二、

 翌日、俺は二日酔いの状態で傭兵ギルドに顔を出す羽目になった。

 手続きをするのに当たり、旅券と自国が発行した身分証の提示を求められたが、昨日はそんなことは知らずに乗り込んだので、荷物の一切を宿屋に置いてきていた。

 昨夜、酔っぱらった状態で、「あほか!」と怒鳴られた。そのことは一応覚えている。

「まず、傭兵ギルドの説明をするから聞きな」

 傭兵ギルドは一般的な軍事請け負いの傭兵団とは根本的に違う。

 いくつかの小競り合いから始まり、『先の大戦』と呼ばれるトラシア帝国の世界侵攻に、世の中が混沌としていた時代、傭兵は数々の功績を上げ、トラシアの侵攻を防いだ。

 トラシアは軍事国家で傭兵を嫌った為、そちら側に付いた者は少なく、主に大国であるアルラトルニスやラズンドエルなどは傭兵を重用し、報酬も支払った。

 本来、傭兵の仕事は国やその権力者から依頼され戦地に赴き、契約している国を勝利に導く事で報酬や功績を得る。

 先の大戦が終結した後、多少の混乱はあったが、現在では平和が訪れた。

 そうなると傭兵は仕事を失くし、盗賊や野盗に身をやつして、市民に無法を働く事例が歴史的に多く見られていた。

 だが、先の大戦の折、それを憂慮したアルラトルニスのとある権力者が、傭兵の戦力を危険な魔物と山賊や盗賊など無法者の捕縛と討伐にあたらせ、賞金や報酬を払い、それが成功すると新たに商館、商家、行商団の護衛を生業にさせた。

 それが発端となり、傭兵の口入屋として傭兵ギルドを各国各所に作ったのだという。

 勿論、それに便乗した商売敵も生まれたし、ギルド創立の当初は、その身分を悪用した罪人も多く出たが、それは傭兵ギルドで賞金を懸け、制裁や粛清を行うことで闇の時代もやがて、幕を閉じた。

 傭兵という人種は、昔から罪人は仲間内で制裁と粛清を行うという流儀を利用したのが、功を奏したのだという。

 それを俺は黙って聞いていた。そのとある権力者は随分と頭がいいようだ。

 毒、いや、この場合は、火を以って火を制す――ということか。

 そして、現在では先の大戦で国に嫌気がさしたり、亡国の騎士となって死ぬはずだった人間が生きる事を選択し、傭兵を生業とし、その武勇伝、人望に憧れた訳ありの若者が、それにならい、そこから身を立てようとしている。

 それが、現在の傭兵ギルドの基盤になった。

 そういった若い連中は基本的には――多少、例外もいるが――大人しく、法を遵守する。

 昔程、野蛮ではないという意味ではだ。

 そこには俺も含まれているだろう。

「傭兵ギルドってのは傭兵を個人として扱っている。一人一人が責任を負う事業主なんだ。だから、信用が第一になる。ゴロツキや烏合の衆だという考えは、ここじゃ通用しねえぞ。それでも、歴史を見ても世間さまからすりゃ、傭兵ってのはそういう目で見られるんだよ。それをこっちはそうじゃねえと保証しなきゃならん。故にギルドとしては身の証が必要だ。戦歴でも、武勇や武勲、武功、軍役歴でも構わん。最低でも出身と名前が載った身分証な。少しでも偽りがあれば――死んでもらわにゃならなくなる。そんな手間はかけさせんなよ」

