしない。あの時は背の低い痩せた子供の姿に騙された。

 これはあいつじゃないし、こいつは明確な敵だ、と言うことを今の俺は理解している。

 本物なら尚のこと、この戦士を倒せと――いや、殺しちまえ、と言うだろう。

「来いよ。どうせ、名乗る名前もないんだろうがな!」

 俺は真っ直ぐに、銀の戦士に向かって走るが、それはリザイラの方に向かっていった。

 ベラの許に駆け寄るリザイラを阻もうとする銀の戦士を俺は止める。

 そのまま、互いの刃が火花を散らして、咬み合い、衝突した。

 槍の持ち手が剣の重さに軋むのを感じながら、柄で押し返す。

 それは重い両刃の長剣で、本物がいつも片手で振り回している小振りの剣ではない。

 力なくだらりと腕を垂らし、わざと隙を作って相手の油断を誘うあいつとは違う。

 銀の戦士は騎士のように、正眼に剣を構えて隙を見せない。その分、相手がどう攻撃を仕掛けてくるかは、読みやすい。その上で斬撃は重かった。

 斬撃を受ける都度に折れることを拒絶する相棒やりの叫びを感じ、どうか耐えてくれと俺は切実に願う。そうでなければ、脳裏を過ぎる最悪の想定が現実になりかねなかった。

 そうならない為にとにかく早くリザイラからこいつを引き離さなくてはならない。

 リザイラは銀の戦士を避けて、遠巻きに回り込むようにベラの許へ走っていく。

 銀の戦士の虚ろな瞳がそれを追っていた。

 俺に興味なさそうなところは、本物とそっくりだが、その意図するところは異なる。

 シドの言葉が頭を過ぎり、俺は咄嗟に砂をかけようとしたが、手に掴んだのは泥だった。

 足場は悪くないが、湖の畔は砂ではなく苔の生えた土と泥、そして僅かに石がある。

 突き出た石に気を付けなければならない。足を引っかけて転べば死に繋がるだろう。

 石を投げても意味がない。目的は視界を奪うことだ。

 仕方なく、それを銀の戦士の顔面に投げる。泥じゃ効力がないか。とは思ったのだが、一時的に視界を奪うことはできたらしく、銀の戦士の動きが鈍った。

 そのまま一気に柄で刃を防ぎながら、その腹に蹴りを入れ、引き離すことに成功する。

 できるだけ小屋から遠く、押し退けるように銀の戦士を遠ざけることができた。

 妙なことに軽くなったの槍だけではなく、俺の四肢も同様に感じる。

 身体も意のままに動き、軽い四肢に対し、払い、薙ぐ力は増して重くなっていた。

 対して相手の身体はそのものが軽く、それは重い鎧と強い力を持っていても変わらない。

 決して侮ってはいけない相手ではあるが、その身軽さは時に危うさに変わる。

 まして本物と同等の戦闘技術がなければ、弱点でしかなく、その証拠に泥を被った。

 銀の戦士はうめきのような声を上げ、猛り狂う斬撃を真正面から打ち込んでくる。

 間近に迫る銀色の刃を槍の柄で受け止め、ギシギシと軋む音が聞こえた。

 相手の剣幅よりも細い柄で、その銀色の刃を剣ごと弾き飛ばすように薙ぎ払った。

 しかし、銀の戦士は決して両手で構えた剣を決して離さない。

 俺の薙ぎを受け止めるが、銀の戦士は受け流さず、そのまま打ち込み返してくる。

 泥に汚れても異様に綺麗な顔がそこにあるが、そこにあの技術はなかった。

 そのまま剣を振るいながら突進してくる。振り下ろされる刃には恐ろしいまでに威力があり、辛うじて柄で受け流していても身を斬られそうだ。

 剣が振り下ろされるその度に槍を握る手が斬られそうで冷や汗が溢れ出る。

 ほんの少し対応が遅れれば、即命取りになるこの状況下で、妙に頭だけが冷めていた。

 幸いこの銀の戦士はあいつ程は素早くない。それでも力は強く、押し負けそうになる。

 俺は穂先を相手の剣先に蛇のように絡み付かせて、受け流してから一気に攻めに転じた。

 それでも下手に突き技を繰り出せば、以前の如く穂先を踏まれる恐怖がある。

 斬撃で散った火花に、俺の眼球が熱くなり、その残像が幾つも残って邪魔だった。

 それだけ、力は強いし、踏み込みも強く、素早く対応してくる。

 脇でも、足でも槍というのは踏まれてしまえば、それが敗因となる。

 実際に本物には、それで負けた。その次の瞬間の恐怖出来事を鮮烈に思い出していた。

 いや、それ以前に銀の戦士に突きを繰り出し、急所を抉っていいものか、迷う。

