三、
「これで、一応、脚は動かせるはずです。どうですか? 立てます?」
リザイラが介抱していた老婆の足の怪我が徐々に塞がっていく。老婆を介抱する彼女の優しさに俺は胸を打たれた。優しい人だな。
「ああ、立てるよ。前より足が軽いくらい。それは薬石かい? お代はいくらするかしら?」
リザイラが傷口に当てていた黄色い石が濁って、勝手に砕けた。
「そうですね……。今度、何かご馳走していただけます?」
「そんなでいいのかい? 魔術師は代償を貰うって聞いたよ」
「ええ、ですから、何か美味しいものを、ご馳走してください。出来れば三人前で」
リザイラは優しく微笑み、追加で他にも石ころを渡す。
「これ、安物ですが、腰痛や肩こりに効きますからどうぞ」
「ありがたいねえ。じゃあ、これはそれのお返しだよ。ご馳走する時返しておくれ」
老婆は荷物の中から古い鏡を取り出し、リザイラに渡した。くれるんじゃないのか。
「お前さんらも、回り道してないで、鏡みたいに素直な姿を相手にみせるんだよ」
「ふふ、それで鏡ですか。ありがたくお借りします」
「婆さん、見苦しい姿を見せたな。それから助けなかったことを詫びるよ。済まない」
「貴女は仕事をしただけさ。蒼き狼のお嬢さんはクドルを付けるのを忘れんことにねぇ」
老婆は、そう言って歩いて行った先でふっと姿を消した。いや、道を曲がったのか。
「驚きました。あの方、魔女ですよ。しかもお婆さん!」
リザイラが興奮気味に言うのを俺もヤアンも聞き逃さなかった。
「おい、あの婆さんが魔女なら、なんでお前に怪我を治させたんだ?」
やっぱり、あの怪我はリザイラが何かをして治したのか。それも驚きだが、あの老婆が魔女とはどういうことだろう。
「何せ、魔女ですからね。私を試したのか。わかりませんが」
「まあ、用心しとくに超したことねえから、鏡はその預かるよ。何せ魔女の鏡だ」
ヤアンが懐から純白のハンカチを取り出し、リザイラから差し出された鏡を包んで懐にしまい込む。ヤアンのロングケープの内側にはポケットが多いのだろう。
「なんか、随分と失礼じゃないか? そんな風に言うなんて、鏡の扱いもさ」
俺がそう言うと、リザイラが少し申し訳なさそうな顔をした。
「仕方ないですよ。私は魔術図書館から命を狙われているので」
「オレはこいつの護衛なんだ。お前の好きな人助けのオレにとっての最優先事項さ」
「人助けっていうなら契約金は払いませんよ」
「今のはもののたとえだ」
そんなやり取りをしながら、二人はころころと表情を変えた。
「待った待った! 俺が訊きたいことを一つ一つ教えてくれ。さっき婆さんの怪我を治したのはなんなんだ? 一瞬で傷が治りだしたよな。薬石ってやつの効能か?」
「えっと、私の専門は魔石作りでして、あれは私の魔力を込めた石です。最近になって治癒効果の実験に成功したので、使ってみました」
「んー、違う。そうじゃなくて、そもそも何でそんな事が出来るんだ?」
「私は魔術師ですから。お婆さんも特異点で移動しましたよね。魔女だからです」
「魔術師って? それにお婆さんを魔女なんていうのやめろよ。失礼じゃないか」
確かに見た目はおとぎ話に出てきそうな魔女のようだったが、それは偏見というものだ。
それで少々頭に血が上った俺を見て、ヤアンもリザイラも少し、驚いたような顔をする。
「あ、クドル着けとかねえと、ああいう助言は気になるからな」
ヤアンは着けていた腕輪を擦る。そして、次の瞬間、驚くことにそれは形を変えていく。
腕輪が冠のような装飾品に化けた。そうとしか見えなかった。
実際は腕輪が液状金属のように溶けてヤアンの腕を蛇のように這い、肩から首を通って、耳と後頭部に絡みつき、金と銀で出来た両耳から後頭部を覆うような髪飾りに変化した。