 最後にギルドの主人はさりげなく、俺を脅して品定めしていた。 

 二日酔いの頭でうっかり出した身分証が、金色の方だった、とは気付かずにロシュ国の辺境伯ラインバルト卿の息子であることがばれてしまった。

「お前、貴族だったのか……」

 ヤアンの顔色が変わる。それは貴族を尊ぶ顔色ではなく、怒りに近いものだった。

「どういうつもりだ? お貴族様の道楽のつもりかよ?」

 戸惑う声で俺の真意を探るようにつめ寄ってくる。

「ヤアン! やめてください。レオさんにも事情がありそうですよ。話だけでも聞くべきでしょう? 激情に任せて人を決めつけるのは貴女の悪い癖だ」

 リザイラは時々、ヤアンにだけ敬語を緩めぴしゃりと言う。

「ああ、だからどういうつもりか、聞いてんじゃねえか!」

 ヤアンの鋭い視線は俺にむけられたままだが、言葉はリザイラに向けられていた。

「俺は本気で傭兵になりたいんだよ! 道楽だとも思っていない」

 俺の口から自分でも意外なほど、感情的な声が出た。

「俺は貴族だが、三男坊で控えの控えだ! 兄貴たちよりも身体はデカいが、兄貴たちも健康そのもので、俺が貰えるものはない」

「選択肢が他になかったんですか?」

 リザイラは困ったように首をかしげながら、確認するように聞いてきた。

「ないだろうな。あってもそれを俺は選びたくはないんだ。なあ、なんでそんなに貴族が気に入らないんだ? 特権なんか俺にはないぞ。控えの控えなんだから」

 俺は自嘲気味だと自分でわかっているが正直な気持ちをヤアンに伝えているつもりだ。

「オレが気に食わないのは、騎士にもなれたはずだって事だ。それは国があるって事だ。それがなんでわざわざ傭兵になりたがるんだよ。理解できねえ」

「アンタは傭兵であることに誇りはないのか?」

「なんで誇りの話がでるんだ。当然あるさ」

「アンタが傭兵になったことを悔やんでるような口ぶりだからさ」

「――っ! 仕えるべき国がまだあれば、オレは騎士として王に仕え、オレの師匠もまだ騎士だったよ。でも国はもうねえからな。それでオレは傭兵になることを選んだんだよ。自分で選んだ以上、誇りはあるさ。もう故郷の国はねえが、いざとなりゃ故郷に貢献できるからな。けど、それすらできない友人が故郷にはいるんだ。だから後悔はしちゃいねえ。オレが悔やんでるのはまだ無力だったからだ。でもお前には国も身分もあるじゃねえか」

 ヤアンの口から零れるように出た言葉は、一つ一つが悲痛な叫びだ。その響きから瞳が凍てつき、荒れ狂う。俺は彼女の凍てついた瞳は悲哀からくるのものなのだと知った。

 だが、俺もそれを聞いて尚、黙っていられなかった。

「俺の国の騎士は俺を助けてくれなかった! 俺を見捨てた騎士に俺は誇りを抱けない」

「は?」

 ヤアンは言葉が返ってくるなんて思ってもいなかったのか、瞠目している。

「ずっと昔のことだ。俺の国では身代金目当ての人攫いが横行した。当時から俺は兄弟で一番背が高かったから長男と見紛われて攫われた。俺は控えの控えだ。当然、親父は金を出さず、国の騎士団も衛兵も俺を見捨てた。他にも似たような子供がいたよ」

「それで?」

「ギルド傭兵が俺を助けてくれたんだ。親父の依頼で長兄の護衛に来たギルド傭兵だった。ジョナス・マクセル。その後、俺に槍を教えてくれたよ。それも護身術程度だったけどさ。自分の身を守れるようにはなった。恩人だよ。そんな人に憧れるのは当然だろ? その内ギルド傭兵になるのが夢になった。それだけが生き残った俺にとって誇りの拠り所だった」