 俺は足元を確認し、身体を旋回させて石突での突きを放った。そして即座に引く。

 次は穂先で薙ぎの一閃を放ち、また身体ごと旋回させて石突で突き、すぐに引く。

 それを繰り返し、打撃を与えていった。無駄な動きだとアンタは笑うだろうか。

 それだけ大立ち回りをしても、不思議と疲れは感じなかった。

 対して、銀の戦士は後ずさる内に運よく石につまづき、身構えが崩れる。

 この機会を逃すまいと、切っ先を据え、一撃で相手の心臓を貫こう――とした。

――しかし、その瞬間、俺はその相貌に戸惑った。

 蒼く輝く銀の髪に、ぎらぎらとした空色の瞳は『ヤアン』そのものじゃないか。

 あえて考えずにいたその名は俺を呪いのように縛った。

――殺せば、ヤアンも死ぬんじゃないのか。その向こう側で痛みを感じていたら……。

 ギルドの主人が重要書類に血を使うように、この戦士はヤアンの血が混じっている。

 そんなことが頭を過ぎり、俺は躊躇いを禁じ得なかった。

 そんな俺のい《い》に付け入るように、銀の戦士は再び俺を排除しようとする。

 銀の戦士が地を蹴り、俺の対応が僅かに遅れ、槍を滑るようにその刃がこの腕に奔った。

「――ぐあっ!」

 思わぬ刃の痛みに、俺は上腕の傷口を庇い、抉れた肉を押し戻そうと勝手に指が動く。

 組手で擦り傷や打ち身には慣れたが、俺は刃で深く斬られたことはなかった。

 思ったよりも血は出ておらず、斬られたと同時にそこが焼けるように熱い。

 剣で斬られたら、もっと血が飛び散る気がするが、太い血管は刃から免れている様子。

 痛みに頭が支配され、膝がガクッと地に墜ちる。銀の戦士が迫ってくるのがわかった。

 そのまま仰向けに倒れてしまう。

 それでも気を失わなかったのはその脚力が、本物よりも弱かったからだろう。

 銀の戦士が俺の顔面か首筋を狙って突き刺そうとするのを悟った。

 地面に倒れ伏した身体を咄嗟に翻し、刃は耳を僅かに掠っただけで済んだ。

 いつの間にか焼けるような腕の痛みは消えている。いや、麻痺していた。

 銀の戦士の刃が天に帰って行くのが見え、俺はその隙に身体を起こし、態勢を整える。

 意地でも手放さなかった槍を構えるが、銀の戦士は俺を無視して歩み始めた。

 銀の戦士の虚ろな瞳に俺は映っていない。このままでは殺されるのはリザイラだ。

「お前の相手は俺だって言ってるだろう!」

 俺は猛然と声を上げ、銀の戦士に向けて続けざまに槍の突きを繰り出した。

 やはり、銀の戦士は俺を見ていない。ベラの意識がリザイラに向けられているせいだ。

 リザイラのことは守ってみせる。そう誓ったのにこのままではリザイラが危ない。

 俺は初めてベラに会った時にヤアンがとった行動を思い出し、咄嗟の機転で、ナイフをベラに向かって投げた。と見せかけた。

「きゃあ!」

 ナイフはうまいこと小屋の柱に刺さり、銀の戦士は殺意を孕んで俺に向かってくる。

 ベラの恐怖をこちらに向けることには成功したわけだ。

「レオ! 何てことを……!」

 リザイラは俺のしたことの意図を察して一瞬、瞠目してから、心配そうに眉を下げる。

「俺のことは気にするな。今の内にやることやっちゃえ」

 そういう言い方やめてください! リザイラがそう言いたそうに俺を睨めつけた。

 後はもう、リザイラがベラの説得に成功するのを祈るしかない。

「ベラ、話を聞いてください。私は貴女が奪っていった蒼き狼を取り返しにきただけです」

 柔らかな声でリザイラはベラに語り掛けるようにして、そっとその両肩に触れる。

「このまま体内に蒼き狼を宿していたら、貴女は苦しいだけでしょう?」

「そうよ。蒼き狼はまるで業火のように私を内側から焼き、今も蝕んでいるわ」

 ベラの心の叫びが大きいほど、銀の戦士は猛然と剣を振るい、阻む俺を殺そうとする。

 俺はそれを槍で弾き返しながら、薙ぎ返した。

「ならばこそ、もう手放してください。もう貴女が業火に焼かれる必要はありません」

 リザイラも腹が煮えくり返る思いだろうに、その言葉は暖かい。

「嫌よ。貴女とは口づけできない。もう誰も殺したくはないの」

 もう誰も殺したくないなら、この銀の戦士を止めてくれ、と俺は願うしかなかった。