右側にある蒼い宝石で模られた薔薇の彫刻に銀と黄金製で鮮やかに印象に残る。
そういえば、もっと質素な造りのものを着けている者がこの街には多くいる。
「それもなんなんだ?」
「え? 信仰の証だよ。精霊の加護や本人の器に応じて姿を変えるとも謂われてる」
「アンタが神や精霊を信じるのか。意外だな」
「残念なことに、オレもその神の血を引いてるからな。お前って無神論主義なのか?」
「えっと無神秘論主義者か現実主義と言ってください。神がいるのは知ってるんですから」
「いや、俺は神は信じているけど、いるみたいに言うのが妙なだけだ」
「加護がなくて姿も見えないんじゃな。見えないものは信じないとか言う奴いるよな」
ヤアンが俺の背後に目を凝らす。なんだか、すごく恐ろしい。
「何がアンタの眼には見えてるんだ! 魔術師の事もまだ答えてもらってないし」
リザイラはずっと興味深そうに俺を見つめていた。
そして、やがてリザイラから何かを耳打ちされたヤアンは驚きを隠せずにいる。
しかも何やら、二人して俺の顔に指を伸ばしてつついてみたりする。
「なあ、もしかしてレオって、あれか。本気で知らないのか?」
「多分、今まで円環の者すら縁がなかったのでしょう」
「どういうことだ。なんで俺はつつかれなきゃならないんだ?」
「まあ、お前が教わることとオレが教えることが多くなったってことさ」
ヤアンは途轍もなく面倒だと言わんばかりの顔で俺を睨めつける。
「え? 何?」
「でもこういう事ってどこから教えりゃいい?」
「レオさんって信仰は? なにかしら信仰はありますか? 家の信仰でも構いません」
「我が父上は信仰とか、宗教がお嫌いでね。領地にはそういう者もいなかったし」
「そりゃあ珍しいな。人心の掌握には信仰が手っ取り早いのに」
「そうなのか? 教師が教えないことは知らないんだ」
「でも、お前の国は騎士がいるんだよな? 騎士は基本ドルディアを崇めるのに」
「騎士って王を崇めてるんじゃないのか?」
「お前、よく今まで生きてこられたな。騎士っていうのは精霊と祝福された王に仕える」
「あの、ヤアンそこの説明は後にしましょうよ。私が混乱します」
「ちゃんと聞くから、きちっと教えてくれないか?」
神の血を引いているという傭兵。魔術師だという少女。
妙なものはたくさん見てきたはずだが、この二人程、妙なものを俺は知らない。
何よりも、妙なものとして俺自身が見られている。
偏見や差別、迷信は嫌いだが、全てを捨てて、それらも自分で決めないとならない。
「じゃあ、この世の理から説明しますか。私の考えもヤアンとは少し違うのでドルディア教の概念はヤアンが頑ほうし張って補足してください」
リザイラの少しという言葉に、ヤアンは眉根をぴくりと抗議するように動かした。
「まあいい。わかった。でもその前に……」
ヤアンの腹の虫が火山でも噴火するかのような音を立てて鳴り響いた。
「オレの神様がご立腹だ」
「じゃなくて、空腹なだけでしょう。どこか、静かな店に行きましょう」
「それなら、こっち側の運河沿いに隠れ家っていう気になる店がある」
ヤアンの希望で運河沿いの住宅街にある『隠れ家』というカフェーに入る事になった。
そこはケーキと軽食を紅茶と共に楽しめると聞いていたのだが、ヤアンの頼んだ食事の量は途方もなく多くて、リザイラが文句を言うのも気持ちがわかる程だった。
優雅な貴族の雰囲気を庶民にも提供するサルーンのような店なのだろうが、やや歪だ。
「ケーキをホールで食う女がいるなんて……」
「いっそ小麦と牛乳をそのまま流し込めばいい」
リザイラの嫌味に俺は、『卵もな』と同調する。
ヤアンは『うるへぇ』と口を動かしていた。