 もしあの時、マクセルが助けに来てくれなかったら、今頃はばらばらの状態で土の中か、どこかの変態に売られていた。今でもあの時を思い出すとぞっとする。

「もう、貴族だって事に誇りを持てなくなってたからな」

「昔のギルド傭兵は雇い主に恩を着せて小遣い稼ぎする事もあったんだぞ」

「知ってる。それは散々親父から聞いた。それでも俺を一人の人間として見てくれたのはその人だけだった。貴族のガキじゃなく、アンタみたいに俺をレオと呼んでた」

「……親父さんには感謝してんのか?」

「え? まあ、一応な」

「なら、オレが言えるのはお前も色々と苦労してんだなってことだけだ」

「ヤアンは相変わらず、素直じゃないですね。納得したって言いたいくせに」

「うっせぇぞ、リジィ。ああそうだよ! オレが悪かった! 貴族にも色々あるなんて、いや、貴族だからどうって、頭から決めつけたオレが悪かった。すまなかった」

 ヤアンの謝罪は投げやりな感じで開き直ったものだったが、最後は素直な謝意だった。

「いや、俺も隠していてすまなかった。国をなくすなんて、計り知れない思いだよな」

「うん。まあ、故郷の土地は無事だし平気さ。一族皆殺しにされてオレだけは生きてる。お互い生き残りだな」

 無感情にそれを口にしてから、ヤアンは鼻で笑った。それが彼女なりの共感の示し方だ。

 それはヤアンの傍らでそっと頷き、微笑むリザイラの態度からわかった。

 それでも戸惑う俺を見てリザイラが助け船を出してくれた。

「ヤアン、そのことはいきなりぶちまけない方がいいと思いますよ」

「へ? でも、こいつも話してくれたんだし」

「重すぎるんですよ。言わせないでください」

 リザイラの言葉にヤアンは困った顔で頷いた。

「そいつは親方って呼ばれてなかったか?」

 不意にギルドの主人が俺に訊いてくる。

「ああ、誰かがそう呼んでたが、それが?」

「ああ、いやあ、なんでもない。気にするな」

 いや、気にするに決まってだろ。妙に勿体ぶられたら。

 なんなんだろうか。

「まあ、じゃあ手続きの書類は出来たから、書くとこ書いてくれ」

「ああ、わかった。って結構量が多いな」

 俺たちがちょっとした不和で揉めていた最中に老紳士はこの書類の束を作成していた。

 それが、なんとも役人らしくて、思わず口許がほころんだ。

「それと三日程かね。身分証を少し借りるよ。通常の手続きだから」

「おう、本国に確認すんだろ? ロシュの方には一応言ってあるけど」

 この周辺諸国の身分証はこの街の本国が交易を簡素化させるのに発行を促したものだ。

「ヤアン、一応、仕事はこっちで選んでおいたから、あとはちゃんと世話しろよ」

「ういーっす」

 ヤアンは先程の事などなかったかのように仕事の書類に目を通している。

「おおー! ついに痩せ狼が弟子を取ったぜー!」

「ちゃんと、教えてやれよ。痩せ狼が獅子を育てるのか」

「レオもヒョロいんだから痩せ獅子だろ」

「痩せ狼と痩せ獅子か。頼りない師弟だな」

 痩せ狼というのがヤアンの愛称というか蔑称かもしれないことがわかった。

「だあっうっせーな。野郎どもが。あ、シド、お前って今、何か仕事してるか?」

 ヤアンが声を掛けると、細面の美青年が振り向く。

「おれは商家の夜間警備だけど?」

「訊いたオレが馬鹿だったぜ。この時間にいる野郎どもは仕事が夜だったか」

 ヤアンが手痛そうに言いながら、その傭兵といくつか会話を交わしている。

 俺も書類に目を通しながら、署名を十八回程して、その内三枚に血判を押した。

 親指の鈍い痛みは思ったよりもじわじわと熱くて、戦いで負う傷より痛い気がする。 

「ほれ、これは支給品だ。売り払ったら容赦しないからな」

 書類の確認が終わると、ギルドの主人は貸し出しの支給品を出してきた。

 傭兵ギルドの紋章入りキルト生地と懐中時計、野営道具、牛皮でできた識別票には既にレオニールの名前が彫られている。名前だけだが――。

「文字の並びはあってるかね? 確認しろ」

「うわあ、なんかちょっと感動した。おっさんが作ったの?」

 識別票は皮ヒモで首にかけられるようになっていた。

「やったな、おっさん。飼い犬が増えたぞ」

 俺が早速、識別票を首に掛けるのを見てヤアンが笑った。

「本当に犬みたいですね。大きな文字で名前だけ書いてあると」

 リザイラまでそんな言い草をすると、喜んでいるのが馬鹿みたいじゃないか。

「ひでーな。これが支給品だっつんなら、アンタらもしてんだろ?」

「まあ、オレのタグは銀製品だけどな。自分で作ってもいいんだぜ?」

 ヤアンの皮で縁取りされたタグを見ると、俺のは少々頼りないが、そもそもこれはそんな風にこだわるものではないだろうにとも思うが、そこが妙に女らしい気もする。

 そう思っていたが、ちょうどギルドにいた傭兵の数人、ジュゼッペとジョセフ、ヨシフ、シド、サイモン、そしてアレインが自分のも見せてくれて、それらの中には誕生石をあしらっている者や金メッキのプレートの者もいる。