 銀の戦士は――あの顔をしているせいか――隙を見せれば、俺は殺される。

 今は充分に間合いを取って、俺に引き付けたまま、突きや薙ぎ技で凌いでいる状態だ。

 繰り返される斬撃には薙ぎ技で対応できるが、このままだと俺の胆力は奪われてしまう。

 感情とは繋がっていても、ベラが銀の戦士を操っているように、俺には思えない。

「ヤアンは死んでませんよ。だから、蒼き狼自身が貴女を蝕んでいるんでしょう」

「あの女傭兵のことを言ってるんじゃないわ。私が殺したのは――違う違うちがう!」

 ベラは一瞬、安堵の表情を見せたが、子供のように泣きじゃくる。

「ベラ、いやナターシャ! もう人を殺したくないのならあの戦士を止めてください!」

 リザイラはベラの肩を揺すりながら、その焦点の合わない視線を追いかけている状態だ。

「貴女が、『作った』戦士ですよ? 私の友人が破壊してもいいんですか?」

「嫌よ! あれは私の殺した人よ――だから私を守ってくれてるの」

 ベラの言動が意味不明になっている。

「どういう意味ですか。殺した人? 愛した人を殺された復讐は終わってたんですか?」

「そうじゃない! あれは私の愛した人よ! いえ、私の殺した人! いえ愛した人!」

 俺には、どう考えても、魔女は錯乱しているようにしか思えない。

 しかし、リザイラは何かを悟ったように俺を、いや――銀の戦士を見た。

「貴女は愛した人を自分で殺したんですね? 違いますか?」

 リザイラのその言葉に、ベラは逆上を見せた。

「殺した。私は真実を蒼き狼に突き付けられて知ったの! 私は呪いを受けただけよ!」

「貴女が他者に八つ当たりしているのは、それを受け入れられずにいるからですね……」

 その言葉と同時に、何故かリザイラから安堵の息が漏れる。

 呪いだか過ちだかは気の毒だ。しかし、こっちにとっては途轍もなく迷惑なだけだ。

 銀の戦士の猛りを、受け止める身としては安堵の息にも苛立つ。

「レオ、それを破壊してください」

 やがて、リザイラの口から、はっきりと俺に指示が出た。――それは冷たい声だった。

 俺は姿勢と呼吸を改め、槍を構え直し、攻撃に転じて、銀の戦士に刺突を繰り返し放つ。

 銀の戦士は槍の切っ先を寸前で仰け反り、左右に身体を反らし、剣先でも躱している。

 ようやく左肩に入ったと思った刺突に相手は獣の呻き声を上げた。

 慌てて、引き抜いてしまう俺はまだ未熟で甘いことを思い知る。

「うおっ――⁉」

 その証拠に引き抜いた瞬間、そのまま銀の戦士は、俺の槍の間合いの中へ突進してきた。

 刃が俺の首を狙ってくる。刹那、俺はそれを柄で薙ぎ返し、そのまま力任せに薙ぎ払う。

 俺が踏ん張るのに対して、銀の戦士はよろける。

「嫌よ、やめて……」

 その様子を見てベラが、声を上げた。

 俺はそれに気を取られ、銀の戦士が間合いに踏み込んでくるのを許してしまう。

 重い剣が振り下ろされるのを慌てて、槍の柄で防ぐ。

 リザイラもそれに、少し驚いたのか、ひいっ、という彼女の声が聞こえた。

「なら事実を受け入れて、あれを止めてください。もういいでしょう?」

「やめて!」

 ベラが叫びが刃に変わり、リザイラの頬に、手に、首筋に、傷を付ける。

 動じないリザイラを見て、これは想定内なのだろう。と俺の肝も太くなったもんだ。

 銀の戦士の足元から、中段、上段へ軽い刺突を繰り返し、翻弄する。

 俺の頭に、これは疲労するのか、と疑問が浮かび、初めての命のやり取りに、冷や汗が流れ出た。それに銀の戦士の虚ろな蒼い瞳からは次の手は読めない。

――あいつならどうする? それを考えながら、目の前にいる敵から距離を取った。

「貴女が止めないと、私の大切な友人が死んでしまう!」

 俺の為にリザイラが叫ぶのが聞こえる。

「やめて!」

 リザイラはまた傷を負い、顔が苦痛に歪んだ。ベラの肩を掴んでいた右腕が、弾かれる。

 手が空を切り、そこから血飛沫が上がった。

 それでも、怯むことなくリザイアはベラに向き合い、寄り添う。 

「受け入れないと、貴女は一生を死者のまま生きることになり、運よく死ねたとしても、同じことを繰り返すだけですよ。どんどん人を苦しめる」

 リザイラはその細い腕で、ベラを抱きすくめた。