――これが女だとは。傭兵としてヤアンは尊敬できるが、女としては見れないよな。
そんなことを考えてしまう思考を俺は一旦切り替え、話を「世の理」とやらに移す。
リザイラは少しの間、ティーカップ越しに俺を見つめた後、口を開いた。
「実は、世界は平面な円の上に存在し、その世界を大きな亀に乗った三頭のゾウが支え、風はそのゾウの鼻息、雲はその吐息で出来ています」
「え⁉ それはすごい話だな。そうか……そんなところに住んでるんだな」
リザイラの話を俺がそのまま鵜呑みにして驚くのを見て、ヤアンが口に含んだケーキと紅茶を噴き出しそうになってしまい、どうにか飲み込んだはいいが、今度はそれをのどに詰まらせ、ゲホゲホという咳の後、ようやく上げた顔は笑いを堪えていた。
「え? え? 今のは嘘?」
「いえ、今の話は冗談ですよ」
俺の戸惑いを、リザイラの蠱惑的なまでに優しい笑みが、柔らかく包み込む。
全てを信じてもいいと思わせるその笑顔で、今の冗談は、色んな意味で少々キツい。
「アンタこの世の理を教えてくれるって言った割に意地悪いな」
「申し訳ありません。でも今ので、貴方のことについて色々、判断できました」
「おお! 今のはリジィ先生の入門試験か」
ヤアンの関心したような茶化しただけのような反応に、当人は肩をすませて見せた。
「これで、貴方の頭がすっからかんだとわかりました。そこでまず神々が実在することと、精霊も実在しているということを念頭に置いておいていただきたいのですが、できます?」
「神々ということは神様は一人じゃないんだな」
「そうです。更に神々には王がいて、その姿は人間と同じだそうです。ああ、そういえば、ヤアンが食べてるお菓子に使われる小麦粉の一粒一粒にも神が宿っている。ということも、覚えておいてください」
「それが本当なら、なんか気味が悪いな」
俺は小麦に宿る何故か老人の姿を思い浮かべる。それが本当なら焼いていいものなのか。
想像する内に目の前の菓子の上に、沢山のギルドの主人の姿が浮かんできた。
「ええ、気味が悪いですとも。パンカビは神の死骸だと本気で信じている方々もいます」
「実際、ラズンドエルではそれで薬を作れるらしいからな」
ラズンドエルというと、医療を含め技術先進国として有名な国ではあるが。
「カビから?」
「そう、カビから。まだ紙上の空欄とかいう段階らしいけど」
「正しくは机上の空論ですね。成功してないけど可能性はあるってことです」
なるほど、ヤアンが口を挟む場合はリザイラの言っていることが本当というか、共通した考えなのだろうと、俺は思うことにした。
「まあ、神が自分に似せて人間を作ったっていうおとぎ話は聞いたことがある」
「神も最初は人の姿じゃなかったんです。最も都合のいい姿だったという説もあるので」
「なるほどな。人の形は他の動物よりも便利に見えるからな」
神が人に会う時にその方が警戒されないのだろうと思うが、そもそも神が人に会うのか。
「因みにオレの部族は神の姿が、狼なんだ。蒼い光を銀の毛皮に宿したな。大昔にオレの人間の先祖に惚れて人間になり、子供作って死んでからまた神々の一柱に戻ったらしんだ。個人でも部族でも神でも呼称は『蒼き狼』だ」
「神の血を引くっていうのはそういうことか。大昔ってどのくらい前なんだ?」
ヤアンの銀髪が蒼く輝くのがその血からなら、先祖といっても高祖父ぐらいだろうか。
「民間伝承で神代と呼ばれている古代のことらしいです。地上はまだ神と人間が一緒に生きていた時代。人間に知恵がなくがサルみたいな生活をしていたと考えておいてください」
「わかった! それで、神は知恵を人間に与えたとか? 千年ぐらい前か?」
「一万年単位で考えられています。歌ったり、植物を育てる知恵はあったみたいですよ?