「みんな、意外なところに拘るんだな」

「まあ、死んだ時に持って帰ってもらうものだから、かな。あとは願掛けだよ」

 ヤアンは、死んだら確実に溶かして売られるからわざと銀なんだと笑った。

 それは、死なないという願掛けなのか、もっと違う哀しい意味なのかわからない。

「懐中時計もみんなすごく改造してるんだぜ? 支給品だってのにさ。階級が変わると、取り替えるのに色々と掘ったり、書いたり張ったりしてる」

 懐中時計に関しては、結構な高級品だと思っていたが、この街ではそうでもないのだろうか。だが、渡されたものを見る限りでは安物だ。

「えっと? 階級で取り替えるっていったか?」

「そうだ。将校クラスともなると最高級品だろうな」

「そういえば、階級制ってなんなんだ?」

「ここのランクだよ。商工組合だの職人ギルドにもあるだろ? 知ってるよな?」

「一応な。親方、師匠、職人、徒弟だっけ?」

「うちではそれをもっと細かくして、軍階級を使ってるんだ」

「アンタは士官だと言っていたよな?」

「少尉クラスだ。お前に階級はまだないよ。あくまで見習いだ」

 ヤアンは皮肉だな。と笑った。

 確かに、貴族の俺が兵士としては階級すらないというのは笑える。

「んで、この布は?」

 俺は紋章の入ったキルトを手に取る。今は誰もこれは身に着けていない。

 昨夜、ちらほら目には入ったが、ずっとなんなのか疑問だった。

「それは好きに加工していい。街に出るとき、着けてればおっさんから小遣い貰えんだ」

「アンタはどうしてんだ?」

「普通は腕章にするけど、ケープじゃ隠れちまうからな。チーフにして首に掛ける」

 そういって、ヤアンは自分のキルトを懐から出し、わざわざ着けて見せてくれた。

 ヤアンの場合、細い腕を隠す為にケープが必要なのだろう。それは難儀だ。

「じゃあ、俺は腕章にするかな。加工はどこでやってくれるんだ?」

「裁縫ぐらい……できねえか。お貴族様じゃな。でも覚えろよ?」

「え、みんなは自作なのか?」

 俺が周りを見ると皆は頷く。傭兵には裁縫も少しはできないといけないってことか。

「まあ、とりあえず紋章が見えるように腕に巻いとけよ。今日は槍の訓練は後回しにして、街を案内するからよ。基本の基本だ。文句は言ってくれるな」

「街の案内は助かるよ。でも、それになんで小遣いが貰えるんだ?」

「ギルド傭兵と議会に登録してる傭兵団は散歩程度でも、街の治安の維持に繋がるんだ」

 ヤアンは今のところ、丁寧に教えてくれている。

「よし、じゃあ、とりあえず、行くか。おーい、行くぞ。リジィ」

 リザイラはヤアンに声を掛けられて、ギルドの主人に一礼すると、こちらにやってきた。

 そういえば、リザイラは傭兵ではないのに、何故ヤアンと一緒に行動するのだろうか。

――女同士で、やっぱそういう仲なのか?