 ベラの苦痛が放射されるように、全身を傷つけるがリザイラは腕を解かない。

「――っ。辛かったでしょう。もういいんです。自分を許してください」

 その言葉にベラの表情が柔らかなものになっていく。

「……わかったわ。でも、どうせ、私も永くはない。蒼き狼がこの身を焼き尽くすわ」

「彼女は貴女を苦しめたいわけじゃない。解放されたいだけですよ。構いませんか?」

「身体の内側から業火に焼かれる痛みを貴女が背負うというの?」

「もし、私がその神の末裔なら、彼女は私を傷つけない。でしょう?」

 リザイラは血塗れの手のひらを自らの口に当てた。

 その唇が自らの血で染まり、そのままベラの頬に手を添える。

 するとベラが心配そうにリザイラに問いかける。

「でも、蒼き狼はあの子だけでしょう? 大丈夫なの? だって貴女は――」

「もう黙って――」

 戸惑うベラの唇を塞ぐように、リザイラは躊躇いもなく口づけした。

 ベラの顔が一瞬ヤアンのそれになり、そのまま二人は蒼い光に包まれる。

 本来ならば、もう少し甘ったるい雰囲気があるはずの、その光景には俺は畏怖を抱く。

 それと、唇を塞ぐ前に、ベラの唇が蠢いていた――そうは生まれついていない――と。

「ぐっ――‼」

 リザイラは光が消えると、呻き声を上げて身体がぐらりと揺れた。

 ベラは焦点の合った瞳になり、リザイラの身体を慌てたように抱き留める。

「もうやめて! 愛しい人よ。もういい!」

 ベラのはっきりとした言葉が嘆きの色を含んで、響き渡った。

「もういいのよ。止まりなさい」

 しかし、銀の戦士は止まらずに、俺に向かって剣を振り回し始めた。

 右に左に槍では受け止めきれずに、身体ごと弾かれてしまう。

 槍を握るので精一杯だ。

 まるで、馬とか、猪とか、獣が暴走しているかのようだ。

「おい、どうなってるんだ‼ 止まるんじゃないのか!」

「……破壊して! 愛しい人だから、私にはできない。でも貴方ならできる」

 ベラが決意したように言ってくれるのは、俺にもありがたいが、流石に疲れたよ。

 そうだ、足だ。こいつはよろけた。

 あの腕前検め役の足が厄介だったことを思い出す。その足はブレることすらなかった。

 それに、しっかりと地面に足を着けており、何度も足場を確認していた。

 目の前の敵にそれがない。

 それがわかれば、あとはその脆弱さを突けばぎょし易いのだが――。

 厄介なのは、上体だけはしっかりと剣を構えて、手出しさせないところだ。

 一度、左肩には入ったが、あれはまぐれだと自覚している。

 待てよ、と息を吸う。こいつは頭を含め、上体を防御していた。

 破壊を許可するなら、弱点も教えておいて欲しかったとベラの方を一瞥した。

 魔女は、ぐったりとして意識もおぼろげな魔術師を介抱していて、余裕がなさそうである。

 俺は頭の中で色々模索しながら、間合いを取って、大きく息を吐き、大きく吸い込んだ。

 本来、狙うべきはふくらはぎだが、鉄の脚甲で守られ、肉をぐことはできない。

 なんだって、装備も再現されているんだ。と心の中で毒吐いた。

 だが、彼女が上腕と太腿には、鎧を着けていないのを、俺は知っている。

 そして、一気に息を吐き出すと同時に、太腿に穂先を据えて絶えず刺突を繰り出した。

 銀の戦士が痛みに揺らいだその刹那、足首を狙って薙ぎ払い、その態勢が崩れる。

「これで終いだ!」

 それを見計らい、滑り込むようにして俺は、銀の戦士が剣を持つ、その腕の間を下から上へと、喉元から一気に脳天まで、渾身の力を振り絞って刺し貫いた。

 槍の穂先に、生々しい骨を貫く感触が伝わる。

 そのまま、俺は避けるのを忘れていた。

 銀の戦士が動きを止め、その身体が腐臭を振り巻き、吐瀉物としゃぶつのように崩れ落ちてくる。

「うわああ!」

 狼の腐肉が全身に降りかかり、俺は勝利に酔いしれる代わりに、腐臭に酔ってその場に先程の昼食をぶちまけるしかなかった。

 気分は最高なのか最悪なのか、わからないが一応の勝利である。

 それでも腐肉に混ざった白い骸骨のひび割れた頭が、なんとも悲しいかおをしていた。

「俺も泣きたいよ」

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