蒼き狼に限らず、他の神々も様々な理由で子孫を残しています。そして、その血が永久に続くようにしたのか偶然なのかはわかりませんが、子孫は特殊な神の力を持つ部族として繁栄しています。ただ、その数は部族研究を行っている私でも全てを把握してはいません。殆どは無駄に寿命が永いとか、生命力が強いだけとかで、その殆どが狩猟に向いてたり、戦闘に向いて特化していますけどね。ヤアンのはここでは聞かないで、飲食店ですから」
最後にリザイラは悪戯っぽく俺に微笑み、ヤアンを睨めつけながら微笑んだ。
ヤアンがナイフを手に舌打ちし、その手を俺にひらひら振ってから、引っ込めた。
俺は神の血を引いてる人間はそんなにいっぱいいるのか。ということを飲み込むのに、必死で、ヤアンがてのひらを見せた意味には気付かなかった。
「そんな大昔だったら無自覚に血を引く人間もいたりするのか?」
「部族によっては隠れ住んでたり、街にもいたり色々だ。オレと同じで外見にはっきりと特徴が顕れている奴もいるけど、お前みたいに紛らわしい容姿の人間もいる」
ヤアンはフォークを俺に向けて言った。
「お前の容姿と名前は紅蓮の獅子か、紅薔薇の獅子に似てるけど、違うんだな」
どちらの部族名も髪の色が紅そうだな。でも薔薇獅子の方は優雅そうだ。
「その部族はどっちも貴族なんだ。オレも戦闘部族になってからの先祖が聖王国の始祖と盟友だったから代々騎士の家系だったんだ」
その『だった』というヤアンの言い方が俺には悲しく思える。
「そんな顔すんな。もう先祖の栄光なんざどうでもいいさ」
ヤアンは涼しげな顔で紅茶を啜った。
「えっと、円環の者のことはヤアンが話した方がいいですかね?」
今度は円環の者か、今まで出てこなかった耳慣れない言葉に俺は首を傾げた。
「いや、これだけ訂正しておく。円環の者ってのは魔術師が精霊を呼ぶ言葉だ。連中は、神聖なものを神聖視しない。ただこの世の仕組みとして考え、敬意を払わないんだ」
ヤアンの口ぶりは、なんだか、誰かの言葉を思い出して言っているかのようだった。
「円環の者は精霊のことか。円環っていうくらいだから丸い環なのか?」
「クドルみたいに一部が欠けた状態だそうです」
「あー、いや? 五人の人間が手を繋いでくるくる回って見える」
――ん? んー?
「人によって見え方が違うんだ。十人という奴もいるくらいで」
「なるほど」
「諸説ありますが、一度、地上の自然が滅びかけた時、神の王は精霊という仕組みを創り、彼らにこの世の五大要素の均衡を保つように命じたと多くの古文書に記載されています。最初それらは光と闇、水と火、風と地の六つだったという説もありますが、現在は何故か闇の精霊の存在は否定されているか、闇の精霊は零落し闇の王になったなどと謂われています。魔物や魔族はその影響を受けた悪しき存在である――などです」
「オレは闇の精霊は存在してないと思うけどな。魔族だって基本的に善人だったりする」
「まあ、それはさておき。精霊は人間に加護と祝福を与え、魔法を使えるようにしました」
「そんで、君はそれが使えるのか。魔法使いもおとぎ話じゃないんだな」
俺の言葉にリザイラは複雑な笑みを浮かべる。少しだけ、悲しそうな笑みだった。
リザイラは時折、その年頃の少女が浮かべそうもない憂いを浮かべるから心配になる。
「いや、こいつは魔法使いじゃない。魔法は使えない。魔力が無駄にあるだけで」
「それ、無駄に魔力も生命力も永い寿命も無駄にある人に無駄に言われたくないですよ」
リザイラはヤアンを『無駄に』という言葉で攻め立てるように言った。
「オレは微妙だけど魔法が使えるぞ。神の血を引く特権と努力で……」
「本来はそこまで単純なものじゃありませんから!」
リザイラは頬杖をついて、ヤアンからそっぽを向く。
「精霊が魔力を与えるなら、神の血縁ならもっとすごい力かと思ってた」
「いえ、精霊が与えるのは加護と祝福だけで、魔力は誰もが少なからず持ってますよ」
「ああ、じゃあ、魔力はまた別なんだな」
「ええ、濃度と量、それから色。性質こそ異なれど全くない生物はいないんです」
そんなものが自分の体内にあるという実感はないが、あるものなら使いたいよな。
「神の血を引くとその加護と祝福を享けることになって、魔力の性質も普通とは異なる。風の精霊と蒼き狼は仲良しでね。風の精霊からも強い加護がある。要は力を貸してくれる。便利だろ!」
「それを便利で片づける貴女に、雷が落ちればいいのになって時々思います」
「今のところは無事だな。部族が滅びた以外はな」