 そんな風に思わず、邪推してしまうじゃないか。

 そして俺たちは街に出た。なんだか妙な取り合わせだと思いながら。

「なんか、街をひたすら歩いてる気がする」

「オレは巡回を重んじてる。大事な仕事だよ」

「ひたすら散歩してるだけな気がする」

「散歩だって、大事だ。基礎体力が付くだろ?」

 巡回とは言うが、見廻りという感じはしない。街は平和な感じだ。

「よう、変わりはないか?」

「そうねえ、野菜が高いぐらいですかしら」

「それうちのおっさんも愚痴ってたな。どこも一緒だよ。その内安くなるさ」

 ヤアンは時折、馴染みの人間と愛想よく挨拶程度に言葉を交わしている。

 大体、この繰り返しだ。

「んで、レオ。お前、手配書の人相書きには目を通したか?」

「おう、一通りは。でもあれって、特徴が載ってるだけで、どうやって見分けるんだ?」

「特徴が合ってて、オレらと目を合わせない奴、逃げる奴は注意だよ」

「その他には、知り合いの方々から心配事を聞くついでに情報を頂きます」

「なるほど、それで散歩が大事なのか」

 しばらく注意しながら歩いていると、運河を跨ぐ大橋が見えてきた。

「ここまでがワイズ地区で大橋を渡ったらミュゼ地区だ」

 ヤアンはそこで、実はこの街が運河を挟んで対立していたという過去があったらしいが、今はそんなわだかまりもなくなっているという。

 因みに傭兵ギルドや、商館が多くあるのがワイズ地区らしい。

「まあ、最近は自分がどっちの地区を贔屓しているかとか、地元民は出身で喧嘩するけど」

「そんなに、運河を隔てて違うものか?」

「オレとしちゃあどっちもどっちだな。ミュゼ側のワールドエンデは最高だ」

「また、新しい地区の名前だな」

「地区という程、広くはありませんが、高級なご婦人がいる場所ですよ」

「サルーンやカフェーってことか? 金のある商人の婦人や女性貴族が集まるとか?」

「高級娼婦のサルーンだ。そういう商売は一か所に集められてるんだ。人の出入りが多い街は疫病も流行りやすい。連れ歩くのは自由で、特別に隔離されてるとかじゃねえけど」

「へえ、娼婦らしき女性が宿屋の周りにいないのはそのせいか?」

「探したんですか?」

「いやいやいやいや! 見かけないって思っただけだ。普通は宿場町の周りにいるからさ」

「そこまで必死に否定しなくても、別に恥ずかしいことではないでしょう?」

 そうやってまた悪戯めいた微笑みを浮かべるリザイラにだけは、俺は否定しておきたい。

「色街とか花街って呼ばれてるけど、この街独特のものかもな。まあ最高の場所だよ」

 ヤアンが最高だと強調するのが、色街ということは……。

「アレインと護衛で行くし、店の雰囲気が好きなだけだ。変な妄想してんじゃねえ!」

 大橋を越えて、買い食いをしたり、飯の旨い店を紹介されながら、また歩く。

「ミュゼも市場やらごちゃごちゃしてるけど、それはワイズも同じだよ」 

 やがて、大きな噴水を囲む広場が見えてくる。

「この噴水広場では礼拝行事やその日限りの特別な市場が開かれます」

「へえってあれ? ヤアンはどこに行ったんだ?」

 いつの間にかヤアンが姿を消し、串焼きを三人分持って戻ってくる。

「うまいぞ。リジィの奢りだ」

 おいおい。何やってだか。我が師匠殿は……。俺は心の中で溜息を吐いた。

「弟子を取ったって串焼き屋の爺さんに言ってやったぜ!」

「それは良かったですね」

 お宝か、獲物でも獲ってきた。みたいなヤアンの笑顔にリザイラも嬉しそうに笑うが、

俺にはその意味はさっぱりわからない。

 串焼きを食べながら、また彷徨うように歩みを進め、雑多な市場に足を踏み入れる。

 そこでもヤアンは主にご婦人たちに愛想を振りまき、リザイラは装飾品を見惚れている。

 やがて、市場とうらぶれた一角への分かれ道の間で、乱闘騒ぎが起きた。

 市場の端は露店の飲み屋で、そこで見計らったかのように男が喧嘩の火種を巻き、騒ぎを起こしておいて自分だけはそこをすり抜け、通りがかった老婆の荷物を奪って逃げた。

 追いはぎというやつだろう。老婆は荷物を奪われた拍子に転び、足を怪我していた。

「ああ、私の荷物が! 誰か取り返しておくれぇえ‼」

 老婆がそう叫ぶが、乱闘騒ぎに巻き込まれ、老婆は更に怪我を負いそうだ。

 俺は身体が勝手に動くのを感じた。老婆を守りながら、乱闘を収めなければと思った。

 だが、ヤアンは老婆から荷物を持って逃げた追いはぎを追いかけて行ってしまう。

「あいつは賞金首だ! 急げ!」

「あ! おい! 待てよ……」

 俺は老婆の安全を確保して、リザイラもそれに倣うように手伝ってくれた。

 だが、ヤアンは老婆に目もくれなかった。それに俺は苛立ちを覚えた。

 あの追いはぎは自慢の足の速さで今まで警吏や傭兵から逃げてきた。

 ヤアンは全力で疾走し、追いはぎに迫ると跳躍して、その顔面を膝で蹴り上げた。

 追いはぎはヤアンの膝蹴りで倒れる。脚甲の硬さも伴って、相当な激痛なのだろう。

 ヤアンは手加減したようだが、鼻の骨は確実に折れている。

 駆け付けた街の警吏にヤアンは追いはぎを引き渡し、老婆の荷物を持って戻ってきた。

「ほらよ。婆さん」

「ありがとうよ」

 老婆はそう感謝の言葉を述べる。

 だが、それでも、俺は怒りを抑えられなかった。

「おい、怪我人を放って何やってんだよ! 怪我した人を助けるのが先だろ?」

「いいか、傭兵ってのは人を守るのが仕事じゃあねえんだよ。魔物なら討伐。罪人は捕縛。警吏だの衛兵に引き渡し、ギルドに報告して報奨金を貰う。そいつに賞金が掛かってればそっちを追う。それが仕事で奉仕じゃねえ。結局は賞金稼ぎなんだよ。金が第一だ」