絶対、ヤアンはその重い過去を冗談にしていると俺は思う。
「ヤアンの言う『力を貸してくれている』というのが加護と呼ばれるものです」
「力を貸してくれるというよりも、守りの力じゃないのか? 加護って言葉から察するに」
「単純に守られるだけではないみたいですよ? 加護がないので私にはわかりませんが」
「加護は無意識でも使える力だよ。それにオレの加護は蒼き狼と風の精霊だけだと思う。ただわかるのは蒼き狼の力を使いすぎると風の加護も薄れるから、風の精霊はオレ自身を祝福してるわけじゃないってことぐらいかな」
「でも、風の魔法は使えますよね?」
「風を吹かせたり、必殺カマイタチを放ったりはできねえ。服の隙間に涼しい風を循環させるのは魔法だけど、別に意識してねえしな」
「なにその便利な魔法」
「祝福は魔力を魔法に変化させて意図的に使う力で、加護がないと祝福も与えられません」
「そういうのは、どうやってわかるんだ?」
「病気と同じで自己判断も出来ますが、主に神官やそれに準ずる者が視てくれます。そのせいか信仰が大事みたいです。この一帯の周辺諸国ではドルディア教の信徒が多いんです。ヤアンはもちろん、クドルを着けた方々が多い。最近では、クドルを仰々しいと嫌う人もいますが、その信仰心だけは篤いようです。ヤアンも私から見れば熱心ですよ。この街でドルディアの祝日にだけ開かれる礼拝に参加してますから」
「まあ、オレも世話になってるし、まだ雷に打たれたくはないんでな」
「おいおい。でもそんな綺麗な飾り着けてたら女だとばれないのか?」
「オレのは右側に飾りがあるだろ? 女物は左側に飾りがあるんだ。一応、親父の形見さ」
そういうところでも男装しているのか。だが、亡き父を偲んでいるようにも思える。
俺からすれば、ヤアンは信心深くないように見せかけているような気がした。
「ドルディアは光の民とか、聖地に生まれる女性主体の民族と土地の名です。女性だけが神通力を持っていて、神官を名乗っています。魔術師は、皮肉で彼女たちを精霊巫女とも呼んだりしてますよ。その一人一人が、実際に神々と精霊、その加護、祝福を視ることと対話することが出来る上に、上級魔法を難なく使う化け物のような存在です。とは言え、その姿はとても美しいのでそれが目当ての信徒がいないとも限りませんが、ご本人たちは至って貞淑で心の優しい方々です」
ドルディアのことを語るリザイラの口調がやや不機嫌なのは相手が女性だからなのか、上級魔法を難なく使うからなのか、美しい女性なのが気に食わないのか俺にはわからない。
ただ、表情と言葉の端々からドルディアを毛嫌いしているように見受けられた。
「旧聖王国の始祖が光の精霊をお妃に迎え、死んで精霊に戻るという伝説があるのですが、ドルディアも光の精霊に愛された子孫と言われています。でも聖地として土地が崇められ、その土地で生まれた者しか神官の力は宿らないのだそうです。ですから愛されたのは土地だったのではないかと、私は思います。なんか、ずるいですよね」
「あとは光の精霊、もしくは全ての精霊が男女一組の説に、どっちにもなれる説と、血の混じった時代が違う説がある。蒼き狼は戦いを司る女神って以前、仰ってたから女だけど」
「仰ってたっていいました?」
リザイラの切れ長の目が見開かれ、瞠目し、徐々に驚きよりも興味が勝るように輝く。
「オレには精霊も見えるし、蒼き狼ともたまに話せるんだよ。悪ぃか?」
「ヤアンは神官と同じ能力があるのか?」
「いや、一時的な蒼き狼の
「巫者は神官の俗称ですね。まあ、それは後で個人的に、詳しく聞きましょうかね」
リザイラは一旦、自分の好奇心を抑え込んで、俺の為に話を進めてくれる。
「魔術師は一言でいえば、魔法の研究者ですよ。魔法と魔術の違いでよく使われる説明は『魔法は自然の法則に逆らわずに、それを魔力で増大させて行使する神聖なもの』対して『魔術は魔法を魔力でこねくり回し、錬金術を応用し行使する自然に反した行い』ですね。基本的に魔術は魔法が使えないと直接行使はできないのですが、実はその抜け穴も発見されていて、とても進んだ学問のいち分野です。私はその抜け穴を使って魔術を使えます。元々は魔法使いが神の真似事をするつもりで編み出されたものだと伝わっています。但し、そんなことをやろうと考える時点でみんな、まともではないですよ」
「魔術師って怖い存在なのか? 命狙われるって」
俺としてはそれについて、詳しく知りたいと思っていた。
「えっと、みんながみんなそうではないのですが、ね。仲良くしている魔女もいましたし、敵対していた魔術師もいました。魔術図書館っていうのは学舎も兼ねた魔術師の組織です。ですが、あまりに人数が多いので、全員と面識があるわけでもありません。内部ではよく恐ろしい魔女の伝説やもっと恐ろしい魔術師の逸話をよくお師匠から聞かされたものです。お師匠もまともな人間ではありませんが、逸話や伝説よりは大分、マシで優しい方でした。よく、特別に美しい名前や、意味深な名前には気を付けろ、と言われていました。実際はみんなそんな名前ばかりで正直怖かったです。だから、逃げたわけではありませんけれど」
一瞬、お師匠とやらを人外の存在のように言ったように聞こえたのは俺だけだろうか。
「えっと、逃げたって逃亡罪とかがあるのか?」
「魔術図書館内の黒魔術師会に連名しているので、勝手な外出はご法度なんです」
リザイラは茶目っ気を見せながら言っているが、結構大変なことじゃないか。
「黒魔術師?」
「こいつみたいに、真っ黒で陰気で、怖くて性格の悪い魔術師ってことさ」
ヤアンの言い草を聞いたリザイラが、むっとしてそちらを一睨みする。
「悪魔崇拝や、死体を使ったりする魔術師のことです。私は使わないようにしているので、魔術師の流派がそうであるというだけです。傭兵ギルドの顧問である限りは、殺されないそうなんですが、免責が出てからまだ二日か三日でして、魔術図書館は遠いですし……」
「この可憐で時折妖艶さも見せるリザイラが、いつの日か非人道的な実験を繰り返して、やがては悪名高き黒魔術師として名を馳せるのはそう遠い未来ではないのだった」
「ヤアン、やめてくださいよ。私は血流を逆流させる方法とかは探っていますが、実際にやろうとは微塵も思っていませんからね」
「それ、やるならオレで実験しろよ」
「はあ? やりませんよ。ネズミかミミズにします」
「ミミズに血管はねえぞ」
「アンタらさっきからなに言ってんの? 怖いんだけど」
「いや、さっきからこいつがプルプルしてるから緊張を逸らして安心させようと思ってな。レオがいなければ、抱きしめてやってたのにぃ」
「うっわ、本当にずるいです。でもなんか妙に落ち着きました」
この可憐で、時折妖艶さも見せる少女が自分で語ったことを思い出して怯え、それでも必死に笑顔を繕いながら実際は臆病で繊細なのと、その細かい震えを見逃さない女傭兵の気遣いが妙に器用なのか不器用なのか、何故か悔しくて俺は目許だけをほころばせた。
「思い出したくもない話はしなくていい。とりあえずお嬢さんを守らなきゃいけないな。あとドルディアの神官に会ってみたいのと、宿に戻って今の話を自分の中で消化したい」
「消化できませんでしたか?」
「話は思ったほど、難しくなかったけど、ちょっと情報が莫大過ぎて」
知らなかった世界の現実が大波となって、俺の思考に押し寄せてくる。
「私たちにも不思議なことはまだまだありますよ。日々、実感しています」
魔術図書館とやらで学んだ魔術師がそう言ってくれて、俺も少しは安心した。
「もっと詳しく理解してえんなら、最近の児童書がお勧めだぞ」
「今の話全部が児童向けってことかよ!」
ヤアンの言葉に、俺は思わず、椅子ごとひっくり返りそうになる。
大人向けならどんな不思議が飛び出すんだろう。
その後、ギルドに戻って解散してから、俺はすぐに宿屋に戻って枕に埋もれていた。
ギルドの主人から二階に空き部屋があるから、移ってこいと言われたが、少しだけ悩む。
まず、風呂が共同なら二人がイチャコラ入っているところに俺が闖入した日には確実にヤアンに殺される。リザイラに全身の血管を逆流させられるかもしれない。
それは嫌だが、リザイラを守りたい。
――あの子が笑ってくれると、安心するんだよな。
あの後、リザイラは自分に護身の術がないのだと言った。
ヤアンに任せておけばいいとは思うが、何故かリザイラのことは個人的に守りたい。
宿屋は静かで振り子時計の音がカッチカッチとやたら聞こえる。
普段は、あの音が緩やかに眠りへと俺を誘うのだが、妙な興奮に駆り立てられる。
さっき聞いた『現実』が今まで信じていた現実を書き変える音に聞こえるのだ。
ただの金属音をそんな風に感じる時点で俺は、俺の現実は変わっているのだろう。
それが、少し、怖い。
でも何故か、心は踊り、口角は吊り上がった。
ドルディアの祝日と呼ばれる日に、この街にも神官が来るという。
少し先の事だがいつの間にか、楽しみになっていた。
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