 まるで教訓だと言わんばかりに妙な苛立ちを含んだ言葉がヤアンから返ってきた。

「俺はそうは思わない。傭兵は人を助けることができる。巡回がそうじゃないか。巡回を重んじるのは賞金首を捕まえる為じゃないだろ。人を助けるための治安の維持だ。アンタだって本当は人助けしたいんだろ? 俺はそう思ってる。わかるんだよ」

「どいつもこいつもオレの事、テキトーに言いやがって、何がわかるんだよ」

 ヤアンは癇癪のような声を上げた後リザイラを一瞥し、俺には凍てついた視線を向けた。

「アンタがさっき言ってことだろう。国をなくしたって、いざとなったら故郷に貢献できるから傭兵になったんだって言ったよな」

「それがなんだよ」

「それは故郷の人々を助けたいってことだ。人のいない土地に意味はない。人を大事に思うからこそ勇士になれる。これは教師から教えてもらった言葉だけど、俺もそう思う。ただ、今はこの街だけかもしんないけど、アンタにも街の人を助けることができるはずだ。あの追いはぎを捕まえたのだって、本当は他に被害を出さない為じゃあないのか?」

「確かにそうかもしれねえな」

「だろ? 俺は人を助けたいから傭兵になった。いや、なりたいんだ」

「だが、お前のそれは貴族の考え方だ。力ある者が弱者を助けるのは義務だ。ってな!

オレも散々、教わった言葉だよ。でもな、傭兵は傭兵であって、勇者にはなれねえんだ。傭兵は金が第一で、人を守るのはその為だ。最後には結局は、金を選ぶ生き物なんだよ。勇者になりたきゃ、国に帰って大人しく騎士になればいい!」

「がっかりだ。アンタは、オレのことを貴族としてしか見てくれてないのか。がっかりだ」

 俺が吐き捨てるようにそう言うと、ヤアンは痛みを受けたような顔になった。

 しばらくの沈黙と逡巡の後、ヤアンがリザイラの微笑みを見て、深く息を吸って吐く。

 力なくうな垂れて、今度はどんな暴言が吐かれるのかと俺が思っていると――。

「ごめん」

「え?」

 すまない。ではなく、ごめん。という言葉がヤアンの口から出て、俺は驚いた。

 なぜだか、心の底から素直にでた言葉だと思った。

「いや、本当にすまない。ちょっとムキになってた。もうオレには出来ないことをお前がやろうとしてるんだって思ったら、なんだか自分が情けなくなって、無駄に言葉を並べた。お前は何も悪くない。お前の志は尊い。お前は眩しすぎて直視するのが怖い。なによりも、その眩しさで、何もかもさらけだされるような気になっちまう」

「つまり、恥ずかしいってことか?」

「あほか! オレは自分で思う程、強くねえ。弱いんだ。喧嘩ではお前に勝ててもな」

「喧嘩では勝てるのに強くないって、なんだよそれ」

「ここだ」

 そういってヤアンは心臓の辺りを親指で指し示す。

「アンタの心臓は剛毛で覆われてそうだけど」

「ああ、オレのは、剛毛で覆われすぎて、ちくちく痛いよ。じゃなくて! 心の方だよ」

「心なら、俺もそんなに強くはない」

「お前の強さは優しさなんだ。だから、そいつをどうにか、挫きたいって思っちまうんだ。貴族の生まれだからだって考えを押し付け、それを正す方が楽だったんだ。本当に悪いな。けどそれは間違いだと気が付いた。しかも悔しいことに、お前が気付かせたんだ」

「そうなのかな?」

 俺は自分の言葉がこんな風に心を動かすだなんてことは一度も思ってなかった。

 どちらかというと、俺は誰にも期待されないし、俺の声を聞いてくれる人もいない。

 そんな風に思っていた。

「そうだろうが、相手の言ったことを細かく覚えてる人間は優しいんだって、知ってる」

 そう言って、ヤアンはリザイラを一瞥した。その視線に意外そうな顔を見せる。

「言っとくが本当に傭兵として、人を助けていけんのは喧嘩が強い人間にしかできねえぞ。気持ちだけじゃきっと無理だ。優しさを持ったまま、喧嘩で勝てるようにならねえとだぞ。それって結構難しいとオレは思う。それでもそうしたいならオレは尊重したい」

 多分、本当に優しいのは、ヤアンの根っこにある何かだ。

 俺はそれが知りたくなった。

「ならその方法を教えてくれ」

「おうともよ」

 俺は再びヤアンの手を握った。

 だが、俺たちが言い合いをしている間に、視界の隅では見たことない現象が起きていた。

 それは俺の想像を絶する異様な光景だった。


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